お土産

 青鳥の語る言葉に、慶国女王陽子は目を見張った。
「――え!?」
 遅れて声をあげた後、勢いよく立ち上がった。一目散に堂室を飛び出し、驚く女御を避けて進む。麒麟の住まう仁重殿に飛び込むと、陽子は澄んだ声を張った。
「景麒っ!」
 呼ばれて、慶国の麒麟は牀榻から体を起こした。急激に接近してくる王の気配に、外見では分からぬが激しく焦りながら袍を着込む。
「しゅ、主上?」
「ああ、景麒、休んでいたのか。すまない」
「いえ、主上のお召しならば……。それで、なにか?」
「お願いがあるんだっ!」
 景麒が腰掛ける牀榻に片足を乗せ、手を握り締めて陽子は景麒に迫った。
「は!?」
「頼む、いいと言ってくれ!!」
 真剣すぎるほどの王の眼差しに、景麒は圧倒されながらも首を傾げる。見た目と態度では分からぬが、景麒とて麒麟。――永遠に失ってしまった先の王と、美しい翠色の瞳を持つ今の王への慕情に、気持ちが板ばさみになって眠れぬ日々を送るほど、彼女は大切な王なのだ。
 こうまで真剣に願われて、否やといえる麒麟などはいない。
 陽子の瞳に写っているのは自分だけという状態に、少しばかりドキドキしながら、景麒はついに頷いた。
「主上がご無理をなさらないと約定して下さるのであれば」
「無理なんてしない。絶対に!」
「では、どうぞ」
「班渠を貸してくれ!!」
「――は?」
 必死の願いが”使令を貸してくれ”であったので、景麒は呆気に取られた表情になる。それでも陽子は真剣そのものだった。
「主上、班渠をなにに使うおつもりですか?」
「血の匂いを移らせたりなんてしないぞ」
「それは信じかねますが、今は信じましょう。それで? まさか主上……」
 冷たい眼差しを向けてくる景麒に負けず、陽子は強く頷いた。
「うん。ちょっと出かけてきたいんだ。大丈夫、水禺刀も持っていくし。第一危険なところじゃないから」
「主上」
 更に景麒の視線が冷たさを増す。しかしここで負けては、慶国の王は勤まらない。
「景麒、さっき私のお願いを聞いてくれるっていったろ? それとも景麒は嘘をつくのか?」
「――うっ」
「景麒っ」
 さらにずずいと顔を麒麟に近づけて、陽子は必死の懇願を続ける。角を封じられ、偽王の下に置かれたときでも、ここまでは固まらなかったと思いながら、ついに景麒は折れた。
「明日には帰っていらっしゃるんですよ。政務は山ほどあります」
「分かってる」
「なにかあってからでは遅いのですから」
「うん」
「――まったく」
 気をつけてといえない代わりに、景麒は溜息を一つこぼす。それが呆れているときの仕草ではないともう知っているので、陽子はただ目を細めた。
「ありがとう、景麒!」
 屈託のない笑顔を浮かべる。
 無邪気で明るい王の笑みに、景麒は意表をつかれて固まった。――ありがとうとはこうも素敵な言葉であったのかと、つい考えてしまう。
 陽子は景麒をそのままに、班渠を呼んで飛び出していった。


