レクイエム

「空に記憶を預けにいくね」
 そう言って、小さく笑って。
 ―― 止まった。



「オレたちは、ビビの子供だよ」
 小さな体で、必死になって戦ってくれた、小さな魔道士が残してくれた―― 生きている証。
 魂を持たない器として作られたジェノムたちがいた。
 感情を持っているわけがないと、決め付けられていた―― 本当は心を持った者達だ。
 ―― ボクたちと似てるんだ。
 初めてジェノムを見たとき、彼等に一生懸命話し掛けながら。
 ―― ただどこかに、心を置き忘れてきてしまっているんだと思うの。
 小さな黒魔道士は、そう言うのだ。
 ジェノムと同じであるはずの者でさえ気付けなかったことに。
 いつも―― 彼だけが気付く。
 それは近い未来に、止まってしまうことを知っているからこその、真摯さだったのだろうか。
 心を持ったことを。生きている今を。誇りに思う強さがあるこその、優しさだったろうか。
 ―― お前が一番強かったよ。
 何度も何度も励まされた。
 生きていることが、どれだけ素敵なことであるのかを教えてくれた。
 いつしかその心は、ジェノム達の心を動かして。
 一人、一人と止まっていく黒魔道士達を前に、ジェノムは泣いたという。
 だから彼等は、ミコトを中心にジェノムを生み出す技術を復活させた。
 自分達が作られた存在だと、思い知らされる技術に触れるのは、心を手に入れた彼等には辛いことであるだろうに。それでも研究を重ね、黒魔道士たちを理解し、そして―― 生み出したのだ。
 子供。
 記憶を繋げていく唯一の存在。彼が存在した確かな証。
 ミコト達が考えていた以上に、子供の誕生を黒魔道士たちは手放しで喜んだという。
 知識を与え、生きていたことを話し、どんなに世界が素晴らしいものであるのかを毎日語った。当然ながら、子供たちの心を捉えて離さなかったのは―― 小さな黒魔道士の……ビビの、語る言葉。


 ビビだけの子供ではなくて。
 彼等は黒魔道士たち、全員の子供だった。


「そんな……」
 腕の中に飛び込んできた、ガーネットを抱きしめたまま、愕然とする。
 共に戦ったビビと全く同じ姿でありながら、一人、一人、きちんと”違う個性”であることを主張する子供たちを、見つめた。
 子供たちが握っているチケット。
 ビビと、そして生き残っている黒魔道士たち全員分にと送ったチケットだ。
 ―― 会えると思っていた。
 イーファの樹が暴走する中を、クジャを助けに走った。
 どうしてきたんだいと、まだ言ってる奴に一つ格好を付けてみせながら。
 泣き叫びたいほどに嬉しくて、哀しかった。
 嬉しかったのは、あれだけ”自分自身”の存在に固執していたクジャが、他人を思いやる気持ちを持ったこと。自分を、そして仲間たちを助けようとしてくれたこと。
 哀しかったのは、彼の命が今にも終わってしまいそうだったこと。
 ―― あきらめるもんか。
 多分、助けに走り出した自分に気付いて。
 クジャは必死に待っていたのだ。意識を手放さないように。助けに来た先で、もう終わってしまった現実を見せ付けないように。―― 助けに来る、その行為が。無駄になってしまわないように。
 気遣えるようになってる。優しくなってる。
 おかした罪は決して消せない。
 けれど―― 存在してはならない命など、ないのだ。
 誰もが生きる権利を持っている。自分が、自分らしく、生きる権利を。
 ―― ソレを、自分で、手放さない限り。
 彼を背負おうとした瞬間に、ソレは襲い掛かって来た。
 魂の流れ。
 テラがガイアを飲み込もうとする、狂った力。
 咄嗟に庇って、腕の中に抱き込んで―― 全てが消えた。


