花村陽介は笑っていたけれど、本当はずっと泣いていた。
秋庭四郎は泣きだした親友を引き寄せて、そう思う。
辛くて、悲しくて、苦しくて仕方なかったくせに、陽介はずっと笑い続けてきたのだ。
心の堰が崩壊して、彼自身がコントロール出来なくなって、こんなにもしゃくりあげて泣かなければいけなくなるほどに、耐えて耐えて笑い続けてきたのだ。
――もっと早くに気づいていれば。
陽介が嘘つきだってことは知っていたけれど、まさかここまでの大嘘つきだったなんて。
彼がおもてに出す嘘はいつも簡単で、人の笑いを取って、それで誰かを和ませてしまう程度のものだった。だから彼が心の深いところで、なにかを偽っているだなんて、誰も思いもしなかった。
花村陽介は嘘つきだ。
周囲も、言っている本人さえも、騙してしまうとんでもない大嘘つきだ。
陽介はきっと、自分が泣きながら笑ってきたことを知らない。
――陽介は、彼のシャドウに糾弾された言葉に、絡めとられてしまった。
だから自分自身の感情に自信がもてなくなり。
辛い、悲しい、苦しいと、叫ぶ”自分”の感情は偽者で、うわべのものにすぎないのではと、怯えて震えて……なにも出来なくなって、きっと、笑っていた。
辛かったのに。
悲しかったのに。
苦しかったのに。
うわべなんかじゃない、本当に本当に優しかったのに。
四郎は震えている陽介の背をさすりながら、唇をかんだ。
だって四朗は知っている。彼がどういう人間であるのか。陽介よりも自分のほうが、よく知っているのではないかと思ってしまうくらいに分かっている。
戦慄とともに思い出されるのは、魂を奮わせるように響いた絶叫と、とんでもない強さで背を突き飛ばされて走った衝撃だった。
何がおきたのか、すぐには把握できなかった。とにかく突き飛ばされた身体を立て直そうと床に手をついて、気づく。
この、手にまとわりつく、じっとりとした、独特の粘性を持つ赤い液体はなんだ?
血の気が一気にさめて、かすれている自分の声に呆然としながら、陽介の名を何度も叫んだ。かすれた返事をなんとかしてくれたけれど、ペルソナ能力ですぐに回復は可能だったけれども、あの背筋に感じた冷たさは忘れられない。
あんなことが。
一歩間違えれば、命を落とすことになるのに、誰かを庇って飛び出していける人間なのだ。
それが花村陽介であり、同じようにためらいもなく自分の体を盾に出来る仲間たちでもあるのだ。
だから四郎は陽介たち仲間がいとおしかった。
好きだ、ではなく。いとおしい。
陽介は秋庭四朗をリーダーに推薦したが、すべての責任を背負わせようとはしなかった。いつだって「相棒」と呼んできて笑って、負担を軽くしようと必死になってくれているのを知っている。
陽介が相棒と呼んでくるたびに、四郎の胸は暖かくなった。
対等の親友の存在が嬉しかった。
なのに。
陽介の優しさを自分が知っているのに、本人はそれを知らずに傷ついていたなんて。
陽介が傷つきすぎて心がぼろぼろにさせていたことに、自分が気づけていなかったなんて。
どう言えばこの傷ついた相棒に分かってもらえるのだろうか。
悔しかった。
だってそうだ。
自分ではダメなのだ。自分が言っても、表面上で笑って(また嘘をついて)大丈夫だと言ってしまうだろう。
小西早紀はいってしまった。
本当はこう思っていたの、それだけじゃなかったと弁解する機会を永遠に与えてくれない場所へ。
陽介も失ってしまった。
先輩のこと、ウザがられてもいい、本当に好きだったと伝える機会を。
あの世界でシャドウが暴走して。
吐き出して、受け入れて。
千枝が雪子に、雪子が千枝に、”ごめんね”と告げて二人抱き合って泣いていたように。
早紀にだって伝えたいことがあったはずなのだ。
だってあの尚紀の姉で。
陽介が好きになった人が。
優しい人でないわけがないのに。
――悲しい。
