番外編

目次
[想い向く方向]

 華奢な後姿を見かけて、織田久樹は足を止めた。
 丁度、夕暮れ時。地下鉄の駅へと続く道は、急ぎ足の人波で満たされている。その流れから外れて、少年はただ佇んでいた。
「あれ?」
 色を入れているでもないのに、薄い紅茶色をした髪が風に揺れる。いかにも柔らかそうなそれは、どこか穏やかな印象を持たせていた。
「静夜っ」
「んー?」
 無防備な表情で振り向いて、静夜は「あれ?」という顔になる。彼等が出会った場所は、白鳳学園駅とは違う駅にある繁華街の一角だったのだ。
「久樹さん、こんなところでどうしたの?」
「どうしたのって、それって俺の質問。一人でなにしてるんだ」
「ん? ああ、ちょっとね。入ろうか入るまいか悩んでいるところ」
「へ?」
 首をかしげた久樹の前で、静夜は苦笑して視線をずらす。
 少年が佇んでいた場所から見える位置に、日本家屋を改築したであろう店が構えてあった。小さな庭園までも要した店は洒落ていて、甘味屋ののぼりが風に棚引いている。
「あれ、静夜ってああいうところ、一人で入りにくいって思うほう?」
「いいや、食べるんだったら迷わないんだけど。あの店って、甘味と一緒に雑貨も売ってるんだよね。僕はそっちに用事があるんだけど、店の奥にあってさ。食べてから買うのがパターンになってるみたいなんだよね」
 んー、困ったと少年は首をかしげる。微妙に長めの髪がゆれ、白いうなじをわずかにくすぐっている。それが妙に目に焼きついて、久樹は「うーん」と短くうなった。
「なに、どうしたの?」
「いやなに、改めて静夜って女の子みたいだよなぁって思ってさ。眼差しがキツイというかいかにも少年!って感じだから、面と向かってる時はなにも思わないけど。隠れてるときは時々ビックリするよ」
「ふーん、そんなもん? 僕にはよく分からないけど」
 さらりと言葉を受け流し「よし」と静夜は拳をにぎる。
「やっぱりここまできたし、入ってくる。じゃあ」
 駆け出そうとした少年の腕を、久樹は思わずつかんだ。
「なに?」
「いや、俺も一緒にいくよ」
「なんで?」
「静夜がなに買いたいのか興味あるし。あの店の雰囲気がよくって、旨いんだったら、今度爽子をつれてくるし」
 喋っているうちに盛り上がってきたのか、久樹は静夜を引きずるように店へと向かう。形のよい唇をぽかんとあけて、少年は「仲、いいねぇ」とつぶやいた。
 木の扉に手をかけて、暖簾をくぐる。すぐに袴姿の店員が「いらっしゃいませ」と笑顔を向けてきて、久樹は「わっ」と目を見張った。
 矢絣の着物と袴姿で、たすきがけをしていのが珍しい。店員にテーブルを勧められて、席についた。
「確かに、なにも注文しないですむ感じじゃないな。なあ、静夜、あれってここの制服?」
「別に制服ってわけじゃないんじゃない? 好きで着てるんだろうし。まあ、あれが目当ての客もいるんだよ」
「なんで知ってんの?」
「変な人につきまとわれてるんです、って相談されたことがあるから。昔から、女の人に相談されやすいんだよね」
「静夜、ここって常連?」
「康太さんが、うちの常連さんなんですよ」
 明るい声が割って入ってくる。ふわりと鼻をくすぐる香りがあって、久樹は出された茶に目を見張った。
「桜茶?」
「ええ、最初にこれをお出ししているんです。なにになさいます?」
「俺、ここははじめてなんだ。静夜、お勧めは?」
「んー、揚げ饅頭かなぁ。僕は雑貨のほうを買いにきたんだ、だからお茶はいいよ」
 軽く手をあげて断ろうとした静夜に、店員はころころと笑い出す。
「今は混んでる時間じゃないですから、気を使わなくって大丈夫です。買い物が済んだら、お友達の方と一緒に休んでいってください。ええと、では揚げ饅頭をお一つでよろしいですか?」
「お願いします」
 明るく久樹が笑って見うと、店員は「かしこまりました」と同じように笑顔をみせる。「確かに、彼女目当てのヤツが出そうだよ」と後姿を追ってつぶやいた。
「静夜はなに買うんだ?」
