特別
主人公の名前は”秋庭四朗”です


「腹立つなあ、陽介のことが」
 いつものように後ろを向いて、秋庭四朗は笑顔で告げた。
 脈絡はない。たった今、授業が終わって、さて放課後はどうするかと生徒たちがざわめきだしたばかりだから。
「……はあ?」
 案の定、指をこめかみにあてて陽介がぽかんとする。
「俺、もしかして、なんかやった?」
 え、マジか、なんだろ、と陽介はうんうん唸りはじめた。
 なんだかなあ、とちょっとだけ四朗は思う。
 四朗の仲間たちは、驚くほどにお人よしで、唖然とするほどに彼に信頼を寄せている。ゆえに怒らせたイコール自分たちが悪い、という図式がなりたってしまうらしいのだ。
 これみよがしに、四朗はため息をついて追い討ちをかけてみた。
 わざとついたソレは意外に大きく響いて、雪子と話し込みかけていた千枝が目をぱちりと見開いて視線を四朗と陽介に向けてくる。
「なになに、どしたの? 花村がなんかやったん?」
 まぶしく笑ってみせる千枝の奥で、雪子が黒髪をゆらして大丈夫?と心配そうに首を傾げる。
「いや、さ」
 口を開けば、興味津々な千枝と、心配そうな雪子と、絶賛悩み中の陽介の視線が四朗に集中する。
 秋庭四朗が稲羽市にやってきたのは、春先のことだ。海外で仕事するから弟のとこに一年いてね!なんてあっけらかんと親に言い放たれて、田舎町にやっていた。
 最初こそひどい親だと思ったが、今は辛いことだったとは思っていない。
 親の都合に振り回されて子供は辛いな、と、やっかいになっている堂島家の主には心配されているが、この町で信じられないほどに優しい友人たちに出会ったのだから感謝のほうが大きいくらいだった。
 堂島家には、菜々子という名前の従姉妹がいた。
 菜々子はびっくりするくらい可愛くて優しい女の子だったが、四朗は兄弟がおらず、親戚付き合いもない中で育ったので、小さい子供にどう接すればいいのか正直わからなかった。
 それは多分、菜々子も同じで、さてどうしよう、どうすれば打ちとけられるだろうと四郎は会話の糸口を探していたとき。
 変なCMソングが流れだしたのだ。
 そうしたら、いきなり菜々子までそれを歌いだしたのだ。
 おかげで緊張がほぐれて、打ち解けるきっかけになったと思う。
 きっかけがジュネス。さらに仲が深まるきっかけになったのも、歌うことを期待されて、応えたからだと思うからやっぱりジュネス。
 それほど、菜々子のジュネス好きは尋常ではなかった。
 仲間たちの視線を一身に集めて、四朗はため息をついた。
「昨日な、連休にどっかいきたいって話しになったんだ」
「家族で? いいじゃん、菜々子ちゃん喜ぶっしょ。あれ、でもさ」
 花村がなんかした話しじゃなかったの?と、千枝がきょとんとする。
そうだ、俺がなんかした話しなんだろッと陽介がうめくので、四朗は不敵に笑う。
「菜々子ジュネスに行きたい!て、言ったんだ。連休にだぞ?」
 不憫すぎて言葉も出なかったぞと続けて、涙をぬぐうフリをしてみせる。
 商店街を脅かすにっくき敵、稲羽の平和を乱す不穏の輩、さまざまなところで目の仇にされているジュネス店長の息子は、へこんでいたはずなのに顔を上げた。
「な、菜々子ちゃんっ」
 目がキラキラしている。そんなに嬉しがっても奈々子はやらん、と思いながら四朗は手首を軽く横に振った。
「まあ、結局、もっと遠くてもいいんだぞ?という、もっともな意見によって却下されたけどな」
 言葉を切り、いきなり半眼になって陽介をにらむ。
 浮かれていた友人はそれだけで凍り付いた。氷系が弱点でもないくせに。
 千枝は軽やかに手を鳴らせて笑い出す。
「ははーん、なるほど、菜々子ちゃんがあまりにジュネス大好きだから、新米お兄ちゃんとして複雑なんだ」
「え、なにそれ、俺とジュネスどっちが好きなんだ、みたいな?」
 雪子がびっくりした顔で、声を低めた。
「雪子は俺が変態だとでも?」
「あれ? ずれた? ご、ごめんねっ」
 しゅんと項垂れた美少女に追撃をかける趣味はないので、かわりに凍り付いたままの陽介の頭をポカリとする。
