花 の 咲 く 頃

「盗まれた?」
 珊瑚のような唇が、きっとした言葉を吐き出す。
「申し訳ございません。私の監督が行き届かず……」
 今朝方、宝物を納めてある部屋から――女官が絹の服を盗んだという。
 その絹服は、恭にまだ王が居た頃に買い集められたものの一つだった。
 女官は、申し訳ございませんと繰り返して、白髪交じりの頭を何度も下げている。ちくりと視線を感じて、少女の王は顔を上げた。
「そこで立ち聞きをしているのは誰?」
 びくり、と衝立の奥で震えた気配。それに足音を忍ばせて立ち去っていく気配が続く。
 どうせ女官の一人だ。
 恭国に王がたったのはつい最近のこと。万歳をもって王を迎えた人々は、現れた王のあまりの幼さに息を呑んだ。
 恭国女王珠晶。わずか、十二歳だ。
 王がいなければ、国は滅びる。
 国民全てが昇山すれば、王は見つかる。王がいないと嘆く前に、己がその責務を果たすべきだ。――そう考えた少女が行動を起こし、そして王となった。
 誰もが唖然とする中、彼女が王であると認めさせることが出来たのは、おそらくは彼女の実力ではない。幼い王の傍らに、祝賀に現れた秦国の卓郎君利広の姿があったからだ。
 知っているわよ、と珠晶は心の中で呟く。
 自分が認められているのではなく、自分が後ろ盾として手に入れた秦国が信頼されているくらい。
 女官が、王の所有物である着物を盗んだ。
 宝物庫に集められたそれらを、そのままにしておく気持ちは珠晶にはなかった。今必要なのは、髪飾りでも衣服でもなく、人々を守る食料であるし、人々を外的から守る盾でもあるだろうから。
 全てを売り払い、それを資金にしようと思っていた。
 ゆえに中身を改め、何があるのかを書き記させた。その行為を、早々と子供の王は身を飾るものに興味をお持ちだと、揶揄する者も多い。
 珠晶はそれらの揶揄を、いちいち正そうとはしない。
 とにかく今は、やるべきことをやれば良いと考えていた。国がよくなれば、そういった連中の口などいつでも塞げると、思っていた。
 ご自分のこともお守り下さいと、悲しい目をする自分の麒麟の言葉を無視して。
 ――落ち着かなくちゃ駄目だ。
 息を吸い、ゆっくりと吐き出す。意味もなく、叩頭して奮える女官の白髪の量を数えても見た。
「……下がりなさい。あなたに問題があるわけじゃないんだから」
「王?」
 許されたはずなのに、女官の震えは増している。珠晶は息をついた。
「顔を上げていいわ。訴えたいことがあるなら、はっきりといいなさい」
「――。王、盗みを働いた娘を、どうなさるおつもりですか?」
「罪は罪だわ」
「ですが。王、あの娘は。離散した家族とようやく再会したばかりだったのです。けれど食べるものも、身を暖めるものも、満足に手に入ることもなかったのです。王宮に居る私たちとは違うのです。民は――」
「あなたは」
 ぎっと、唇を噛む。
 珊瑚の色をした唇に、激しい力が加わった。幼い歯に思い切り噛まれた唇が、じわりと、血をにじませる。
「あたしが、王宮の外の人たちのことを、何も知らないと。そういいたいの?」
「いえっ!! そのような事は、決して」
 女官が震える。
 何故、こんなにも怯えるのかが分からない。
 何故、こんなにも怯えさせてしまうのかが分からない。
「いいわ。その女官のことは、調べさせます。以後、この件に関して口をはさむことは許さない」
「王っ!」
 悲鳴のような声。
 そういえば、新しく入った女官を――失った娘のように可愛がっている者がいると聞いたことがある。それが、この女と盗んだ女官だったのか。
 息をつき、どうしようもない怒りに叫びそうになるのを抑えたとき。
 表の廊下から、大きな足音がした。それを呼び止めようとする声もだ。
「何事なの?」
 呟いた珠晶の目の前に、優しそうで――なおかつ意地悪そうな笑みを浮かべた青年が飛び込んでくる。「利――っ」と名前を最後まで言い終わる前に、珠晶の小さな体は、青年に抱き上げられていた。
「久しぶりだね、珠晶。あれからどれくらいがたったかな?」
「――利広。いくらなんでも、こういう登場の仕方はないでしょう!」
「窓からくるなと言ったのは、珠晶だよ」
 にっこりと、食えない笑みを利広が浮かべる。
 少女の体を腕に抱き上げたまま、ごく自然な態度で女官に下がってよいよと告げる。
「利広っ!」
 勝手なことをしないでと叫ぼうとした唇を、指をそっと乗せられて止められた。
「大丈夫だよ。珠晶は別に、盗んだ女官そのものを怒っているのではないし。防げなかった君を責めているわけでもないんだから」
「卓郎君、様?」
 おずおずとした声を、女官があげる。女王を腕にだいたまま腰をかがめると、手を伸ばして、ぽんぽんと肩を叩いてやった。
「大丈夫だ。だから下がりなさい」
「――はい」
