キミの為に
主人公の名前は”秋庭四朗”です





 今日の夕飯は買いにいかないよと秋庭四朗が言えば、菜々子はきょとんとした。
 菜々子の毎日の食生活は、朝に自分で作る包丁を使わないですむ目玉焼とパン。昼は給食で、夜は市販の弁当だ。
 いくらなんでもこれはまずいと四朗は思ったから、陽介を巻き込んで冲奈まで初心者用の料理の本を買いにいった。そのまま陽介宅に転がりこんで、料理の練習をはじめることにしたのだ。(失敗なんて家でするわけにはいかない。失敗したものでも、菜々子は絶対に笑顔で食べるというだろうから)
 四朗がキッチンで格闘を開始すると、陽介は買った料理本をめくりながら「菜々子ちゃん、なにが一番喜ぶんだろな」と暢気なことを呟いている。
 カレーか、ハンバーグか、オムライスか、スパゲティかと好き勝手に言ってくるのを聞いていたら、なぜか会話にでた品の殆どを四朗が作ることになっていた。
「お兄ちゃん特製お子様プレートなんて、喜ぶぜ、奈々子ちゃん」
 やっぱお前はすごいよなあ!と、メニューを決めてしまえばやることがない陽介が、気楽なことを言った。
 こちらが無理矢理にでもためこむなと強制しなければ、一人で抱え込む思い詰め型のくせに、陽介は変なところで楽天的だ。
 傍観者でいられるは面白くない。四朗は包丁の手を止めて考えた。
 夕食を作るといえば、菜々子は素直に感動したうえで、料理を一緒に作りたいといって、台所に立とうとするような気がする。
「陽介」
 名前を呼んで手招きをした。警戒もなく近づいてきた友人に包丁を手渡す。
「は?」
「練習」
「ちょ、俺、料理なんてさ」
「だから練習。陽介がじゃなくて、俺が」
「は?」
 目を白黒させながら、素直に陽介が包丁を受け取る。まずは野菜をと渡すと、むきかたもわからんと答えられてしまった。
 どうやったら分かりやすく教えられるだろうかと考えながら、陽介に伝える。
 それでピンときたのか友人は「あ」と声をあげた。
「わかった」
「なにが」
 教えながら、料理の本も見ながら、正直四郎は忙しいのだ。
「いま俺がやってるこれ。菜々子ちゃんにやり方教える実験台だろ?」
「正解。まあ、陽介のほうが菜々子より飲み込み悪いだろうけど」
「反論が出来ねぇ」
 眉を寄せて、それから陽介は真剣な表情でジャガイモにむきなおった。
 戦闘中、双刀をあつかう器用さと、料理の器用さは連動しないのか、と手元を見守れば、案外するするとこなしだしたので納得した。やらないだけで、出来ないわけでは決してないのだ。
「あ、でもさ。菜々子ちゃんに本物の包丁は危ないんじゃね? だから、堂島さんも菜々子ちゃんにまだ刃物は使わない料理しかさせないんだろうし」
「……む」
 陽介に指摘されて、押し黙る。失念していた。確かに、この包丁を菜々子に持たせるのは問題がある。
 さてどうするかと四朗が考え込むと、へこんでいるように見えたらしく、陽介が包丁をそっと置いた。
「んー。菜々子ちゃんも、大好きなお兄ちゃんと料理したいよなあ。んーあれ、そういや、子供用の包丁があるんじゃなかったっけ? プラスチックみたいな……よし、ちょっと探しとくよ」
「いいのか?」
「いいって。そうだ、プレゼントすっからさ、作ったらいつか夕飯に呼べよ。兄妹作の夕飯にあずかるってちょっとよくね?あ、そうだ」
 菜々子ちゃんもつれて夕飯食いにくればいいのにってお袋がこぼしてたから、お前らもこいよ、と笑う。社交辞令ではなくて、本気なのだろう。
 春になったら、両親の元に戻るのが、稲羽市にくるときの約束。
 四朗が菜々子のためにやればやるほど、別れてもとの生活に戻ったときの悲しみは大きい。だからこそ、菜々子のことを大切にしてくれる人間が増えればいい、と思っていた。
「なんか、陽介の話を聞いてると、俺が帰った後も安心って気がするな」
「帰った後なんて今から言うなよ。まだ先だろ」