この世からいなくなってしまったことが、ただひたすらに悲しい。
陽介の中には消せない傷跡が残って、彼女を思うときに彼は苦しむ。
せめて笑った顔を思い出して欲しいと早紀が思ったとしても(死者にはなにも思えないだろうけど)
陽介の”まごころ”は黒く塗りつぶされて。
陽介の”真実”はシャドウが語った、暗い感情だけになってしまった。
――違うのに。
憤りに叫びたいのをぐっとこらえて、背をさするかわりにさらに強く抱きしめた。
「陽介」
ささやけば、彼は涙と息を飲み込むようにして、必死に泣くのをやめようとする。
「ん、だよ。なんでこんな、涙腺壊れっぱなしなんだよ、俺。かっこ、わりぃたらねえ」
ぼろぼろ涙をこぼし続けるくせに、まだ、笑おうとする。
「笑うな」
強がろうとするのに正直腹がたって、さらに強く抱きしめた。
苦しいっつうの!という抗議が聞こえたが、聞いてなんてやらない。
「誰も見てない。だから、頼むから陽介、無理して笑うな」
「……秋、庭?」
「お前は信じないかもしれないけど、俺はお前が本気で悲しんでるって知ってる。誰よりも周りを見て、すぐに気づいて、見返りなんて求めないで、手を差し伸べる奴だってことも知ってる。優しいよ、陽介は」
言葉が見つからなければ見つからないほどに、つむぐ言葉が長くなってしまうのは何故だろう。
どうしたら陽介が泣きたいのを我慢でしないですむのか、その方法がどうしても見つからなくて四朗は苛々。
「出来ることなら、黄泉の国までいって、小西早紀を連れて帰ってきたいくらいだ」
「はあ?」
「知らないか? イザナギは死んでしまった妻を連れ戻しに、黄泉の国まで行くことになってるんだ」
「……あのなあ」
なに言い出すんだよ、と泣きべそをかいたままの声が返ってくる。
根本的な解決をもたらすことは、どんなに悔しがっても自分では出来ないけれど。それでも元気を取り戻しつつある返事に、時間がもたらす癒しを見守ることは出来ると四郎は思った。
ニヤッと笑って、抱きしめたまま頭を撫でる。
「イザナギは覚悟がないから駄目だな。最愛の妻が変わり果てた姿になってたくらいのことで、悲鳴を上げて逃げだすなんて」
「ちょ、おま! イザナギはお前が最初に出したペルソナだろーが」
「ペルソナはペルソナ。俺はその程度じゃ屈しない」
「あ、あのなあ、なにその自信」
「俺は迎えにいけるよ?」
「はあ?」
「陽介がもし黄泉の国いってしまって、俺が迎えに行ったとしてだ。振り向いた先で、お前が腐ってても虫にたかられていても、笑って連れて帰る」
「お前、馬鹿だろ。第一、そんな気味の悪い想像すんな! まだ生きてるってのに、腐乱死体になったとこ想像されてたまるかよ!」
どうやらようやく涙がとまっただようだ。
「いや、腐乱の話じゃなくて、これは覚悟の話」
「だから!」
「何回でも言うからな。陽介、我慢するな」
勢いよく腕を突っ張られて、抱きしめていた身体が離れた。
なんとなく名残惜しい気がしたが、唇の端を持ち上げて笑ったまま、距離をとってまじまじとこちらを見てくる洋介の茶色の目をまっすぐに見返す。
「俺は、陽介がどんなになったとしても、陽介を見分けるから。陽介が自分自身を見失っても、俺が見失ったりしない」
泣くのを我慢して、笑ったりしないでくれと言葉を重ねる。
陽介は口をぱくぱくさせて、大きくため息をついた。
「ったく、とんでもない奴だよ、秋庭は」
「そうか?」
「そうだよ!」
大声をだして、陽介は袖口でぐいっと涙をぬぐう。
多分、彼はこれからも、泣きながら笑うのだろう。
だけど、もう、それを見落としはしない。――一人にはしない。
「泣きたくなったら、いつでも胸は貸すから」
「だあから、そういうことは女の子に言えって!」
笑っていて欲しい。
そう思う。
泣きたいのに我慢して笑うのではなくて。
心から笑っていて欲しいと。
「戻」