悪戯
主人公の名前は”秋庭四朗”です





「憂鬱だ」
 いきなり秋庭四郎が言ったので、近くに座る面々は硬直した。
 シン、と静まりかえってから、陽介が動けることを思い出したように首をかしげる。
「は?」
「憂鬱」
 間髪いれずに四郎が答える。
 ひどい静寂が、喧騒に満ちている放課後の一角だけを支配する。
 一つ、二つ、三つ。
 ハッとして、相棒を自認する陽介がもう一度勇気を出した。
「なんで?」
「なんででも」
 また間髪いれずに四郎が答えた。
 一つ、二つ、三つ、四つ。
 陽介が復活しない。
 完全にかたまってしまったので、そろそろと手を伸ばして、勇気のお守りとばかりに里中千枝は天城雪子の手を取った。
 花村が沈没した今、雪子を守れるのはあたししかいない!
 すう、と千枝が深呼吸をしようと息を吸い込んだら。
 四郎の視線が千枝に向いて、
「はあ」
 ため息をついた。
 深く吸い込んだ息を、ごっくんとしてしまって千枝は目を白黒させる。
「千枝!」
 繋いだ手の先で苦しむ親友に我にかえり、背をさすろうと雪子は手を伸ばして。
 見てしまった。
 なぜか深淵よりもなお深い色で、こちらを見てくる四郎の目を。
 四郎はにこっと笑ったかと思うと、
「憂鬱」
 最初の言葉を繰り返した。
 雪子、撃沈。
 
