心の行方

 多分。
 なんと可哀相なのだと。
 他人に言われてしまう存在なのだろう、自分は。
 死から見放され、時の流れからも見捨てられ、ただ移ろうままに生きてきた。
 守る為に。その意味さえも分からなくなりながら。
 解放されて。
 今。死を選び取る。
 そんな自分を……人は、可哀相、というのだろう。


 見開かれている目が、ひどく辛い。
(ごめんな…)
 そんな、目を、させたい訳ではなかったのだ。
 長すぎた放浪と、重過ぎる荷を背負ってただ生き続けた自分。
 どうして耐えられたのか。耐えようと歯を食いしばることができたのか。今になっては、自分を支えた強さがどこからきていたのか分からないまま、自分は生きてきた。
 数えるほどにえた、希望を得る機会。それを胸の灯火にして、すがるように生き延びてきたような気がする。
 接触は極力さけるようにしていた。
 自然のままに、優しく人々の命は失われていく。その法則を、己が持つ紋章によって歪めたくなかった。
 だから、そっと、見守る。
 暖かい火も、優しい眼差しも、向けられる笑顔も……自分以外のものであればいい。――そう、思っていたのに。
 手を差し伸べられた。
 優しく、強い眼差しをしていた男。帝国六将軍が一人、テオ・マクドールに。
 なぜか痛いほど、懐かしさを覚えた。
 だから、普段なら即座に否定できたはずの手を、拒めなかった。その手を取ってしまった。
 もしかしたら、これが最大の失敗だったかもしれない。
 この時ちゃんと否定していれば。
 ソウルイーターの定めの中に、たった一人の親友を突き落とすこともなかったのだから。
「テッドぉぉーー!!!!!」
 叫び声が、聞こえる。
 ――懐かしい。
 差し伸べられた手に感じた……いや、それ以上の懐かしさを覚える
 こんなにも悲痛に、彼に叫ばれたことは記憶の中ではなかったはずなのに。
 気になって、どうしようもなくて。死に逝く怠慢な思考を酷使して長すぎる記憶の糸をたぐる。
 ――叫んでくれた、人が、いた?
 そうだ。祖父から、ソウルイーターを受けついた時。ウェンディによって、全てが破壊され全てが始まったあの日に!
 忘れていた。
 痛いほどの叫びだったのに。呼んでくれた声が、力を、与えてくれたのに。――そう、生き続ける強さを。
 時間軸が連鎖する。
 君が最初に僕にあったのか。
 僕が君に最初にあったのか。
 分からない。けれど、多大なる影響を、お互いに与えあってきた。
 まるでソウルイータの望むままに、二人、動いてしまったように。
(ごめんな、本当に)
 ソウルイーターを渡してしまったこと。
 辛い定めを託してしまったこと。
 謝りたいことは沢山ある。なのに、今。一番思っているのは、全然別なことだった。
(僕が、きみを、哀しませる存在になっている……それが、かなしいんだ)
 不幸だったと。
 誰もがいうだろう。
 でも。自信をもっていえる。最後はちゃんと幸せだったよ。
 

 死に逝く記憶のなか、まだ、そんな事を思っている。
 笑うことも、泣くことも、人を好きになることも、守りたいと思うことも、すがりたいと思うことも。
 何もかも失って灰色になっていた心に、もう一度。全てを取り戻してくれた君が向けてくれた、優しくて強い笑顔。
 いつまでも一緒に歩いていきたかったんだ。
 笑って、泣いて、怒って、叫んで。そんな事を繰り返しながら。
 生きていたかった。何百年、ただ生きていただけの自分が、本当の意味で、生きたいと思った。
(もう、目が……かすんで来て…)
 笑おう。
 君が覚えている僕が、いつも笑顔だったらいい。
 励ますことも、一緒に泣くことも、一緒に悩むこともできなくなってしまう自分だから。
 せめて笑っていよう。
 誰もが不幸だという人生だったかもしれないけれど。
 幸せだったんだよ。それが……本当。
(忘れて……ほしく、ない……よ……)


