「戻ってこい、戻ってこいよ、フェイ、エリィ!!」
待つしか出来ぬ者達は、ただ叫んでいた。
共に戦ってきたギアは、すでに動きを止めている。
もうなんの手段も力も、残された彼らには残っていなかった。
だから、祈る。必死に、懸命に、涙をこらえて祈りつづける。
ゾハルを滅し、世界を救ったといえども、それを失ってしまっては意味がないから。
何万年もの間繰り返されてきた想いと、哀しみと。それに完全なピリオドを打つのなら、彼らは絶対に帰ってこなければならないのだ。
帰ってこいと、レーダーを見つめる。
空を睨んで、そして祈る。
ここに帰ってくる場所があるのだと。示す為にも、空を見上げる。
そして、祈りを続けるのだ。
――還る場所を探すもの――
二人もまた、祈っていた。
帰る場所が変わらず存在していますようにと。
視界全体に広がったのは、青空。
遥かなる大空から舞い戻った二人は、彼らを守る最後の力、ゼノギアスの中から見た。
守り切った星が見せる、あまりに哀しく、そして切ない美しさを。
――もしかしたら、そう。これは犠牲の上に成り立つ危険な美しさかもしれない。
けれど、帰ってきた。帰ってきたかった。
新しい時代と、新しい運命と、そして全ての未来を取り戻す為に。
――そしてまた、終えるために――
全ての始まりにして終わりなる場所。
そう。また、ここから全てが始まる。
――そしてまた、始めるために――
凄絶な戦いから、すでに三ヶ月が経過していた。
星が救われた当初の興奮状態が過ぎ去れば、冷たい現実だけが存在を誇示している。
エーテル機関使用不能における、都市機能の低下。大地の冷却化による居住地区の希少化。食糧不足。リミッター解除時に発生した人体の変異による、人口減少と、労働力となる年代の人々の戦死とが生み出した労働力の不足。
生命の営みを守る豊饒の大地はあまりに少ない。
それを手に入れようとする行動によって、各地でいざこざが発生していた。
小さくは窃盗にすぎないが、組織だった強盗などもいる。個人個人で対策を立てるには、問題が大きすぎた。
しかも貧困は人々の余裕と礼節を奪ってしまう。
そして……不幸の原因を、誰かに押し付けたくなるものなのだ。
槍玉に挙げられたのが、崩壊したソラリスの民と、「ニサンの悲劇」の真が暴かれたことによって、裏切り者の判断を下されたシェバトの民。
被害者であったラムズが、加害者に変貌した現実。
疑心に満ちた世界。
それが、勝ち得た奇跡の……哀しいまでの現実であったのだ。
秩序が世界に戻らねばならない。
誰もがそう、思っていた。
―――フェイ・エリィ―――
どうすればいいのか、正直に言えばわからない。
帰りたいと思って、帰ってきた場所。笑顔が迎えてくれた、大切な大地。
倒壊してしまった大切な村を元に戻したいとか、ずっと幸せに出来なかった少女を守りたいとか、色々と思っていたのに。
接触者と、対存在。
そんなものは、完全に終わったと思っていた。
まさか、一緒に戦ってくれた仲間と自分だけの感慨なのだとは思っていなかった。
雪原のアジトや、ユグドラシルで各国を移動し戦い続けた結果、変に名前が売れてしまったことが、こんな結果を生むなど。
「神」ではないのだ。自分は。
何故期待されなくてはならないのか、分からない。
そう。分からない。
自分は「フェイ」であるはずなのだ。決して「世界を救った者」でも「接触者」という名前ではない。
なのに。
今、自分には自分がない。
助け出した大切な少女にも、名前がない。個人がない。
―― どうすればいいんだ?
分からなかった。
隣に視線をやってみたら、同じように困った表情の少女がいる。
彼女は「エリィ」で、俺が「フェイ」だと認め合っているのは、俺達と、仲間達だけになってしまうのだろうか?
「恐いね、フェイ」
対存在としてではなく、エリィとして、彼女が言う。
まったく同じ想いだったから、肯く。
―― 人が神を求められたら。
どうすればいい? どうしたらいい?