「鏡」
「……静夜が使うのか?」
「あのねぇ、そんなわけないよっ。桜にさ」
 形の良い唇をとがらせて、静夜は軽やかなしぐさで立ち上がる。そのまま奥へと向かおうとした手を、久樹が取った。
「なあ、静夜って、北条さんのこと好きなんだろう?」
「……っ!? な、なんだってそんなこと、聞くわけ!?」
「いや、興味あって。いつも冷静な静夜が誰かを好きになったら、どういう行動に出るんだろうなぁとか」
「あのねぇ、自分が爽子さんに対して行動できないからって、僕の動きにヒントを求めないでよ。第一そんな簡単なことでもないんだし」
「簡単なことじゃない?」
 こげ茶色の目を細める。はっと静夜は目を見張り、眉根を寄せた。
「ちょっと先に買ってくるから、手を放してよ」
「え、ああ、分かった。なあ」
「話すから! ……少しならさ」
 なぜか苦しげな表情を見せて、少年は奥へと向かってしまう。その間に、店員が漆塗りの盆に揚げ饅頭をのせて運んでくる。音を立てずに器を並べ、彼女は首を傾げて見せた。
「静夜さんのお友達なんですよね?」
「ああ、そうです。年齢は違うんですけど、同じ学園の寮生なんで」
「そうなんですか。いえ、ああいう態度をとるのってはじめてみたんで。静夜さんってとっても優しい人だから」
「ああいう態度?」
「ちょっと突き放したみたいな……喧嘩ですか?」
「いや、別に何も。それに俺に対してはいつもあんな感じ……あれ?」
 もしや俺はまだ警戒されているのだろうかと、久樹が揚げ饅頭のもられた器の端を握り締めたまま固まるので、店員は慌てて手をふる。
「申し訳ございません。どうぞおきになさらないで下さい。冷めないうちに、どうぞ」
「うん、ありがとう」
 そそくさと立ち去った店員を見送って、久樹は饅頭をおもむろに口にいれる。「あつっ!」と大きな声を上げると、近くのテーブルにいた高校生らしきグループにくすくすと笑われて、苦笑いを返した。
 さくさくとした皮と、甘みを抑えた餡が口の中に広がる。これは絶対に爽子も好きだと確信をして、いつ連れてこようかとスケジュール帳を引っ張り出した。
「爽子さんといつこようかなって、計画中?」
「あれ、もう買ったのか?」
「うん。第一印象で決める主義だから」
「でも女の子へのプレゼントに、鏡って縁起悪くないか? 割れ物って良くないっていうしな」
 半分食べるかと久樹が差し出すと、静夜は軽く手を振る。
「まあ、そういうけどね。今まで使っていた鏡をなくしちゃったらしいんだよね。蒔絵が描かれた鏡で、祖母から貰ったんだって。大事な人から貰ったものをなくすと、すごく悲しくなるし。かといって自分でもう一度買おうとは思えないだろうしさ」
 冷えてしまった自分の分の桜茶に、静夜は軽く口をつける。
「……だったら、僕があげようかなって。それで気分が紛れるわけでもないだろうけど、ないよりはマシかもだしね」
「それって、北条さんにとって自分が大事な人だっていう自信が……」
「あのさ、怒るよ。なんで強引に、そっちに話を持っていくかな」
「静夜って相談しやすいんだよ、実際に」
「だからって、僕の例を聞こうとしないでよ! ……あのさ、たとえ僕が桜を好きでもね。そう簡単に、好きだって言うわけにはいかないんだって」
 苦しげにそっと息を落とす。桜の花が泳ぐ茶の器を両手で包み込み、静夜は映る影をじっと見つめるようにした。
「……異能力を持つってことはね、他者から排除される可能性があるってことだって話したよね」
 誰にも聞こえないようにか、静夜の声はあくまで細い。
「家族からも排除される可能性もある。でもね、それだけじゃない。……世間からみれば、僕と家族はおなじくくりだからね。家族のほうだって、排除されてしまうんだよ」
「――あ」
「桜のことはそりゃあね、ちゃんと思ってるよ。でもそれを言ってしまったら? 僕が排除されるだけでなく、桜まで一緒にされてしまったら? 僕にはそうなる事態を受け入れる覚悟がまだない」
