番外編

目次
[貴方らしく]



 白衣に袖を通し、窓のブラインドを高くあげる。そのまま軽い仕草で窓をあけ、大江康太は深呼吸をした。
「んー、今日もいい天気だねぇ」
 幸せを満喫して笑ってから、ん?と彼は首を傾げる。
 初等部・中等部・高等部・大学部の四つを要する巨大な白鳳学園には、四つの学び舎と一つの管理施設、そして学生寮が存在する。統括保健医である大江康太がいるのは、管理施設である白鳳館の一階の保健室だ。老人から子供にまで好かれている康太の元に、助けを求めてくるものは数多い。単なる茶飲み話にやってくる者は、それ以上に多かった。
 朝早くにやってきて、窓を開けて深呼吸をするのは、変化することのない康太の日課だ。けれど今日は少しばかり不思議なことが起きて、彼は目をぱちぱちとする。
「あれれ、オルゴール?」
 窓枠から身体を乗りだして目をこらすと、角に置かれたダンボールを見つけた。その中からなにやら響いてくるようで、彼は困ったように眉をひそめる。
「あんなところに、誰かの忘れ物?」
 大げさに首を傾げて悩んでから、康太は出かけていますカードを扉にかけて外に急ぐ。昇降口から外に出ると、大学部へと向かう生徒たちの華やかな声に康太は軽く手を上げて答えた。
 保健室側の壁側までいくと、先ほど耳に届いたメロディが響いてくる。検討をつけたダンボールに手をのばし、おもむろにふたをあけた。
「わあ、立派なオルゴールだ」
 ダンボールの中で横に倒れていたオルゴールは和製のものらしく、漆塗りの木箱に入っていた。絵付けの色も鮮やかで、なかなか高価なもののように見える。年季は入っているがひどい痛みはなく、誰かが大切にしているものだと思わせた。
「悪戯なのかなぁ? それとも宝物を隠した? んー、でも放置するわけにもいかないなぁ。いつ雨がくるかもわからないし」
 さて困ったと悩んでから、康太は白衣のポケットに常に入れてあるメモ帳を取り出す。中のオルゴールは保健室で預かっていますと書いて中にいれて、オルゴールを抱えて保健室へと戻った。
 あとで学生課に届けようかと考えたところで、授業に出席していない寮生の連絡を受けて康太は白梅館に向かう。ほかにも怪我人がでるなどして忙しく、落ち着きを取り戻した頃にはオルゴールのことは忘れてしまっていた。
「大江先生、オルゴールって見かけませんでした?」
 遅い昼休みを取っている最中に、秋におきた事件以降、仲良く会話するようになった高等部の教師村上に尋ねられるまで。
「北条さんが美術の授業にと持ってきたオルゴールが、昨日紛失したんですよ」と教えられて、康太は朝に見つけたオルゴールを思い出す。
 康太の昼休みはまだ残っていた。高等部は授業が終わっていると村上に教わって、彼はオルゴールを片手に演劇部へと足を向ける。
 体育館の中に入ると、バレーボールとバスケットボールの音が飛び交う中に、台本の読みあわせをする声が響いていた。
「北条さんの声はよくとおるし、綺麗だね」
 ほとほと感心した様子でつぶやいて、康太は笑顔のまま演劇部の生徒たちの輪の中に入っていく。すぐに桜が気づいて「康太先生?」と首をかしげた。
「部活中に邪魔しちゃって悪かったかな。ちょっと見てもらいたいものがあったんだよ」
「康太先生が私にですか?」
「うん。朝に拾ったものがあってね、もしかしたら北条さんのじゃないかと思ったんだよ」
 ほら、と。布で丁寧に包んでおいたオルゴールを紙袋から出して見せる。「あっ!」と声を上げて、桜は目を丸くした。
「康太先生が見つけてくれたんですか!?」
「外からいきなりメロディが聞こえてきてね。なんだか、見つけて!って、訴えられたような感じがしたよ」
 きっと北条さんのところに帰りたかったんだねと付け加えて、康太は桜の手にオルゴールを返す。大事そうに受け取って、桜は立ち去ろうとする保健医を追いかけた。
「ちょっと待ってくださいっ。あの、お話させてもらってもいいですか?」
「んん? そりゃあかまわないけど、部活は大丈夫なのかい?」
「はい、今日は人数が揃わなかったので、読みあわせを一度したら解散しようって話だったんです。ちょっと入り口で待っていてください」
 きっちりと編まれた髪を揺らせて、桜は頭をさげた。きびすを返して部員たちに何かを告げ、桜はのんびりと歩き出した康太の横に並ぶ。