誰か教えてくれ、と、思う…。
――― シタン―――
転がって呻きをあげる無様なものを見て溜息をついた。
「結局、こういう事になってしまうものですねえ」
全てが終わって、定めの終結を見届けて、帰ってきた。
戻る場所はと尋ねられて、ソラリスと答えることは出来なかった。
自分が思っていた以上に、地上で暮らした時間は、自分を地上の人間にしていたのだ。
だから戻ってきた。けれど。
豊かな自然を奇跡的に残したままであった場所。全ての始まりであったラハン村は、多くの狼藉者が集まる場所に変わり果てていた。住民が避難してしまった後なのだから、それは仕方ないかもしれない。
――これからが、本当の戦いなのかもしれないですねえ
心で呟いて、振り向く。
優しい笑みが返ってきた。そこにユイがいる。
「これからが大変だっていうことは、分かっていたことですもの。あなた、また行くのね?」
強い優しさを浮かべて、娘の肩を抱く妻の笑顔が胸に痛い。
思えば何もしなかった。妻の強さに甘えて、ほったらかしにして、人々を騙して情報を得る間諜の役割を担う為に協力さえさせた。
ミドリが口をきいてくれないのも、多分当たり前だ。
世界の為という大義名分をかざし、犠牲にしてきたものは余りに多い。
今後の世界を正常に戻す為に、動き出すであろう人々を知っている。彼らが情報を必要としだすだろう未来も、簡単に予想できる。
――今後の私の役割は
情報を集めること。それを的確に、指導者となる人々に渡すこと、だけれど。
「ユイ。待っていてくれますか?」
妻の表情を、ほんの少しでも見逃したくなくて、見つめたまま言った。
ユイは微笑みを崩すことなく、いつもの強さで肯いてくれるけれども。
――そうさせたのは、私だ。
私の為に。彼女は彼女の寂しさを隠してしまう。
―― だから。
「私の側で。これからは待っていてくれますか、ユイ?」
手を差し伸べる。
嘘はもう吐かないでいい。騙す相手はもういない。
だから。
驚いて、美しい目を大きく見開いた妻に手を伸ばそう。
「苦労をかけると思います。旅暮らしになりますからね。それでも、ユイ、ミドリ。私はこれからは、ずっと一緒にいたい。もう嘘は付きませんよ」
「あなた。ええ、もう……」
ユイの泣き顔を、はじめて見たような気がした。
だから守らなくてはいけない。
この、勝ち取った脆い無事を…。
――― バルト―――
少年は、凛とした眼差しを前方に向けた。
別になにか目的あがっての行動ではない。ただそうすれば、心がしゃんとする気がした。
――まあ、そんなのは単なるおまじないみたいなモンだろうけど…。
自分の心を分析しながら、階段を上っていく。
かつて同じことをした。少しの緊張、そして少しの恐怖。それを必死に振り切って、あの時もこの階段を上っていた。
そして今も、こうして階段を上る。
目的の場所につながる出口からは、強烈な日差しが差し込んでくる。それに目をすがめて、吹き込んでくる乾いた風を感じる。こんなところまで、あの日と同じだ。
――なのに、やることはこんなにも違う。
わかっている。あの時は約束を果たす為だった。
でも、今は。
約束を破る為に、裏切る為に自分は階段を上っている。
父を。自分を。一度は認めてくれた、全ての民を。
――けれど。
悩む暇はなかった。戦いが終わって三ヶ月。嫌になるほど悩んだ。周りに心配をかけて、それに心を配る余裕もなく悩んで、こうするしかないと決断したのだから。
階段はあと一つ。
後戻りは、もう出来ない。
前を見詰めよう。今までそうしてきたように、これからも。
肌に馴染んでいた服装は、やめた。
もう、それをまとい、ひたすら戦っていれば良かった日は終わったのだから。
ざっと、視界が開ける。
心配そうな顔。期待の顔。怯えの顔。
顔。顔。顔。顔。顔。
――心配すんなよ、俺はちゃんとやってみせるさ。
唇の端を釣り上げて、顔を上げる。その行為が充分人の視線を集めると知った上で、初めて袖を通した軍服のマントを翻し、
「ここに、専制国家アヴェの再興を宣言する」
裏切りの言葉を、唇に乗せて。
「我が名、バルトロメイ=ファティマの名に置いて!」
はっきりと、彼は告げた。
―――リコ―――
思い出といわれて、浮かんでくる言葉はあまりに酷薄だ。
憎悪、嫌悪、唾棄、劣等、悲惨、恐怖、羨望。
怨んだことしかなかった国。
愛しいと思うことが出来なかった国。
――キスレブ。
遥か遠く、憎く、だからこそ決して忘れることの出来ない故郷。
――なぜ帰る場所といわれて、この名を思い出したのか。
わからなかった。暖かく懐かく思うための記憶が一つもない国を。
『兄貴は、キスレブに帰らなくっちゃ、駄目なんっすよ』
悲しい目。
あの目が忘れられない。
選ばれるだけの強さを持っている者達には、弱い者の悲しみなどわからないと、はっきりと理解を拒絶されたあの時の瞳。
――俺は、強くなんかねぇ。
バトリングのキング。最強の亜人。
それらは、一瞬自分が強いではないかという錯覚を持たせてくれるけれども。
違う。強くなど、ない。
正面から見詰め直すことが、恐くて、恐くて、出来なかった。
キスレブのこと。自分の血筋のこと。遺伝子のこと。
強くなりたい、と思う。
戦いの中で、強さというものが様々な形をしていることを知った。
待っているもの、サポートをしてくれる者たちの、辛さも知った。
――だから俺は。
強くなろうと思う。
逃げずに、立ち向かおうと思う。