「覚悟って。でもさ、そうなったとしても、静夜が北条さんを守ればいいんじゃないのか?」
 恋人と家族とでは、周りの認識は違うだろ?と久樹が続けると、静夜は薄い唇をきつく噛んだ。暗い怒りを瞳に宿し、じっと彼を見つめる。
「僕はね、一方的に守られるのは大嫌いなんだ。僕に一方的に守られて、僕だけが傷つくとしたら、桜はどう思う? なんで一緒にって言ってくれないんだって怒るだろうし、悲しむよ。辛いことなんだよ、一方的に庇われて、守られて。無事で居ることを望まれるのってね」
「静夜?」
 珍しく静夜が出した、暗い言葉に息を詰める。雄夜と静夜の間にある葛藤をくわしく知らぬ久樹にとって、少年の暗い告白は驚くべきことだった。
「……まあ、そういうこと。桜も巻き込んででも一緒に居たいって思えたら、エゴがそこまで強くなったら、僕は言うかもね」
 白い手を、器から離して軽やかに笑う。
 とたんに少年がまとっていた暗さが離散して、久樹は呆気に取られて思わずうなずいてしまう。それから最後の揚げ饅頭を口にほうりこみ、咀嚼し、飲み込んでから「ごめんな」と言った。
「何が?」
「いや、なんか、興味本位で聞いた形になったからさ。悪い。……しかし凄いよなあ、そこまで覚悟をしようと思ってるなんて」
「でも、なんだって覚悟って必要なんじゃない? 第一こんなに考えてたって、相手もいることなんだし。僕が言ったとして、桜がどう答えるかも分からないし」
「そりゃそうだよなぁ。……俺も覚悟しないとな」
「爽子さんのこと?」
「今のままってわけにもいかないよなぁって、思いはするんだ。ついついずるずるしてるけど」
「爽子さんって、結構心配性だしね。久樹さんは自信ないわけ?」
「ある、って言い切れたらな。だってそうだろ、俺と爽子は兄妹みたいに育ってきたんだ。大事に思うのは当然なんだけどさ、それが恋愛の大事なのか?ってことになると。自信を持っていえるのは、俺の気持ちだけだよ」
「ふーん。僕にしてみれば、そのまま言えばいいだけだと思うけどね」
「簡単に言ってくれるな。はあ」
 ずるずると体の力を抜いて、久樹は机につっぷしてしまう。静夜は笑い出して、年上の友人の肩を軽く叩いた。
「ま、頑張るんだね。……二人の心に、なにかが訪れる前に」
「なにか?」
「不安とか、さ」
 悟ったような表情で、静夜がつぶやく。じっと少年の顔を見付めて、久樹も神妙な表情を浮かべた。
「そうだな。まずは、変化を望むことからだよなぁ」
「そうそう。人はね、変わっていくものだよ。それがね、なんだか僕には嬉しく感じられるんだ」
 ゆっくりと、変化していったように。
 桜のことだけでなく、友情を深めつつある智帆のことや、双子の方割のことを思って、静夜はやわらかに微笑んでいた。
 全ては変化するのだ。
 時は流れ、人は心を持つのだから。
 ――変化を恐れる者がいるとしても。
[終]



第四話終了記念として人気投票を行いまして、一位&二位記念の番外編です。
人気投票+コメントの換算で、一位が久樹の149票、二位が静夜の146票。三票差の接戦だったので、その二人で短編を書きました。
久樹と静夜のからみって、実は本編でも殆どないんですよね。久樹がぶつかるのは基本的に智帆が相手のことが多い気がしますし。
静夜は智帆にしか気持ちをぶつけないところがあるので、書いていてちょっとだけ不思議な気分でした。でも久樹と静夜のコンビも悪くない気がしたんですが、どうだったでしょう?
爽子と桜の両方出しても面白かったかな?と思ったのですが、こんな感じで締めました。四話開始前の一コマという感じです。
投票に参加くださってありがとうございました。同時に、いつも読んでくださってありがとう。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
竹原湊 湖底廃園
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