 端整な眉を寄せて、陽介は押し黙る。それから「そりゃ、四朗が帰ってさ。菜々子ちゃんが堂島さんがいない夜に一人、なんてのは嫌だよなあとは思ってるけどさ」とブツブツ言っている。
 四郎は軽く笑った。
 この町でめぐり合った仲間たちは、誰もが驚くほどに素直で、手をさしのべることをためらわない優しさを持っていた。そしてそんな彼らを育てた両親たちは、きっと菜々子のことを放っておいたりはしないのだろう。
「なあ、四朗」
「ん?」
「いや、難しい顔で考えてこんでるトコ悪ぃんだけどな。……味は成功しつつあるみたいだけど、量を間違ってねえ?」
「は?」
 言われて、手を止めた。
 野菜の切り方などを教えていたせいもあって、余分な材料が増えている。その為だろうか、たしかに、完成しつつある料理の量は……。
「陽介」
「ん」
「千枝たちに動員命令、よろしく」
「オッケー!」
 冗談なのか敬礼すると、陽介は携帯電話を取り出した。
 聞くだけで元気になる千枝の声が、電話の先で雪子迎えにいってから行くね!と答えているのが微かに聞こえる。
 携帯をきると同時に陽介はまたかけだして、今度は完二を呼び出そうとしていた。
 さて、人数が増えるなら、お子様プレートにふさわしい一品の練習を追加してもいいだろうと、さらに包丁をにぎった。千枝が好きなものを追加するのもいい。
 料理の本をめくり、次はこれと決めた。
 お子様プレートつくりの予行演習もかかせないので、もちろんそれらしく見える盛り付けの研究もしてみる。
 うっかり長話になっていた陽介が会話を終了させ、四朗の方を向いて硬直した。
「……げ、幻覚か?」
 なぜか呆然とした声。
 振り向けば、陽介が眉根を寄せて、腕を組んでいる。
「なあ、里中たち呼ぶ前の一人分のノルマよりさ、量が増えてねぇか?」
 デカイだろどう見ても、と続けられて、改めて作り上げた料理を見る。
「そういえば、一つ一つのパートを型どるとき、やけに時間がかかったか。まあ、失敗を本番でしないための練習だからいいだろ」
 四朗がさらっと答えると、陽介がなぜか青くなって弁当箱を出してきた。
 クマ、クマの分だよ!と聞いてもいないのに答えている。しかも詰め終えたら、本当に渡しに走っていってしまった。
 クマならきっと素直に喜ぶだろう。――きっと。
 で、結局。
 全員が集まって、全員が同時に絶句して「売られたケンカは買うもんじゃんよ!」と千枝が涙目でタンカをきったのをスタートに、全員での食事が始まった(陽介もすぐに戻ってきた)
 食べても食べても終わりが見えない。
 なぜかかわいらしいはずのお子様プレートが、雨の日のスペシャル肉丼に見えてくる気さえする。
 オムライス、スパゲティ、オムライス、ハンバーグ、から揚げ……
「あー、もう、無理。無理だよう」
 スプーンを握り締めたまま、唐突に千枝が後ろにひっくりかえった。学校の帰りにおやつに肉丼、家に帰ったらもちろん夕飯を食べる!と笑顔でいう彼女がギブアップするのだから、尋常ではない。
 四郎はさりげなく手を伸ばして、千枝の髪をすくように撫でる。
「味は、千枝?」
「あ、味はよかった、よ。ねえ、雪子」
「うん。秋庭くん、すごい」
 見れば雪子も倒れていた。
 なんとか会話はしているが、口しか動いていない。多分、動けないのだ。
「里中先輩も天城先輩も大丈夫ッスか……?」
 テーブルの反対側の床から、撃沈した完二の声も聞こえてくる。四郎が観察するに、完二は雪子の分も必死に食べていたように思える。ちらと視線を流せば、いつもとは違う丸い腹になっていて、思わず笑った。
 じとーとした視線が集まってくる。こほん、と四郎は咳払いをした。
「量は気をつけるよ、今後」
「うん」
 もう作らないで、とは誰も言わなかった。
 そろそろ帰らないといけない時間だよね、と千枝が呟く。彼女はなんとか立ち上がろうとしたようだったが、身体が持ち上がる気配はなく、
「ああ、動けないよー」と、泣きそうな声を上げた。
「うん、動けない」
