番外編

目次
[失せ物探し 下]

「あ、はい。北条先輩、どうしたんですか?」
「ちょっと用事があって。ねえ、二年A組ってまだいるの?」
「あ、いますよ。A組の先生かわってるんです。みんなでいっつも、A組は可哀想だよねって話してます」
 どうやら桜に少しあこがれているらしい、おとなしそうな少女は、そこできゅと唇をとがらせる。
「なるほど。で、やっぱり試験なわけ?」
 さらりと言葉を静夜がはさむ。「あっ」と声を上げ、中等部の女生徒は真っ赤になった。
「は?」
「お、大江先輩だ……。え、ええっと、そうです。今日も試験です。会議が終わってからやるっていって、一時間もみんなを待たせたんですよ」
「変な奴。よくもまあ、白鳳経営陣が許すな、そんな奴を」
「いろいろ、問題にはなってるって、うちの担任から聞いてます。だからもっと焦ってるんじゃないかって」
 頬を赤くしたまま、少女はじっと静夜を見つめている。
 それがなんとも不思議で、静夜は思わず隣の智帆の腕をつついた。
「なあ、なんか僕の顔についてる?」
「可愛い顔がついてるだけだろ」
「二品減らされたかったとみた」
「じゃあ、コンビニで惣菜でも調達するとしよう」
「可愛くない奴」
「光栄、光栄」
 智帆は静夜の腕を有無もいわさず引っ張る。
「じゃ、ありがとな」
 そのまま手を振って、いきなり階段をかけあがって先頭をいく梓と雄夜を抜く。いきなり引っ張られた静夜が、わわっ!と声を上げたのを聞いて、桜と亮も焦って走り出した。
「ありがとう!」
 ぽかんとしている女生徒に、桜は律儀に声をかける。
 がらんとしている廊下の先、一つのクラスに活気があった。
「間違いないな、丁度テストが終わったってとこか?」
「みたいだね。で、どうするよ、智帆。全員の前で、君と君と君がとったろ? なんていえるわけないよ」
「そりゃそうだ。というわけで」
 耳元に唇を寄せ、智帆は何事かをささやいた。聞いているうちに、やけに難しそうな表情を静夜は浮かべ「うわ、それをやるんだ」と声を上げる。
「根底を解決してやりゃ、いいってわけだろ?」
「まあ、そう、かなあ。雄夜」
 すぐに追いついた双子の片割れに、静夜は声を投げる。「なんだ?」と首をかしげて近寄ってきた片割れを見上げ「まあ、迫力だけは大丈夫かな」と呟いた。
「どうしたの?」
「いやさ、秋山、雄夜が怒った表情をしたら、大人でもビクッとすると思う?」
「んー、するんじゃないかなあ。男性だったら」
「なんで男性限定?」
「だって、女性だったら、雄夜君のかっこよさに、きっと見とれちゃうよ、うん」
 きっぱりと言い切る。あいたー、と静夜と智帆は頭を抑えた。秋山梓の中では、大江雄夜は欠点さえも美点になってしまった最愛の人物なのだ。もはや口を挟むことも出来ない。
 でも本当に雄夜君ってかっこいいよね、とうっとりとしてしまった梓から半歩さがり、二人で息を落とす。「お前ら、なんの悪の相談?」といって、亮が会話に入ってきた。
「緊急退避の訓練と、雄夜の迫力が、悪をくじくか、くじかないかの相談」
「秋山はすごいもんなあ。まあそれはさておき、出鼻はくじくだろ。あいつ迫力あるし、高校生にはとても見えないし」
「なら大丈夫か。桜、おなじアルファベット同士のクラスは、兄弟クラスって助け合うって習慣は正式に残ってるよね」
「初等部から高等部までの習慣だけど、ちゃんとまだあるよ。でもそれがどうかした?」
「助けに入っても良いんだよね、兄弟クラスになら」
「え? そういえば、うん、そうだった。でも前例はないみたい」
「じゃあ一番乗りってとこだね」
「二人とも、めちゃめちゃ楽しそう。一体何を考えているの?」
 少しばかり不安になって尋ねたが、大丈夫だって、といなされてしまう。
 そうしているうちに、いきなり雄夜が前にでて、がらりと二年A組の扉をあけた。


