[第二話 灼熱を逃れて おまけ話]


 エレベーターを降りて部屋に向かおうとしたところで、久樹は目を丸くした。長く続く廊下に、玄関前に座り込む人影。大きな背を窮屈そうに曲げたソレに見覚えがある。
「どうしたんだ、雄夜」
 声を掛けられて、うずくまってノートを睨む人影が顔をあげた。
 昨日夏の陽炎のようだった邪気との対決の後、少年たちは寮に戻って歓喜の声をあげた。なんと壊れた空調が復活していたのだ。
 喜ぶものの、高校生たちには期末試験が残っている。成績優秀者の秦智帆、大江静夜は良いとしても、大江雄夜は徹夜で最後の追い込みをするしかなかった。目覚めた爽子が何も出来なかったことを謝りながら作った夕食も、雄夜は早々に食べ終えて、勉強をしていたのだ。 
 あまりに不幸だと久樹は同情し、爽子に頼んで、雄夜の朝ご飯を弁当にして貰うことにした。そして今、爽子の自宅に朝早くに赴き、受け取ってきて今になる。
「どうしたんだよ? 兄弟喧嘩したのか?」
 久樹の言葉に、目の下にクマを作った雄夜が首を振る。普段が精悍でりりしい少年であるからこそ、今の落差は哀れすぎる。
「とにかく、そんなとこにいたって辛いだろ? 学校が始まるまでは時間があるんだし、ちょっとうちによってけよ」
「――クーラー」
「あ?」
「ついてるのか?」
「いや、朝はついてない。暑いのは嫌なんだけどな、俺はクーラーの冷気って苦手なんだよ。なるべく扇風機で我慢してる」
「行く」
 むくりと立ちあがる。その瞳は恐ろしいほどに真剣で、まさかと久樹はこぶしをうった。
「もしかして、静夜ってクーラーをがんがんにきかせるほうなのか!?」
「設定は十九度だった」
「そ、それは寒すぎる……。やつはペンギンか」
「いつもはここまでひどくはない。ずっと暑かった反動らしい。昨日は智帆までやってきて、二人で幸せそうに寝てた」
「あいつら……」
 はぁ、と息をつく。
「ようするに、久しぶりに幸せそうなのをみて、クーラーを消さないでおいてやったんだな。雄夜、偉いなあ優しいなあ」
「別に」
「いいって。とにかく入れよ。ちょっと汚いのは我慢してくれよな」
 生徒証明カードをリーダーに読み込ませて扉をあける。ちらかってはいるが、快適さは保っている部屋の椅子を指差し、久樹は持っていた弁当を雄夜の前に広げた。
「なんだ?」
「爽子に作ってもらったんだよ。お前の分の朝ご飯。テストの上に徹夜だろ? 栄養つけてったほうがいい」
「――いいのか? 俺が食べて」
「いいんだよ。俺はむこうで食ってきたし。爽子だってお前の為に作ったんだから、食って欲しいさ」
「ありがとう」
 素直に言って、雄夜は箸を取る。そのまま礼儀正しく「いただきます」と言うと、もくもくと食べ始めた。久樹は手持ち無沙汰になり、お茶をいれてやってから、雄夜のノートをパラパラとめくった。
「なんだこりゃ」
「智帆と静夜が作った対策ノート」
「いや、それは分かる。これが出来たら確かに完璧だろうよ。だけど……これは、あんまりっつうか……」
「覚えればいいだけにしておいたって、二人は言った」
「そりゃそうだ。そうだけど。これじゃ理解できないぞ。……なあ、雄夜。次からは俺が教えてやろうか? 一応これにそってさ」
「なんでだ?」
「その方が、雄夜が人間でいられる気がするよ」
「……分かった」
「うん。絶対にその方が良いって」
 もくもくと幸せそうに食べる雄夜の隣で、久樹は頭のよすぎる奴は教師に向かない可能性あり?と、悩んでいた。
 一方、立花菊乃は朝から大騒ぎをしながら、姉の幸恵に手伝ってもらってキッチンに立っていた。
 昨晩、無理矢理家に泊まらせた将斗と巧のために、朝食を作ろうというのだ。
「あーん! お姉ちゃん、オムレツが固まっちゃう!」だの、「ベーコンが焦げるっ」だの、本当に大騒ぎをしている。幸恵はそれをうるさがることなく、微笑みながら手伝っていた。
 朝食の完成していく心地よい匂いにつられて、巧と将斗は同時に目を開けた。お互いの顔を見合わせて「ここどこだっけ?」と寝ぼけたことを言いあう。
「将斗くんに巧くん、起きたの?」
 やんわりとした声と同時に、綺麗な手が二人の掛け布団をはいだ。幸恵の手だと気付いて二人は飛び起きる。
「おはよう」
「俺たち、もしかして寝坊!? ごめんなさいっ!」
 将斗が焦った声を出す。くすくすと幸恵は笑い出した。
「二人とも、行儀がいいのね。いいのよ、お客さまなんだからゆっくりしていて? もし気になるなら、布団をたたんでおいてくれるだけでいいから」
「は、はい!」
 こくこくと肯き、二人は大慌てで布団をたたみだす。見計らったように「タオル置いておくから、顔を洗って着替えてきてね」と声がした。
「なんか……ちょっと、家を思いだすな」
 と、巧が小声でいう。将斗は無言で、ただこっくりと肯いた。
「将斗くーん、巧くん! ご飯、出来たよー」
 菊乃の声が二人を呼ぶ。久しぶりに、なんだか人肌恋しいような気持ちになりながら、二人はダイニングに急いだ。

