repetition

 ――大切な時間。
 そういうものは、得てして、後になって気付くものだろう。
 たとえば日常とか。
 たとえば会話の一つとか。
 たとえば感情をぶつけあったこととか。
 大切と、大切じゃないものと、大切の境界線。
 どこにでもある事に限って。
 忘れてしまいがちで、一番大切な出来事の繰り返し。


 凄まじい勢いでセミが鳴いている。
 この音を聞くだけで、暑さが助長されていくような気がした。
 振り向くと、亮五に手を引っ張られて転びそうになっている妹のアリサが見えた。
「亮五!! アリサを無理矢理ひっぱるなよっ」
「お、さすがアリサ溺愛兄貴。細かいとこまでつっこむよな」
「なんでそういう問題になるんだ!!」
「はいはい。文句はあとにしようぜ、和輝。早くしないと、休日なんてあっという間に終わっちまうぜ?」
 いつもの口喧嘩。こんなことばかり常にしてるから、仲がいいのか悪いのかわからないよ、とよく回りから言われるのだろう。――息をついて、視線を妹にやる。
「……アリサ、大丈夫か?」
「大丈夫よ、お兄ちゃん。見た目だけよ、強く引っ張っているように見えるのなんて」
 無造作に引っ張っているように見えるが、実は亮五は踵の高いサンダルをはいたアリサが、転ばないように支えてる。
 いい加減に見える。いや、いい加減な部分が絶対に多い。
 それでも――結局優しいのがこの親友だ。
 暑さに思わず額をぬぐって、和輝は空を見上げた。
 青天には雲一つなく、嫌味なほどの太陽が夏を示すように支配している。
「暑いな」
 ――夏だから。
「仕方ないじゃん、和輝くん。夏は暑いもんだぜ?」
 あったりまえだろう、といって亮五は和輝の背を叩く。
「お弁当、腐っちゃわないかな?」
 アリサは言って、朝から必死になって作っていた弁当が入った鞄を、目線の高さに持ち上げた。
「大丈夫だよ、アリサ。アリサが作ったもんだったら、腐ってたってこいつが食うって」
 そして、亮五が笑う。
 ――日常。


「なあ、亮五。お前なんだって俺と同じ進路にしたんだ?」
 聞いてみたいことの一つ。
 父のような軍人にはなりたくないが、ヴァンツァーには興味があった。しかも民間のヴァンツァーではなく――軍用のものに。
 だから選択としては、ヴァンツァーを制作する企業を選ぶしかない。
 ならば専門知識の入手可能な高専を選ぶのが一番だと思ったので、選んのだ。
 特に深刻に考えたわけではなかった。それでも、相談はしてみた。適当な返事がきただけだったので気にしないでいたのだが、入学式当日。横をみれば亮五がいて、正直とてつもなく驚いて――呆れた。
「なんでいるんだよ!?」
「なんだよ和輝くん。もっと嬉しそうな顔すれば?」
「お前、面倒だからって進路便乗したな!?」
「さっすが和輝くん。わかってんじゃん」
 答えて、屈託なく笑う。
 確かに完全に将来つきたい職業があるとか、学歴が死ぬほど気になるとか、そういった事情がなければ、どこにいってもいいと考える者も多いのだろう。
 気付けば一緒にいることが多かったら。
 ――日常の一コマを思い出せば、いやでも一緒の光景ばかり。