「いてェよ!」
 ふくれられてしまったので、叩いた手で撫でてみた。
「オレは猫かよ!」
「陽介を例えるなら犬だろ、雑種」
「あはは!! ぴったり!」
「千枝と雪子は猫な。いつでも膝はあけておくから」
 四朗がにっこりと笑えば、千枝と雪子は「え?」といって、互いに顔を見合わせ、それから頬を赤く染めた。
「お前らなあ、なんの話になってんだよ。まったく」
 うまく反応できないでいる少女二人を横目で見やって、陽介はようやく上体を起こして頬杖をつく。
「ようするにさあ、八つ当たりなんだろ? お客様、申し訳ございません。ジュネス苦情係が承ります」
「陽介の開き直りは面白いな。ん、ま、確かに俺が悪かった。ごめんごめん」
「だから、犬にやるみたいな撫で方すんなッ!」
「仕方ないだろ陽介。八つ当たりもしたくなる、羨ましくもあるとこだし」
「なんでよ? 羨ましい?」
「だってそうだろ。菜々子にしてみたら、いつもある楽しいことは、学校、友達、テレビ。特別に嬉しいのはジュネスなんだ」
 あの年代特有のワクワクした気持ちにさせてくれるジュネスが楽しいではなく、忙しい父親と行く場所だから、菜々子にとっての特別の場所。
「で、菜々子の特別を支えてる重要人物の一人が陽介だろ。俺が来る前から、陽介は菜々子の支えだったわけ。羨ましさに八つ当たりするワケ、分かった?」
「いや、分かった。でもさ、その……なんだ」
「照れとけ、誉めたんだ」
 顔を必要以上に近づけて笑ってやれば、違う意味でうめいて、陽介は机につっぷした。多分赤くなっているのだろう。
「男の子の友情は難しいね」
 ようやく硬直から立ち直って、千枝が笑った。
「女の子の友情のほうが難しいよ? 悔しいことに俺でさえ、千枝と雪子の間に時々入り込めない気がするし。とにかく、さ」
 面白くないんだよなあ、と四朗はごちて腕を組んだ。
 低い声音に、全員の視線が真剣なものに変わる。
「菜々子はさ、いつもの味がジュネスの惣菜で、楽しい場所もジュネスで、好きな歌までジュネスなんだ。……悲しい、なんて菜々子に失礼だから言わない。でもな、菜々子には選択肢が少なすぎるだろ?」
 母親がいないから、父親が忙しいから、仕方ないと誰もが言うのだろう。
 なにより、菜々子寂しくないよ?と、本人も笑ってごまかしてしまうのだ。
「選択肢をもっともっと増やして欲しい。別にジュネスが好きなのはいい、でももっと違うことも沢山知ったうえでいて欲しい」
 なあ、と真剣な顔になっていた陽介が、軽く手を上げた。
「全然意図にあってないかもしれないけどよ。俺らと遊ぶ機会を増やすってのはダメか?」
「あ! それ、花村のくせに結構いい案じゃんよ」
 バンッ、と陽介の背をたたいて、千枝が嬉しそうに笑う。
「小学生同士で遊ぶだけより、だんっぜん行動範囲広がるもんね。沖奈に買い物とかいって、ケーキとか食べてさ」
「うんうん、それ、絶対に菜々子ちゃん喜ぶ!」
 雪子が幸せそうに目を細めて、じゃあまずはどこに行く?と計画を立てだしてしまう。
 四郎は、当事者だというのに、絶句して固まってしまっていた。
 なんなんだ?と思う。この素直さは、どこからくるんだ?とも。
 お前は凄い、流石はリーダーだねっ、と仲間たちは四朗のことを信頼してくれるけれど。
 本当に凄いのは、こいつらの優しさと素直さのほうなんじゃないかと思う。
 なにごとにも真剣に、他人の痛みも自分の痛みとして、誰かのためにこんなにも一生懸命になれてしまう高校生が複数いるというのは、カルチャーショック並の事件だ。
「あれ、なに笑ってんの〜。やだなあ」
 四朗がほのぼのとして笑ってしまったのを目ざとく見つけて、千枝が唇を尖らせた。
「いや、なんか、嬉しくてな」
「ホントにそれだけ? ならいいけどさ」
 千枝だけではなくて、雪子も陽介までも疑がわしげな眼差しを向けてくる。
降参、降参と手をあげた。
 こいつらならきっと、守ってくれるかもしれない。
 俺がこの町から立ち去ったあとも、菜々子のことをずっと。


「戻」