番外編

目次
[待ち合わせ法則]

「おにいちゃん、さびしいの?」
「はあ? なにが」
 引き戻されて、智帆は顔をしかめる。しゅんと名乗った子供は、むーと唇を引き結んだ。
「こわいかお、だめ。そういう、かお、するとね。みんな、こわがるよ」
「はいはい」
「はい、は、いっかい!」
「はい」
 びしっと決めた子供に苦笑する。そのままのんびりと進んでいると、なにやら騒がしい音が聞こえてきた。ふっと視線を向ければ、スーツ姿の歳若い父親らしき人物が、血相を変えて突進してくるのが見える。
「あー! おとうさーん!」
 智帆に向けていたものではない、安心しきった日向のような笑顔を、突然にしゅんが浮かべた。
「俊っ!」
 喧騒の中では小さな音でしかない声が、なぜ届くのか。その男はぐるりと身体の向きを変えて、こちらにと駆けてくる。
「大丈夫なのか!? 振り向いたらいないから、なにかと」
「んとね、じゃぼーんで、つめたーいで、ぷかー、どぼーんだったの」
「は?」
「だからねー」
 身振り手振りをいれて懸命に説明をしている。
 たどたどしい説明を、真剣な面持ちで聞いている若い父親に、智帆は珍しく柔らかな笑顔を向けた。
「拾ったんですよ、俺が。そこの川で。はい、返します」
「……川で、拾った?」
「おぼれているはずなのに、暴れもしないで。浮き沈みしながら、そこから流れて来ました」
「しゅ、俊、お前なぁ」
 渡された我が子をぎゅっと抱きしめて、へなへなと彼は脱力する。姿を見失ったずぶぬれの我が子を発見しただけでも驚くというのに、溺れていたとは尋常ではない。子供はただ、「んー?」と首をかしげてから、にぱっと笑った。
「おとうさんの、いうとおり、だったよ」
「何が?」
「ちゃんとね、ぷかーで、どぼーんで、くりかえしだったもん。うみがちかくて、しょっぱいのも、ほんとだったよ」
「浮かぶから大丈夫だって思って、静かにしてたのか?」
「うん! さいしょにね、がんばって、コート、ぬいだよ」
 褒めてと目を輝かせている我が子を前に、父親は苦笑を唇に浮かべながらも、軽くなでる。何度も何度も抱きしめてから、彼は深々と智帆に頭を下げた。
「助けてくださって、ありがとうございます」
「いや、別に」
「濡れたままでは風邪をひきますから、服を買わせてください」
「俺が勝手にしたことですから。服もいいです」
 飛び込む前に脱ぎ捨てて無事だったコートを持ち上げながら「これもありますし」と智帆は笑う。けれど相手は難しい顔のまま「とにかく」と強引に彼の腕を引いた。
 問答無用なわけだと考えながら、智帆は腕を引かれて歩き出していた。