 取り込まれてしまったのだと思った。
 元々が器として作られた体だ。吸収しようとするイーファの樹の暴走に、取り込まれて、テラの人間になってしまうのかもしれないと思った。
『戻る場所を…帰る場所を、待っている人を』
 忘れるのは、ジタン、君らしくないだろう?
 ―― 声。
『僕を助けたいというのなら。この僕が生きていたことを知っている君は、帰って、そして……記憶を、繋げていかないとだめだよ』
 ―― くすり、と笑う気配。
『記憶はつながっている。だから―― 思い出して、そして歌うんだ』
 なによりも。
 戻りたい場所につながっている、その歌を。
 取り込もうとする力に、取り込まれまいとする力が勝てば帰れる。
『いつか―― 帰れるよ』
 それが、帰る場所を見つけた者の強さだと、教えてくれたのは君たちだから。


 目を開ければアップだった。
「うっぎゃーーーー!!!」
 思わず両手を天井目掛けて突き上げ、覗き込んで来ていた相手の喉元に手刀をいれる。
「ひ、ひどいッス! 心配してたのに、いきなり叩くなんてひどいッスよ!」
「し、シシシシ、シナ!?」
「そうっス! ひどいっす。なんだって攻撃するんスか!」
「へ? あれ、ここ、どこだ?」
「劇場艇だよ、ジタン」
 よお、と片手を上げて、部屋の扉によりかかるようにしてブランクが立っていた。
「劇場艇? だって、プリマビスタは壊れたろ?」
「シド大公がくれたのさ。ポンッとな。で、大丈夫か?」
 薬瓶をシナに向かって放りながら、ブランクが部屋の中に入ってくる。
 んー、と屈むようにしてジタンの顔色を確認して、突然嫌そうな顔になった。
「なんだよ?」
「ちったあ病人顔でもしてんのかと思ったら。顔色はいいし、つやもいいし、前よりも健康って感じだな。いっきなり空から降ってくるから、何事かとこっちは焦ったってのに」
「へ? 降ってきた?」
「ああ。丁度、例の場所に行こうとしてたときにな。いきなり閃光がおきたかと思うと、下から凄い勢いで光が飛び上がってきて」
「きて?」
「劇場艇とお越して、さらに上空に行った後」
「後?」
「落ちてきた」
 いやぁ、また床が抜けてどうしようかと思ったぜ、とからからと笑い出したブランクを、情けなさそうに見上げる。
 寝かされていたらしいベッドから片足をおろし、床の感触を確かめた。
「俺、一人だったか?」
「ああ? まあな、一人だったぜ? ただ、ようやく勝敗が付きそうだから、こっちに来てくれっていう声が聞こえて、ここまで来たのさ」
「声が?」
「というわけで、俺らは忙しい。また後でな」
 独特のタンタラス流敬礼をしてみせて、シナを促してブランクが立ち去ろうとする。
「忙しい?」
 ちょっと待てよと引き止めて、尋ねる。
 ニヤリとブランクは笑った。
「劇やるんだよ。アレクサンドリアでな」
「―― 劇。アレクサンドリア、でか?」
「ああ」
 どこか挑発するようにブランクが笑む。
 ニヤリと笑み返して、勢いよく立ち上がった。
「その役。俺にくれ。もう一度―― ダガーを奪いに行くから」
「お、決めたか?」
「決めたんだ」
 ―― 帰る場所に戻れたら。
 ―― もう逃げないと。
 人が、人として存在すること。
 人が、人として誰かを必要とすること。
 それはひどく貴重で、優しくて、忘れてしまったら生きていけないことだ。
「おせっかいな奴だぜ。わざわざこのタイミングで、俺が戻れるように力を貸しやがったな。まあいいや。―― 約束通り、俺は覚えておくから」
 深呼吸を一つ。
 戦闘へと飛込んでいった、あの日の不敵さと同じ顔で。


 仲間たちにチケットを配った。
 一年近い年月が流れてしまっていたらしいことを知って、どうせ登場するなら派手にいかねばと思い立ったのだ。
 再会できると思っていた。
 ―― 全員と。また、あの時間を取り戻せるのだと。
 もう。それが不可能なことも知らなかった。
 さようなら、と言い残して。最後まで、仲間に語りかけるようにして。
 空に、記憶を置きにいってしまった後だったなんて。
 だから、思い知らされた。
 無意識に。身近な人間の”死”だけは遠いと、思いこんでいたのかを。
 帰ってきたことを、報告したかった。
 もっともっと、戦いの為にではなくて、色々な場所に連れ出したかった。
 思い出を沢山、作りたかった。
 ありがとうと―― いいたかった。


