二公子





民てる戸様から頂いたCG。 若い頃の二人なんですけれど、なんかもう表情が凄く素敵ですよね。
二人とも格好良くって、絵を見た瞬間に大喜びしました(><)
本当に素敵な二人をありがとう!!
最初、キッシュの前の近衛兵団長に襲撃をかけにいく話でもかこうと思ったのですが、それはあまりに長くなりそうなので、ちょっと別のイメージ短編を書いてみました。



 小石が視野の端に移って、アトゥールは顔を上げた。
 すぐに目の前を石が通り過ぎ、下に落ちてゆく。
「人に石を投げちゃいけないって常識、知らないか?」
 手にしていた本を閉じ、視線を動かさないままに低く呟いた。
 日差しを受けた葉の、新緑色が美しい昼下がりに、お気に入りの木の枝に腰掛けての読書を邪魔されたので、機嫌が悪かった。
「どうせ避けるだろ。お前なら」
 悪びれる様子のない返答が来て、アトゥールは息を落とす。
 ようやく整った眼差しを動かし、自分が腰掛けている木に背を預けて腕を組む親友を見やった。カチェイはやけに機嫌の悪い顔をしている。おや?と思って首を傾げ、続けて少しアトゥールは笑った。
「今日は誰に絞られたわけだよ。確か午前中に、礼儀作法の集中講義があったんじゃないか?」
「それを言うなよ。思い出したくもない」
 辟易した表情でカチェイは肩を落とす。
「私にこれ以上は教えられたくないって断ったのは、カチェイだからね」
 嫌味と皮肉と嘲りをこめられた老人たちの講義を聞くと選択したのはお前だろ、という意味を言外にアトゥールは含める。
 カチェイはアデル公国の第一公子でありながら、公太子としての教育を一切受けてきていない。幼少期は、母ヴィオラと共に暗殺者の影から逃げながら生きるのに精一杯だったのだ。
 おかげで公太子として正式に立太子された時、カチェイは公族が身に付けるべき教養も常識も保持していなかった。それに気付いたのがアトゥールだった。
 全てを排除していたのがアトゥールなら、気味の悪い作り物の笑顔で全てが敵だと思う本音を隠していたのがカチェイだ。――二人が何故、普通に話をするようになったのかは、当人以外は誰も知らない。
 ただ、なぜかアトゥールはカチェイの状況を懸念した。
 立太子された公子が、正式にお披露目されるまでの一ヶ月間、アトゥールはカチェイに、立ち振る舞いなどの基本を教え込んだのだ。
 それはかなり恐ろしい教え方であったらしく、カチェイがやつれてしまったらしいとか、気が狂いそうになったらしいとか、今でもまことしやかに噂として囁かれている。
 実際かなり厳しかったらしい。
 お披露目が終わった後、カチェイはアトゥールに教わるよりも、老人たちに教えを請うほうを選択したのだから。
「お前、自覚ないかもしれないけどな、あの老人たちの嫌味よりもお前のほうが余程か怖いぞ。というか精神的におそろしすぎる。俺はあれだけはもう二度と経験したくない」
 ぶるぶると大げさに首を振る。
 当然自覚のないアトゥールは不満そうに首を傾げた。
「そこまで言うなら、誰も教えないから安心していいよ。で、一体全体人に石まで投げて何の用がある?」
「気分転換。付き合えよ」
「付き合えって。カチェイの気分転換って、どうせ剣だろ?」
「あたり」
「面倒だね」
 長い睫毛に飾られた眼差しを細めて、再び手にしていた本の頁をめくる。
 がんっ、といきなりカチェイが木の枝を蹴った。
「――っ!!」
 それほど大きな木でもなかったので、激しく揺れた。バランスを大きく崩すことはないが、もう一撃蹴りそうな気配だったので、アトゥールはひらりと身を返す。
「カチェイっ!」
「やぁっと降りてきやがった」
「何考えてる? いくら機嫌が悪いからって、木にあたることないだろ?」
「おまえが降りてこないのが悪い」
 つり上がった瞳で明後日の方向を見て、カチェイは腰に下げていた剣に手を当てる。最近はあまり刺々しい表情は見せなくなってきていたアトゥールが、珍しいほどはっきりと不機嫌な表情になる。
「一体なにがあった?」
「別に」
「さては、自分自身のことじゃないことを皮肉られたろ?」
 カチェイは、彼自身の悪口や皮肉を言われても、笑って受け流すことが出来るタイプだ。そんな彼がここまで荒れるならば、誰か別の人間のことを言われたに違いない。
「ヴィオラ殿のことでも言われた?」
 息を落とし、不機嫌な表情を静めてアトゥールは穏やかに尋ねる。カチェイはまるで子供のような拗ねた顔で、「まぁな」と答えた。
 カチェイの母ヴィオラは、エイデガル皇国や五公国の民だったわけではない。一芸で生計を立てながら流れてきた、移民だった。
 しかも彼女は、望んでアデル公王の子供を産んだわけではない。
 無理強いに近い形で子供を孕まされ、産まされ、そして放り出されたのだ。暗殺者に付きまとわれるようにもなった。不幸な人だとカチェイは思っている。
「ヴィオラ殿のことを悪い様にいうのは、彼女を知らない人間だけだろ。実際に知っている人なら何も言わない。それだけで、どんな人であったのかは分かるよ」
「分かってるよ」
 まだ拗ねている。
 カチェイが母親のことをかなり大切に思っていることを、アトゥールは知っている。
 ヴィオラはカチェイが公太子として正式に認められた後、姿を消してしまった。
 二度と会うことはないでしょう、と彼女は息子に言ったらしい。
 公族として生きていくカチェイと、自分は生きる場所が違うのだから、側にいるのは良いことでない、とも言って。
 笑って流すのも憚られて、アトゥールは目を伏せる。
「――今、少し可哀相かなって思っただろ」
 突然、カチェイが低く言った。驚いて顔をあげて「少しは」と答える。
「だったら」
 と、声が続いた。
 何かを企んでいる声だ。
 はっとしてアトゥールは本を右手に持ち、左手で腰の剣に手を伸ばす。
 鞘走りの音がした。同時に剣が空を舞う。
 ひらり、とアトゥールの髪が数本空を舞った。いきなりカチェイが斬り込んで来たのだ。
「カチェイっ!」
「付き合えってば」
「……。怒った。なんか腹が立ったからな! 少し可哀相かななんて思うんじゃなかった! そういう態度をとるなら、手加減なんてしないからな」
「望むところだっ!」
 ニヤリと笑って答えるカチェイの声に、金属同士が打ち合う音が重なった。