 ――沈黙。
 身じろぎをして、少年は顔を上げた。
 見慣れない光景に視線を泳がせて、それから、息を一つ吐く。
「ああ、夢だったんだ」
 懐かしい夢をみていた。
 悲しくて、切なくて……そして、凄絶な優しさを抱いていた過去の夢。
「坊ちゃん、どうしたんですか?」
 声がして、日向のような色の髪をした青年が、そっと顔を覗き込んでくる。
 一度は失ってしまった大切な家族。優しいグレミオ。
「なんでもない。ちょっとね、テッドの夢をみていたんだ」
「……テッド君の」
 親友を死にいたらしめた紋章を、怨んで呪ってしまっているのだろうかと、僅かにグレミオが顔を曇らせる。
 慌てて少年は首を振った。
「違うんだ、グレミオ。ソウルイーターを呪うために、追憶の為に、夢をみたんじゃないんだ。そうじゃなくってね。僕は最後の最後まで、僕の為に笑ってくれていた親友に出会えて。幸せだったんだなって、思ったんだよ」
 つい、と顔をあげる。
 三年前。その強いカリスマによって、人々を魅了した眼差しは、今、憂いの色が濃い。
 彼は城を見上げている。
 現在、デュラン湖のほとりに、ハイランドの侵攻を唯一食い止めるべく、108の星に導かれた者たちが集結しつつある。
「真の紋章は、人の命を狂わせる力がある。彼らが真の紋章のの呪いを越えらるようにと、僕はせつに願うよ」
 右手に視線をやる。そこに宿るのは、親友から託された、忌まわしき生と死をつかさどる、ソウルイーターだ。
 呪われた祝福をうけてさまざまなものを失ってきたけれど、自分達は決して間違った選択を選び取りはしなかったと思う。
 操られることを嫌って、みずからの命をソウルイーターに喰らわせた、気高かった親友。
 ――誇りに思っている。
 彼と親友だったこと。彼が頼ることが出来た自分であれたこと。
 ソウルイーターと戦う現実を放り出さないでいる自分自身も。
 彼には、輝き盾の紋章を持つ少年がひどくのが悲しく見えた。――108星の象徴として、優しい義姉の願いを否定し、戦いの場所に赴く少年が。
 彼が戦うのは、演じきれない悪役をこなそうとする友人だという。
 紋章に翻弄される、悲しい二人。
 彼らが目指すものは、全く同じであるはずなのに。
「彼らも……親友だと聞いた」
 思い出されるのは、多分自分の為に、笑いながら眠るように逝った親友の顔。
 テッドは本当に強かった。何百年という年月の中でも、決して失うことのない心を抱いて、生きてきた。だからこそ、どうしても守りたいと思う何かに、彼は気付いてた。
 だからテッドは微笑んだまま、死んだのだろう。
「どうか彼らが。紋章でも、大義でもなく。生きていて欲しいと望む存在が心の何処にあるのか、それを分かりつづける強さが保てるように……」 
 願うよ、ともう一度呟く。
 そんな彼の後ろ姿を見つめながら、グレミオもまた、高くそびえる城をみあげた。


 この城には。
 祈るように呟いている人々が多くいる。
 強くある為に。優しい未来が訪れるようにと。
 捧げられる、様々な、強い心たち。
 失った女性を思って、みずからに枷を負わせる青年もいる。
 生きる誇りをかけて、懸命に前を見続ける騎士もいる。
 平和を愛する心を尊敬しつづける者も、毅然と困難に立ち向かっていく者も。
 そんな中で。
 必死に唯一の真実を強く見つめる少女がいる。両手を広げて、失わないように懸命に抱きしめようとする強く悲しい少女が
 ただ一つ。彼女だけが、最大の真実を忘れないで叫んでいた。
 彼女だけが、二つの国のリーダーとなった少年達の本質が、人々の命を預かり、時に非常な決断を下す指導者などというものに相応しくないことをしっていた。
 ……戦いが、力が。なにかを守るべき手段であるよりも、全てを奪う存在であるということを。
 その叫びにひそまれる真実に、耳を傾けてくれればいいと思う。
「わたしも、祈りますよ。坊ちゃん。彼らがあの少女を失わないですむようにと」
 グレミオが唐突に呟いた。
 手を伸ばす位置にいる人を、守ろうとする気持ちの強さをいたいほど知っている彼。
 少年は苦く笑うと、湖へと吹く風に、身を任せた。
「彼らはまだ、失っていない。失っていないんだ。手後れになるまえに……」
 気付いて欲しい。様々なものが、失われる、その前に。
(テッド……。彼らは、どんな道を歩むんだろうか…)
 真の紋章の存在が、人を、こうまでも狂わせて行く。
「力があっても、全てを守れるわけじゃない。力があるからこそ、守れるものは少なくなるんだ」
 呟く。
 笑顔のまま死んでいった親友を、見送ったことのある少年が。
 一つの真実を、呟いていた……。