嵐よぶモノ [下]
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 命にもかかわるような無理だ。
 その、彼女を。かたかたと手を震わせ、肩で息をするビッキーの隣に、彼は膝をついていた。そっと左手を伸ばして、震える少女を支えると同時に、魔力をつかってサポートしているのが良くわかる。
 誰をも拒絶して、必死に他人から逃げる少年。――テッドだ。
 そのあまりに珍しい光景に、本当の性格を知っているイストでさえ驚いてぽかんとした。
「丁度いい。あんただったら適任だろ」
 エレノアは集う人々の能力を、当然だが全て把握している。
 ゆえの発言なのだが、突然に響いた声はビッキーの紋章のサポートに集中していたテッドには衝撃だった。彼は激しく体を震わせた直後に、無意識なのだろうが、即座に体の向きをかえて弓に矢をつがえて構える。
 ぴたり、と。たがうことなく心臓をとらえる弓に、イストの胸は痛んだ。
 テッドが逃亡者であることに少年は気づいている。そうでなければ、不意をつかれたときの無意識の反応が、戦闘態勢になるわけがない。
「テッド」
 なるべくゆっくり、普段と変わらない声で、呼びかけた。
 夕焼けの色をした目が、静かに現実を確認していく。それから最後にテッドは自分がイストに弓を向けていると気づいたのか、怯えたようにソレから手を離した。
 がらんっ、と音が響く。
 人々の怒声と、嵐の轟音に満ちた船内で、それは不思議と大きく響いた。
「わ、悪い」
 テッドの声が震えている。
 そこでようやくビッキーも目をあけて「あれれ?」と声を上げた。
「あの、ごめんなさい、全部の船のテレポートをと思ったんですけど。ちょっと無理でした」
 困惑する少女に、イストはあわてて手を振る。
「そんな無理はしないでいいよ、ビッキー。それより、頼みがあるんだ」
「な、なんですか? 今の私に出来ることなら」
 立ち上がろうとして、ビッキーは船の揺れに耐え切れずに大きく体をかしげた。ハッとした目をしたテッドが、当たり前の仕草で少女を支える。
「……あ」
 大きな瞳をさらに大きくして、ビッキーはテッドをみやった。
 テッドはあわてて手を離し(それでも彼女が倒れないように、イストに支えろよ!という目で見てから)そっぽを向く。今更のような冷たい態度にビッキーは少し笑って「ありがとう」と言った。
「少し元気、でました。で、なんですか?」
「この場所に二人をテレポートさせて欲しいんだよ」
「ここ? ええっと、行った事がある場所じゃないですよね」
「あたしは行ったことがある。無理かい?」
「飛ばすだけなら、たぶんなんとか。でも、手鏡では帰れないと思います」
 私、わからないから、と言ってビッキーはしゅんとうな垂れる。
 イストは大丈夫、と少女の肩を軽くたたいた。
「帰りは探してもらうから。嵐を止めに行ってくるよ」
「え?」
「嵐がとまったら、山ほど休んでていいから。そうだ、なにかビッキーの好きなものも買ってくるよ。だから頼んだ」
 これ以上はないほどに、真面目な表情で見つめられて、少女は息をのむ。
 それから「はい」と答えて、両手で杖を持った。
 イストはすぐさま手を伸ばし、まだ少し困惑している様子のテッドの腕をつかんで引き寄せる。彼はえ?という顔をしたが、なにか理由があると理解したのだろう。何も言わなかった。
 ビッキーの杖が、紋章の力を宿して輝きを放つ。
 それと同時に、イストとテッドの二人は、嵐の只中にある船から飛ばされていた。


 島は小さかった。
 かつてイストが流されて、命を永らえさせた無人島よりもはるかに小さい。
 すぐ傍で、ばしゃん、と水音がした。そっと視線を向ければ、思い切り渋面を作ったテッドが、眉をよせてこちらを睨んできている。
(んー、でも、水浸しで睨まれても怖くないな)
「お前、今、くだらないことを考えただろう」
 二人は、もう少しで島にたどり着く付近の海に落とされたのだ。
 だからと言ってビッキーをせめることなどイストには出来ないし、絶対にテッドにだって出来やしないのだ。彼の本質は、恐ろしいほどに優しさで出来ているのだから。
「ちょっとだけ。それよりテッド、あの島になにか感じる?」
「……嫌な、感じだよ」
 ゆっくりと泳ぎながら、真の紋章の宿主は右手をぎりっと握り締める。イストはまだテッドほどには”嫌な感じ”を受け取っていないが、左手がうずくのは確かだった。
「紋章の力を増幅させるもの、かな」
「あれを破壊したいんだ」
「破壊?」
 島へとたどり着くものの、上陸しやすい砂浜は見当たらない。イストは器用に岩をつかって体を押し上げ、テッドのために手を伸ばした。
 ビッキーの補佐をするために、すでにかなりの紋章力を使用したテッドはかなり消耗している。伸ばされた手を、最初は困惑顔で見つめていたのだが、テッドは思い直したように手を重ねてきた。
 軽い体を、ぐいっと引き上げる。
「……悪い、イスト」
 ぽつん、と。テッドがいきなり言った。不意打ちだ、とイストは思う。