 お墓参りに行こうと言い出したのは、エーコだった。
 召喚士一族であるガーネットが、王女としての立場を全うする以上、エーコはまた独りぼっちになってしまう。そんな彼女をいきなり抱きしめて、「帰しません」といきなり言い出したのはリンドブルク大公妃、ヒルダだったという。
 なんでもシド大公は、ヒルダの行動を見た瞬間に、マダイン・サリに残っているモーグリたちを連れてくるようにと命じたそうだ。
 ―― 今、彼女は一人ではない。
 寂しかった今までを埋めるように、二人に愛されている。
「エーコ?」
「あのね、ダガー。ビビの記憶は、確かに子供たちに受け継がれたけれど。でも……ビビが居なくなっちゃったことには変わりないよね。だから、お墓参りに行きたい。黒魔道士の村に、あるんでしょ?」
 首を傾げて尋ねるエーコに、ビビの子供たちはそれぞれ元気に肯く。
 記憶を受け継いだ子供たちは、ビビがそこにいるような錯覚を全員に与えていた。けれど、やはりもうビビがいないのだと―― 誰もが寂しがっている。
「もっともっと。お話していればよかった。もっと、一緒に遊べば良かった」
 ぽつりと呟いて、飛空艇の甲板の上、髪を風に揺らしてエーコが呟く。
 年も近かった。多分―― エーコにとっての初めての友達は、ビビだったのではないだろうか?
 寂しい。
 寿命を全うしたとはいえ、あまりにビビの一生は短かった。
 可哀相だ。
 ビビが、ではない。必死に生きていた。誰よりも生きることを愛しんでいた。
 そんな彼のことを、可哀相だ、なんて言葉でくくることはできない。
「可哀相なのは俺達だよな」
 ぽつりと呟けば、軽やかな足取りでガーネットが近づいてくる。
「私たち?」
「いつだって可哀相なのは、おいていかれた俺達の方さ」
 考えてみれば、ジェノムである自分に寿命はあるのだろうか?
 命にタイムリミットを与えられていたビビとクジャ。
 逆に、悠久の時間を与えられていたガーラント。
 ―― ならば、自分は?
「でも、死ぬことはあるのよ。ジタン」
「ダガー?」
「ガーラントだって死んだわ。不死、ではないのよ」
「ま、そうなんだけどさ」
 もしかしたら、全員が先にいってしまうのを見つめていなければならないのだろうか?
 ―― それは嫌だ。
「考えたって始らないわ、ジタン。その時に考えましょう。もし、私がいつか死ぬとき。貴方が永久の時を得てしまっていたと分かっていたら。そうね、望むならバハムートを呼んであげる」
「だ、大胆な発言ですな」
「ジタンに相応しいでしょう?」
「無論ね。ま、そうだ。先になってみなきゃわかんないことを、悩んでも仕方ないな。その時に考えましょうか? 女王さま?」
「そうなさい。わたくしが、そう命じるから」
 くすくすと笑いって、寄り添い会う。
 クイナが墓前に供える料理を作り始めているのだろう。やけに空腹を誘う匂いが流れ、フライヤはフラットレイと共に前方を見詰めていた。エーコは口をつぐんだまま空を見上げて、サラマンダーがその隣に佇んでいる。
 思い出そう。
 記憶を繋げていくだけではなくて。
 覚えていこう。決して。彼が生きていた証を、自分達の命で作り上げていこう。



 エーコは泣きながら、大切なリボンをビビの墓に結んだ。
 他の面々は、最後の戦いにて持っていた武器を、墓を守るようにと願いを込めて、刺した。


 会えなくなった今も。
 心だけは繋がっていようと思う。
 空を見上げて、お互いが居た証を覚えていられるように。
 彼が空に置いていった。
 ―――― 記憶を手放さないように。
「戻」