丹羽教授と里奈

誕生日に、古賀ともみちゃんが描いてくれた画像です(>_<)
ああ、エプロンッ! エプロンがっ!
私とともみちゃんとが仲良くなっていったのも、元はといえばエプロンのおかげ(謎発言)というわけで、感慨深い部分がありつつも、可愛さにほこほこしているのでした〜♪
ちょっとむっとしてる教授と、なにやら指示している様子の里奈で、一体どんなシーンかしら?と想像したので、小話を下に一つ。
ともみちゃんの素敵イラストは、サイトで沢山みることが出来ます。特に児童文学系が好きな人は、今すぐ行って下さいな!

 丹羽教授は本をめくっていた。
 背もたれの大きな椅子に腰掛け、けやき材の机に本を置く。左手で軽く頬杖を付き、右手でゆっくりと頁をめくるのが、丹羽の本の読み方だった。
 丹羽は本を愛している。――活字というよりも、紙に印刷された”本”という形態を愛しているのだ。書物を愛するがゆえに、ヘビースモーカーの彼が、本を読む際に煙草を口にしない。
 自然、丹羽教授室では本が最も優遇されている。
 椅子も、机も、読書にもっとも相応しいと丹羽が厳選したものを使用している。二つとも新しいのは、近頃立て続けに部屋の中のものが朽ちていっている為だ。
 丹羽はそれに気付き、すでに絶版になっている本の写本を始めた。
 学生達が残していった論文は、助手にコピーを依頼しただけであったのにだ。
 一字一句、手で書き写し、図柄は写真に収めたるただしこの作業は時間がかかりすぎて、所持する絶版本全てを救えるはずもなかった。
 丹羽教授の背後で、リズミカルにキーボードを叩く音と、スキャナが走る音も響いていた。
 元教授の教え子であり、学生課の新入課員でもあり、教授の苦手なコンピューターを駆使して本の保存を手伝い、ついでに彼に想いを寄せている本田里奈だ。
 毎日担当業務終了後、教授室を訪れては、日々本の保存に努めている。
「――本田君、疲れないのか?」
 そっと本を閉じると、丹羽は椅子ごと体を元教え子に向ける。
 近頃髪を切って快濶そうな印象になった本田里奈は、丹羽の言葉に「教授が疲れました?」と笑顔を向ける。いや、と教授が首を振って立ち上がると、嬉しそうに里奈も立ち上がった。
「教授、お茶にしましょう」
「そうだな」
 そのまま里奈のためにお茶を用意しようとする丹羽をとめて、里奈は手を叩いた。
「教授、私がやります。それより、ケーキ食べませんか?」
「……ケーキ?」
「焼いたんです。でも、教授が生クリームが好きかどうか分からなくって、まだスポンジだけなんですけれど。苺は買ってきて、冷蔵庫に入れてあるんです。だからやっぱり苺ショートケーキかなって」
「……。本田君? ここで飾り付けをするつもりか?」
「はい」
 にっこりと笑顔になると、まあまあ座っていてくださいと言って、里奈は丹羽を再び椅子に戻してしまう。
「一応、手伝っていただいている側なのだが、私は」
「教授と一緒に入れて嬉しいんですから、気にしないで下さい」
 それだけで充分ですと里奈は幸せそうな顔をする。
「本田君、前々から言っているがな、君は恋に恋しているだけだよ」
「教授に一日、二日で信じて貰おうだなんて思っていません。でも教授、四年たっても私の気持ちが変わらなかったら、信じてくださいね」
 動じぬ返事に、本のみを恋人にしてきた男は言葉に詰まった。
 子供だと思っていた元教え子が、好きですと体当たりで叫んできたのは、秋の始めの頃。そんなものは気の迷いだろうと一蹴したのだが、二十三歳の娘はへこたれる様子が一つもない。
 今回も有効な反論が出来ず、ただ目の前でトートバックの中からボウルだの泡だて器だのピンク色で、ハートの模様にフリル付のエプロンだのを見守った。
 生クリームは冷蔵庫の中にいつの間にか入れてあったらしい。
 近頃はすっかり里奈に冷蔵庫を占領されているなと教授が思ったところで、彼女はおもむろにあわ立て始めた。
 一分がたち、二分がたち、三分。
「本田君」
 必死にかき混ぜている元教え子の前で、再び読書に戻ることはしなかった丹羽が声をかける。里奈は必死にボウルを睨んだまま「はい?」と言った。
「君は家では機械を使っているだろう。泡立てるのに」
「……な、ななな、なんでバレたんですか!?」
「力が入っていない。空気を含ませて混ぜていない。これが家庭科実習ならば落第だな」
 びしりと言われて、里奈はよろけた。
 立ち上がった丹羽は煙草を一本口にくわえると、大またで里奈の隣に立つ。
「貸しなさい」
「――え?」
「貸しなさい。それも、それもだ」
 丹羽の案外繊細な指先が、里奈の手にする泡だて器と、エプロンを指している。
「あの、教授、これピンクですよ?」
「エプロンの機能は損なわれん。問題ないだろう。それともなんだ。ピンクではエプロンの機能を果たさないというのか?」
「そういう問題じゃないと思うんですけど。まあ、教授がいいならいいんですけど」
「いいから貸しなさい」
 いたって真面目に言われて、里奈はおずおずとまず泡だて器を手渡す。続けてエプロンを取って、教授に渡した。着方を教えて、後ろを止めるのを手伝いながら。
 丹羽教授は本を読む。読書範囲は料理部門にまで及んでいた。そして彼は、実はとても器用だった。
 瞬く間に生クリームはホイップされていく。何度か小分けして里奈が隣で砂糖を加えるうちに、つん、と角が立つほどになった。
「教授、早いですね」
「力があるからな。次はどうするんだ」
「教授が飾り付けまでやるんですか!?」
 バトンタッチ、と思っていた里奈は目を丸くして、ちらりと教授を見上げる。
 どうせしかめっ面をしているのだろうと思ったのだが、案外教授の表情は柔らかい。てきぱきと飾り付けに移行する丹羽を見守りながら、エプロンの紐が解けかかっていることに気付いて、手を伸ばした。
 たっぷりの布地を、可愛らしく結びなおす。
「教授、リボン結びしちゃいました」
「そんな結び方はせんでいい」
「教授? ピンクにフリルのエプロンは平気なのに、リボン結びが嫌なんですか?」
「悪いか」
「変です。普通、ピンクでフリルでハート柄の方が嫌です」
「人それぞれだ」
 ふん、と丹羽が会話を分断する。その声にも怒りはない。
 やっぱり教授はこの状況を楽しんでいるんだと納得したところで、ピンクにハートにフリルでリボン結びが目に入って、里奈は噴出しかけた。
 丹羽がケーキを皿ごと持ち上げて「唾が入るぞ」と注意してくる。
 それがおかしくて、ついに里奈は教授の胸にすがりついて笑い出した。