暁がきらめく場所
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気づいたことのあとの話
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「抗魔力ってさ、互いの正確な位置とか声とかも受信出来たりするわけ?」
 エアルローダが魔力でもって空間を分断した二年前のレキス公都で、カチェイとアトゥールは互いが見えないにも関わらず、それでも存在を把握してのけたことがある。
「そこまで便利なものじゃないよ。それぞれの獣魂が本拠の中で場所にあれば、他の獣魂の気配を探しておおよその位置を把握することは出来るけれどね。グラディールとダルチェが、あの争乱の最中にカチェイがレキス公都から国境へと向かったくらいは把握したように」
 あっさりと答えられて、エアルローダは尋ねたくせに眉を寄せた。
「なあ、それってエイデガルと五公国にとっての重要機密なんだろ。なんであっさりと、よりによって僕に答えるんだ」
「君が聞いたから、としか答えようがないかな」
「聞いたからってなんだよ。それから、僕は君って名前じゃないから。名乗りはしただろ」
 怒っている気配にアトゥールは首を傾げ「レキス公都でまずは名乗ったのは、まさか本当に名前を覚えさせるのが目的だったのか?」と尋ねる。
「それ以外に名乗る理由なんて、ないと思うよ」
 ふてくされていく少年の気配に、アトゥールはまばたきをした。
「なるほど……それだけだったのか。まあ、なにを重視するかはそれぞれだしね」
 小さくごちて、アトゥールはエアルローダに向き直った。
「聞かれたから答えたことに関係するかもだけれどね。私も聞いてみるかな。さっき、奥の書庫を気にしていたようだったよね」
「僕はものを知らない。……最高の教育を当たり前に教授してきた、従兄弟殿とはわけが違う」
 乱暴に吐き捨てた少年は、狂気に沈んだ母親から呪詛のように復讐だけを望まれ、命を削ることすら強要されて育ってきたのだ。
 けれどそれについては何も言わず、アトゥールはただ少し目を細めた。
「私が公都に居るときなら、好きに出入りして読んでいても構わないよ。──アティーファの片腕となって支えたいと望むなら、ただ読んでいるだけでは限界があるだろうけどね」
 含みのある青年の言葉に、殺すべき相手と定めて剣を交えた時に見せていた、昏いなにかを宿した目を少年は向ける。
「……殺人犯を相手にしているっていうのに、聞かれたからって重要機密を答えたり、書庫を自由に使えといったり。あまつさえ、なんだって僕が請えば教えもするって態度なんだよ。──僕はただの敵にすぎないんだぞ」
「確かに過去においては敵だったね、最悪の」
「なんで勝手に過去にする!」
 おそらくは本人にすら正体の分からない激情をむき出しにして、エアルローダが声を荒げた。
「──今も敵だというのなら、証明して今すぐ私を殺してみせるんだね」
 ひどく冷たい空気をまとって、アトゥールはおもむろに帯刀していた細剣を、少年魔力者に取れと促した。
「──っ!!」
 受け取るどころか硬直したエアルローダに、アトゥールはたたえた冷たさを収めた。
「約束というのは、双方が約することで成り立つものだよ。一方的になされるものではない。アティーファがエアルローダと約束したということは、このエイデガルと五公国を共に守って生きていくことと意味は同じとなる」
 いったん言葉を切って、少年を誘うようにアトゥールは視線をアティーファたちのいる場所へと向ける。
「……あの子の未来の治世は難しいものになっている。その責任を、アティーファを支え守ることで取って貰わなければ私たちは割に合わないね。その為に学ぶことが必要で、師を望むなら私に否はない。──エアルローダになら出来るのだろう? 少なくとも私を殺してのけた実績があるのだから」