 雄夜が久樹の家で朝食をとり、将斗と巧が顔を洗っている頃、クーラーのききすぎた部屋の中で静夜と智帆は目を覚ました。
 布団からわずかに出した指先に感じる冷気に心地よさげな顔をして、むくりと静夜が上体を起こす。元々早起きの静夜にしてみれば、驚くほどの寝坊だったが、智帆にとってはそうでもない。
 とにかくそろそろ朝ごはんを食べないと遅刻すると考えて、静夜は智帆の身体をゆすった。
「智帆ー。朝、コーンフレークでいい?」
「……朝、いらない」
「食べなよ。ほら、おーきーるーっ」
 ごろりと布団をはぎとって、静夜は立ちあがってカーテンを開ける。
 さんさんと照りつける太陽が、まぶしいほどに朝の光景を照らしだしていた。
「あーあ。今日も暑そうだな」
 ひとつ、ぼやく。ようやく起きあがった智帆も外をみやって頭を抑えた。
「テストが終わったらすぐに家に帰るとしよう」
「そうだね。それがいい……。あれ、雄夜は?」
「あれ?」
 ようやく部屋の住人の一人が居ないことに気づいて首をかしげる。制服一式は部屋に残っているので、ちょっと外に出たのだろうかと静夜は不思議がった。
「ご飯、食べたのかな。雄夜」
「さあ」
「智帆、また寝てるだろ」
「うん」
 放っておくと、すぐに寝に入りそうな友人の肩を掴んで洗面台へと連れて行く。そうしてふと、視線を炎鳳館のある方向へと流した。
「邪気、か……」
 低く、誰にも聞こえないほどに小さく、呟く。


 実家に戻っている斎藤爽子は、寮よりも十分なスペースを持つキッチンにたって、夜の献立を考えていた。
 二日間連続でご馳走を食べてもよいくらい、彼らは頑張ったと爽子は思っている。
 それに比べて、一体自分はなにをしたのだろうと考えると、どうしても気分が暗くなる。
 久樹がそれを心配し、気にするなよと目がさめたときに強く言ってくれたのを、頼もしさ半分、自分の情けなさに悔しさ半分で思い出していた。
「私の力って、なんだろう?」
 白い手を持ち上げて、じっと見つめてみる。
 久樹に訪れたような劇的な変化が、訪れるような気配は一つもない。もしかしたらこのまま、自分だけ足手まといなのかもと息を吐いた。
「あー、駄目だわ、こんなことばっかり考えていたら!」
 わざと大きく声を出して、爽子は自分を叱咤する。
「とにかく、今は夕食のメニューを考えましょうっと。何が喜ぶかなぁ?」
 一人一人の好きなものを思い浮かべる。
 それでも、やはり爽子は気にせずにはいられないでいた。
 ――自分はなんだろう、と。

[完]

竹原湊 湖底廃園
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