翼の代償

 目の前で崩れ落ちる形あるものは。
 味方、という領域に余りに長い間自分の中で存在し続けていたものであったので。
 眼差しを伏せずにはいられなかった。
 人を殺す罪悪を、最も実感として知らしめていただろう血と肉塊の感触から、加害者を遠ざけた人型の兵器の中。……手を置く操縦桿を握り締めたまま。
 ――黙祷する。
 こんな行為は偽善だと知っている。けれどこうでもしなければ、耐えられない気がした。


 カモメが頭上を舞っている。
 安全面の保証に欠けていそうな老朽艦は、滑るように海上を進んでいた。
 潮風を感じる甲板上に佇んでいると、長閑な気分になることが出来た。
「なんか元気ないって感じだよな」
 手摺の上で腕をくみ、見るともなしに武村和輝は海原を眺めている。ふと話し掛けてくる声がしたので下を見る。
「なにがだよ?」
 面倒そうな和輝の声の先に、手摺の上に肘をかけて頬杖をつく親友の草間亮五がいる。中途半端に長い髪が潮風にゆれる様をしばらく見下ろしていると、悪戯小僧のような眼差しを亮五はあげた。
「いやさ。大漢中出て以来、元気ないよなぁって思ったんだよな」
「アリサも色々あったんだ。そりゃあ疲れて当然だ。お前と違って、アリサは繊細なんだからな」
「……ひどいなぁ、和輝くんったら」
「ふざけてるなら海に落すぞ。亮五」
 言葉のわりには長閑な口調で和輝が言うと、亮五は頬杖をやめて立ち上がった。それでも僅かに見下ろしてくる和輝の視線の位置が変わらないのは、身長差があることを如実に意味するので、亮五にしてみれば面白くない。――だから彼は身長については考えないことにしていた。
「そうじゃなくってさぁ。アリサと、エマはまぁまぁ元気だろ? エマなんて、難しい顔してない時のほうが少ないんだし」
「だったら、誰が元気がないんだよ? じらしてないで、早く言えよな」
「だから、デニスだよ。元気ないって思わねぇ?」
「は?」
「だぁからさ、デニス」
「――デニス??」
「……か、考え込むことだったか?」
 大袈裟に眉をしかめて考え込む和輝の肩を軽く叩いて、亮五は苦笑する。
「んじゃあ、俺の勘違いだったのかもしれないよなぁ。…うや? なんだよ、マーカス」
 名前を呼ばれたらしく、亮五は振り向く。
 人間というのは自分の名前を呼ばれた時には臨時に、聴力があがるのかもしれない。マーカスの声が聞こえていなかった和輝はそんな事を思った。
 陽気な気質に鋼の筋肉を持つ元USNの大尉である男は、豪快に笑って亮五の肩を叩く。
「カズキはともかく、リョウゴが気付くとなぁ。だからって、デニスにわざわざ問い詰めんじゃねぇぞ」
「なんでだよ」
 するな、といわれれば自動的に和輝は反発したくなる。この際デニスが元気がないと言い出したのが亮五で、自分は特に変だと思っていなかったことは、頭から消えていた。
「おお、逆効果覿面。こうなった和輝はとめれないからな」
「元から止めることなんて考えてないだろうが。お前は」
「冗談。俺は和輝に殺されたくないもんね」
 言い切って笑い飛ばすと、珍しく亮五は真剣な表情になって、マーカスを見上げた。
「やっぱ、元気ねえんだ。そりゃそうだよな」
「俺と違って、ノリってぇわけじゃなく、色々考えての決断だったろうがな。ま、隠しても隠しきれない動揺があるのは仕方ねぇだろうよ」
「俺たちとは立場も状況も全然違うもんな。……受けるショックの度合いが違うのも、当然だよな」
 双眸に真剣な色をたたえ続けたまま、しんみりと頷く亮五とマーカスとの双方をみやってから、ようやく和輝も頷く。
「……ああ。FAIを敵に回したことか」
 ようやくの和輝の言葉に、亮五は振り向いて少し笑った。
「俺らにしてみりゃ、あんま馴染みのない組織だったけどさ。デニスにしてみりゃ、ずっと職場の仲間だったわけだろ? 特殊な組織だから、仲間意識もつよかっただろうしな。そいつらとすでに一戦交えてるし。今後もどうなるか分かんねぇし」
「どっちかを、必ず裏切らなくちゃならなかった、か。俺たちか、属していた組織か。そしてデニスは俺たちを取った……」
 歯切れ悪く、和輝は呟く。
 FAI。USNの情報機関であるこの組織は、MIDASが奪取された当初、それを奪還するべく作戦行動を開始している。その作戦のFAI実行部隊のエージェントの一人がデニスであり、臨時に行動を共にしたのが科学者であるエマだったのだ。
 本来は味方であるはずだった、FAIと科学者であるエマ。
 無関係であったはずの和輝と亮五は、横須賀で発生した爆発事故と、それを利用して妹アリサに近づこうとしたエマの思惑とに巻きこまれ、作戦行動を共にするようになっている。
 死線を共にするうちに、二人は仲間意識をデニスやエマ、そして今は亡きパープルヘイズの面々にも抱くようになっていた。けれど結局、その仲間意識はあくまで共に行動したことのある相手に持っただけであって、FAIという組織自体に持っていたわけではない。
 だからこそ、大漢中を脱出する直前に作戦目的の変更をなしたFAIが、MIDASの製造方法を知る科学者の抹殺を指示してきた際に、和輝たちは純粋な怒りを覚えることが出来たのだ。
 ――けれど。
「……裏切っただけでも辛いかもしんねーのに。一回、もう戦ってるからな。FAIのエージェントとさ」
 瓦礫を目前にしてしまえば。
 たとえ埋もれてしまった鮮血の色を見ることはないとしても。
 裏切りの代償を、感じることにはなるのだろう。心を抉り取る戦場の光景は衝撃であるだろうから。
 辛いのだろうと。
 戦闘が終ってなお、しばらく静止して動かなかったデニスを見やった亮五は――思ったのだ。
「……それにしても、亮五の口からそんな真面目な意見が出るとは思わなかったよ」
「和輝、それ、俺のこと馬鹿にしすぎ」
「どうせ、今の俺ってかっこよくないか?とか思ってるんじゃないのか?」
「…………」
「……思ったんだな……」
 はぁ、と溜息を一つ付いて、和輝は空を見上げた。
 視界全体に広がる空は本当に青くて、綺麗で。
 人がこうして戦っている現実を、愚かだと嘲笑っているような気がした。
「人ってのは……変わらない、生き物なんだな」
 ぼそりと呟いた和輝の言葉は、誰にも届かず。
 マーカスは遠くをかえりみて、まるでブリッジにいるデニスを見ているようで。
 亮五は座り込んで、何か物思いにふける様子だった。
 ――少し。寂しい気持ちになった。
 

