『この声が聴こえるならば』


なだらかな丘を登った上に、どんよりと重たい空が広がっている。
この荒廃した地球にとっては「当たり前」の空だ。
かつて「水の惑星」と歌われたその蒼い宝石は、無残な姿を子供たちである人類にさらしていた。
植物を育成出来ない痩せた大地。
有害光線を遮るのを忘れた大気。
そして何を溶かしたのか分からない大きな水溜り――海。
母たる地球に対して取り返しのつかない事を行ったのは、すべて子供である人類であった。今や、かつての美しい姿など記録媒体でしか拝むことは出来なかった。
だが、これから彼――フィラーラ・シェアリが『奇跡』を起こすと、その「当たり前」を一変させることになる。その事にユシェラは自分の事のように誇りに思うと同時に、何か辛いという感情がある事を否定できないでいた。

「お前の『奇跡』は…何を代償とするのだろうな」
ユシェラが呟いた言葉が、聞こえているのかいないのか。
ユシェラの右腕と目されるフィラーラは、彼に微笑を向けるとその両手を空高く掲げた。
腕いっぱいに広がる「小さな空」。
その「小さな空」から広がる「大きな奇跡」が始まろうとしていた。
「お前の『奇跡』は…何を代償とするのだろうな…フィア」
また、呟かれるユシェラの言葉。
その言葉に込められている思いは、とても重かった。
人類の期待を、その小さな肩に背負い込むフィラーラ。その期待を表すような情景が広がっていた。

人が持ち得ない青い髪が、風に靡く。

淀んでいた空気が、そこから涼風となり広がっていく。フィラーラ自身から放たれるその風に、追いつかんとばかりに新たな植物たちの息吹の源も散っていった。

人が持ち得ない力が、フィラーラを光らせる。

風に導かれるように、天空へと光が翔けた。
その光に、空を構成する何かが反応したのか。「蒼穹」が姿を見せた。この時代に生きるもの達が「実見」できなかった『青い空』が。

人が持ち得ない水が、フィラーラからの贈り物だと言わんばかりに空から降って来た。

風と空に誘われた大気が、久々に正常な雨雲を形成していた。
振り落ちる「水」に、すべての者が呆けて空を見上げていた。これが本物の「雨」なのだと初めて知ったかのように。
全てがまた動き出し、地球が時を刻み始めた。
きっと「命を再び抱き始める日」も、近いのであろう。

遠目からフィラーラを眺めていたユシェラは、その「神々しい姿」に一瞬目が眩み、声を掛けることが出来なかった。何か鼓動が早く感じられもした。それが何故なのかは、今の彼には理解できないことであった。彼にそれが理解できた日の話は、また別の話である。
ただ、彼はフィラーラが自分の傍らから居なくなってしまうのではないかと思い、ひどい不安を感じていたのだ。


雨に濡れる蒼い髪の少年・フィラーラはくるりと後ろを振り返り、それまで見せていた神々しさを微塵も見せない「子供らしさ」でユシェラに笑いかけた。
「さぁ、宣伝は終わり!早く戻ってお昼を食べよう!」
おなかが減ってるんだよと、ユシェラの手をぐいぐいと引っ張りながら、丘を降りていく。引きずられるユシェラは笑いながらいった。
「そんなに引っ張らなくても、お昼も私も逃げないだろう」
「何をいってるんだよ。早くここから『逃げない』と人が集まってくるじゃないか!」
「…多くの人に見てもらうのが宣伝の初歩ではないのか?フィア」
ぐっと言葉につまるフィラーラは、ぷぅっと顔を膨らませる。
「たっ偶にはその『広告塔』が直ぐに消えてしまったほうが効果的だよ!希少価値だからこそ有り難味ってものがあるんだよ!」
「成るほど。では今私は希少価値万点のフィアを独占できているわけだな」
美形と称して構わないその美貌の顔に笑顔を載せ、フィラーラに笑いかけた。突然の笑顔<プレゼント>にフィラーラの顔は真っ赤である。
ユシェラの笑顔がフィラーラに宣伝を、「奇跡」を起こさせている理由であるなど、彼には想像もつかないであろう。

