短編

 眼下に広がる景色はなにもかもが小さくて。
 民がそこで苦しんでいる現実が、分からなくなりそうで怖い。
 十二の国に、十二の王、そして麒麟。
 王がいなければ国は荒れるという。――この常識は、正直陽子にはわかりにくい。
 溜息がでた。
 毅然としていなくてはならないと思う。至らない王だからこそ、せめてしっかりしているように見せなくてはならないと、切実に思う。
 王が戻っても。――慶国はまだ平和ではない。
 妖魔も出る。人も死ぬ。餓える者もいる。圧政に苦しむ者もいる。
(私が王であるのなら。王がいれば国が安らかになるというのなら)
 劇的に変わってくれてもいいものを、と。
 思ってしまうのが事実だった。
 溜息を、もう一度繰り返す。
 景麒、祥瓊、鈴まで下がらせた場所は本当に静かだった。こうでもしなければ、溜息を吐くことさえ陽子には躊躇われる。
「陽子は色々と考えすぎなんだと、おいらは思うなぁ」
 響くはずのない声が耳に届いて、陽子は慌てて振り向いていた。
「剣に手はおかない。つれないな、陽子。もうおいらの声を忘れたのか?」
 ほてほてと、歩んでくる音。
「――楽俊」
「ちょっとばかり久しぶりだったな、陽子。少し痩せたか?」
 喋って、そして心配そうに彼女を見る髭がそよそよと揺れている。
 陽子のたった一人の、友達。
 捨てられて、荒んで、人の好意すら受け取れなくなっていた自分に。払っても、拒絶しても、かわらぬ優しさで手を伸ばしてくれた。
 ――信じる心を、取り戻させてくれた。
 慶国女王としての彼女ではなく。一人の人間としての陽子の獰猛さも、心に巣食った暗さも、戸惑いも哀しみも――知ってくれている。
「――楽俊」
「どうしたよ? 陽子。おいらはここにいるぞ?」
 首を傾げる。その度に髭と尻尾がゆれて、陽子は笑った。聡く陽子の笑みに気付いて、嬉しそうに楽俊はうなずく。
「楽俊、いつこっちに?」
「折角休みがとれたからな。母ちゃんとこ顔みせて、それからこっちに直接きた。陽子のことだから、また一人器用に悩んでんじゃないかなぁと思ったわけだよ」
「器用に悩むって」
「陽子は真面目だからなぁ。陽子、おいらは外からみてるからちゃんと分かる。多分陽子より、慶国の様子が見えてる。この国は良くなって来てる。みんな、ちゃんと笑うようになってきたしな」
「笑う、ように?」
「人は頑張っても生きていけない環境じゃあ笑えない。でもな、陽子。がんばったら生きて行ける環境が戻れば、笑えるんだ」
「――それでも。みんなが頑張り過ぎるほどに頑張らなければ、まだこの国は…」
「それが真面目すぎっていうんだよ、陽子。おいら、陽子が真っ直ぐな気持ちをもってるからこそ悩むってのは、優しいと思うさ。でもな、考え過ぎは禁物だ。王様だって人間だ。悩むし泣くし笑うし怒るぞ。だからいき過ぎて道を外しそうになったときには麒麟がいる」
「――楽俊は?」
「ん?」
「楽俊はいてくれないのか? その……私が道を外しそうになったとき。泣きたい時、いてくれるのは――景麒だけか?」
「陽子ぉ?」
「私は。楽俊にもいて欲しい。楽俊のような半獣でも、当たり前のように役職に就けて、生きて行ける、雁国のようにしたい。――その時には、楽俊にも居て欲しいんだ。だって楽俊。楽俊が私を救ってくれたんだ。楽俊だけが、私の本性を知っている」
 あの逃亡の旅。
 裏切られ、傷つき、妖魔を排除することに躊躇いを覚えることも出来なくなって。
 裏切られる前に裏切ってやると。
 全てを憎んでいた、あの日々を。
「私は、みんなが思ってくれているほど立派な王じゃない。それを私は知ってるから、だから頑張っている。至らない王だから、頑張っている。でも――それでも、やはり。楽俊……私も、怖いんだ」
 赤く長い髪がゆれて、首筋に、肩に、降りおちる。美しい髪だけが、彼女が王として生きていく為にこそぎ落としてしまった少女としての、優しさを残しているようで。
 楽俊は悲しくなった。
「陽子が言ったんだ。おいらと陽子の間には、二歩分…おいらには三歩だけど、その距離しかないって。友達だって。陽子がいってくれたからな、おいらももう一度思えるようになった。陽子、おいらだって側にいる。――だっておいらと陽子は友達だ。困ってる陽子を、見捨てたりなんてしないよ」
「――楽俊…」
「泣きたい時は、泣くといい。本当なら肩かしてやりたいんだけどな、今人間になると、かなりはばかりがありすぎるから、これで我慢だ」
 ふさふさの毛に包まれた手を伸ばし、楽俊は陽子にしゃがめと指示する。
 素直にしゃがんだ陽子の頭を撫でて、楽俊は笑った。
「いつか陽子が望む国になる。おいらも頑張って、早く偉くなって、陽子を手伝うから、だから陽子一人で悩み過ぎるな?」
「――うん」
 しゃがんで。抱え込んだ膝の上に涙を一つこぼして。
 陽子はただ、大切な親友の――ぬくもりだけを感じていた。
「戻」