 
「なにをそんなところで、三人固まっているんだ? 男だけ集まってても楽しくなかろうに」
 声をかけられて降り返れば、噂の張本人が立っていたので、和輝は硬直した。
「い、いや、別になんでもないよ。デニスこそ、あのじいさん放っといて航海の方は大丈夫なのか?」
「もともと自動操縦の部分が多い。まだ、日本の領域に入ったわけではないからな。大丈夫だろう。船を壊したりするのは、彼の方が嫌だろうからな」
 デニスらしい生真面目な返事に頷きを返すと、和輝は一歩前にでた。とはいえ、大丈夫なのか?などとぶしつけに聞くわけにもいかなくて、困ってしまう。
 珍しく元気のない和輝の様子にデニスが首を傾げると、マーカスは豪快にデニスの肩を叩いた。多分それで和輝への追求をかわさせたつもりなのだろう。
「……マーカス。今のは痛いぞ」
「そうか? 軽く叩いたつもりだったんだがなぁ」
 凶器のような鋼の筋肉の持ち主に叩かれたら、痛いに決まってるだろう、という言葉は収めてデニスは咳払いを一つする。悪気の全くない男に文句を言っても無駄なのだ。マーカス自身は力をこめたつもりは本心からないのだから。
「デニス、これやるよ」
 混乱中の和輝の肩に手を置いて、座ったままだった亮五は立ちあがると、封の切っていない煙草の箱を放った。器用に受けとって、デニスは首を傾げる。
「リョウゴ、普段煙草吸うのか?」
「吸わねぇよ」
 生真面目人間の和輝が、未成年は飲酒喫煙はダメなんだと叫ぼうとした先手をうって亮五は答える。
「デニスが吸ってんのと同じ銘柄だなぁって思ってさ。買っといただけ。ほら、脱出の時どたばたしててさ、そんなもん買っとく暇なかったろうなって思ったんだよ」
「亮五。一体何時、そんなの買いに行く暇があったんだよ」
「和輝がエマとアリサといちゃついてる間に、かな?」
「……お前、そういう言い方むかつくぞ!!」
「うわ、暴力反対!! そんなことで怒る性格なおしたほうがいいぞ。友達なくすから」
「安心しろ。これでなくしてるんなら、とうの昔に、お前との交友なんて切れてるよ」
「うわー、自信過剰はよくねぇぞ!!」
 緊張感のない二人の会話を聞きながら、デニスは手元に無造作に投げられた煙草に視線を落とす。
 今度は軽く肩を叩かれ顔を上げると、肩をすくめるようにしているマーカスが見えた。
 ――心配されている。
 実感するのは、こういう些細な心使いを感じる時だ。
 泣き喚いて良い子供でもなければ、いじけて落ちこんでしまって良い年齢でもない。
 既に己の行為に完全な責任を持たねばならない年になっているのだから、同情を受け取っていて良い訳が無かった。
 それでも――辛いことは辛い。心配されることが不快であるわけもない。
 言葉にしていない穏やかさ。
 FAIに属してからというもの、仕事に私情を挟んでは成らぬと切り捨ててきてしまったモノの正体が。
 今与えられている、この静かな穏やかさであるのかも知れないと、思った。
「今なら……」
 ウェイとも静かに話しが出来るかもしれないと、ふと思う。
 切り捨ててきたものの一つ。けれど相手は、別に自分を切り捨てていたわけではなかったのだと。
 ――理解することが出来たから。
「いらねぇの、デニス? 最近吸ってないから、てっきりストックなくなったのかと思ってたんだけどな」
 和輝と会話しながら、合間をぬって話しかけてくる亮五に、ありがとうの意味を込めて片手を挙げて。
 デニスは真新しい煙草の封を切って、中から一本取り出した。
 組織として不審を抱いてしまったとはいえ、そこに勤め、共にあった人々を嫌った訳ではない。
 くゆらす紫煙が、大気の中でその色を失い消えて行く様に。どこか儚さを見ながら思って。
 デニスは一つ笑みを浮かべた。
「ありがたく好意は受け取っておくよ」
 熟慮の果てに取った選択の先に受け取ったこの現実を。
 今はどこか穏やかで幸せだと思う。


 それでも裏切った人々に対する哀愁が消えることはない。
 これが。なにかを切り捨てることで得る自由という翼の。――代償なのかもしれないと、思った。


「戻」