かにカニかに [上]
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「カニが食べたいなぁ」
 突然、彼が言った。
 彼のすぐ後ろを進むテッドは、おもいきり不審そうに眉をよせ「なんだよ、突然」と低い声を出す。
 赤いバンダナをした少年は、軽快に振りむいて、眉間に深い縦じわを寄せた。
「カニ」
「答えになってない、いいから早く進め」
 テッドは軽く左手で少年の背を押す。相手にされなかったのが悲しかったのか、少年はすこし眉をよせ。
「カニ」と、また言った。
「あのなぁ」
 無人島に案内するよ、と少年がテッドに言ってきたのは二時間ほど前のこと。なにか意味でもあるのかと問えば、自分の命を救ってくれた島に礼がいいたいんだ、と彼は答えた。
 誰もが、決戦の日の近さを肌で感じている。それは少年の生き死にを左右する日が近いということでもあった。
 死ぬな、と。テッドは少年に対して思うと同時に、彼のためにひそやかに祈る。だからこそ、真剣な目をした少年には弱かった。
 それでもカニカニ言う理由はわからない。ガイエンの騎士見習の頃から行動をともにする同期生のケネスとポーラなら分かるだろうかと振り向いて、眉をよせた。
 二人はなぜか真っ青な顔色で、硬直していた。
「か、カニ」
 ケネスがぽつんと言った。
 すぐ横を歩くポーラも同じように「カニですね」と呟く。
 無人島の密林(ここで木材を手に入れたので、少年いわく船の恩人らしい)の先に広がる草原に、なぜか視線をさまよわせている。
(な、なななな、なんだ?)
 実はテッドは人が好きだし、好奇心も強いし、世話好きでもあるし、案外おせっかいでもある。
 150年も放浪しているというのに、いまだにそれが抜けないのはむしろ天晴れだ。だからはっきりいって、カニカニ言い出したのが気になって仕方ない。でも人付き合いの悪いテッドを演じているので、興味津々にたずねることができないのがちょっと悲しい。
 ポーラとケネスがまた「カニ」と言った。
 右から左から、カニ、カニ、カニと聞こえてくる。
 ――怖い。 でも気になる。
 好奇心に負けて尋ねてみるべきか、沈黙を続けるか。
 テッドは深呼吸を繰り返し、「ソウルイーターに仲間を食わせるわけにはいかない。僕に近しい人間はいない」と心の中で何度も復唱してみる。よし、と拳を握ってから顔を上げた。
「腹が減ったなら、帰ればいいだろ」
 よし、かなり冷静な言葉だったとテッドが自分自身にほめていると、少年は赤いバンダナをまるで尻尾のようにしゅんとおろした。
「でも、カニは船にないだろ」
「そんなわけあるか。昨日も出ただろ」
「テッド。カニとか、カニとか、カニとか好き?」
「お前、それ、カニしかない」
「カニ」
「だから! カニ食べたいなら、帰ればいいだろ!」
「……テッド」
 少年は、ふっと声を低くした。ひどく辛そうな目だ。おもわず心配が募って「どうした?」と尋ねると、少年は首を横にふる。
「ここであえないんだ、もう一生であえない」
「……会えないって。誰か大切な人を失ったのか?」
「だから」
「うん」

「カニだよ」

 がっくし。
 またそれか、と言おうとしたテッドの両肩を、少年はいきなりがっしりとつかむ。なんだ!?と困惑した隙にずずいと体を寄せて、向かい合わせの体勢のままテッドの肩にあごをのせた。
「わ、わわわわっ!!」
「うーん、なんか落ち着く。この位置がいいんだよなあ」
 少年とテッドの身長は、五センチほど差がある。
「人の肩をおき場所にするなッ!」
「ちょうどいいし」
 テッドの怒りを完全に無視して、少年はそっと目を細めた。
 軽い上目づかいになった先の視界に、ケネスとポーラが映っている。
「どうしたの、二人とも」
 少年はにっこりと笑ってみせた。
「な、ななな、なんでもない」
 ポーラの声は震わせ答える。ごくんと息を飲んで、だっと走って少年との距離をつめた。テッドの背に手をあてて、体を縮こまらせる。
「わっ!」とテッドが声を上げ、離せと続けたが、ポーラは離れなかった。
「とにかく、今日はもう帰りましょうよ」
「ポーラはもう疲れた?」
「う、うん。ごめんね」
 テッドの背中からポーラは無理に手を伸ばす。

(なんで手が震えてるんだッ!!)