 解答用紙を回収しようとしたところであいた扉に、仰天したのは教師だった。
 属していた私立学校を辞職し、白鳳学園で教鞭をとるのが夢だったといって移ってきた三十歳半ばの男性教諭は、やたらと目つきの悪い高校生に絶句する。
「あれって、たしか高等部の……?」
 ざわ、と教室内が浮つく。一身に視線を集めながら、動じもせずに雄夜は教卓へと進んだ。
「き、きみ?」
「なぜ、この時間に、後輩たちがここにいる?」
「なんだって?」
「すでに最後の六限の授業も終了しているはず。部活動のある生徒たちは?」
 ぐるり、と。少しばかり演技かがった仕草で、雄夜が教室を見渡す。ぽかんと固まっている生徒たちをみつめ、まるで「お前は?」というように顎をしゃくった。
 ぽつぽつと、手があがりはじめる。
 それを正確に数えたのち、雄夜は斜めに教師を睨む。
「部活動は、白鳳学園が正式に認めている活動で、それを阻止する権利は担任にもないはずだが?」
「それは」
「第一、今日だけではないだろ」
 ただでさえ迫力のある目を、さらに雄夜は細めて教師を睨む。はったりでもなんでも、相手が迫力に気おされている今が、チャンスだった。落ち着かれてしまえば、いくら雄夜たちでも勝てなくなる。
 智帆は冷静に教室内の空気を判断し、教師が気おされて一歩下がったのを確認した瞬間、桜の背を押した。
「え、え?」
 まろぶように桜は中等部二年A組の中に入る。なにをすればいいのかがわからず、困惑して周囲をきょろきょろと見渡した。その視線が、室内をめぐった瞬間、教室内の生徒の四分の一もの生徒が「あっ」と息を呑む。
「決まりだな」
 智帆は低く呟き、友人である宇都宮亮を見やった。それを正確に受け取って、亮は中に入る。桜はふわりとふりむき、相棒をじっと見つめた。
「いや、俺もなにすればいいのかは実はわかんないんだけどさ」
「え?」
 小声を交わす二人の姿が、緊張が走った生徒たちの目には相談事のように見える。
 幾人かが机の下でぎゅっと手を握り、がたがたと震えはじめた。雄夜ドリームから現実に帰ってきた梓が「どうしたの、あれ?」と尋ねたので、智帆は指を唇にあてて「静かに」と答える。
「というわけで、出番」
「了解」
 一歩はなれたところで、教室内を見守っていた大江静夜も歩き出す。
 困惑している桜と亮に手を振ってみせ、それから涼しげな顔で双子の片割れの元へと足を運んだ。
 次から次へと現れるフェイントに、相手の教師は冷静さをまだ取り戻せていない。
 それをいいことに、優しげな顔立ちには似合わぬはずの、底知れぬ冷たさを瞳にたたえて静夜は腕を組んで唇を開いた。
「部活動の妨害を、教師であるあなたが行っているわけですよね? それと同時に、あなたの個人的な不安の解消のために、不当に生徒の行動を抑止している」
「き、きみは?」
「ああ、失礼しました。僕らは高等部二年A組に所属しています。個人的にいえば、そこで睨んでるのの双子の片割れです」
 にっこりと微笑むと同時に、静夜は目を細めて教室内を見渡す。
 桜の登場に息をのみ、二年A組の委員長コンビがなにか打ち合わせるのに震えた生徒たちを、まるで睨むかのように睥睨していく。
 ビクッと、まだ子供らしいあどけなさを強く残している女生徒が、目に見えて怯えた。
「先生」
 生徒たちを見つめたまま、静夜は背を向けた教師を呼ぶ。
「白鳳学園では、同じアルファベットを持つクラスに助けを求める権利を持っています。助けを求められたなら、絶対に解決するべく尽力しなくちゃいけない。生徒の自浄能力を信じた、これが我が校の創立者の願いです」
 かつ、と足を前に一歩出す。そのまま綺麗に並んだ生徒たちの間を進み、静夜はもっとも震えが激しい生徒の机に、まるで宣託を告げるもののような静けさで手を置く。
「いやっ!」
 おびえが最高潮に達したのか。
 女生徒がいきなり悲鳴を上げた。
 瞬間、静夜の口元がわずかに笑みの形をとる。
 何も知らない男子生徒の一人が、クラスメイトが怯える姿に立ち上がろとした。かたん、と椅子を引く音を掻き消したのは、勢いよく開かれた後列の扉の音だ。
「え?」
「大丈夫さ」
 驚いた少年に、有無も言わさず声をかげて、智帆は「いまだ」と静夜に告げる。
 凛と響く静夜の声が、教室内に響いた。
「こんなに怯えさせているんです、貴方の行為は。なのに」
 首だけで振り向いて、静夜は教師を冷たく見つめる。
「教師が試験を行うのは、一見して不当な行為になんて見えない。だから他の教師に助けを求めることも出来ず、かといって兄弟クラスになきつくことも出来ず。こうやって追い詰められて」
 机においた手を、静夜は手のひらを上にして少女の前に出した。
「あの……わた、し」
「僕らのクラスの委員長が落としたものを、拾ったんだよね」
「え?」
「助けてほしくて。でも何て言えばいいかわからなくて。ずっと握り締めていた。テストが始まる前にも、何度も何度も僕らのクラスに来ていたよね。助けを求める言葉を、形に出来ずに」
「せ、んぱい?」
「違う?」
 ひどく、まるで小さな妹でも見つめるような優しさで、静夜は笑う。
 少女は桜の持ち物を拾ったのではない。盗っていったのだ。……なのに。
「は、はい」
 促されるままに答えて、少女は震える手で、机の中からソレを出した。
 静夜が買って、桜に贈り――今日、失われてしまったばかりの手鏡。
 優しい手つきで受け取ると同時に、静夜はふわりと少女の頭をなでて、きびすを返した。
 真っ赤になった少女が、胸の前で手をくむ。けれどそれを一度も省みることなく、桜の元へと進んで「はい」と手鏡を差し伸べる。
 桜は目を見開いたまま、ソレを受け取った。
 解けてしまえば簡単なことだった。
 テストの繰り返しに疲れてしまった生徒が、噂を信じて桜の私物を盗っていった。
 裏を返せば確かに、それは助けを求める悲鳴でもあったのだろう。
 ――けれど、だ。
「静夜君」
 わかっていた。
 本当は、失くした物を取り返すのは、きっと簡単だったこと。
 けれど二度と盗られないようにするために、自分のために原因までもたってみせたのだ。誰のためでもない。桜のためだけに、静夜が願って。それに智帆たちが同意したから。
 ――こんなにも、嬉しいことはない。
 失くした物が、もっと大きなものになって、帰ってきたかのよう。
 桜はじっと、戻ってきた手鏡を見つめた。
 何度も何度も手で形を確かめる。
「ありがとう」
 そういって、桜はそれは綺麗に笑った。そして一度目を伏せ、深呼吸をしてから顔を上げる。
 二年A組の委員長にふさわしい、勝気な表情がそこにはあった。
 雄夜がいきなり歩きだす。当たり前のように、静夜もきびすを返した。
 逆に桜は歩き出し、当たり前のように亮も隣を進む。
 すれ違う間際、四人は目配せをしあった。
 ――自分たちにふさわしいのは、誰かが悲しむ終わりではない。
(みんなが笑っている、終わりだ)
 扉を閉める。それと同時に、桜は澄んだ声を張り上げた。
「高等部二年A組の正副委員長の権限として、なにが起きているかの報告を望みます。その後、私と一緒に私たちのクラスの担任である村上先生の下に同行して下さいますね?」
 わっと、教室内が沸き立った。
 教室の外でそれを確認する。梓は笑顔で雄夜に飛びつき、静夜と智帆は軽く手を合わせた。
 