 ただ一人の親友しか頼ることはしない青年が、エアルローダに利用価値をみた判断基準が明確すぎて、少年は妙に気分がさっぱりした。
「僕はあんたを殺すために、本気で動いたよ」
「だろうね」
「それが出来なかったから、僕の企みは負けで終わった。──もう二度と、敗北を味わうつもりはないよ」
「次の敗北は一人が姿を消せばいいってものじゃなくなるからね。ああ、そうだ」
 アトゥールの口調が少し変わる。
「──なに」
「エアルローダが君って名前ではないように、私もあんたって名前になった覚えはないよ」
「呼べってわけ?」
「好きにしたらいいよ」
 挑戦的に告げたところで、カチェイからの合図を受け取る。それにアトゥールが反応したのを見て取って、エアルローダは菓子類などを満載したカートに手を伸ばした。
「ティフィが口にするものなら僕がやる。あんたが……じゃなくて」
「公式な場所でないなら、呼び捨てで構わないよ。我が公国の民でもないのに、私が年上ってだけで様を付けろとは思わないしね」
「僕が呼び捨てなんてしたら、従兄弟殿が拗ねるんだけど」
「──リーレンは何度言っても私たちに対する敬語をやめないからね。もう意志を尊重することにしているのだけど、拗ねる?」
 青年が細い首を傾げたので、エアルローダはおや?と思う。彼は自身の嫉妬深さと独占欲を理解しているので、アトゥールが自分と普通に話をするだけでも、リーレンが心穏やかではいられなくなると簡単に予想できる。
「へえ、そうなんだ」
 大国を安定に導く器量の持ち主のくせに、アトゥール本人に関わる感情のやりとりには疎いとエアルローダは理解した。
「奪われる予感に胸に湧き上がってくる、怒りとか恐怖とか憎しみだとかの感情に、従兄弟殿が振り回されて震えるのは見物だな。楽しみが増えた」
「エアルローダ、言って置くけれど。リーレンを苛めるのはなしにして欲しいね。私とカチェイの可愛い弟なのだから」
「無理だね。アレと僕はただの天敵だ」
「……私はなにかを失敗したような気がする。リーレンのフォローを徹底しないと」
「アトゥールともう一人って、世界で一番のバカ兄だな。誰も太刀打ち出来ないよ、凄い凄い」
 軽口を叩いて、エアルローダはアティーファたちの待つ部屋へと入っていく。
 アティーファがすぐに気付き「エア、ありがとう。それからアトゥール!」声を上げて椅子から飛び出す。
 そのまま腕に抱きつかれて「なにかあった?」とアトゥールは尋ねる。
「カチェイに届けたから、ちゃんとアトゥールにも言いたくなった。あのね、大好きだよ。私の自慢の一番綺麗な兄」
 打算の欠片もなく、心からの信頼のままに笑うアティーファに微笑みを返す。
「ありがとう。私にとっても、アティーファはなによりも大切で一番可愛い妹だよ。それは永遠に変わらない。……ところで、一つ確認してもいい?」
 感動的なやりとりの最後で、アトゥールはなぜか眉を寄せた。
「なんだ?」
「カチェイは自慢の何なわけ?」
「私の自慢のかっこいい兄!!」
 目を輝かせてのアティーファの断言に、カチェイが爆笑し、リーレンはおろおろし、エアルローダまで笑いをかみ殺した。
「あれ、エア?」
 アティーファの前でしか見せることのなかった、ごく普通の感情を宿した少年の反応に驚いて名を呼ぶ。
「ティフィ、言ったよね。僕はずっとティフィが成長していく光景を見てきたって」
「うん、覚えているよ。だからこそ、エアは私たちの関係を知っていたんだよね」
「それで間違いない。僕はずっと、ティフィには随分と美形の兄と姉代わりがいるなって思ったのを思い出した」
「……エアルローダ」
 少年少女の会話に割り込んだ、アトゥールの声が低い。
「ただの子供の感想」
 エアルローダはしれっとした。
「私はやっぱり、早まったのかな」