「でも、オルゴール、どこにあったんですか? 先生も、みんなも、すっごく探してくれたんです」
「ん? ああ、それね、保健室の側にあったんだよ。ダンボールに入ってた」
「……そうなんですか」
「あれ? なんだかまだ問題があるって顔だね」
「ちょっとだけ」
「んー、じゃあちょっと急いで戻ろうか。立ち話って感じでもないみたいだからね。いい紅茶もあることだし、あ、おいしいクッキーもあるよ! でも他の先生にはナイショだからね」
「康太先生って、なんだか先生じゃないみたい。村上先生もだけど」
「名物って言われるためには、変わってないとダメなんだよ。……と、前に誰かにいわれたなぁ。誰だったろう?」
 悩むようなそぶりを見せてから、二人は白鳳館の保健室に戻る。出かけてますのカードを外して、康太は桜を中にいれた。
「で、どうしたんだい?」
「話が大きくなるのが嫌だと思って、みんなには言ってないんですけど。これが初めてじゃないんです、なくなったの」
「そうなのかい!?」
 茶葉をすくっていた手を止めて、康太はまじまじと桜を見つめる。居心地が悪そうに身じろぎをして、意を決したように顔を上げた。
「最初は、筆記用具とかだけだったんです。消しゴムとか、シャーペンとか。でもだんだんエスカレートしてきてるみたいで。……大事にしていた、鏡もなくなっちゃったんです」
「鏡が? そっか、大切にしてたものなんだね」
「はい」
 しょんぼりとうなだれてしまった桜の前に座って、とりあえず落ち着くよ?と紅茶を渡す。それから康太は真剣な表情になった。
「それで今回はこのオルゴールなんだよね。美術の授業のために持ってきたものを取られているし。とってるのは学園内の人物なんだろうなぁ。んん、考えるとちょっと悲しいことだけどね」
「私、絶対にうちの組の子じゃないと思ってるんです。でも」
「先生に話をしてしまったら、最初に同じクラスの子が疑われるんじゃないかって思ったんだね」
「そうなんです。それはちょっと、嫌で。我慢してたら、終わるかなって期待してたんですけど」
 ダメだったんですよね、と。眼鏡のしたの目を細めて、委員長である少女は唇を結ぶ。
「村上先生だったら、最初に生徒を疑うことから始めるよりも、北条さんの身に危険がないようにって配慮してくれるんじゃないかな。あとね、身内の贔屓目かもしれないけど。しーちゃんには話してもいいんじゃないかな」
「静夜くんに、ですか?」
 いつも毅然としている桜が、わずかに動揺をみせる。康太はそれに気づかず「うん」と笑った。
「悪戯がエスカレートして、北条さんの身に危険がおよぶことが一番怖いからね。物を取られているって話しをしたらね、A組の生徒たちだったら互いを疑い合うより先に、見えない犯人に対して警戒してくれるんじゃないかな」
「それは、そう思ってます。多分、宇都宮なんかは怒るだろうし。梓もかんかんになるだろうなって。ただそこまで巻き込んでいいのなぁと」
「いいんだよ」
 きっぱりと言い切って、康太はクッキーを桜に差し出す。桜はかなり面食らった顔をして、統括保健医を見上げた。
「北条さんは、頼られることが多いから、自分が頼ってもいいのかなって考えちゃうんだよね。でもね、悩むことなんてないよ。頼っていいんだ」
「あ、はい」
「でもすぐにそう考えることって出来ないよね。しーちゃんとか、ユウくんとか、智帆くんとかはね、北条さんのことを”委員長だから”とは言わないよ。大丈夫、だからちゃんと言ってご覧。もちろん私に出来ることは全部するからね」
 まずは学園内の警戒と、パトロールだよねぇと康太はつぶやく。次々と案を口にしていく保健医に「ありがとうございます」と桜は笑って見せた。
「先生、これ、聞きました?」
「ん? ああ、最初にちょっとだけ聞いたよ。綺麗な音だね」
「おばあちゃんが、大事にしてたんです。なんでも若い頃に、おばあちゃんが引いていた琴の音色を、オルゴールにしてくれたんだとか」
「へえ、素敵だねえ! そっか、だからこそ、北条さんのところに帰ってきたかったんだね。そのオルゴールは」
「そうですね。そんな気がします」
