空と地上と生命と

 男の子だったら、若の役にたてたでしょうか?
 もっともっと。同じ場所にたって、同じ位置で何かを見て。
 必死に前にみているあの人の。辛さと苦しさを、支えあいながら。
 一緒に見れたかもしれない。至高の空を。
 そんな位置にいれたかもしれない。
 今は誰も出来ない、誰もいない。その場所にボクがたっていたかもしれないと。
 私、をごまかしているボクではなくて。ボクとしての、僕が。


 一人だけ。そこに一番近い人はいたけれど。その人は近くて、一番遠い人だった。
 だから、最初に。
 思ったのは、裏切られた、と思った。
 信じられなかった。どうして、とも叫びたくなった。
 疑ったことはあったけれど。でも、それが事実ではないことを祈っていた。
 けれど、疑惑は真実に変わって。
 ボクたちは、ただ呆然と、空を見上げた。


--------------------------------------------------------------------------------
空と地上と生命と
--------------------------------------------------------------------------------
 
「なーんか、信じられないって、気分だよな」
 ぽつりと、バルトが言った。それをマルーは横でみている。
 碧玉要塞での戦いで、マルー怪我をしたのだ。敵の手からE・アンドヴァリを守る為に。
 しばらく外出は禁止され、部屋に寝かされている。だからバルトが見上げている空は、ユグドラシルの甲板上から見上げる壮大なものではなくて、部窓から見あげる小さなものだった。
「シグルドのこと、でしょう?」
 マルーがそう言うと、若が複雑な表情で頭を掻く。複雑な思いを、彼の中で消してしまおうとするときの、癖。強い「バルトロメイ=ファティマ」を演じる為の仕種だ。
「若、悔しかったんでしょう。ずっと、ずっと。ファティマ王家を復興させるために、王子をやっていなくちゃいけなくて。期待に押しつぶされそうになって。それでも若は頑張ってきた。一生懸命に、必死になって。近くにいる人達の期待に潰されそうになりながらも、必死に。なのに」
 わざと、言葉を募らせてみる。
(いいんだよ、若。なんでも心にしまいこまないで。ボクにくらい、八つ当たりをしていいんだ)
 そんな、口には出せない言葉を心の中で告げて、マルーはバルトの横顔を見詰めた。
 彼が抱いているわだかまりを、吐き出して欲しかった。
 怒って当然だと、マルーは思っている。
 シグルドが、若のお兄さんだった事。それを隠していたシグルド。隠したいと思ったシグルドの気持ち。それは理解できないものではないけれど。
 若と、家督相続争いなどしたくなかったこと。兄弟だから、そばにいたかったのではないと。若本人に光のようなものを感じたから、使えることを選択しただけだと、言いたいのだろう。
 それを雄弁に語った、シグルドの眼差しを疑うつもりはないけれど。
 でも。正直にいえば、マルーにだってにさえショックだったのだ。
 お兄さんだったら。
 どうして、若を支えてあげなかったんだろう。どうして、王子としての自分しか誰も必要としていないんだって、苦しんでいた若を、支えてあげなかったんだろう。兄だと言って、誰よりも近しい家族として、なんで若を支えてあげなかった? そんな考えが頭の中をぐるぐる回って離れない。
 兄ならば、出来たんのだ。
 王子とての役割を演じつづけなければいけなかった若が、本音で頼ってもいい、愚痴をいってもいい、同じ位置から、至高の空を、目指せる相手になれたはずだったのだ。
 若は、何も言わない。
 シグルドを信じているから?
 多分それもあるのだろう。でも、きっとそれだけじゃない。そう、思う。
 本当は。ファティマ王家をつぐべきだった人間を差し置いて、王太子として両親愛されていた時期を、自分の父親が母親ではない人と幸せそうにすごし、子供を見守っている姿を見なければいけなかった立場に自分が追いやったと思ってしまっているだろう。
(でもね、若。若はなんにも、悪くないんだよ?) 
 また、口には出せない想いが胸をつく。
 若にそんな想いをして欲しくなかったから、言わなかったなんて嘘だ。
 兄だとシグルドが言っていたとしても。民衆は若を望んだろう。シグルドは確かにエドバルド一世の息子かもしれない。でも、彼は王妃の息子ではない。
 国民が愛したエドバルド一世夫妻の息子は、バルトただ一人だ。
 至高の位はただ一つで、王もただ一人だ。時代は、シグルドが兄だと分かっていてもバルトを望んだろう。それが現実だ。そしてそんな簡単なことは、シグルドにだって分かっていたはず。
 なのに。どうして、お兄さんだって言ってあげなかったの?
 そうマルーは聞きたかった。率直に、聞いてみたかった。バルトの手前、しなかったけれど。
 若は寂しかったのに。ずっとずっと、明るく振る舞うことで、寂しさを認めない悲しい強さを学んできたというのに。
「アヴェの王子」としてのみ、存在を求められていたのではないかって、苦しんでいた若。
 ずるいよ、シグルド。
 こんなこと、思っていることさえ認められないだろう若のかわりに。
(ボクは、君を、卑怯だと思うよ)