「今更の撤回は受け付けないからさ、アトゥール。覚悟しなよ」
 あまりに自然に行われる名前を含んでの会話に「──え?」と呟いて、リーレンが硬直する。
 カチェイは立ち上がり、リーレンの肩をぽんと叩いた。
「カチェイ様……」
「俺らにとってのリーレンが、大切な弟であることは生涯変わらない。それだけは絶対に忘れるな」
 強くも優しい瞳で告げてから、定位置である親友の隣に移動する。
「使えんのか?」
 囁くようにアトゥールに尋ねた。
「私に対して、自分は物を知らなすぎると言ったからね。弱みを知り、私から学ぶ意志も見せた」
「へえ、それならありか。しかし教えるのが苦手なお前が、リーレンの他にも教え子を持つとはな。大丈夫なのかよ」
「それについては、学びたい本人が苦労したらいいかなと」
 親友の答えに笑ったカチェイの声と、並べられた菓子類にあげたアティーファの歓声が重なった。
「すごい、お菓子が動物の形に全部なってる。なあリーレン、この菓子なんて凛毅に似てると思わないか? マルチナが見たら喜びそうだ」
 凛毅は放浪公王ロキシィの土産としてやってきた山猫で、二年前にリィスの命とアティーファの心を救った武勇伝を持っている。確かにその姿に似た焼き菓子を掲げて名を呼んできた少女の声に、リーレンは現実に戻ってきた。
「確かに似てる。アティーファ、凛毅はあれから戻らないまま?」
「うん、リィスが連れて来てくれたことがあったんだけどね。いつの間にかいなくなっていて、ザノスヴィアについた時に船のミツハ王のベッドの下に居たことが分かったんだ。絶世の美姫と名高いリィスの裳裾の上を定位置に出来るなんて、凄い特権だから手放したくない気持ちはわかる気がする」
「いや、その、分からないでアティーファ。……でも、確かにどんな時でもアティーファの足元を定位置にしていられるとしたら」
 妄想しかけたリーレンの後頭部をエアルローダがわしずかむ。
「ティフィの足元を定位置にする奴がいたら、僕がすぐに殺してやるよ」
「!!」
 手を振り払うリーレンと応戦するエアルローダの様子に「喧嘩が出来るようになったのか」と親友と同じ感想を呟いて、カチェイは並んでいる菓子から甘すぎないものを選び取って席に戻った。
 アトゥールが全員分の紅茶を注ぎだしたことで、ふわりと広がる香りに全員が我に返る。
「折角の紅茶が冷めるところだった! うん、いい香りだし美味しい」
 アティーファは慌てて席に戻り、紅茶を口にして幸せそうに笑う。それから、紅茶を飲む面々にそっと視線を向けた。
「カチェイ、リーレン、その紅茶はどう?」
「あん? フォイス陛下好みの旨い紅茶だと思うぞ」
「アトゥール様は紅茶を淹れるのも上手ですよね」
 それぞれの感想にアティーファが口を開こうとしたのを、エアルローダが視線で止めた。
「ただの脳筋だと思ってたけど違いが分かるんだ。それに比べて従兄弟殿は……」
 唇の端をゆがめて少年が嘲笑うので、嫌な予感に「もしかしてこれ」と呟いて、本日何回目かの硬直状態にリーレンは陥る。
「そうだけど? ああ、嫌なら飲むな。よろしければお水でもお持ちいたしましょうか?」
 侍女の口調をどうしてか混ぜて、エアルローダは冷たい視線を投げつけた。
「……今後はこういうのが定番の光景になりそうだな。しかし熾烈だな、少年少女の恋模様ってのも」
「恋模様についてはノーコメントだけど、エアルローダにやりこめられるのを防ぐには、すぐに硬直するのを直させないと」
「あいつ、感情が見事に顔に出るからな。負けてません!と口では主張するけどよ、顔は思いっきり動揺が出ているんだよな」
 好き勝手なことを話し出した二人に、エアルローダがぐるりと向き直る。
「恋模様とか言ってるけれどさ。決着はとっくについてるってことを、自覚しろって保護者の責任で教えといて欲しいんだけど」
「勝手に決着をつけるなよ!」