だから帰ろう。
「キスレブを守ろう」
それが出来たら。
俺は強くなれるかもしれない。
―――ビリー―――
拠り所を失った人々を見た。
人類を統べる者として、エリートとして、選民意識によって守られていたものを奪われて、うずくまるしかない人々。
―― 者を支配する方法しか知らない人間たち。
彼らは疑わない人間だ。与えられる情報を受け取り、自尊心を擽る言葉に興奮し、命じられるままに動き続けてきた、悲しい者達だ。
――悲しいな。
心からそう思う。
教会を信じ、それを疑う術をしらなかった過去があるから、そう思える。
彼らも被害者なのだ。
そして彼らは今、危機に陥れられている。勝利の結果がイコール幸せな未来を約束してくれるものならば、良かったのだろうが。
「本当にやんのか、ビリー?」
声がした。戦いが終わるまでは、どうしても心静かに聞くことなど出来なかった人物の――父の声だ。
「やるよ。彼らを守る存在が必要なんだ。僕はソラリスの民の盾になれる。非難をぶつけられても、僕自身、世界を救ったメンバーの一人だから、それを排除することが出来る。いや、出来なくちゃいけないんだ」
口に出しながら、本当に出来るのだろうか、と不安に思う。
ソラリス人は、世界を貧困に突き落とした存在として憎まれるだろう。
彼らを守ることなど、僕に出来るのだろうかと本当は思う。
――でも、やらないと。
誰かが、ではなく。やれる人間がやらないと、また悲劇が起こる。
「ゲブラーの指揮官であったラムサスや、エレメンツの人たちは、憎悪の対象になってしまうから、出来ないんだ。憎悪をかわすことのできる人間が、やらないと…」
冷静に言ったつもりの言葉が、少し、震えた。
不意に、頭を軽く小突かれる。
「おめえはまだ、甘えていい年頃のガキなんだからよ。あまり悲愴に考え過ぎんじゃねえぞ? ま、俺が付いていてやるさ。無理はすんじゃねえぞ、ビリー。おめえは、少々真面目に考えすぎるからな。上に立つ人間は、内面の苦しさを隠して、笑ってなくっちゃなんねえ」
「ん、分かってる。親父…」
「どうした?」
「なにがあっても、どんなことがあっても。プリムと親父は――その、僕の味方だってちゃんと信じてるよ」
大丈夫だ。きっと。
言えなかった言葉を、ほら、こんなにも簡単に言うことが出来た。
――少し照れたように笑った親父に、笑みを向けれるから。
ソラリスを、守ろう。
―――マリア―――
延命装置を機能させる必要がなくなったのです。
その声が遠かった。
「それで、わたしに、女王になれというのですか?」
受け答える、自分の声もどこか遠い。
目の前に座る永遠の少女。永きに渡って、罪を受け続けた女王が静かに肯く。
「ニサンの悲劇の真実が明らかになった今、私が女王を続けることは良い結果を生み出すことはないでしょう。マリア。シェバトと世界を救った経歴を持つ貴方が表に立つことこそが、良い結果を導きます」
「私に、そんなつもりはありません」
――いくら否定しても、きっと無駄なのだろうと。
本当は分かっていた。
シェバトに対する、風当たりが強くなってきている。
この雪原のアジトを、追い出されてしまう可能性がある。シェバトの民の、シェバトの町だった、この場所を。
だから。
女王になれ、という。
シェバトを守る為に、盾になれと。
「私は……嫌です」
無駄だと分かっていても、否定する。
罪深き隠者達の国。シェバト。
そこの女王に自分こそが相応しいことを知っているけれど。
――だって、私は。
「二度も父を殺した娘だから」
最初は敵として現れた父の身体を滅ぼし。
二度目は、ゾハルを滅ぼしたことで、父の心を滅ぼした。
罪深き……隠者たちの……。
――あまりに、ぴったりすぎる。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。
「逃げられない。私はなにからも、逃げられない」
父殺しから、きっと永遠に逃げられないのだ。
長きに渡った罪の意識から解放され、おそらく満足に延命装置を切るのであろうゼファーと、これから先も永遠に苦しまなくてはならない私。
――逃げたい
でも、逃げることは出来ないのだ。
―――エメラダ―――
エーテル機関の停止が、世界を不幸にする。
目の前に広がる哀しみを見て、思った。
「ナノ・テクノロジーなら」
機能する。時間はかかるかもしれないが、それを解明する為に必要なデータはあるのだ。自分の中に。そう言ったら、心配げな眼差しを向けられる。
「物だと思っているわけじゃない。わたし」
生きているのが好きなった。
だから、生きている人も好きになった。
「役に立ちたいって、思う」
こんな風に、思える自分が嬉しい。
「わたし、物じゃない。生まれてきたことを後悔しない。それは貴方も一緒」
手を伸ばしてみる。
戦いが終わった後に、出会ったのは偶然だった。
利用されるべき、ナノであるということ。
決して表にでないように、隠れて、ずっと援護してくれていたのだと、彼は言う。
「ナノであることを後悔しない。だから」
だからこそ、私たちが生まれた結果を役立てたい。
それはナノを、人の役に立つべきテクノロジーだと知らしめてしまう事になるけど。
後悔はしない。
自分がモノではないと、もう知っているから。
「分かった」
と、彼が言う。
そして、私も笑った。
―――そして。
崩壊の中で。
少しずつ、未来が、動きだしていっていた。
「戻」