 後日。
「彼もね、悪い先生じゃなかったはずなんだけど」
 桜の前で、名物クラスのA組をまとめる村上は、そういって肩をすくめていた。
「ただ白鳳のやりかたには、なじめきれなかったみたいね」
「辞めるんですか、あの先生?」
「あら、そんなことはないわよ。勿体ないでしょ、あれはいい教え手だから。ただしばらくは、教科を受け持つだけにしようってことになったわ。まだクラスを受け持つにはきつかった、それを見抜けなかった学園側の責任だしね」
 いやあ、貴方たちが干渉してくれて良かったわ、といって村上は笑う。
 抱えていた不安を洗いざらい口にして、生徒たちの本音も聞くことが出来て、テストばかり行っていた男性教諭は安心したらしい。
 一ヵ月後には、復帰するとのことだった。
「そういえば、失せ物も全部帰ってきたんだって?」
「はい。全部帰ってきました」
「ふぅん。あ、なんか、からくりがわかった気がする」
 まったく個性的な子たちばっかりなんだから、と村上は笑って立ち上がる。
「良かったわね」
「はい。でも、ちょっと困ってることもあるんですよ」
「困ったことって?」
「先生から言ってください。テスト前に私と握手したって」
「ん?」
 桜はきゅっと眉を寄せる。
 全てが終わって、なきそうな顔をしながら、中等部の生徒たちは桜からとっていった物を返しにきたのだ。ごめんなさい、ごめんなさい、と繰り返して。
 で、彼女たちは最後に言った。
「でも本当に、先輩の持ち物を持ってると、テストの点良くなったんです」
 そんなの偶然よ、と答える前に。 
「だったら、テスト前に桜に握手してもらったら?」
 と、秋山梓が答えてしまったのだ。
 じゃあ、握手してもらいにいきます!と目をきらきらに輝かせて言われてしまった。
 ――恥ずかしいじゃない。
 きゅっと唇をすぼめる。
 村上は「どうしたの?」と首をかしげた。
「テストの点、良くなったりしないって!」
 軽やかな声を上げた。
 それから一礼し、職員室を後にする。
 あらら、と言って村上が笑い出した。


 外は快晴。
 失くしたものは、全部手元に帰ってきた。
 だから桜は今日も笑っている。
 鞄の中には、もう盗られる恐れはなくなったので、手鏡が一つ。
 祖母に貰った手鏡ではなく。――静夜に贈られた、鏡だった。


[完]

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竹原湊 湖底廃園
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