何も言い返せないでいる自分が悔しいのだろう。ユシェラをおいて、先に走っていく。
「ほら!早く行こうよ!皆が待っているよ」

駆け抜けていくフィラーラを、眩しそうに見つめるユシェラ。
燦燦と降り注ぐ陽光に、濡れた青い髪がきらきらと輝く。
そして、太陽にすら負けぬ輝かしい笑顔。
「お前は、私には眩し過ぎる気がする。…が、きっと離れらないのだろうな」
最高のものを知ってしまった者は、二度と普通のものに手を出せなくなるという。
「では、私にとってフィアは、二度と巡り合せがない最高の人物<パートナー>であるのだろうな」
彼は、自分が口にしている言葉に気がつくことはなかった。
フィラーラを追いかけるように、彼もまた走り出していた。

無意識の事実。
それは、そう言って構わない言葉であっただろう。
そして、それはフィラーラ・シェアリにとっても同じことであった。



荒廃した土地。
眼窩に広がる無残な光景。
血まみれの兵士。内臓が飛び出し、生きているのが不思議に感じるほどの者。
破壊された街。かつては美しい様式美を持っていただろう建築物。
あらゆる物が消費され、破壊される。それが――戦争だ。
決して何かを産み出す事はない「行為」。

そのような光景を目にしても、彼は別に構わなかった。
彼にとって、彼女がいる事のほうが大切だったから。
奇跡など起こさなくていい。少女の姿でなくとも、少年の姿でもいい。ただ自分の傍にいてくれるのなら、多くは望まなかった。
そんな小さな事が、恐れ多いことなどとは思いもしなかった。
だから、うれしかった。あの時の質問の答えが。

「フィア、お前の幸せってなんだい?」
どうしてそんな質問が口を出てしまったのかは、わからない。ただ、聞いてみたかっただけなのだろう。しかし、返された答えは自分の心臓を止めるものかと思ったものだ。

「僕の幸せ…?皆と一緒にいることだね。ユシェラにアフィーカ、スツーカ、サラザード…うーんとついでにレヴィアもね!皆と一緒に居られれば、きっとそこが幸せな場所なんだと思う。」
そして、小さな声だがはっきりと言った。
「ユシェラの隣にいられたら、それだけでいい」

もし願いを叶えるという「何か」があるのなら、この小さな声が聴こえるだろうか。
このささやかな願いが聴こえているのだろうか。
フィアの願いは、自分と同じもの。「フィアが傍にいてくれたらいい」というこの願いが聴こえているのならば、どうか叶えて欲しい。
この願いだけが、朱金の翼最高司令官ではない「ユシェラ・レヴァンス」本人の望み。
この願いだけが――。




【すべての行動に責任を持ち、有言実行であり無言実行だったユシェラ・レヴァンスにとって、自分の力だけではどうにも出来なかった事が唯一つだけ存在した。
それは、奇跡の体現者フィラーラ・シェアリと共にいることであった。
彼がその望みを叶える為に要した時間は、人類の為に彼が払った代償を考えると、余りにも長き時間だったと言えるだろう。
蒼の御子と守人が護ったこの蒼い宝石・地球に、今はもう惨劇を繰り返そうとする愚か者は存在しない。】


『蒼の御子と守人に関する考察』より抜粋。
著者/シン・ウォーター=オルク 連邦ガイア大学教授


了:作者りょくさま
50万HITのお祝いが欲しいな!と日記で呟いたら、なんと本当にりょくさんからお祝いを頂いてしまいました。う、嬉しい〜(>_<)
少年なフィアと、ユシェラの心のやりとりに、ほのぼのとしてしまいました。二人とも、外では毅然とした顔しか見せていなかったけれど、普段はこうやって笑ったり怒ったり冗談をいいあったりしていたんだなぁって。
それがとっても印象的なお話でした。最後の最後に、シンが出てきたのが個人的に嬉しかったです。シンは、前にりょくさんから頂いた朱紺の話しに出てきた、未来の人なんですよ(>_<)
とっても素敵な作品をありがとうございました! 感想とか、掲示板とかに書いてくださるととっても喜ばれると思いますので、どうぞよろしくお願い致します。
最後に。最後に。くるくる表情が変わる二人がかわいくって、イメージして挿絵をかいてみました♪