見守っているの。
見つめているの。
どうして気付いてはくれないの?
貴方を心配している人がいるのに。
聞こえていないの?
シエルジェで、共に学問を修めた仲間達がいたでしょう?
ARMSとして、貴方に一緒に戦おうと言ってくれた人達がいたでしょう?
共に、歩んでいこうっていってくれているでしょう。
――気付きなさい。
願う。祈る。――けれどわたしの願いは決して届かない。
英雄の十字架を背負わされた一族。
背負わせたのはわたしね。でも、背負わせたかったわけじゃないわ。
わたしは生きたかったの。誰よりもわたしが生きていきたかったのよ。
ファルガイアを愛する気持ちは持っていたわ。
でもね、あなたに英雄の十字架を背負わせてしまったわたしはね。
世界よりも、自分の生まれた国を愛したわ。世界の人よりも、身近な人を愛したわ。
――そして己の命を愛していたわ。
お願い。
気付いて、そして惜しんで。
かけがえのない、貴方達の命を。
「兄様?」
どうなさったの?と振り向いて、金色の髪をゆらしてアルテイシアは振り向く。
長年住み慣れたシャトーを後にするのは何年ぶりか。
かつて、見上げれば満天を飾っていたはずの星空が今はない。――空を失った世界がここにある。
「兄様?」
重ねて、問うてみる。
誰よりも責任感が強すぎて、優しすぎて純粋な兄。
振り返って、彼は遠くを見詰めようとしている。
――最後で最悪の手段しか、星を守る術は残されていない。
それを思い知らされた時の兄の瞳を、アルテイシアは忘れることが出来なかった。
誰よりも信頼されている兄。
危機を乗り越える為には、おそらく無条件の信頼を寄せられる「指導者」が必要なのだ。
(わたしね、知っているの。お兄さま)
アガートラームが兄を選ばなかった理由。
それはきっと、アガートラームを振るう「英雄」であることを、時代は兄に望まなかったのだと、アルテイシアは思う。その代わりに――英雄ではない「指導者」であることを、きっと兄は望まれたのだ。
(それは、ある意味、英雄よりも辛いわ)
――絶対の信頼。ゆえに孤独。
英雄には頼るべき友を作る権利がある。
けれど絶対的な信頼を勝ち取る必要がある指導者には、友を作ることが不可能だ。
そしてそういう人間がいなければ――未曾有の危機に立ち向かうことはきっと出来ない。
「兄様」
最低条件として生け贄が必要な作戦を、兄――アーヴィングが立てまいと懸命になっていたことを、彼女は知っている。力にはなれずとも、ただ知っていたのだ。
だから、兄がとてつもない哀しみに支配された眼差しで。自分の命を差し出せといってきた時。
恐怖はなかった。
ただ嬉しかった。
誰にも苦しみを打ち明けることが出来ず、ひたすら抱え込みつづけた兄が――初めて泣きそうな顔で訴えた相手が自分だったことが、嬉しかったのだ。
――だからわたしは、今から死ににいくことに異議はない。
「彼等は……そろそろ、知った頃だろうな」
遠く背後をかえりみたまま、アーヴィングは呟く。
カイバーベルトを退ける為には、生命の器に閉じ込める作戦のみが有効となり、有効性も証明されている。――けれど、もう。人類の手には、犠牲なしにカイバーベルトを再度生命の器に封ずる術が残されていないのだ。
――生きている人の体を、激しい意志を、命を犠牲にしないかぎり。
英雄の血に意味があるわけではないと思う。
ただ、だれよりも世界が存続することを、そこに生きる人々の生活を守りたい兄の激しい意志と、その兄が願いの為ならば、どんなことでも耐える自信を持つ妹の願い――双子が抱いた断てぬ絆こそが、体内にカイバーベルトを受け入れることを可能にするのではと思う。
――幼なじみの為に帰りたかった。
アシュレーの単純だからこそ強い願いが、ロードブレイザーを受け止めたように。
「わたしが信用していい司令官だったなどと、二度と思えぬほどに打ちのめされて――わたしを、恨んでくれていることだろう」
また、妹に背をむけたまま、長い銀色の髪を風にそよがせ兄が呟く。
――ARMSとオデッサ。
アーヴィングが直接に作り上げた組織と、間接に作り上げた組織。
やがて確実に来る――けれど誰も信じられぬだろう危機を知って、兄はそれを作り上げたのだ。
どちらが勝ってもよかったはずだ。
オデッサが勝てば、軍事独裁政権の強みで強制的に国は一つの方針の元動く。
ARMSが勝てば、危機を前にバラバラの三国が共同作戦を取るようになる。
アーヴィングは、その両方を見越していたはずだった。
(どちらが勝っても、大丈夫なように作戦を立てる。それがきっと――指導者たる人間の役目だわ)
たとえ心を殺しても。
たとえ信頼の眼差しをむけてくれるようになった仲間達を、裏切り続けることになっても。
立ち止まることは許されなかったのだ。
苦しい作戦行動を共に過す日々によって。
気付けば、哀しいほどに、彼等を大切に思い、信用し、かけがえのない存在だと思ってしまった今でも。
「恨んでくれるなら、殺せるだろう。――わたしを…そしてお前を」
