光差す道行 [完]
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「え?」
(昨日? テッドが彼に、なにを?)
 少年はつりこまれそうなほどに明るい笑みをみせて、そっと左手を持ち上げる。
「こんな紋章を持ってるのに、まっすぐ前を向いていてすごいって。そんなふうに、自分も生きられるかなって」
「うん」
 テッドは目を伏せる。
(彼のように生きる?)
 盗み聞きしていいような内容ではないのに、耳をふさぐことが出来ない。自分が知っている親友の顔ではなく、ひどく心もとなげな表情をして、テッドはじっと少年を見つめていた。
「テッドはもうちゃんと、そういう風に生き始めてるって思ったんだ。だってさっきだってそうだよ、テッドは逃げなかった。ソウルイーターの力から」
「それは……だって逃げたら、みんな……」
「でもテッドじゃなかったら、きっと逃げたと思うよ。むしろさ、魂を喰らうなら喰らえばいいって考える宿主だっているはずなんだ。最初は死を悲しく思っても、時の放浪の果てに疲れて、なにもかも麻痺してしまうヤツだってさ」
 違う?と、少年はテッドに尋ねる。こたえられずに、テッドはただ首をふった。
「俺には分からない」
「でも、自分の魂を削ってでも、それをテッドがくいとめようとしたのは事実だよ。だから思ったんだ。真の紋章だって、制御できないものじゃないのかもしれないって」
「え?」
「テッドは人を喰らわせたくないから、人を寄せないようにして生きているだろう。でもさ、それはテッドには辛いことだよね。テッドは、たぶん、俺と同じくらい人が好きだから」
「自分で言うなよ」
 くすりと、初めてテッドが笑う。「だってさ」と彼は言って、大げさに両手を広げてみせた。
「俺が罰の紋章を使うのは、みんなに死んで欲しくないからだよ。ただそれだけのために、俺はこれを使ってきた。たぶん、これからもそうだと思う」
「だろうな」
「人はさ、誰かを守りたいと思うと同時に、誰かに守られて生きていくんだと思う。そういう関係こそが、人の強さになるんだって」
 だからテッドの生きかたが、俺には辛そうに見えて仕方ないんだ、と彼は言う。
「この戦いが無事に終わって、俺がそこでもちゃんと生きてたらさ」
「生きるんだろう、お前は。……頼むから、生きててくれよ」
「うん、そのつもりだよ。でもそう思うのと、実際にそうなるのとでは、結果に大きな違いがあるよ。――俺は、実際だってそうなってみせる」
「やっぱりおまえは凄いんだよ。そうやって、前を……未来を信じていられる」
「俺はテッドの未来だって信じてるよ。テッドはきっと、ソウルイーターをなんとか御せるようになって、人に囲まれて、笑うようになるんだ」
「なんだよ、それ」
「だってテッドにはそのほうが似合うからさ。テッドはきっと、出会うことによって生まれる別離の悲しさよりも。別離を覚悟してでも出会うことによって生まれる日々をいとしく思うだろう?」
 絶対そうだよ、と言って、少年は笑う。
(ああ、あの笑顔だ)
 全てを救い上げてしまうような、日向のような笑顔。
 テッドは大きく息を吐き出した。「本当に、かなわない」と下を向いたままつぶやいてから、顔を上げる。
