まぼろしに咲く花 序章
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どれを罪とよび
どれを罪とよばないのか
僕にはもう、それさえも
分からなかった


「貴方は今でも、望みをかなえる為に進んでいると私に言える?」
 唐突に聞かれた。
 目の前で矢に射抜かれた幼なじみの、確実に魂が抜けていく現実に耐えることが出来ず、ただただ無我夢中に撤退してしまった後のこと。
 逃げ帰ったと評されて当然の状態で、一体自分がなにをしたのか、どういう意味をもつ命令を下したのかさえ分からずに、ただ全身を震わせている。
 クルガンやシード。そして全身全霊をかけると誓ってくれた軍師レオンとも話しをしたくなく、誰も入ることは出来ない場所――ハイランド王家の私室へと駆け込んだ。
 ただただ、鮮やかに蘇るのは、死の抱擁をうけ、青く色褪せていきながらもなお、戻って来てと微笑みをうかべ望みを口にする幼なじみの顔ばかりで。
 身体中がぶざまに震えて、それが止まらない。
 その時に。
 唐突にいわれたのだ。
「望みを裏切り、目の前の現実に打ちのめされて。今、涙する貴方に。血に濡れてでも、かなえたいと願う気持ちはまだ本当にあるの?」
 妻である少女が。現実を突きつける言葉を口にするのを。
 ジョウイはその日、はじめて聞いた。 
 だから顔を上げて、彼女を見つめる。
「……ジル?」
「貴方が手にしたかった希望は、死を間近にしながらもなお、傲慢なほどにただ一つを望んだ少女の願いに負けたのよ」
 美しい顔に感情を宿さずに、淡々と少女はいう。
 妻であり。父と兄の仇と憎むべき権利をもつ少女であり。初恋の人でもある。
 監視をすり抜けて。少年の日、あの高い塀を毎日昇ったのだ。
 優しく犬を抱きしめて、微笑む少女を見ていたかった。叶わぬ思いとしりながら、ただただ会いたくてたまらなかった。
 きっと呼ぶことさえ許されないほどに、高貴な人だった少女。
 辛い時にはよく思い出していた。そうすれば、まるで自分が姫君を守る御伽噺の主人公にでもなったような気になって、ひどく幸せな気持ちになったから。
 けれど。
 そんな、幼いころの、きよらかだった思い出を踏みにじってしまった。
 利用することだけを考えて、結婚を望んで。
 神聖なる婚礼の式さえも利用して、アガレスを毒殺した。
 激しい嘔吐感とめまいにのたうちまわって。そして……見たのだ。  父親の死と、夫になる少年が苦しむ様を前にして、はじめて感情もあらわに泣いた少女のあどけない素顔をはじめてみて。
 その時の衝撃は、忘れる事が出来ない。
 ずっと恋してきた少女を、恋を告げることが許されぬ存在にしてしまったのだから!
(僕は思い出を汚し)
(現実を汚し)
(親友の、幼なじみの、心までを踏みにじり)
 ――全ては求めるものの、代償だと思って。
 血の道を進み、望みを求め続けると、誓っていたはずなのに。


 言葉に出来ずに、形に出来ずに、それでも恋している妻が、自分を弾劾する。
 無謀な撤退のために多数出した犠牲者や、二度と帰ってこない死者を嘆くものたちの慟哭を――現実を、指差して。
「貴方は彼等になんというの? 貴方はハイランドを滅びへといざなうわ。貴方の望みがハイランドの滅亡であるというのなら、それをはっきりと言って。守るなどと偽るのはやめて」
 淡々と、ジルは言葉を続ける。
 彼女の心はとっくの昔に壊れて、癒しを求めているはずだろうに。彼女は一人、最後に残されたブライト王家の人間として、ジョウイに現実をしめすのだ。――だれよりも美しい顔に、二度と笑顔を浮かべることもない。
(そうさせたのは、自分だ)

 彼女を利用し、彼女から親を奪い、彼女から兄さえも奪った。 ――そして今。
 ハイランドまでもを自分は奪おうとしている。



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