 
 華やかな声を上げながら、長身の完二の左右をほそっこいのが固めた状態で、一年生組は2年2組の教室に入ってきた。
「あれ?」
 なぜか、にこにこしている秋庭四郎が、対象的にひきつったまま固まっている他の先輩たちの頭を撫でている。
「なんスか、この状態?」
 完二がきょとんとする横を「おもしろーい♪」とりせが駆けだして、硬直したままの陽介たちの頬をぷにぷにと順番につっつく。
「りせ」
「先輩、なあに?」
「それやるの、俺以外は禁止ね」
 なぜか異様な迫力。
 りせは頬を膨らませ、両手を後ろにまわした(伊達にアイドルをやっていたワケではない。いつなんどきでもかわいい仕草をせねばならないのだ!)
「えー、先輩ずるーい」
「うん、俺はずるいから」
 にこにこと笑って、りせを撫でるふりをして四郎は後輩を後退させている。
 直人が身体の重心を片方に傾けて「なるほど」と呟いた。
「あん? なにが」
「先輩、わざとやってますね?」
「なにを?」
 続きを促すように、四郎は首を傾ける。
「見れば分かりますよ。先輩、わざと花村先輩たちを硬直させたんでしょう。傷害罪とかにはなりませんけど、ある意味パワハラですよ」
 呆れた人だなと言えば、軽やかに四郎は笑った。
「わざと? 先輩、なにが目的だったんスか?」
「なんとなく?」
 目を細めて笑う。
 ぐ、とつまった完二を、左からりせが、右からは直斗が、それぞれパンッと背を叩いて立ち直らせた。
「巽くん、術中にはまってますよ」
「へ?」
「完二、しっかりしてよ」
 背中をばんばんと二人は叩く。
 あわてて目をこすってから、完二は左右の同級生を交互にみて眉を寄せた。
「なんで眼鏡してんだよ?」
 気づけば二人は戦闘モードだ。
「えー、完二こまっかーい! 細かい男はもてないよ?」
「なんとなくですよ、巽くん。それより久慈川さん」
「なあに、直斗くん?」
「撤退のタイミングをはかってください」
「うん、まかせて!」
 キッ、と眼差しを鋭くしてりせが両手を組む。
 真剣な二人についていけず、完二は首をかしげる。
 助けを求めて前を見れば、なぜか四朗までもが眼鏡をかけていた。
 巽完二、まったく状況についていけない。
「マズイよ、直斗くん! スキが全然ないの!」
「さすがは秋庭さん、出来ますね」
 だからお前ら俺をおいて何やってだよ?と完二がちょっと寂しくなったところで。
「センセー! クマ、寂しくなってきちゃったクマ。放課後ならいいクマよね? ……って、どうしたクマ!?」
 ガラッと勢いよく扉が開いた。
「今よッ!」
 りせが叫ぶ。
「今ですッ」
 直斗が返して、完二は制服の裾を二人につかまれた。
 二年生組に独特のつながりがあるのなら、一年生組の絆だって負けはしない! ……はずだ。
「うお!? な、なんだよおめぇら! ちょ、待て、離せっての!」
 ちびっこ二人に制服の背中の部分を引っ張られて「せ、先輩、またー!」と叫んで、たたらを踏みながら消えていく。
 四郎は軽く舌打ちをした。
「せ、センセー、ど、どうしたクマ?」
「なんでもないよ、なんか用事を思い出したみたいだな。宿題かな」
 軽く答えて、四朗は笑顔でクマの頭を撫でる。
 えへへ、とクマが笑うのにさらに笑みを返して、四郎は視線を硬直している同級生に向けた。
 パンパンッと手を叩く。
 はっ、としたのか。固まっていた二年生組みが目をぱちくりとさせた。
「あれ?」
「あー秋庭、くん?」」
「あれれ?」
 なにやら鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしている。
「ヨースケ、チエチャン、ユキチャン、どうしたクマか?」
 クマが金髪をキラキラさせながら首をかしげる。
「えーと、なんか」
「すごく」
「怖い夢を、みてた気がするの」
 一言ずつ呟いて、三人は同じ方向に首をかしげる。
 なんでクマがここにいるんだろうとか、ホームルームが終わってすぐのはずなのになんで他のクラスメイトがいないんだろうとか、ずいぶんと時間がたってないか?とか話し出す。
「なあ」
 四朗が問いかけた。
「「「な、なに!?」」」
 怖い思いをしたことだけは忘れていないらしい。
 過剰反応を示されて、四郎はニヤリとした。
「今日はなんか元気でなくてさ。ちょっとお願いがあるんだけど、いいかな?」
「だ、大丈夫かよ?」
 とたんに心配そうになった相棒に、四郎は眉をよせてみせる。
「ああ、まあ。精神的なものだから」
「精神的? ……そうだよな、お前にばっかり辛い思いさせてるよな」
 リーダーは決断を下さなければならないもの。
 その重責を押し付けているのだと、三人は唇をかむ。
「だからさ、三人ともメイドの格好してくれない?」
「それで元気になるな……」
 途中まで了解して、三人はうなずいて。
 ひとつ、ふたつ、みっつ。
「「「はああ!?」」」
 仲良く大合唱。
「うん、それで、陽介に紅茶を運んでもらって。千枝に膝枕してもらって。雪子にスコーンを食べさせてもらう」
 千枝と雪子が瞬時に真っ赤になった。
「ひ、膝枕!?」
「い、いわゆる、あーんっていうアレ!?」
 互いに見つめ合って、慌てている。
 陽介は一人こぶしを握り締めた。
「ちょ、待て!」
「え、さっき頷いたろ、陽介」
「里中と天城にしてもらいたいってのはわかる。けどな、なんで俺までそこに入るんだよ! どんなイジメだ!」
「え、仕方ないだろ。陽介と千枝は俺の嫁だし」
「だぁれが嫁だ!」
「嘘つくんだ?」
 ああ、俺は嘘をつかれたよと四朗がわざとクマにむかって悲しい顔をする。
 千枝の膝枕と、雪子のあーんと、陽介の給仕があれば元気が出るのになあ、駄目なのかとわざとらしく続けた。
 クマは目をぱちくりとした。
 それからいきなり眉を寄せ「駄目クマよ!」と大声を出す。
「センセーと約束した以上は絶対クマ。わかったクマ、クマがちゃんと三人とも立派なメイドさんの格好にしてみせるクマ! センセー、まかせるクマ!」
「ああ、ありがとう」
「ちょ、待て、待てぇええ!!」
 千枝と雪子は互いの手を握り締めたまま、陽介はこぶしを握り締めたまま、クマに連れ去られていった。
 見送って、四郎は立ち上がる。
「あとは逃げた一年生組?」
 川原まで逃げた一年生たちが、背筋に悪寒を感じて震え上がっていたとかいなかったとか。


「戻」