「使っている剣が悪いな」
 執務室で紅茶を飲みながら、皇王フォイスが呟いていた。
 膝の上には無心に眠る幼い娘がいる。
 机の前には、白髪の老人が佇んでいた。
「皇王陛下」
 外を見やっているばかりで、振り向きもしない若き皇王に声をかける。返事はなかったが、めげずに老人は口を開いた。
「五公国の公子に我らが何かを言う権利は持たぬとは思いますが。わたくしと致しましては」
 アデル、ティオスの公子は公太子としては相応しくないと続けようとした言葉を、フォイスが手をあげることで止め、
「カチェイの出自が気に入らぬか? それともアトゥールが頻繁に倒れるのが気に入らないか?」
 先手をうって尋ねる。
 老人は息を飲み、ばつの悪い顔をしながら頷いた。
 マリアーナの時代に、実力で外交官たちをまとめる役目をはたしていたこの老人は、最初から地位が保証されている皇公族の実力を疑ってかかるところがある。
 彼から見れば、公族としての教育を受けていないカチェイと、突然激しく体調を崩すことのあるアトゥールは、とっとと廃嫡されて欲しい存在なのだ。
 教えを請うているカチェイに対し、不必要な言葉を投げつけている報告をフォイスは受けている。
「実力を見極めることもせず、表面的な事柄だけで他人を判断するお前が、外交を担当していたことのほうが不思議に思うぞ」
「――陛下?」
「しばらく静養したほうがよいのではないか?」
「……。私を馬鹿になさるのですか?」
「いいや。老人を敬っているだけだよ」
 挑戦的な言葉を受け流し、フォイスは立ち上がって外を見る。
 カチェイとアトゥールの二人が、剣を打ち合っている姿が良く見えた。
 ――あれはかなり強くなる。
 フォイスはそう思っていた。剣だけでなく、他の才能もかなり秘めていると見ている。
 まだ、時が足りていないのだ。彼らが活躍するために必要な時間が。
「いっそ、私が剣を教えてみるかな」 
 いまだ佇み続ける老人に、もう一度フォイスが視線を向けることはなかった。