かにカニかに [下]
[前頁]目次

 しばし考えてから、テッドは扉に手をかけ、一気に開けて走り出した。「テッド君!?」なんて遅れて響いた声は、完全に背中で無視だ。
 罰の紋章を保持する少年は、ソウルイーターに食われる心配のない唯一の人間だ。
 それと同時に、重い定めを背負わせる紋章を宿しながら、前を向いて生きる彼はテッドにとっての希望でもある。
 その希望が。
 カニカニ言い続けるのは、わがままかもしれないが、やはり嫌だ。
 エレベーターに乗ると見せかけて階段を駆け上がる。そのまま凄まじい勢いで駆け抜けて、目的の部屋の扉をあけた。
「あれぇ? どうしたの?」
 オベルの巨大船きっての癒し系、ネコボルトのチープーは飛び込んできた珍客に目を見張った。
「チープー、お前、無人島でのカニ事件ってしってるか?」
「無人島のカニ事件? ええっと、それは、カニカニーって言ってるのに関係するのかなあ?」
「たぶん。知っていたら教えてくれ」
 普段は人付き合いの悪いテッドの珍しい頼みに、チープーは驚いたようだった。しばし沈黙。それからポンと手を叩く。
「あのね、実はね」
「主ガニの子供?」
「そうなの。美味しそうだなと思って。そしたら」
 こーんな大きなカニが出てきて、倒せなくって、ピンチでね、とチープーは語る。
 ピンときた。
「罰の紋章を使ったな」
「わかる?」
「わかるよ。でもな、あいつがそれを怒りはしないだろ? 怖いくらいにためらいがない奴だし。……誰かを助けるために、紋章を使うときさ」
「でも、あの時はまだ、命を削るってことは知らなかったと思うよ?」
「あれがどんなに重いものなのか、宿せば嫌でも思い知らされるさ。真の紋章なら、どれでも……」
 半ば無意識にテッドは右手を抑える。事情を知らぬチープーは不思議そうに首をかしげ、つぶらな目でテッドを覗き込んだ。
「それで、どうするの?」
「あいつ食べたかったの、そのカニなんだろうな」
「食べたかった? ……え!」
 チープーは目を見開く。

「あのカニはうまかった、って言っちゃってたよ!」

「はあ?」
「ケネスだったかポーラだったかは忘れちゃったけど。倒れちゃったから介抱してたんだ。その時に、俺のせい?って言ったんだ。そしたら、でもあのカニうまかったよって」
「言った?」
「言った」
「……つか、三人だけで食ったのか」
「うん。おいしかった」
 幸せそうに、ひげをそよそよさせてチープーは目を細める。
 がっくりとテッドは肩を落とした。
 それは俺でも気になるかも。
 命をけずってまでして倒したカニ。
 無人島に流れ着いて、ろくなものを口にしてなくて。そこでありつけるはずだった、巨大蟹の味。
 ――不敏な。
「食べさせてやりたいよな。でもなあ、似た状況じゃないと、納得できないだろ?」
「だ、だだ、ダメだよ! そんなことで罰の紋章を使わせるなんて!」
「使わせないさ」
「ど、どうやって?」
「俺がなんとかする。まずは同じくらい立派な巨大蟹だよな」
「ケネスとポーラも探してたけど、わからなかったって言ってたよ」
「海のことならプロにだ。今すぐウゲツさんとシラミネさんところに行って、巨大蟹の生息地の調査。後に軍師のところな」
「エレノアさん?」
「都合よく、そうそう危険な巨大蟹なんているわけがない。だったら、危険をこっちで作るしかないだろ」
「わ、わざと危険な目にあうの!?」
「空腹に、危険に、巨大蟹。全部揃ってはじめて、あいつの求めるカニになるんだよ」
 テッドは拳を強く握り締める。
 な、なんかこの人、異常に真剣だよー!? 怖いよー!
 チープーは毛を逆立てながら、「とにかく、行って来るよ!!」と言って、逃げたい一心で部屋を飛び出した。
 エレノアは案に乗った。
 リノ王はもっと乗った。血のりまで用意して、ノリノリだ。
 というわけで、オベルの巨大船は現在、エレノア演出のいきすぎた”危険”にさらされている。
 甲板は死屍累々だった。ネコボルトを庇って、なぜか少しだけ幸せそうな顔をしてトラヴィスが転がっている。ジェレミーとトリスタンは救い出そうとしているのだが、いかんせん足場が悪い。
「な、なんでこんなことにっ!? 海に慣れてないものは、甲板に出るなッ!」
 カニカニ言いつづけていた若き指導者も、大あわてだ。久しぶりに見る勇士に、ミレイがうっとりとした表情で、マストにしがみついている。
「さ、さす、流石はエレノアさまだわ。絶対にわざとよ、これ」
 図書館の本を完全防備したターニャは、よろよろとしながら、それでも懸命にアグネスときそって軍師の隣りをキープしている。エレノアはニヤリと笑って、平然と酒をあおった。
「ま、そろそろ、我慢も終わりだね」
「そろそろ?」
「怒り狂ったのが、来るよ」