 抗議をするリーレンに「決着をつける覚悟でいるの?」とアトゥールが尋ねれば、やはりリーレンが硬直する。
「現状を変える勇気はまだないってとこだな。告白ってのはある意味、とんでもない変化を与える行為だよな」
 カチェイがしみじみと呟く。
 美味しい紅茶とお菓子に気を取られていたアティーファが、カチェイが告白と言った部分だけ聞き取って顔を上げた。
「……え、二人とも、好きになれた人が見つかったのか?」
 少女の期待に溢れた無邪気な問い掛けに、まさにその話題で、自分たちのダメさ加減を痛感した兄二人は遠い目になってしまった。
「あれ?」
「ティフィ、その質問は酷だよ。だって世の中には恋愛不適合者がいるものだからさ。無理なものは無理」
「ええい、黙れそこのお前!!」
 カチェイの一喝に動じるどころか「僕の名前はお前じゃない」とエアルローダはアトゥールにしたのと同じ訂正を入れる。
「ほお、そう言うってことは、俺の名もちゃんと呼ぶってことだな」
「ティフィがとことん大切にする兄じゃ仕方ない。だろ、カチェイ」
「……よし分かった。お前もといエアルローダ、とにかく黙れ。そしてリーレンは復活しろ」
「──あ、はい! すみません……」
 背筋を伸ばしたリーレンを確認し、首を傾げるアティーファとそれに倣うエアルローダを確認した。
「壮大にずれた話を戻すぞ。というわけでアトゥール、説明をしてやれよ。短命一族だと思われて仕方のない公式発表の謎についてよ」
「格好をつけたのだから、自分で説明をしたらいいのに」
「活躍の場を親友に譲ってやろうっていう優しさだよ」
「まあいいか。とにかく、短命の皇王や公王ばかりというのは正しくはないね。短期政権が多いという表現が正しいよ」
「でも不思議なんだ。だって何の得にもならないよね。若い指導者に代替わりすることが多いことをわざわざ発表しても?」
 不思議でたまらない様子のアティーファに、アトゥールは「答えを急ぎすぎることはないよ」と言う。
「アティーファの祖母君や母君のように、実際に短命だった方もいらっしゃるけれど。割合としては、長寿を全うされた方が多いことも情報として必要かな」
「そうなんですか。……あれ? 長寿を全うした皆さまは、位を退いてからなにをなさっていたんですか?」
「そう、そこになるよリーレン。崩御したと公式発表をしてきた、謎を解くカギを持っているのは」
 アトゥールに肯定されて、リーレンは嬉しくなって更に考えを進める。
「ええっと、殆どの方は命の残り時間はちゃんと持っていらっしゃった。その時間を……」
 考えながらのリーレンの発言を聞いていて、ハッとしたのはアティーファだ。
「リーレン、それかも! ねえアトゥール。ある一定の年齢になると、残りの時間を皇王や公王として使いたくなくなってしまうの?」
「正解、そういうことらしいよ」
「真面目欠乏病って呼んでるな、俺ら皇公族の間ではな」
 やれやれと肩をすくめるカチェイに「かかると絶対に治らない、まさに不治の病でもある」とアトゥールが付け足す。
「否定したいのに……短命って言われるより、ものすごく納得出来てしまう」
 呆然と呟くアティーファに、リーレンとエアルローダが「え?」と声を上げ、声の重なりに慌てて口を同じく押さえ、睨み合った。
「アティーファは納得したってのに、リーレンはともかくエアルローダが驚くのかよ。意外に真面目なんだな」
「皇王と公王っていうのは、魔力者の村を導く立場だったファナスの長よりも背負うものが多いわけだろ。それに時間を使いたくなくなるって、なんなのさ」
「そうですよ……。だって、そんな、そんなことって」
 呆然とするリーレンの両肩に、カチェイとアトゥールがぽんと手を置いた。
「俺らとあれだけ長いこと一緒に過ごしたのによ」
「まだ私たち皇公族に、そこまでの幻想と夢を抱き続けることが出来ていただなんて」
