穢れゆく白き大地に

 ほう、と息を吐いてみる。
 外気温が下がっている為に、それは白い霧になって、消えた。
「雪と、、一面の、白」
 シェバト。
 かつて蒼穹を住まいとした首都は、今、墜ちて地上にある。
 聳え立つ雲母の変わりに視界を白く染めているのは雪。
 全てを浄化する強さを持ちながら、、すぐに汚されてしまう儚さを持つ存在。
 地上におちてもなお、シェバトは罪を重ねている。誰も立ち入らなかった大雪原に、人の足跡を残し、営みを守るという…存在の罪。
 ここは、罪深き隠者たちの巣窟…。
「マリア? 寒くない?」
 雪原に残された唯一の希望の場所と変わったシェバト首都から、少年が出て来て言った。
 静けさが壊れたので、息を一つはく。また、一つ靄が生まれた。(それは、希薄な…)
「大丈夫です。ビリーさん。探し人は……見つかったのですか?」
 立ち尽くしていたマリアは、多分自分を心配してわざわざ声を掛けてくれたのだろう少年…ビリーにそう言ってから、俯く。
(ひどい態度を取っている、私)
 そんな事を思ってはいたが、塞ぎ始めた精神は、己を繕うことを否定していた。
 ビリーはそっけないマリアの態度に憤りを覚えた様子もなく、ただ静かに、歩を進めて少女の隣にたつ。
「ウェルス化が起こって、孤児院でも多くの被害が出た。ユグドラシルで助けにいった時には、すでに何人かが自力で逃げた後だったからね。ここに…辿り着いていてくれればいいって、思ったんだけど」
「……いなかったの? 行方不明になっている人、誰も?」
(胸が、痛い。世界が哀しみに包まれていて)
 心で思っている言葉を、口にすることは出来ないから、マリアはただ、ビリーの空色の瞳に、視線を向けた。ビリーは少女めいた顔に自嘲の色を宿して、苦笑してみせる。
「ああ。孤児院で、生き残っていたメンバー以外で、ここに辿り着いた者は…いない」
「……ビリーさん…。当たり前、だけど。戦いに勝っても、星が存続しても。失われた人は、、もう、戻ってこないのね」
(なんて、悲しい。守りたい人はもういないのに)
 また、そんなことを思う。悲しいことばかりが心に降り積もってくると。
「……そうだね。でも…僕には、まだ、守りたいものがあるから」
「守りたい、もの? ビリーさん、持っているの?」
「あるよ。僕は、生き残っている人達全てを守りたい、なんて真剣に思えるほど器の大きな人間じゃないけど。それでも、近くにいて、一緒に戦って、一緒に歯を食いしばって耐えてきた人達は守りたい、って思う。彼らと、彼らが歩むべき未来と、僕自身の未来と」
 静かな…まるで祈りを支げるような声を聞きながら、マリアはふと天を見上げた。
「私…戦いに勝っても、また、失うわ。だから、本当は」
「守りたいものなんて、ない?」
 飲み込んだ続きをビリーに言われて、マリアは少し、唇を噛む。
 それが他人の口から出ると、何故だか違和感がした。
「だって。戦いにかったら、世界からエーテル機関は失われるわ。そうしたら、ゼプツェンは動けない。私はまた、お父様を失うことになるわ。お父様を、殺したことになる。なのに、何故戦うの? なんの為に? 失ったものを、もう一度失う為に戦うんなんて、私には」
「マリア……」
 そっと、ビリーはマリアの独白を遮るように、その手を取った。雪の中に立ち尽くしていた少女の手の冷たさが、彼女の心の寂しさを表しているようで悲しい。
 それを慰める術を持たない自分が、悔しかった。
 いつから、と。思う。
 マリアが気になって仕方なくなっていたのは。
 父を救う為に、父殺しをさせられてしまった少女。
 知らずに、かつては人であったものを裁いていた自分。
 心の中にわだかまる寂しさと追憶とが、泣けない少女に同調していた。
 きっと、自分は。彼女を見つめるうちに、思ううちに。
 ――これが、恋というものなのかは知らないけれど。