 しおしおと女官は去っていく。珠晶は頬を膨らませて、降ろしなさいと命令口調で言った。けれどそれは聞かなかったふりをして、利広は目を細める。
「馬鹿なことをしているね、珠晶」
「――どういう意味よ」
 眉を寄せて、幼い顔に怒りを浮かべる。それを受け流すように、利広は首を振った。
「珠晶、宝物庫に残る財宝を売り払って、財源を手に入れる行為はよいと思うよ。なのに何故、それを誰にも説明しようとしないんだい?」
「別に、説明してやる必要を感じないわ。だいたい、その程度も分からない臣なんて願い下げよ」
「それは勿体無いことだよ、珠晶」
 腕に持ち上げた少女の瞳に目をあわせて、珍しく利広が真面目な顔になる。
「当たり前のことを、当たり前だと思える人間は少ない。珠晶のように、正しいことを正しく行える人間だって少ないんだ。だからこそ、人は王を求め、麒麟を求める。珠晶、人はこう考えてしまうんだ。華麗な品々を前にして、王は下々のことなんて何もわかってはくれない。これに囲まれて、一人優雅に遊び暮らすつもりだ、とね」
「そんなことしないわっ!! だってあたしは!!」
 そんなことがしたくて、王になったのではない。
 財宝に囲まれて暮らしたいなら、昇山する必要などなかった。
「分かってるよ、珠晶。どんな思いで、珠晶が必死に昇山したかくらい。でもね、それはあの場所に立ち会った者しか知らないんだ。珠晶、悲しいけれどね」
 くるりと体の向きを変えた方向に、白い花を咲かせた樹がある。
 ――白い花しか咲かせないといわれている花だ。
「もしだよ。あれが、目の前で赤い花を咲かせたら。私たちは、白い花だけではないんだと思うよ。でも”赤い花が咲いた”事実を見たことのない人間からすれば、それはやはり納得できないことなんだ。人は、自分で感じ、自分で体験したことだけを、一番に信じる」
 床に音を響かせて、利広は外に出た。風が巻き上がり、甘い香りを二人に届ける。
「――じゃあ、一体どんなあたしを信じているってうのよ」
「そうだね。珠晶は説明もせずに、怖い顔ばかりしているからね。怖がられてしまっているんじゃないかい? だから折角良いことをしているというのに、誰も気づかない。勿体ないことだよ」
「勿体無いって、そういう問題?」
「そうじゃないかな。折角やっていることだからね。労力がかかっている。周りも知るべきだよ」
「じゃあ」
 きゅっと、唇を噛む。長い布にかざられた腕を伸ばし、落ちないように利広の胸元を掴むと、珠晶は自ら体を少し傾けて相手の顔を見つめた。
「利広は何故、知っているの」
「知りたいかい?」
「知りたいわ」
「そうだね。珠晶に興味があるからかな」
 くすくすと笑いながら、ようやく珠晶を床に降ろす。
 ふわりと降り立って、珠晶は幼い仕草で腕を組んだ。
「分かったわ。じゃあ、利広の言う通りにしてあげてもいいわ。何故それをするのか、する必要があるのか。少しは説明する」
「少しだけかい?」
「……なによ」
「どうせなら、分かりやすく説明するといいよ」
「……。……分かったわよっ!」
 ふん、と幼い仕草で顔をそむけて返事をする。
「ところで珠晶、その盗みを働いた女官はどうするんだい?」
「そんなの決まってるでしょう。しばらくは宮殿にあがることは許さないわっ」
「ふうん。家に帰る休暇を与えてあげるってことだね」
「なんでそうなるの? 罰よ、っ」
「はいはい。で、それでどうするんだい?」
「盗んだ分の衣服は、見舞金としてくれてやるわ。この時期に宮殿で働いてもらわなくちゃいけない人で、家が大変な人には見舞金を与えようと思っていたから、いい機会よ」
「なるほど、それで帳消しにしてあげるわけだ」
「なんでそういう変換されるのよっ! 違うわ、復帰したら、しばらく安い賃金でこきつかってやるからっ!!」
「でも、それを今するつもりはないんだろう?」
「それは、そうよ」
 珠晶は本当に素直じゃないけど、優しい子だねと利広がにこにこと笑う。思いつく限りの反論と、憤りを珠晶が叫んだが、彼が動じることは結局一度もなかった。
「そうだ、珠晶」
「今度はなによ」
 叫びすぎて体力を使い果たした珠晶の髪に、そっと髪飾りを挿す。
 今の彼女にそれは似合っていた。
 決して派手ではない、どこかぬくもりのある上品な珊瑚の髪飾り。
「利広?」
「お土産。珠晶も女の子だからね、それくらいは飾っていても罰はあたらないよ」
 利広が笑う。
 そっと手を持ち上げて、珠晶は自分の髪に飾られた品に手を触れた。
 なんとなく――優しい気持ちになる。王に登極して以来、張り詰めるばかりで余裕の一つもなかった。それが今、なんとなく……楽しい。
「………利広」
「なんだい?」
「そ、その。ありがとう」
 上目遣いで、頬を赤く染めて珠晶が細く礼を呟く。
 利広は普段と変わりない笑みを、少女に向けた。

「戻」