「帰りたいって強く思う場所があって、帰ってきてほしいと願う心も強ければ、こうやって帰れることもあるんだね。なんだか素敵だなあ」
「……康太先生は、なんだか、待っている人って感じですよね」
「そうかな?」
 軽く首をかしげる。桜は目を細めて「はい」と答えた。
「康太先生の側って、なんとなく安心します。でも、とどまってる安心じゃないんですよね。なんだかまた頑張ろう!って思えるような感じ。そういえば、静夜くんもそんなこと言ってました」
「私のことを、しーちゃんが? それは嬉しいな」
「そういう人間に、なれたらいいなって思うんです」
 わずかに頬を染めて、桜が小さな声でつぶやく。康太は不思議そうな顔をしたものの、聞き返すことはせずにただ少女の言葉を待った。
「私って、結構、どんどん言っちゃうほうだから。穏やかじゃないし、待ってるって感じでもないんですよね。どうしたの?って、自分からついつい聞いてしまうし。でもそうじゃなくって、困ったときには相談に乗れるような位置にいたいなぁって思うこともあるんです」
「おせっかいって思われたくない?」
「それもあるんですけど。……行動あるのみ!じゃあ、落ち着けないのかなぁって」
 誰のことを思うのか。桜の視線は、時折あらぬ方法を見やっては元に戻る。康太はひどくほほえましそうな表情になって「無理はしないほうがいいよ」と言った。
「え?」
「誰かが抱えている辛い気持ちを、察して手を取ってあげるっていうのはね、とっても素敵なことだと思うんだよ。しかも見返りを求めることもなく、それが出来てしまうんだから」
「せ、先生! 私、そんな立派な人間じゃあっ」
「そうかな? 私にはそう見えるんだよ。北条さんから見て、私が穏やかに待っている人に見えるようにね。本当は違うかもしれないんだよ?」
「そう、ですか?」
「そうそう。とにかく私からみたら、北条さんが無理して変えてしまおうって思うのはもったいないと思うなぁ。そのままが一番だよ、今がいいんだから」
「なんだか恥ずかしくなってきました。……ありがとうございます」
「いやいや。あ、それにこれ、半分受け売りだし」
「はい?」
 桜はぽかんとする。康太は悪戯っぽく、空になったカップを受け取った。
「しーちゃんが言ってたんだよ、北条さんのことをね」
「し、静夜くんが!?」
「うん。だからね、もったいないよ。あれ、ところで北条さん、顔赤くない? 大丈夫かい? もしかして体調が悪い?」
「そ、そそそ、そんなことないですっ! 大丈夫です。か、帰りますねっ」
 大慌てで桜が立ち去ろうとするので、康太は慌てて声をあげた。
「一人で帰っちゃダメだって! もう少ししたら終わるから、私が」
「いいですっ!」
「いい?」
「……で、電話してみます。本当は、なにかあったんじゃない?って、静夜くんに聞かれてたんです。家にいるから、なにか言いたくなったら電話してって」
「あ、そうなんだ。良かった。じゃあ、しーちゃんに、送ってもらうんだよ」
「先生っ!」
 安心安心と緊張をほどいた保健医を、桜は明るく呼ぶ。
「ん?」
「ありがとうございました!」


 桜が静夜と連絡をとった後「二年A組の委員長の私物を盗む不届き者を退治しよう!」大作戦が行われることになる。
 同時に静夜が桜に鏡をプレゼントするまで、あと少し。
[終]


第四話終了記念として人気投票を行いました。というわけで一位の康太と、二位だった桜のコンビで短編です。
康太といえば、見守っているような雰囲気というイメージが強いのかな?と思いましたので、こんな感じの話になりました。桜は恋愛色強めで。もう一つの記念小説とのリンクです。
なにが起きていたのか?も考えてはありますが、書くとしたらまた別の機会で。というより、読みたい方いらっしゃるでしょうか?
ゲストキャラは毎回書いていてとっても楽しかったりします。時間が経過してる分、ゲストたちの距離もどんどん変わってきていますしね。
あ! ゲストといえば、町子の項目なくってすみませんでした。まだゲストともいえないかな?とか勝手に判断しちゃってまして。次にやることがあったら、いれておきます。
人気投票参加、ありがとうございました!
竹原湊 湖底廃園
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