 じっと、マリアは自分を見上げている。彼女の手を包み込んだ行為を、否定することもなく。ただ、清冽な激しさを宿す瞳で、見つめてくる。
 罪から逃げない、その強さで。強いからこその脆さで。見つめてくる。
 ビリーは、言葉を選んだ。不用意な一言だけは、言ってはいけないと思うから。
「マリアは、フェイやバルトたちを見ていても、なにも思わない?」
「………?」
「大切なものは、一つじゃないし。一つでなければいけないこともない。マリア、大切にしたいものが増えるのは、罪じゃないんだよ? 増えてもいいんだ、だって、僕たちは生きているんだから」
「ビリーさんは、どうして」
 一瞬、包まれた両手から手を離そうとして、マリアは震えた。それをビリーが半ば強引に、封じる。
「……マリア…。罪を認めるのは立派だけど、過剰な弾劾を自分に向ける必要はないんだ」
「……でも、お父様は…死ぬのよ? 戦いに勝ったら。また。わたしは二度も父殺しをすることになるんだわ」
 目を逸らして、マリアは停泊しているユグドラシルに視線を向ける。その美しい瞳に宿るのは、おそらく甲板上で静かに佇むゼプツェンと、、在りし日の父親の姿なのだろう。
「でも、マリアは逃げない。戦おうとしている。それは、守りたいものがあるからだろう? それは、守りたいものがあるからだろう? ゼプツェンが動かなくなったとしても、お父さんを殺すことにはならないよ。だって、マリア。お父さんは言い直しただろう? これからは、ゼプツェン。いや、マリアお前と共にあるって。だから、ゼプツェンの中にお父さんがいるんじゃない。マリア、君の中にいるんだから」
 ほうっと、マリアが、息を付いた。こわばらせていた身体から、いらない力が抜けたのが、手を取っているビリーにも分かる。
「ビリーさんは、どうしてそんなに、私に甘いの? 誰もが…色々な目にあって、自分の大切な人の為に必死なのに。どうして、今、私に優しくするの?」
「マリア…」
「私は、お父様を取り戻す為だけに生きてきた。それだけが私を支えてくれて、誰も…私をみてくれていなくても平気だった。なのにお父様をこの手で失って、生きている意味さえも失ったわ。なのに…ビリーさんは、私に構う。空っぽの私に優しくする。どうして?」
「……マリアは、空っぽじゃないよ。そうだね、マリアにとってみたら、そうなのかもしれないけど。僕に取ったらそうじゃない。僕は、君に罪を忘れろなんて言えない。なにせ僕自身、他人がなんといおうと、おかした罪を忘れることなんて出来ないから。だから…マリア、君をみていて。生きて欲しいって、思った。生きる意味を、見つけて欲しいって。一緒にね…マリア」
「………」 
「君を守りたいとか、そういうのじゃなくって。一緒に…頑張って欲しいって思った。悔しいけどさ、僕はまだ、マリアを完全に支えてあげれるような大人じゃない。だけどその分、一緒に頑張ることは出来るんじゃないかなって、思ったんだよ」
 最後に一つ苦笑して、ビリーはマリアの手を離すと、そっと頬に触れた。その温もりは本当に優しくて、何故かマリアは泣きたくなる。(昔は、私も優しさに包まれていた。今は…今は?)
「マリア、生きようよ。一緒に。罪に負けているんじゃなくって、罪を背負いながらも、生きようよ。それが戦ういみ、守りたいのは自分の尊厳。それじゃあ、駄目かな?」
「自分の…尊厳…」
「自分でも嫌になるくらい、プライド高いからさ。僕は。きっと、マリアも同じじゃない? 生きていくのが大変なくらい、さ」
「そう…かもしれない」
 くすっと笑って、マリアは天を見上げる。
 降りしきるのは雪。白く白く染めていく存在。
「いつか時が過ぎたら。この罪も、白く染められて見えなくなるのかしら…」
 呟いてみる答えは、まだ、分からなかった。
 ただ横で。優しい眼差しで自分を見詰めるビリーの存在が。
 なぜだかひどく、嬉しく思えた。
 思っている自分を、認めることが、出来た…。
「戻」