 しみじみとした感想にリーレンはイヤイヤをする子供ように首を振った。
「幻想とか夢とかではなくて、アティーファもフォイス様も、カチェイ様もアトゥール様も特別なんです! だからそんな真面目が欠乏なんてありえないです!」
「……子供っぽいのか、頑固なのか。まあ、放浪公王に夢は見ていないし、大丈夫かな」
 苦笑してから、アトゥールは腕を組んだ。
「とにかく、この事実は他国よりも自国民にこそ言えないよね。役目を果たすことに時間を使いたくなくなった、これからは自分の楽しみの為だけに時間を使いたい。だから退位をする、だなんて」
「言えないよ、うん。絶対に言っちゃいけないと思う……」
 アティーファが真剣に頷く。
「でもさ、実際にはどうなるわけ。ある日起きたら放り出したくなって、いきなり死んだことにして放り出すの? それともじわじわと放り出したくなってくるけれど、それが出来る時期まで耐えるってわけ?」
「エアルローダが言った二つ目が正解かな。当たり前だけれど、エイデガルと五公国に対する気持ちが消えるわけではないからね。だからこそ、後継者に位を譲っても大丈夫だと確認するまでは、どんなに面倒でやる気がなくても、死んだことにして逃げることはしないよ」
「……!! ほら、やっぱりそうなんですよね!! 放り出したりはしないんです!」
 リーレンの心からのほっとした声に、エアルローダが肩をすくめた。
「それで実際に耐えたって例は?」
 具体例の要求には、カチェイが反応する。
「先代のレキス公王だな。エアルローダが抗魔力結界の穴を見切ったように、ダルチェには問題があった。だからこそグラディールとの婚儀が決まるまで、執念で生きて公王であり続けたからな」
「あれは根性で寿命は伸ばせるという実例でもあるよね」
 考えながら会話を聞いていたアティーファが「ねえ」と声を上げた。
「うん?」
「詳しすぎない?」
「どうしてそう思う?」
「だって、アトゥールもカチェイもそういう年齢には遠いから。実感しているわけじゃないし、皇公族が大っぴらに話しているわけでもない。だったら、特定の誰かから事情を聞いているってことになるよ」
「よく気づいたね、アティーファ」
「だって、うん。分かるよ。後継者の能力には問題がなくて、けれど公位を継がれてたらアトゥールが……ううん、違う。私が困ることになる人物が居るから」
 眼差しを凛と上げて、アティーファは真っ直ぐにアトゥールとカチェイを交互に見つめた。
「アトゥールとカチェイはまさに今、ガルテ公王の退位を阻止しようとしているんだよね? 私の為に……」
「……セイラスは反乱を起こすにふさわしい理由と、ふさわしい立場と、相応しい状況が揃うように動いているからね」
「相応しい状況……?」
「才能を存分に使いたいけれど、セイラスは家族と共に幸せであることへの執着も強い。壊すに相応しいと思わせる状況がいるのだろうね。……セイラスが作った状況でも、現実にあるなら動くだろう」
「──それは、怖いな」
「私はそれを阻止して、逆の流れが作られるように動くだけだよ。セイラスの望む状況なんて絶対に起こさせない。今のセイラスは、私との水面下の物騒な駆け引きを楽しんでいる事だろうね」
「……私は本当に守られてばかりだ。二年前も、いまも、ずっと。まだ強くなれてなくて、役に立ててもいないから、無理をしないでって言う権利すら本当はないんだ。なにも出来ないから、ただありがとうって言うだけ」
 華奢な少女の両肩が震えるのを、見過ごすせずにカチェイが言葉を探す。
「なあアティーファ、最強の皇王ってのはな、五公国の公王たちに命をかけてでも守りたいと思わせる奴なんじゃないか?」
「──え?」