 ツッコミを入れたいが、二人にひっつかれて声さえ上げられない。
「帰りに港によって、いいカニを買って帰りましょう」
(だからそこで会話するなっ!)
「そ、そうだ、それがいい!」
 ケネスも走ってきて、彼までテッドの背に手を当てて小さくなる。
(お前まで参加するなぁ!!)
「おれとポーラで買うから」
「いや、いいよ」
 テッドの心のツッコミ叫びなど、まったく伝わっていない。三人は当たり前のような顔をして、テッドにくっついたまま、普通に会話を続けている。
「遠慮することないって。いいカニだって手に入るさ」
「遠慮してるんじゃないよ、ケネス。そうじゃなくって、港じゃ手に入らないんだ。ね、テッド」
(なんで俺にふるよ!?)
 うんといえば少年は喜ぶだろうが、背後の二人は震えあがるに違いない。
「……お」
「お?」
 三人の視線が、ただでさえ近いというのに、さらに距離をつめてきた。

(この距離で凝視すんなッ!!)

 冷や汗が流れた。馬鹿みたいに緊張してしまう。
「……俺には関係ない」
 もうこれだけでいっぱいいっぱいだ。
 少年は軽く笑って「テッドは優しいな」といきなり言う。
「なにがだよ」
「ん? そう思ったから言ってみただけ。じゃあ帰ろうか」
 ビッキーにお土産ないかなと言いながら、無造作に彼はきれいな貝殻を拾った。あれを土産にするつもりだろうか。そんなことを考えている間に少年の手は瞬きの手鏡をとりだし、一行は船に戻っていた。


 ああ、これで解放されたなぁと。
 テッドは思ったし、たぶんケネスとポーラも思ったはずだった。
 だがしかし。


「軍主の様子が、おかしいのです」
「リノ王!」
「リーダーが、壁をむいたまま、カニってつぶやいてます!!」
「エレノア様っ! こっち、こっちにきてくださいッ!」
 船内はパニックだ。
 作戦会議中に、仲間を呼ぶ際に、武器を鍛える際に、きのこ108星戦争の際に。

「おはようっ、ジーンさんっ! カニっ!」
「我が真なるカニ……じゃなかった、罰の紋章よッ!」
「今日もいい天気だね。カニカニ!」

 などと連呼している。しかも連呼している少年の隣で、ケネスとポーラがしくしくと泣きながらついてまわるのだから、恐ろさは倍増だ(しかも小声で、ごめんなさい、許してぇとか言ってるのだから、もっと怖い)


「い、いったい、なんなんだよ……」
 頭痛いな、とつぶやいて、テッドは頭を抑えた。傍らには珍しいことにオベル王国の国王、リノ・エン・クルデスの姿がある。先ほど部屋へと押しかけてきたのだ。
「お前なら、なにかわかるんじゃないのか」
「なんで俺にわかるんだよ」
「あー、なんだ。その。お前、ほら、あいつと同じ変な紋章もちだろ。仲間だろ」
「真の紋章をヘンですますな」
「あー、悪い悪い。悪かったよ。ほら謝るから、機嫌直してくれ。とにかくな、あいつをどうにかしてくれ。スノウなんて、「僕がきっとカニを見つけてみせるよっ!」とか言って、連日海にもぐるんだぞ。その度に漂流しかけて、救い上げなくちゃいかん。面倒だ」
「スノウの腰に、紐でもつけとけよ」
「……そ、その方法があったか!!」
「本気にするな」
「お前ケチだな、さっきから、するなするなって」
「普通は本気にしないっ!」
「……とにかくだな、あいつのカニカニを止めてくれ。頼む、この通りッ!」
 ぱんっ、と大きく手を打ち鳴らす。テッドは耳をふさぎながら、これ以上はないほどに嫌そうな顔を作った。
「だから無理だって!! 事情を知ってるのは、俺よりもケネスとポーラだろ!」
「あいつらな。いちおう事情は聞いたんだけどな、無人島がって呟いたっきり、二人で抱き合って号泣するばかりだ。タルとジュエルが聞いても同じなんだ」
「じゃあエレノア軍師に聞いてもらえ」
「カニカニ言ってるだけなら、支障はないだろうって言われた」
「さじなげたな、あの軍師ッ!」
「あー、やっぱりそうか。というわけで、俺もなげた。エイッ!だ。頼んだ」
 ぎゅむ、と左手を大きな手にとられてしまう。テッドが右手を他人に差し出したがらないことに気づいているあたり、抜け目のない王様だ。おかげで拒絶しそこねて、気づいたときにはリノはすでにいなかった。
 開け放たれた扉の先で、うらめしそうな視線をアルドが向けてきている。
 なんでリノ王とは普通にしゃべるのに、僕とはダメなの〜〜という視線なのはわかりきっていたので、とりあえずテッドは立ち上がってドアを閉めた。
 ひどい〜〜という泣き声が聞こえた気がするが、気のせいだろう。
「しかしなんでカニなんだよ。無人島、無人島ね」
 ううん、と考えこんで腕をくむ。本当は世話焼きであることを、思いっきり、リノに見抜かれていることにテッド@150歳は気づいていないし、利用されていることにも気づいていなかった。

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