「マルー」
 唐突に、名前を呼ばれて、マルーは顔を上げる。
「どうしたの、若?」
 小さく答えると、何故か迷子の子供が親を見つけた時のような表情になって、バルトが笑った。
「もう、さ。あんな無茶、するなよな。あんな…さ」
「若……」
「俺さ、確かにシグが兄貴だったって分かった時は、驚いたよ。最初はさ、なんで言ってくんなかったんだろうなーて、ちょっと八つ当たりめいたことも考えたりした。でも…まあ、そんなのはもう過ぎたことだしよ。で、さ。昔のこと、色々考えててさ、一つ思ったんだ」
 そういって、バルトは少し大人びた眼差しでボクを見つめる。
 碧玉の色。脈々と続いてきた、ファティマ王家の血を知らしめるその色。
 この色が、この存在が。知らないなら、知らないままのほうが楽だった真実を知らしめたのだ。
「マルー、俺はさ、幸せだったんだぜ? だから、俺の為に。そんな悲しい顔、すんなよな」
「……わ…か?」
「お前さ、今までずっと、俺のために怒ってたろ? シグが兄貴だって分かってさ、それを今まで隠してきたことについて。ずっと、さ。俺のために、俺の代わりに。マルー、怒ってくれてたろ?」
 見抜かれて、いた?
(こんな子供っぽい、ボクの、感慨を?)
 そう考えたら恥ずかしくて、思わずマルーは顔が赤くなった。
「ありがと、な。マルー。俺はこんなに小さいガキの頃からさ、お前がいてくれたから、俺は俺でいれたんだ。俺が押さえている気持ちに気付いて、怒って笑って泣いてくれた。なあ、覚えてるか? マルーってさ、俺が泣きたくて仕方なかくてこらえてると、必ず側に来て泣き出したんだよな。それこそ大きな声で、わんわんと。俺はどうしていいか分からなくなって、慌てているうちに泣けてきて。で、俺は結局泣くのを我慢できなくなって、泣いちまうんだ」
「……覚えている、よ。もちろん…」
 小さかった頃。まだ、バルトのために何をすればいいのかも、何か出来るのかどうかも知らなかった頃。
 彼が泣くのをこらえているのを見るのが辛かった。
 でも、自分は何も持っていなかった。若が泣くのを抱き留める腕も、心も、度量も持っていなくて。
 だから隣で泣くしかなかった。一緒に泣くことしか出来なかった、悔しい小さかった頃。
「なあ、マルー。頼むから、自分を卑下するなよ? 俺を守ってきてくれたのはお前だ。たしかに、バルトロメイ=ファティマっていう名前の王子を守ってきてくれた人間は沢山いる。王子だからってだけじゃなくって、みんなが俺を大事にしてくれてたのも本当だ。でも、さ。本当は恐くて泣き出したい単なる子供にすぎなかった俺を見つけて、側に経っていてくれたのは、マルー、お前だけなんだからさ」
「……若?」
「なあ、マルー。だから約束してくれよな。もう、無茶はしないって。俺は、お前がいなくなっちまったら……今の俺で居続ける自信は、ねえよ? だからさ」
 そういうと、バルトは不意にマルーの背と膝の後ろに若は手をまわして、そっと…抱き上げた。