付き合わせてしまってすまないな、と呟いて、それでもまだアーヴィングは遠い空を見やったまま動こうとしない。
だからアルテイシアは足を踏み出し側によって、ただ後ろから、兄の背に身体を寄せた。
「わたしの意志が、兄様の側にいたいと願っているのです。置いて行かれたほうが――わたしは、兄様を恨みます」
「……そうか」
「わたしが覚えておきます。兄様がどれだけ、この日々をいとおしく思っていたか。犠牲を疎ましく思っていたか。――英雄の血に縛られて、最も英雄を唾棄していたのかも」
「アルテイシア」
「なにも出来なかったわたしが出来たこと。それは――兄様が必死に切り捨て目をつぶろうとしていた、兄様の後悔を、慟哭を、抱きしめて守っておくことだけだったから」
――本当は、わたし一人逝っても大丈夫だけれども。
そんなことに耐えられないだろうから、兄様も一緒に逝きましょうね。
心で囁いて、そしてそっとアルテイシアは瞼をおろす。
背にかかる温もりを切実に感じながら、アーヴィングは見やった方向に目礼した。
「さらばだ、アシュレー、ブラッド、リルカ、ティム、アイシャ。――ヴァレリアシャトーに集まった者達。わたしはこの世界を守る。だから――お前達で、未来を守ってくれ」
最悪の手段を使いつづけ、裏切りつづけた自分。
けれど。――裏切っていたけれども。
「共に戦えた、ことを……こうして最悪の状態を迎えるまで、万策尽きる瞬間まで、最低限の犠牲だけで危機を乗り越えようと、戦うことが出来た自分を……少しは、誉めてやろうと思うよ。そして」
――お前達と共に戦えたことを。
「わたしにとって最高の、誇りだと、思う」
――生きて帰ってこい。
何度も言った。
――わたしに騙されるな。
何度も心で叫んだ。
――わたしの裏切りに、殺されるな。
生き延びろと。
「願っていたよ、心から」
――だからわたしは、世界を守る為の最後の罪をおかそう。
「アルテイシア、行こう」
そっと手を伸ばす。
幼い、まだ無邪気だった頃のように。鮮やかに笑って、アルテイシアが兄の手を取る。
「兄様、大丈夫。ファルガイアの未来は続いて行くわ」
「……そうだな。アシュレー達なら、守り切ってくれるだろうさ」
――信じているさ。
誰にも頼れないと思った。全てを利用し尽くさなければならないと思った。
そんな自分が、気付けば頼っていたほどのARMSの仲間達。
「だから兄様。私たちもいつか……また、一緒にファイルガイアに戻ってきましょう」
「……アルテイシア?」
「英雄は、眠るの。だから返ってきましょう。私たちが生きていていい場所に。たとえ姿が変わっても、命が変わっても、構わない。生まれ変わるファルガイアを見守るのではなくて、返ってきましょう、兄様」
「帰ってくる……か…。そんなことが、許されているとは思わないな、わたしに」
「兄様、星で生きて行くことを、許されない人間なんて誰もいないわ」
星は、誰よりも寛大なもの。
生きて行く事こそが、なによりも大変なこと。
それでも生きたいと望む人間ほど、強く、儚く、そして哀しく嬉しい存在もない。
「帰ってこれると、信じれば。きっと私たちの思い、カイバーベルトにも負けないわ」
「……そうだな、そう、信じよう」
くすりと僅かに笑って、アーヴィングは歩き出そうとする。
だから取っていた兄の手を、自分の肩にまわさせて。松葉杖の代わりになって。
二人、歩き出す。
「アルテイシア、もし、戻ってこれる時がくれば」
「……なに?」
「情けない子孫をもって、多分どこかで呆れて、けれど心配しつづけてくれているのだろう剣の聖女……いや、アナスタシアという先祖の娘も、連れ出してこような」
「そうね、素敵ね。わたし、昔から妹がほしかったの」
「アルテイシア……勝手に妹にする気か?」
「そう。そしてね、めいっぱい兄様と私で甘やかすのよ。英雄として――寂しかった気持ちの全てを、消し去れるように、めいっぱいね」
くすくすと笑って、アルテイシアが前を見る。
――その、死に行はずの瞳は、生きる望みに輝いていた。
この矛盾を抱くことこそが、たしかにあの英雄アナスタシアの子孫である血よりも濃い証なのかもしれない。
メッセージは残した。
再会した時、おそらく自分を恨むのではなくて、どうしてだと哀しみ怒るだろう仲間たちのことを、今、遠くから強く信じる。
「あとは頼むぞ。ファイルガイアと……そして、お前達の未来を祈っているから」
――そして二人は、闇の中、消えた。
見守っているわ。
貴方達の幸せだって祈っていた。
ヴァレリアの哀しみを救ってほしかった。
でも貴方達は死を選び取る。
――希望の眼差しのまま。
死にたい人間なんていないわね。
生きていたいわ。
死にたくなんてないわ。
だって、生きていたかったもの。
――同じ気持ちね? 私と同じ、ヴァレリアの姓を持つ者たち。
闇の中。消えて行く貴方達をそれでも見つめているわ。
せめて――闇に、迷わないですむように。
手を――伸ばしているわ……。
「戻」