怒り狂わせたのは、貴方ですかー!!

 流石に、アグネスとターニャの心の声は揃っていた。
 同時に。

ザッパアアン!!!!

「まあ、大きいわね」
「ジーンさんっ!? 俺の後ろに下がっ……か……カニだぁぁぁ!!
 少年はすっとんきょうな声を上げた。
 夢にまで見たカニ。
 うまかった、うまかった、といつだって夜明けの夢でエコーがかかっている。
 そのカニがッ!! 目前にッ!!!
 甲板にのそりと乗り上げてくる、巨大な鋏。床をさらう凶暴な波に足をとられながら、少年は果敢に走り出した。
 無人島で見たものよりも大きい。
 というか、かなり。

旨そう強そうだ!!

 ぶうん、とカニが鋏を振り下ろしてくる。身軽によけて双刀をぬき、続けざまにそれを叩き込むが、歯がたたない。
 だがここで諦めることが出来ようか!(いや出来ない!)
 ほうぼうであがる仲間たちの悲鳴。
 言い訳も充分。使うなら、今だっ!!
 左手をそろりと持ち上げる。「我が真なる……」と口にした、瞬間。

バンッ!!!

「たっーーーッ!!!」
 やじりのついてない矢が左手に叩き込まれていた。
「あ、あれは痛いッ!」
 作戦の成功を願っていたケネスとポーラ(カニ肉残してなくてゴメンなさい)の二人は、自分自身の左手をおもわず押さえる。
 赤いバンダナの少年が目を白黒させている隙に、やじりのない矢を放った少年は迅速に走りだした。
 今まで見せたことのない積極さ。
 いつだって、手伝ってやってるという態度をとっていた、つれない少年。
 その彼が!! テッドがっ!!
 ためらうことなく右手を高く持ち上げる。おそろしいまでの高濃度の魔力が空間を満たし、人々はそこに浮き上がるまがまがしき紋章を見た。
「て、テッド、テッド君って!!」
 今さらだが、彼が罰の紋章によく似た、呪われた真の紋章の持ち主であることをしったものたちが、口をぽかーんとあけていた。
 ――圧倒的な存在力。
 魂を喰らう紋章であり、27の真の紋章。ソウルイーター。
「我が真なるソウルイーターよ。その呪われた力を、ここに示せッ!」
 どこかまだあどけなさの残る高い声とともに。
 誰もみたことがないほどに、積極的かつ行動的なテッドによって、哀れ巨大ガニは葬られる。
 それを見届けて、軍師エレノアは船に転進命令を下した。
 嵐の只中にあったなど夢だったかのように、すぐに静けさを保つ海域に船はすべり出る。
 ぽかんとした少年の目の前で、テッドは肩で息をしていた(ちょっと調子に乗りすぎた)
 倒されたカニの元へ、巨大船の誇る最高の料理人たちがかけよっている。無人島で食べたときのように、ただボイルしただけのものも確保した上で、彼らはまたたくまにソレを料理にしていった。
 かぐわしい匂いにうっとりとしながら、少年はテッドの側による。
「テ、テッド?」
 肩にぽん、と手をおいた瞬間、ソウルイーターの宿主は少し笑った気がした。けれどすぐに意識を手放してしまって、ゆっくりと崩れおちる。それを慌てて支えながら、少年は思った。
(このシチュエーションは、あの時の俺と同じだッ!)


 夢にまでみたカニの味に、少年はご満悦だった。
 テッドの意識が戻りかけたときに「あのカニはおいしかった」と言って、まったく同じ仕打ちが出来たのだから、さらにご満悦だ。


 最終決戦を目指す日。
 少年とともにエルイール要塞をめざしながら、テッドは思った。
 ――カニが気になる気持ちも、ちょっとわかるなーと。

[前頁]目次