-- 凍てつかないモノ --

某日 − エイデガル皇城内 − 蒼水庭園。
黒の絹糸のような艶髪をなびかせて、まるで舞台に登場する主演女優のように悠然と歩んでくる少女。
身に着けているのは光沢ある上等の布をたっぷりと使って作られたもの。
少し長めの裳裾を踏まずに歩けているのは、着慣れているからであろうか。
勝手知ったる庭園内を歩き、何かを探しているかのようだ。
「リィス!!」
黒髪の少女は国交正常化の使者団代表としてエイデガル皇国にやってきた、ザノスヴィア王国第一王女リィスア
ーダ・マルチナ・イル・ザノスヴィアその人なのである。
その王女に愛称で親しげに呼びかけ、軽やかに走り込んできた少女が一人。
風にのった亜麻色の髪を見とめたリィスアーダの貌(かんばせ)がふわりとほころび。
次の瞬間にはその人物はリィスアーダに抱き付いていた。
「久しぶりだな。元気だったか?」
「ええ。アティーファ。このとおり」
その人物は蒼水庭園の主であると同時に大国エイデガル皇国の皇女である、アティーファ・レシル・エイデガル
であった。
通常の王族や皇族ならば、もっと形式ばった会話が繰り広げられそうなものだが、共に死線をくぐり抜けてきた
二人の口調は、とてもくだけたものになっていた。
もっとも、アティーファが元々そのような事を嫌うことも理由のひとつなのであるが。
「お久しぶりです。マルチナ姫……?」
と、茶器セットを持ってきた侍女のエミナは軽く小首をかしげた後、ポンッと一つ手を打った。
「あ。今はリィスアーダ姫なのですね?」
一つの肉体に二人の魂が存在するというザノスヴィア王女についての特殊な事情はアティーファと、カチェイ、
アトゥールの二公子から聞いているのであろう。エミナはそれ以上のことは何も言わずに二人の王女に茶をいれ、
テーブルに誘った。
自分はお茶を喫するためにここ蒼水庭園を訪れた訳ではないのだ。と言おうとしたリィスアーダに
「そんなもの、父上とリィスが連れてきた外交のエキスパートに任せておけばいい」
と、笑みを浮かべて皇位継承者らしからぬ物言いをしてみせるアティーファの目に写ったのは、黒くてしなやか
にゆれる長い尻尾。その尻尾に続くのはすらりと伸びた背中と緩やかな弧を描く首筋。
リィスアーダの裳裾の長い衣に隠れるようにいたのは、黒く艶やかな毛並みの山猫だった。
一瞬の沈黙。
「〜ぃん・・・きぃぃ〜」
山猫・凛毅に怒りの眼をむけたアティーファ。受けてたつとばかりに身構える凛毅。
「こらっ!勝手にいなくなってっ!」
「私とリーレンがどれだけ心配したと思っているんだ!」
振りおろされる手をかいくぐり、凛毅はふわりふわりと皇女の周りをからかうように飛び跳ねる。
「あ…アティーファ!?」
呆然と二人(?)の追いかけっこを見つめることしかできないリィスアーダの肩を後ろから叩く人物がいた。
「あれは…いいんです。気になさらないでください。」
振り返った彼女の視界に入ったのは黒髪の青年、リーレン・ファナス。
「あれは凛毅とアティーファ…の、いつものじゃれあいですから」
確かに、そのつもりで見るとアティーファの瞳にも口元にも笑みが浮かび、軽やかに飛び跳ねている凛毅の尾も
楽しそうにゆらゆらとゆれている。
…そんな光景といれたての紅茶の香りは、今まで政務に一日の大半を費やすことで忘れていた何かを思い出せて
くれる。ザノスヴィア王女は心がゆっくりとほぐれてゆくのを自覚していた。

「…うらやましい」
「なにがだ?」
リィスアーダがぽつりとこぼした言葉に、アティーファは首をかしげる。
リーレンを含めた3人はテーブルでお茶を楽しんでいる。リィスアーダの足元には丸まっている凛毅。
「気の置けない友人、信頼できる肉親、兄のように慕える公子のお二人…」
その繊細な指をゆっくりと折りまげながら数えるのは、リィスアーダが欲しくてもかなわなかったもの。
自分の目の前にいる彼女のように信頼し、許しあえ、弱音を吐ける友人がいたならば。

ザノスヴィア前国王である父に大切な母−ミーシャを壊され、裏切られた二人で一人の王女。
いらぬ戦乱を起こしかけた責任をとらせるという形で前国王を退位させてからは、必死で国と国民たちのために、
現王である幼い弟を支えながらマルチナとずっと闘ってきた。
そんな毎日。この蒼水庭園からずっとついてきてくれた凛毅の存在だけが慰めだったから。

「リィス、しばらくはこちらにいられるのだろう?」とアティーファがここ数ヶ月会えなかった友人の瞳を覗き
込みながらたずねるが、隣国の王女の首は横に振られ、黒絹のような髪は優雅に流れた。
「いいえ…。今日は凛毅をアティーファにお返しに来ただけですから」
と、立ち上がろうとしたリィスアーダは、何かに引っ張られるかのようにぺたんとまた椅子に座り込んだ。
「……?!」
足元に目をやると長い裳裾の上にデンッ。とばかりに乗っているのは凛毅。
何かを言おうと口を開きかけたリィスアーダににっこりと笑いかけたのはエミナであった。
「どうやら、凛毅はリィスアーダ様のお側を離れるつもりはないみたいですよ」
「決まっているじゃないか、これだけの美少女、凛毅が逃すわけはない!」と、アティーファ。
「外交の調整には時間がかかるでしょうし、一国の王女に簡素な宿舎に滞在していただく訳にまいりません」
リーレンが相変わらずの固い口調で宣言した。でもその黒い瞳は笑いをこらえているために揺れている。
これにより、ザノスヴィア王女が蒼水庭園にしばらく滞在することが決まったのだった。

−−そう、信頼できて弱音を吐いてもいい友はここにいる。

                                    −了−

                                 2000.10.30 月乃 樹
樹さんから頂いた小説です。
本編でかけなかったリィスとマルチナのことを書いて頂けて凄く嬉しかったんです。
本当は、この二人はかなり苦しい思いをしているキャラだったのに、脇役ということであまり書くことが出来なかったので、心残りはいっぱいあったんです(><)
アティーファと友情を暖めている姿がとっても嬉しくて。
心温まるお話をありがとうございました!! 凛毅がかなりステキでしたですー!