 小さな肩に背負っているものを、ほんの少しだけ下ろした顔で。
「俺は、まだここに居ていいんだな?」
「いいよ。誰がダメだっていっても、テッドがいやだって言っても、俺がそうしろって命令するっ」
「おまえって、変なときに命令するな」
「だって、俺は一応リーダーだし」
 ぱん、と彼はテッドの肩を軽くたたく。それから立ち上がったので、同じようにテッドも立ち上がった。
「じゃ、リーダーらしく、謝りに行ってこいよ」
「へ? なんの?」
「ぬれたままベッドにのって、寝具をだいなしにしたこと」
「……あーー!」
 俺、海に飛び込んだままだったっけ!!と、今更ながらに言って、少年は頭をかかえる。くすくすとテッドは笑い出し、ばんっと彼の背をたたいた。
「一緒に謝ってやる。俺のせいでもあるし」
「お、本当?」
「嘘なんていうか」
「よーし、じゃあいくぞ! って誰に謝ればいいんだろ? あれ、俺の部屋を整えてくれてるのって誰だ?」
 でもまあ気が変わらないうちに行っとくか!と言って、テッドの服の袖をつかんで歩き出す。半ば引きづられたまま、それでも顔に笑みを浮かべて「なあ」とテッドは言った。
「ん?」
「ありがとうな」
「――え?」
 少年が振り向く。
 テッドはそれに笑顔を返し「言いたかったんだ」と答える。少年は照れくさそうな顔をして「俺はなんにもしてないよ」と言って、また歩き出した。
 テッドは。なぜか、歩き出しながら、小さく振り向いた。
 誰もいないはずの部屋を。
 いや。
(僕だけが残ってる部屋を)
 なぜか、テッドの瞳がまっすぐに、こちらに向っている。
 ほかの誰でもない。
(僕を、みて?)
『大丈夫だよ』
 そして、テッドは、そう言ったのだ。
 唇の動きだけだったけれど。瞳はしっかりと、自分を捕らえていた。
 テッドは少し目をふせて、自分が一番よく知っている、静かな自信をたたえた顔になる。
 不意に周囲の景色の、色が、消えた。
 全てがモノクロームの中に沈み込む。
 風がふいた。
 全てを吹き飛ばすような、まるで自分が進む道の険しさをあらわすかのような、嵐のような風だ。
 けれどその風の中。倒れることなく、流されることもなく。
 しっかりと、彼が、立っている。
「テッド!!」
 呼べば、ふわりと彼はふりむく。
 先ほど見た、少し幼かった彼ではない。自分が一番よく知っている、親友の姿だ。
 彼はまっすぐに手を伸ばした。はるか前方、やわらかな光差す方向を。
『希望さえ失わなければ。いつか願いは必ずかなうよ』
 彼の目は、いたずらっぽい光をたたえていた。
『俺が希望を得たことで、お前に出会ったみたいに』
 なににも負けることなく、まっすぐに生きて見せた、誇り高い親友が言う。
『おまえは大丈夫だよ。おまえから希望を奪い取るなんて、なににも出来ない。だってそうだろ、おまえは』
 ふわりと髪を揺らせた。少しずつ、親友の輪郭がぶれていく。
「テッド!!」
 慌てて駆け寄って、手を伸ばして、指先が触れる一瞬手前で。
 テッドは笑った。それこそ先ほどみた少年と同じ、見る人の心を救ってひきあげてしまうような、明るく優しい表情で。