「ねえ、お兄ちゃん。なに惚けてるの? 生きてる?」
 目の前で手を振られて、はたと気付く。
「……?」
「珍しい、考え事?」
「……そう、だったみたいだ」
「変なお兄ちゃん! ねえ、おにいちゃん今日から沖縄海上都市に行くんでしょう? 亮五くんは横須賀のままだっけ?」
「そうだよ」
「ふーん、お兄ちゃん、寂しいんじゃない? 私もこっちだし、亮五くんは横須賀のままじゃ」
「寂しくなんてないさ。せいせいするよ」
「あ、ひどいな、お兄ちゃん。そんなこといってると、メールもしてあげないからね」
 明るく笑って、手にしていた皿をテーブルに器用に並べていく。
 母は随分昔に儚い人になってしまっていたから、気がつけば家の事をしていたのはアリサだった。悪いから手伝おうとは思うのだが、お兄ちゃんがやろうとしたら逆にやること増えちゃうから、座っててよ、と怒られている。
「アリサこそ、この家に一人になると寂しいんじゃないか?」
「んー、大丈夫よ。たまにはお父さんも帰ってくるし」
「たまに、な」
「あ、またお兄ちゃんったら。本当、お父さんのことになると、すぐにしかめっ面して。……ねえ、怒ってばかりいないでよ」
 顕著に機嫌が悪くなる和輝の頬に指を伸ばし、アリサは引っ張る。
「…………」
「ほら、一応笑顔の形。お兄ちゃん、しばらく会えないんだから、笑顔笑顔」
 ねー、といいながら、さらに面白がって頬を引っ張る指に力を込めてくる。
 いい加減にしろよ、と睨むと、妹は笑って手を離した。
「お兄ちゃん、夜は腹巻きでもしてねたら? お腹冷やすのよくないし」
「馬鹿いうなよ、沖縄は暑いんだぞ。腹巻きなんてしてたら、暑くて溶ける」
「んー、あ、そっか。逆に冷房に気を付けてね。と。チャイムだ」
 誰だろうねと呟いて、アリサがインターフォンに走っていく。
 その後ろ姿が残した、黒髪の揺れる様を見送りながら一つ思った。
 ――日常も。
 少しだけ、こうやって時々変化する。
 霧島工業のテストパイロットとして、自分は沖縄に行くことになり、アリサは大学に残り、亮五は横須賀に残ったままだ。
 気がつけば三人、一緒にいることの方が、いない記憶よりも断然多いことを考えれば、それは随分と大きな変化かもしれない。
 まあ、電話にメールにと、連絡を取り合うから代わり映えはしないだろうが。
「お兄ちゃん、亮五くんだよ。空港まで送っててくれるって」
「亮五? なんだ、覚えてたのか」
 時間をみてみたが、まだ出るには少し早い。
 どうするかな、と思った時には、既にアリサが少しあがって待っててよ、と言っていた。
 全員随分と慣れている。
 そういえば、自分の家にいるのと同じだけ、亮五の家にも行っていた。
 亮五にしてみても、それは同じというわけだ。
「よーお、和輝くん。なんか寝ぼけた顔してんなぁ」
「うるさいぞ、亮五。それにしてもよく覚えてたな」
「冷たいなぁ。いくら俺でも、トモダチが沖縄に行く日ぐらい覚えてるよ」
 まったくもって俺のこと誤解しすぎ、と矢継ぎ早に口の中で呟きながら、当たり前のように、和輝の前の皿にもられた、果物をかすめとって口に入れる。
「お前ねぇぇぇ」
「あれ? 和輝くん食べたかったんだ?」
 図星。
 というか絶対に、自分が一番食べたかったものなど理解してやったはずだ。
「……覚えてろよ、亮五」
「お兄ちゃんも亮五くんも、小学生の喧嘩じゃないんだから、やめてよね!」
「だって、和輝。大人げないからアリサがやめろってさ」
「元はお前のせいだろうが!」
「そうとも言うっけ」
 あっけらかんと笑っている。アリサも耐えられないように笑っていた。
 二人が笑っていて、自分がしかめ面をしている。
 これは本当に今までもよくあった光景だ。――それがしばらくお預けなのか、とふと思うと、怒りが溶ける。まあいいか、と思う。
「じゃ、そろそろ行くかな。で、亮五。空港までおくってくって、なにで?」
「自転車」
「……一人で行け」
「冗談だってば。バイクだよ。じゃ、アリサ、和輝は俺が送っていくよ」
「うん。お兄ちゃんをよろしくね」
 沖縄に自分がいけば。
 しばらくは、アリサが頼れる同じ年頃の相手は亮五だけになるわけだ。
「亮五、お前に頼むなんてしゃくにさわるんだけどな」
「わかったわかった。ちゃんとアリサに変な虫がつかないように見張っておいてやるからさ。そんなに心配なら、断っとけは良かったんだよ」
「……うるさいな」
「ま、ちゃんと気にしとくからさ。大丈夫だって。な、アリサ」
「そうよ。子供じゃないんだから。そんなことばっかりいってるから、彼女出来ないのよ、お兄ちゃん」
 ――最後の日常。


 沖縄に、本人任務のついでといいながらも、本当は上司に願い倒して、沖縄に亮五が来た。アリサから、メールが入っていた。
 そして日常は変化して。
 戦場が、日常になる。
「戻」