眠れなくって驚きでちゅう!

「眠れない」
 ぽつりと陽子は呟いて、麗しい金波宮の自室で寝返りを打った。
 何度そうしたか分からないが、どうも落ち着く体勢を見つけることが出来ないのだから、しかたない。
 ひとつ溜息を吐いて、陽子は見事な夕焼けの色の髪をかきあげ、外を見る。
 蓬莱とは異なり、ここに電気というものは存在しない。しかも眼下には海が広がり、上も下も見事な闇に落ちている。
 もう一度陽子は溜息を吐いた。
 眠れない理由は、実は分かっている。
 景王として即位する前は、眠れないなどとほざく事も出来なかった疲労が忘れさせてくれたことが、随分と落ち着いてきてしまうと、蘇ってくるものがあるのだ。
 ――ああ、愛しのキリンちゃん
 キリンはキリンでも、決して景麒のことではない。
 かわいらしくって、ふかふかで、景麒のように無愛想ではなくって、愛らしいくりくりの目をした――ようするにキリンの縫ぐるみのことだ。
 すでに全員が忘れていることだが、陽子は正式な(なにをもって、正式と判断するのかは謎だが)女子高生なのだ。可愛い縫ぐるみの一つや二つ、持っていておかしことはない。
 陽子は一緒に抱っこして眠っていたキリンちゃん(しつこく記すが景麒ではない)がいた。
 ちなみに陽子が心で囁いた「愛しのキリンちゃん」発言にきっかり反応し、屏風の影でウキウキと景麒が控えていることは、彼の面子の為に黙っておこう。
 とにかく。
 慶国女王、陽子。
 眠れない日が続いていた。



 あくる日。
「というわけなんだ、鈴。悪いんだけど、本当に悪いんだけど、頼む!」
 女王になっても、横柄に何かを頼むことが出来ない陽子が、両手を拝むようにして鈴に訴える姿があった。
 すっかり睡眠不足のせいで、炯炯とした強さを抱く陽子の瞳が、今は少々虚ろである。(細く説明すれば、背後でストーカーよろしく陽子を見つめている景麒も同じくだ)
 鈴は吃驚したように二度ほど瞬きをして、陽子を見つめた。
「分かりました、主上。わたしにお任せ下さい!」
 いつになく凛々しい鈴の返事に、陽子はほっと胸をなで下ろす。
「あ、祥瓊には内緒な」
「分かっています」
 仲良し三人組み(いや、失礼)の一人に内緒とは、尋常ではない。
 景麒は驚きながらも、主上の動向に不穏なものを感じ取っていた。
(一体、主上はなにを行おうとしていらっしゃるのか!!)
 ところで景麒を目撃した女官、いわく。
「すごい恐いお顔でいらっしゃいました。普段の倍ってところですわ」
 とか話していたという。
 ついでに噂というもの尾鰭がつくもので、慶国はもう麒麟が失道してしまったらしい、とか、大きな反乱が起きてしまったらしい、などと広まり。
 しまいには、それが雁国主従の元にまで届いてしまったのだから、さあ、大変!!
「どうせ暇だしな。いってみるか、慶国へ」
「さんせーーー!!!! 暇だしな、いこーーぜ!!!」
 楽しいこと大好きなこの二人が、放っておくはずもなかった。


 さて、そんな騒ぎになっているとは知らない、陽子である。
 鈴に依頼した結果が早く訪れないかと、いつになくご機嫌な様子で政務を行い、景麒の無表情さにも無口さにも辟易した様子もなく、素晴らしい主上ぶりを発揮していた陽子は、ある音を聞きつけてぴょんと立ちあがった。
「よーーーーこぉぉ!! 一大事って、な、なにがあったんだ!!」
 焦った声ながらも、足音は「ほたほた」。緊張感のないことこの上ない。
「楽俊!!! よかった、来てくれたんだな!! 鈴、すまない!!」
 忙しく礼を言うと、陽子は待ちかねたとばかりに楽俊に駆け寄る。
 どうも鈴から、陽子が一大事だから早く来てくれと伝えられていたらしいねずみ――いや、楽俊は、この愛くるしい陽子の反応に吃驚して、一瞬飛び跳ねた。
「よ、陽子!? ツツシミが足りないぞ!」
「いいんだ、慎みが足りなくっても!」
 なにを開き直ったか、陽子の宣言に一同は凍り付いた。
 特に凍り付いたのが、景麒である。
 さあ、この時の彼の心理描写を紹介しよう!!
(な、なんということだ!! 私と主上のすいーとで、らぶりいな一時(政務)が破壊された上に、ねずみに対して、慎みが足りなくってもいいだと!? と、いうことはだ。主上は、ねずみとピーーー(年齢制限にかかるため、以下自粛)なことになってしまうというのか! そ、それだけは許さんっ! 主上がそんなことになるのは、国の為によくない!!)
 ようするに、慈悲の生き物麒麟に相応しくない嫉妬の嵐に吹き荒れている。
 可哀相な麒麟の心理など知らない陽子は、そのまま楽俊を抱き上げると、ダーーッと、自室に掛け去ってしまったのだ。
「ようこおおおおお!!!」
 実は二十代前半の楽俊、十代後半の陽子にすでに負けている。
 彼女はひたすら走ると自室に入り込んで、そのまま寝台に飛び込んだ。
「はにゃ〜、お、おいら、おいら!!」
 もう言葉にもならない楽俊である。
 が。
「楽俊。おやすみなさーーーい」
 と、陽子はにっこりとあどけない笑顔を浮かべて、きゅっと楽俊を抱き込んだ。(注、胸元)
 そのまま、ものの数秒もたたない内に、安らかな寝息を立て始める。
(陽子ーー、おいらだって、おいらだって、普通の男なんだぞーーー!)
 どうやら楽俊。ぬいぐるみ代わりにされてしまったらしい。
 当然すわ一大事と駆けつけた景麒は、自分には決してみせない、あどけない表情で眠る陽子の姿に滂沱の涙を流し、やってきた雁国主従は、ひとしきり目をぱちくりさせた後、大爆笑を始める。
 鈴、といえば、楽俊〜と叫びかける祥瓊に、見事な十時固めを決めていた。

 
 そんな人々の思惑など知らない陽子は、ひたすらひたすら、久しぶりの安眠に笑みを浮かべている。
 こうなってくると、しょうがないなーとばかりに、楽俊もおとなしくなるのだった。


 余談。
 一説によると、景麒はその後、妙に麒麟の姿で陽子の側に侍ることにしたようである。
 当然、毎晩かかさぬブラッシングのおかげで、美しい金色の毛並みは触られるのを誘っているようであるが…。
 陽子といえば、つれなく今日も「楽俊遊びにこないかなあー」と、呟くのみである。
「戻」