 青鳥を送り出した楽俊は、やっぱりまずかったかなぁなどと考えながら、本を読んでいた。けれど先ほどから紙が進んでいない。本を読んでいる体勢のまま、物思いにふけっているだけだった。
 恭国の台輔からゆずられた花鈿は、傷つけぬようにと敷かれた布の上で、しっとりとした美しさを示していた。
「確かに似合う。似合うのは間違いねぇんだが」
 大切な友人である陽子は、楽俊が気軽に尋ねて行ける場所には住んでいない。会いたいと思っても、余程のことがないかぎりは無理なのだ。
「そうだ、延王に頼み込んで届けてもらえばよかったかじゃねぇか。慶に送る品があるだろうから、それに便乗させてもらって。青鳥が帰って来たら、やっぱくるのはいいって言っておこう」
 ぱたりぱたりと尻尾を振りながら、ようやく決意したと本を閉める。それから牀榻に行こうとして、ふと足をとめた。なにか、気配がある。
「誰か――?」
 窓からの来訪者といえば、すぐさま明るい金の髪を持つ延台補を思い浮かべるが、彼が来るには時間が遅すぎる。すでに門も閉ざされている時間なのだから、いくらなんでも考えられない。
 不審におもいつつも、ほたほたと窓に近づいた時に、窓を叩く音がした。
「楽俊!」
 明るく響く女の声に、楽俊は毛を逆立てて驚く。
「よ、よよ、陽子ぉ!?」
 慌てて窓に取り付いて開くと、そこには幸せそうな友人が佇んでいた。彼女を乗せる班渠がぐいと体を動かしたので、陽子が体勢を崩しそうになる。慌てて伸ばした楽俊の小さな手を、陽子がしっかりと握り締めた。
「楽俊、青鳥来たよっ」
 そのまま抱きついてきそうな勢いに、あわあわと楽俊は焦りながら、とにかく中にと陽子をいざなう。かなり彼女は機嫌がよさそうで、なおかつ最初に差し伸べられた手をいまだに離そうとしなかった。
「まさかくるとは思ってなかったよ、おいら」
「どうして? だって、楽俊が来てくれって言ってくれたから。嬉しかったし。――楽俊は迷惑だった?」
 先ほどまでの勢いはどこにやったのか、陽子が肩を落とす。思い切り楽俊は慌てて、あいている方の手で友人の肩を叩いた。
「陽子が来てくれるのを、おいらが迷惑がるわけねぇじゃないか。ただ、陽子がここにくるのに無理したんじゃないかって心配したんだ」
「楽俊は優しい。大丈夫、ちゃんと景麒に断ってきてるから」
「そっか。ならいいんだ。陽子、茶いれるからちょっと手、離せな?」
「……うん」
 しぶしぶといった様子で手を離すと、陽子は勧められるままに座った。
 慶国女王として随分と成長した彼女であるが、楽俊の前ではどこかまだ少女の無防備さを見せることがある。良い意味でお互い”大丈夫”、”心配するな”と言いあって背伸びをしあいながら、けれど肩に力をいれることなく自然体で接することの出来る二人だった。
 煎れた茶を渡し、楽俊はふっさりと目を細める。
「寒くなかったか?」
「班渠にくっついてたからね。大丈夫だよ。それより楽俊、私に渡したいものってなに?」
 青鳥が楽俊の声で言ったのだ。
 ――陽子に渡したいものがあるから、ついでのときにでも寄ってくれ。と。
「ああ、それがな」
 少し、どこか照れているように耳の後ろをかきながら、楽俊は机に向かう。半獣の姿を目でおって、あれ、と陽子は目を見張った。
「楽俊、それって?」
 およそ彼の住まいには似合わない、瀟洒な花鈿が大切そうに置かれている。
「昨日な、ひょんなことに供台輔にお会いしてな。困ってるみてぇだったから、ちと案内したんだ。そしたら、礼にこれをくれた」
「綺麗だね」
 立ち上がり、楽俊の隣りに肩を並べる。
「高そうだよなぁ」
「うん。多分」
「おいら、こんなの貰えねぇっていったんだけど、供台輔はどうしても貰ってくれって」
 目をふわりと細める。そして、傍らの陽子を半獣は見上げた。
「でもおいら本当は、これは陽子に似合いそうだなぁって思っちまったんだ。きっと、それが供台輔に伝わっちまっただろうなぁ」
「私に似合う?」
「絶対に似合うぞ。おいらが保証する」
「楽俊が保障してくれるんだったら、確かに何よりも信じられる。じゃあ……」
 ひょいと屈んで、楽俊の目の前で悪戯っぽい表情を浮かべた。
「楽俊がつけて」
「おいらが?」
「私、花鈿の付け方しらないんだ」
「おいらだって知らないぞ」
「でも楽俊につけて欲しいんだ。いいだろう?」
「仕方ねえなぁ」
 そよそよと髭をそよがせながら、楽俊は目を細める。陽子はおとなしく、翠色と白銀色をした花鈿が髪に飾られるのを待った。
「こういう時だと、人型のほうが様になってたかもなぁ」
「どうして?」
「こっちだと、陽子がずっと屈んでないと駄目だろ?」
「私はどっちでもいいよ。立ってたって、屈んだって、楽俊がしてくれることに変わりないんだから」
「そうか」
「そうだよ」
 二人、今度は顔を見合わせて笑う。
 楽俊が髪に飾った花鈿は、少しばかりずれていた。
 それでも、女御たちが手を尽くして飾りつくされるよりも、なによりも、一番自分に似合う飾られ方なのではないだろうかと、陽子は思う。
「楽俊」
 冷めてしまった茶のおかわりと注ごうとする友人を呼び止める。ぱたりぱたりとゆれていた尻尾が止まって、楽俊が振り向いた。
「ありがとう」
 
 答えて楽俊が笑う。
 ただそれだけのことが、陽子にはとても嬉しかった。

「戻」