 テッドは望まぬというのに、人を拒絶して生きねばならない定めを、彼自身に背負わせている。
 だから、他人を特別な存在にしたくなくて、なるべく”名前”を呼ばないようにしているようなのだ。
(でも、俺にたいしては違ってきてるよな)
 テッドは気づいていないかもしれない。けれど、確かに自分のことを名前で呼ぶ回数は増えていっている。
 それがなんとも嬉しくて、場違いだがイストは笑ってしまった。
 紋章の力を増幅させる気配に、右手をおさえこむ仕草をし続けるテッドは、いきなり笑ったイストを変なものを見るような目で睨む。「そんな、フナムシを見るような目で見ないでよ」と言って、少年は歩き出した。
 この島のどこかに。――あの嵐を起こすものが、”ある”のだ。
 すっと、テッドが眉をよせた。
「イスト、下がれッ!」
 叫ぶと同時に、テッドは左手を伸ばしてイストの長いバンダナをつかむ。そのまま容赦なくぐいと引いたので、イストはたたらを踏んで後方にひっくり返った。
「テッドッ!!!」
 これにはさすがに叫ぶ。けれど自分が居た場所に、凄まじい穴がうがたれたのを見て「ありがとう!」と臨機応変に叫ぶことにした。
「こいつか?」
 テッドは左手を持ち上げている。
 右手に宿した”生と死をつかさどる紋章”を行使するときほどではないが、びりびりと空気を震わせる魔力を彼はまとっていた。こういうとき、イストは紋章使いとしての格の違いを――真の紋章を守り続けて、長い時間を生きてきた者の強さを知るのだ。
 自分は強くない、とテッドは彼自身を責めるけれど。
 彼がどれほど強いのか、優しいのかを、イストは知っている。
「間違いない。エレノアさんがいってたよ、こいつがあの海域に嵐を呼ぶって」
 テッドが左手に宿すのは、流水の紋章だ。額にも別の紋章を宿すというのに、あえて流水の紋章の力を引き出すのなら。
 イストは目を伏せて、右手に宿す雷鳴の紋章に集中する。
 テッドが狙うのは、水と雷の紋章の力を双方引き出した、雷神であるはず!
 ソウルイーターの宿主は、こちらへと悪意をむけてくる力の気配を探っている。いざとなったら彼を庇わなければと思いながらも、信じて待つイストの耳にあどけなさの残る声が響いた。
「あそこだっ!」
 二人同時に、紋章を放つ。
 ――悲鳴が、聞こえた気がした。
『真の紋章だって意思を持つだろ?』
 そう言ったエレノアの声が、耳の中でよみがえる。
 紋章砲の登場によって、海には異常な生物が出現するようになった。――謎のほうが多いのだ、意思を持つ”核”があってもおかしくはない。
 びりびりと肌をさすようなテッドの持つ魔力の気配が消えていく。
 それと同時に、島をおおっていた”悪意”がなくなっていることにも気づいた。
「終わった、かな?」
 ちょっと疲れたね、と声をかける。テッドは振り向こうとしたのか、足の向きをかえようとして。
 すとん、と。その場に座り込んだ。
「テッド?」
 あわてて駆け寄って、膝をおって顔を覗き込む。
 真っ青な顔色は、持ちうる魔力を使って、人々を守っていたビッキーとおなじだった。
(そうだ、だってテッドも)
 彼女の魔力がつきないように、彼女が多くの人を救えるように、ずっとずっと補佐していたのだから。紋章を使い続けた上で、あんな上位紋章を放てば体に反動がくるのが当然だ。
「ご、ごめん、テッド」
「……謝るな」
 疲れきっているせいなのか、テッドが睨みあげてくる眼光は弱い。
 もう一度ごめんといいかけて、イストは言葉を飲み込んだ。かわりに隣に座る。
「イスト」
 弱い声。きっと限界がきて眠りに誘われてるんだな、とイストは思いながら顔を向ける。
「ん?」
「ありがとうな」
「なんでテッドが俺に礼をいう?」
 困惑して尋ねれば、テッドはひどく静かな表情で、少しだけ笑っていた。
 自分の周りに必死に壁を作っているいつもの顔ではなく、どこかひどく自然な……まるで素の彼のような顔だ。
(ああ、眠りかけてるんだ)
 妙に納得してしまった。
 だから次に目を覚ましたら、テッドはこのことを覚えてはいないだろう。
「……お前、罰の紋章、使わないために……俺を、つれてった、ろ」
「うん」
「だから、かな」
「だったらさ、テッド。それ、俺がいうべきだよ。テッド、ありがとう」
「……ん……」
 どこかあどけない子供のような返事を最後に、テッドの瞼がすとんと落ちた。
 器用に俯いて眠ってしまった彼を見つめてから、イストは顔を上げる。
「さて」
 遠く、遠くを、見つめる。
「迎え、いつくるかな」
 少し遅くてもいいな、とイストは思って。
 テッドが辛くないように、彼と背中合わせに座るような体勢をとってみた。
 背中は温かくて、心もなんだか暖かい。
(濡れたままだから、二人とも風邪ひくかな)
 そしたらエレノアさんとビッキーに看病してもらおうか。
 そんなことを考えて。
 イストも、つかれきった体を甘やかせて、瞼をおろした。

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