「すでにアティーファは、ティオス公国、アデル公国、そしてミレナ公女が公王を継いだ後のミレナ公国の三つを絶対の味方にしてるだろ。その上、この世に存在する最強の魔力者を味方にしている。ザノスヴィア王国とは摂政である姫君と友情を結ぶことで、厄介な隣国を頼りになる同盟国に変えようとしている。それは全部、アティーファがつかみ取って変えてきたものだろ」
「私が自分で──?」
「そうだよ、アティーファ」
 アトゥールが強く同意する。
「アティーファが手を伸ばして、つかみ取ってきた結果があるから、私もカチェイも動くことが出来ている。落ち込むことなんてなにもないよ」
「──でも、私はただ、私の大切なみんなと一緒に生きて笑っていたかっただけだよ? 特別なことなんてなにもしてない、ただ私が幸せに過ごしてきただけ。それだけなのに……それでいいっていうの?」
 溢れそうな涙をこらえて、アティーファは言葉を続ける。
「幸せに長く生きて欲しいって思うんだ。父上にも、カチェイにも、アトゥールにも。それから」
 父親や兄ではなく、同じ立場で同じ時間を生きていく者たちに視線を向ける。
「リーレンやエアルローダとは、ずっと一緒に色んなことを乗り越えていきたい。守られるだけじゃなくて、守れるようになるために。私たちだけでやれることを、一緒に生きて増やしていきたいんだ」
 視線の先を決めあぐねて、アティーファは紅茶の澄んだ琥珀色を見つめた。
「……でも、後継者に任せて大丈夫だって思えて、退位していくって幸せなことだよね。死んだことにしてしまえって極端さは凄く私たちらしいとも思う」
「自分の葬儀を端から見れるわけだ、まあ楽しいだろうな」
「うん、なんか悪趣味だけど楽しそうだって思った。その日を迎えなくちゃだから。父上にも、カチェイにも、アトゥールにも、もう私は大丈夫だって思ってもらえるようにもっと頑張る」
 決意の表れなのか、アティーファは唐突に冷めた紅茶を一気に飲み干した。
「あ、でも、リーレンはダメだからな。私が頼りがいのある皇王になれても、引退とかないから。家族なんだから一緒に居てくれないと困る」
「はい! それは勿論。私の持っているすべて、アティーファの為に使っていきます」
「うん、ありがとう」
 頷いてから、アティーファはエアルローダに視線をやった。
「……ねえ、エア」
「なに、ティフィ?」
「永遠は?」
 静かに問われた言葉に、エアルローダは目を見張った。
 いつだって永遠が失われることを恐れるエアルローダが尋ねて、アティーファが永遠は失われないと答えていたやりとりの、これは逆だ。
 エアルローダは目を閉じ、二年間という日々の積み重ねを思った。
 人が動き、状況が動き、心が変わり、変化する関係の日々を。
 変わりゆく中で、変わらぬものであったのは、少女が笑って生きていく日々を見ていたいと願うエアルローダの気持ちだ。
「──僕の中に」
 少年の答えに、少女は笑った。
 二人のやりとりに、リーレンはそっと深い吐息をついた。
「リーレン?」
「アトゥール様。エアルローダのこと、なんか認めてしまいました」
「そうだろうね、リーレンは誰かを拒否し続けるには優しすぎるから」
「一方的に行った約束を、アティーファはエアルローダに信じさせて、双方向の約束にしたんですよね。……お二人の言うとおりですね」
「はあ? なにが俺らの言う通りなんだよ?」
「アティーファは、建国の王である覇煌姫レリシュに匹敵するほどの、最強の皇王かもしれないって思ったんです」
「乱世に戻させはしないから、アティーファが物騒な二つ名で呼ばれる未来は起きないよ。ファナス争乱の後、レキス公国を公王夫妻と共に復興させ、ザノスヴィアを含む大陸の国々の平穏を支えた……くらいの功績が残ればいいんじゃないかな」
「それが良さそうだな。その為にも、アトゥールの策は俺がすべて実現させてやるよ」
 カチェイの断言に「当てにしてるよ」アトゥールはさらっと答えた。
「まだ頼っては貰えないのは分かってます、それでもなにかを私にも担わせて下さい」