 当然マルーは驚いて、目を大きくみはる。
「若!? な、なに!?」
「星空は、さ。二人で見た方が、綺麗なんだぜ? 怪我してんだから、遠慮すんじゃねーの。俺のために、怪我をしたんだから…さ」
「だって、こんなの! 恥ずかしいよ!」
「俺は恥ずかしくねーもん。マルー抱えるんだったら、このまま外にだって出てっても楽しいぜ?」
「わーーかぁぁーー!」
 マルーは真っ赤になったが、バルトが歩き出したので慌てて彼の肩を掴んだ。さすがに何かを掴んでいなくては、恐い。
「なあ、マルー。俺はさ、お前と一緒に立っていられるほど、強くなれんのかな?」
「若? なにを、言って?」
「だってさ、マルーは偉いよ。どんな時でも、笑って。他の人間に辛いって思っていることを悟らせてねえから。俺は駄目だな。結構ばれてっからなあ。それに、すぐに感情が先にたっちまう。俺は、お前においていかれてばっかりだ」
「………若…」
 そんな事を思っていたんだ、と。唇の中だけで呟いて、マルーは頭をバルトの首元に預けた。
 ぬくもりが、何故だかとても、近いものに感じる。
「ボクもね、思っていたよ。いつになったらボクは、若の一緒に立てるほど強くなれるんだろうって。そう思って…思って。強くなろうって、毎日心に決めた」
「……マルーは、ちゃんと強いって思う」
「……若もね」
 二人は言い合って、小さく笑った。
 一緒に立つだけの力が欲しくて、頑張って生きてきて。
 それが、二人とも同じだったとは、思っていなかった…。
 なんて優しい誤解。優しい気持ち。
「なあ、俺はやっぱり幸せ者だよなぁ。こんなにも沢山、俺には優しさが向けられている。いつか俺は、優しくしてくれた人達に、与えてくれた分の優しさを返せる人間になれんのかな?」
「なれるよ、若。……絶対になれるよ」
「マルーがなれるって言ってくれると、大丈夫な気がすんな、本当に」
「なれるって! 絶対に。ねえ、若。もう本当に、シグルドのこと何も思わないの?」
「ああ。人には色々あんだと思うからな。それに、兄弟であろうとなかろうと、もう今は関係ないからさ。思わないことに、決めた。なにせもう、俺が思ったことは全部、かわりにマルーが怒ってくれたからさ」
 くすりと笑って、バルトは窓から空を見上げた。
 空はすんでいて、恐いほどの星が天上を美しく飾らせている。
「ねえ、若。いつか…本当に」
「んー? なんだ、マルー?」
(いつか本当に、若の側に立つ人間に、ボクをしてね?」
 大切に暖めている気持ちを、まだ言葉にすることはできないけれど。
 いつか言葉に出来る気がした。それも、そう遠くない未来には。
「ううん! また、星を一緒に見ようね! 平和になってからも、ずっと、ずっとさ!」
「そーだな。二人で見た方が、綺麗だもんな」
 そう言って、バルトが笑う。
 幸せなんだ、と思える心が、一番幸せ。
 だから今。世界で一番、自分は幸せなのだと、マルーは思っていた。
 こんな日は。星だけではなくて、世界さえもが綺麗に、見える。

「戻」