 雪子もせつなそうな返事をしている。
 四郎はちょっと悪いことをしたかなと思ったので「背負って送ろうか」と、わざと低い声で囁いてみた。
 それが雪子の爆笑スイッチに入ったらしく、苦しみながら身をよじって笑いだしてしまう。
 雪子〜しっかり、死んじゃうよー!と千枝の悲痛な声があがり、完二はなぜか「天城先輩を背負……」と呟いて動かなくなった。
 家主としての責任感か、コーヒーと紅茶を必死にいれて這うようにして戻ってきた陽介が、あまりの惨状に「テレビん中よりひでぇ」と言って、固まった。



 他にも何度か仲間を犠牲にして、四朗のお子様プレートの作成は完璧となった。
 夕飯を買いにいかないと言われてきょとんとしたままの菜々子の前で、エプロンをつける。
「え!?お兄ちゃんが作ってくれるの?」
 ぱちぱちとまばたきをして、すぐに菜々子は事態を理解した。
「お兄ちゃん、菜々子もお手伝いするよ!」
 頬を真っ赤に上気させて、菜々子がぎゅっと手を握ってくる。
「じゃあ、菜々子にこれな」
 後ろに隠していた贈り物を、前にやってみせたマジックよりもマジックらしく出してみせる。
 プレゼントだからとリボンのシールが貼られているが、ジュネスの包装紙では魅力も半減、と思うが菜々子はやはり違った。
「え!?どうして!?」
「陽介が菜々子にって」
「陽介お兄ちゃんが?なんで?」
 あけていいよと言えば、菜々子は丁寧にテープをはがしていく。
 子供用の包丁は、まるで幼い頃にやらされたままごとの道具のように、ひどく可愛らしかった。
「すごーいっ!菜々子専用の包丁?」
「でも、約束な。菜々子がもうちょっと大きくなるまでは、これでも一人で使うのはダメだよ」
「わあっ。じゃあ、菜々子とお兄ちゃんが一緒にお料理する専用だねっ」
 嬉しさを全身で表現するように、菜々子は箱ごと抱きしめた。
「陽介お兄ちゃんに、お礼いいたい!お兄ちゃん、お電話して?」
「ん、ちょっと待って」
 頭をくしゃくしゃと撫でてから、携帯電話で陽介を呼び出す。丁度バイト中だったのか、聞こえる雑音がやけに賑やかだった。
 電話を渡せば、菜々子は両手で受け取って「陽介お兄ちゃん、ありがとう!菜々子、すごく嬉しいよ」と明るく笑った。
 多分、陽介はめちゃくちゃに照れているのだろう。
 菜々子は始終笑ったまま電話を終えて、電話をきった。絶対にかわらなくていいと陽介が言ったに違いない。からかってやろうと思ったのがバレたか。
「陽介お兄ちゃんがね、次はうちにご飯食べにおいでって。えへへっ」
 あまりに菜々子が嬉しそうなので、ちょっと悪戯心が沸き上がる。
「陽介の手作りがいい?」
「え!? 陽介お兄ちゃんも料理出来るの!?お兄ちゃんたち、すごいねっ。うん、菜々子陽介お兄ちゃんの手作り食べたいよっ」
「多分、俺との共同作業によるだろうけどな。そうだ、菜々子は千枝と雪子と三人で、紅茶を飲みながら食事をまつんだ。レストランみたいに。どう?」
「うわあ! 菜々子、新しいお洋服きていかないといけないねっ」
「じゃあ、一緒にみんなで買いにいこうか。まあ、その前に」
「うん!お兄ちゃん、やろっ!」
 一緒に台所に立つ。
 菜々子には、手本をみせながら、ウィンナーを動物の形にしてもらうことにした。
 はしゃぐ菜々子から目は離さずに、練習の成果を発揮して、全てミニサイズのハンバーグにグラタン、それからスパゲティにオムライスを作って二人で盛り付ける。ケチャップで似顔絵もついでに書いて、完成。
 出来上がった料理を並べて終えて、菜々子はまた照れた顔をした。
「お兄ちゃん」
「どうした、菜々子? 食べないの?」
「あのね、もったいなくて。だってね」
「今日だけじゃないからさ」
「え?」
「これからも、沢山、一緒に夕飯作ろうな」
 だから食べよ、とフォークを握ってみせる。
 菜々子はしばらく目を丸くしてから、
「うん!お兄ちゃん、いただきます!」
 と、世界で一番幸せそうに、笑った。

「戻」