「……まあいいよ。でもその前に、リーレンはエアルローダと一緒に、長生きになる努力をするんだね。短命一族は私たちのことではなくて、ファナスの一族なのだから」
「──ええ!? そうなのですか!?」
「魔力中毒が原因だろうから、抗魔力結界の影響下にいれば大丈夫だよ。それを理解して、水竜の許可で魔力を使えるけれど自制はするんだね」
「はい、分かりました」
「あともうひとつ。騎士団が持っている紋章の飾りはね、それぞれの主が抗魔力を注ぎ込むことで作られているよ。だからそれをアティーファに話して、リーレンが用意して渡すといいよ。エアルローダと、分離を果たせていないリィスアーダ姫の分もね」
「……あの、アトゥール様が話さないのはどうしてですか?」
「担わせて欲しいって言ったからかな。そしてフォイス陛下が依頼して、放浪公王がリーレンを旅に連れまわしているからでもある」
 遠まわしな発言の真意が分からず、リーレンは首を傾げた。
「ようするによ、リーレンは繋ぐ役割を果たすことをフォイス陛下に期待されてんだよ。だから色んな国を、生きる人々を、世界の状況を、学んで来いって言われているのさ。で、同じことをアトゥールも思ったわけだ。なにせエアルローダには無理だろ、むしろ人と人のつながりを破壊するのが得意なタイプだ。それはそれで使える才能だけどな」
「担ってみせるのなら、まずはエアルローダとそれなりの関係を結ぶ努力をするところから始めるといいよ。抗魔力を込めた飾りの手配はその一歩ってところかな」
「うう、認めはしましたけれどエアルローダと……。が、がんばり……」
 宣言をし終える前に、また、やわらかな紅茶の香りが部屋を包んだ。
「紅茶が冷めちゃったから、エアと一緒に新しいのを淹れてきたんだ」
「ティフィが注いだんだ、ありがたく飲むんだね。従兄弟殿も」
「──! そ、その、私は従兄弟だけど名前は従兄弟殿ではないから。ちゃんと、名前を、その私も呼ぶから……エアルローダ」
「はあ? ──どうしようかな。まあ、考えておくよ」
「アトゥール様やカチェイ様のことはすぐに呼んだくせに!」
「格が違うだろ、格がね」
 リーレンが悔しがるのをエアルローダがいなす。
 それを横目で見てから、アティーファは並んでいる兄の前に立った。
「どうしたよ?」
「短命の疑惑はなくなったけど、長生きの努力ってやっぱり大切だって思って。カチェイもアトゥールも、私と一緒に頑張ってくれる?」
「別にいいぞ」
「アティーファのお願いだからね」
「うん! じゃあ、カチェイはアトゥールと一緒の時にお酒を飲みすぎるのを止めること。アトゥールはちゃんと過労で倒れないように休息をとるって約束して」
 なにかを見通している言葉に、兄二人は顔を見合わせた。
「なんだ体調不良の嘘がばれてたか。どこで分かったよ?」
「うーん、なんとなくかな」
「アティーファ、私は休んでいるつもりなのだけれどね」
「だったら、具体的に徹夜禁止とか、何時以降にいろいろするのは禁止ってしたほうがいい?」
「……いや、今後はもっと気を付けることで許して欲しいかな。それで、アティーファは健康の為に私たちになにを約束してくれると?」
「早寝早起き、三食を抜かない!かな」
「それはまた」
「いい案だね」
 三人の笑い声が揃う。
 未来への懸念は山ほどあるけれど。
 それでも、響く声が四人から五人となったことで、問題を超えていける可能性は広がったように思うのだ。
 そうしてロキシィ秘蔵の酒だが。皇女一行の帰還後、無事に魔力氷から救われた──らしい。


「終わり」
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竹原湊 湖底廃園
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