『だってお前は、俺のたった一人の親友だろ?』


 ――最後に、声を、聞いた。
「……いさんっ!」
「兄さんッ!!」


 激しく、体がゆすぶられている。
 懐かしい人の声がどんどん遠くなってしまう。まだ、言いたい事があった。伝えたいことがあった。だから遠くなって欲しくないのに。
「テッドっ!」
 つなぎとめたくて叫んで、それを最後に本当に全てが消えた。
 かわりに「おおっ」と言って見知らぬ男がのけぞったのがわかる。
「あ、あれ?」
「あれ、じゃねぇよ!! いきなり倒れるからなにごとかと思えば!! 知らない奴の名前叫んで、起き上がるなって!!」
 あーびっくりした、と男は同じことを言う。大げさに胸に手をあてて、ぜえぜえと息を繰り返すので、あわてて頭を下げた。
「す、すみません。懐かしい人の夢を見ちゃって」
「あ、ああ? そ、そっか。ま、そういうこともあるよな。で、どうだ。具合が悪いとかないのか?」
「大丈夫です。心配かけたみたいですみません」
 ぺこり、と頭を下げる。それから立ち上がると、男は「本当に大丈夫みたいだな」と言って安心した顔をした。
「いやさ、ここの先生が、別に外傷もないし疾患も見当たらないから、疲れただけだろうっていってたからさ。大丈夫だろうとは思ってたんだけど」
「先生?」
「無料の診療所があるんだよ。もうずっと昔から、この国にはあるのさ」
 男は誇らしげに言う。
 あ、と思うところがあった。
 彼らはいつも誇らしげに、かつての戦いのことを語る。ならば。
「ずっと昔に、戦いがあったんですよね。群島の国々が一つになって、海賊たちまで一緒になって戦った」
「ああ、あったよ。それがあって、今があるんだ」
「聞いていいですか」
 なんとなく、聞きたくなった。
 気を失っている間に見た、あの光景は、あの人々は。
 ――もしかして。
「船で戦っていませんでしたか? びっくりするような、巨大な船で」
「よく知ってるな。そうだよ、このオベルが作った巨大な船だったっていわれている」
「そこには、当時のオベルの王様がいて。軍師がいて。そして」
 ――あの、少年が。
 海の色をそのまま封じ込めた色の目をした、明るい笑顔を持つ少年が。
「ああ、ちまたじゃ存在を疑う奴もいるらしいけどな。俺たちは信じているよ。恐ろしい紋章の呪いさえも解き放って、群島の人々に希望を与えたリーダーがいたって」
 男はそう言った。
 誇らしげに。迷うこともなく。
『人は生きることで歴史を作るけれど。それが正しく伝わるとは限らない。それでも人が生きることには意味がある。意味のない命なんて、奪われていい命なんて、ないんだ』
 テッドがかつて言った言葉。
 その意味を、今、初めて正確に理解する。
 それはきっと。長く生きる、自分たち不老の紋章もち達にも言えることなのだ。
 生きているかぎり、人は、意味をもちつづけるのだと。
「正しく伝わらないとしても。僕たちが生きた事実が、こうやって人の心に残って。そして人は……生きていく」


『お前がやりとけた解放軍だって、こうやって後の人の生きる支えになっていくんだよ。それはきっと、絶対さ。俺たちが戦った、あの時代が彼らを今も守ってるみたいに』


 声が、聞こえた。
 もう完全に聞こえなくなってしまったと思った、親友の声。
 慌てて身体を起こす。
 もしかしたら。自分は導かれたのかもしれなかった。時の放浪に疲れかけて、どうすればいいのか分からなりはじめて。
 だから、親友は、そっと見せてくれたのかもしれない。
(きっとそうだ。遠い遠い過去、テッドが希望をもった現実を、僕に)
 男に礼を言って、大慌てで走り出した。
「そっちにいったら崖だよっ!」
「いいんです、海がっ! 海がみたいから!」
 ひらりと手をふって、さらに走る。
 海が見たかった。
 かつて、この海が、放浪を続けた親友の心を救ってくれたのだ。
(そして、僕の心も救ってくれた)
 ざーん、ざーんと、海鳴りがする。
 それはかつてオベルの巨大船が眠るドックを抱いた崖の方角だ。かつてこの道を、180年以上前の天魁星の少年は希望を抱いて走り、人々を導いた。
 海が、見える。
 青一色。空と海の青さえもとけこんで、ただただ広がる青。
 その、真ん中に。
 ぽつんと、船が一隻。
 目にかかるほどに長い前髪がゆらせて、額には真紅の色をしたバンダナを結んでいる。それらを風に揺らせながら、そこに”彼”は確かに佇んでいた。
「あ」
 思わず声をもらした。
 先ほどみてきた”過去”の少年と、彼は全く同じ姿をしている。

 ――俺は絶対にいきるよ。

 少年は確かにそう言っていた。
 そして当たり前のように約束を果たして、生きて。……そして。
 とどくわけもないのに、テッドが呼んでいた”彼”の名を大きな声で呼んだ。
 彼がふわりと振り向いた気がする。
 気のせいだろうか、少し驚いた顔をした気がするのは。
「ありがとう!!」
 大きな声で叫んで、手を振った。
「いつか、会いたい」
 そう、思った。テッドもきっと、彼に会いたいと思っていたのだろう。
 テッドがどうやって生きたのも。
 そして、どうやって、失われていったのかを。


 海の上でみつけた、あの少年に。
 ――いつか話をしたいと、思った。
[完]


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