 新しい服に着替え、濡れた服は奪われ、髪が濡れたままではと美容院にまで放り込まれた智帆が、自由になった時にはすでに夕焼けが始まっていた。
 ポケットに手を入れて、智帆は壊れた携帯電話を取り出してみる。静夜はどうしただろうかと考えて、軽くため息をついた。
「あいつ、怒ると意外に怖いんだよな。さすがに寮に戻ってるとは思うが」
 寮に戻るべきだと考えるのだが、なぜか帰る気持ちにはなれず、ふっと足を止めてみる。
 立ち止まった彼を抜いていく人影の殆どは親子ずれだった。夕焼けの赤い背景に溶け込むような、暖かな光景に智帆はふと思い出す。
 白鳳学園に来る以前のことだ。
 異能力に目覚めて以来、智帆の住む家は人の温もりを失っていた。家族が集まることのないリビングは常に閑散とし、ハウスキーパーだけが使用するキッチンには生活感がない。
 会話はなく、ただ同じ空間に住む者同士が、時折すれ違うだけの日々だった。
「ちっ」
 舌打ちを一つして、身体を震わせる。
 寒さに強い彼は、吹いた北風に負けることはない。ただ今は、北風が冷たかったから震えたのだと、必要もないのに彼は言い訳をしていた。
「こんなこと、思い出してもなぁ」
 うっとうしい程に暖かで、絆の深い父子に触れてしまったせいで、こんなことを考えてしまったのだという自覚が智帆にはある。ポケットから手を引き抜いて、彼は癖のある髪をかき回した。
 寂しかっただとか、孤独だったとか、見捨てられている恐怖だとか、そんなことを全て封じ込めて、いつもの自分を取り戻そうとする。髪をかき回していた手を下ろし、心臓のある右胸の上に置いた。
 鼓動を、一、二、と数えだす。
 十を数えたところで目を開けようと考えていた。智帆が八を数えたところで、ポンッと肩を叩かれる。
「智帆っ!」
 不意をつかれて、息を呑んだ。
 素で驚いた智帆は振り向いて、ぽかんと「静夜?」と呼びかける。
 膝丈までのダッフルコートをきた大江静夜が、吐く息を白く染めて笑っていた。
「見つけた。遊園地でかくれんぼがしたかったなんて、智帆も子供っぽいところあるもんだね。でもさあ、僕はかくれんぼって好きじゃないよ?」
 悪戯っぽく首をかしげると、静夜は「ん?」と呆然としている友人に呼びかける。「こんなところで、何してるんだ?」と、智帆は尋ねた。
「珍しく間抜けな質問だね。遊園地で落ち合おうって約束したろ? 智帆と僕がここにいないで、どうするんだよ」
「いや、連絡取れなかったろ?」
「ああ、それ」
 どこかカフェにでも入ろうと、静夜は智帆の手を引く。
「何時間か前にさ、智帆、寒中水泳しなかった?」
「寒中水泳っていうか、溺れてる子供助けに行ったな」
「突然すごい寒気を感じてね。水に意識をむけたら、飲まれそうになってるのが分かって」
 溺れてる子供を助けようとした瞬間だったのかも、と静夜は少女のような美麗な顔で、少年らしい笑い方をして見せた。
「助けなくちゃって思って、水に少し力を加えたんだよ。直後に携帯に電話してみたけど繋がらなかったから、壊れたかなって。だから何かあったんだろうって思って、こっちにきてから聞いて回ったんだ。子供がおぼれて、助けた高校生がいた。その高校生は、現れた子供の親とどこかに行ってしまった。じゃあその高校生が智帆だと考えたわけ。正解?」
「大正解。そっか、水が身体を押し上げた感じがしたのは正しかったんだな。静夜が俺を助けたのか」
「少しは役立ってたみたいで、良かったよ」
 パンッと智帆の背を叩いて、静夜はそのまま近くのカフェを目指して歩き出した。子供を助ける前に智帆が陣取っていたカフェで、店員の一人が「あっ」と声を上げ、ひどく優しく微笑んでみせる。
「智帆の知り合い?」
 アイスロイヤルミルクティと、智帆の分として勝手にホットココアを頼んでいた静夜が、不思議そうに店員と智帆を見比べた。
「ここで茶を飲んでた時に、溺れてる子供を見つけたんだよ」
「あ、なるほど。席戻ってていいよ、僕が持ってくから」
 ひらりと手を振られて、智帆は素直に席に戻る。静夜が勝手に選んだ席は、入り口からもっとも離れた場所で、窓際を好む彼らしからぬ選択だった。その変わり、入り口のドアが開いて寒波が入り込んできても、全く影響がない。
「ああ、なるほど」
 寒中水泳を行う羽目になった智帆が、風邪を引くのではないかと静夜は心配しているのだ。だから暖かい店内にすぐに入ろうとしたし、勝手に暖かい飲み物を頼んで、店の奥を選んでいる。
 心配されていることになれていない智帆は、静夜がみせるさり気ない気遣いに、一々驚いてしまう。
『心配してるんだよっ!』
 束縛しているのではなく、ただ心配なのだと秋の事件の際に静夜が叫んだ声は、智帆にかなりの衝撃を与え続けていた。
「なにかあった?」
 静夜はかたんとトレイをテーブルにおく。
「いつもアイスなんだな」
「喉かわいてる時って、さめるまで待ってられないよ。猫舌って結構不便なんだよね」
 言葉通り、静夜は一気にロイヤルミルクティを飲み干し始めた。あまりの勢いに智帆が目を丸くする前で、「やっと一息ついた」と彼は笑う。
「静夜、もしかしてここに付いてからずっと、休まないで俺を探してたのか?」
「あー、まあ、そうだね」
「連絡取れないのは俺のせいだったんだから、寮に戻っても良かったろ」
「約束したし。それに誰かを置き去りにするの、僕は嫌いなんだよ」
 静夜の紅茶色の瞳が、突然すぅっと凍りついた。
 カフェに来る前の会話を思い出して、智帆は頬杖を付く静夜の手首を掴んで引き寄せる。
「かくれんぼが嫌いってさっき言ったよな。置き去りにはしないってのに、関係するのか?」
「……まあね。かくれんぼってさ、信頼関係がないと出来ないと思わない? 隠れていると思うんだよね。もしかしたら、自分だけ放っとかれるんじゃないかとか、忘れられてるんじゃないかとか」
 凍ったままの静夜の眼差しに、どこか凄惨な影までもが落ちてくる。智帆は踏み込むべきかを一瞬悩んで、手を離した。静夜が向けてくる心配を、当たり前だと認識できない状態では、まだ踏み込むべきではない。
「忘れられるもなにも、最初から”ない”って思われることもあるしな」
「あー、それも嫌だね。だからね、かくれぼってのは結構残酷な遊びだと思うわけ。どれだけ見つけたい相手かどうかを、遊びごときで試されて答えまで出る。だから嫌いだよ」
「かくれんぼを仕掛けて、試した覚えは無いからな」
「智帆は仕掛けてない。僕が仕掛けたのかもだよ?」
 形のよい唇に、すっと冷たい笑みを浮かべる。答えるように人をくったような表情を浮かべて、智帆は壁によりかかるようにして顔を離した。
「誰に?」
「僕自身にかな。最初の理由は、待ち合わせを何度も繰り返したら、分かるようになるかなって思ったからだったんだけどね」
「分かるように?」
「かくれんぼする段階までいってないからさ。僕は智帆を置いていかないし、見捨てもしないし、信じてもいるってことを分かってもらわないとさ」
 ふわりと、本当に優しげに静夜は笑う。智帆は呆気に取られて、思わず天井を仰いだ。
「あ、のなぁ。お前、似合いすぎるから、少女漫画みたいなこと言うなよ」
「言わないと分からないだろ、智帆は」
「分かるさ」
「分かってないって。ああ、でも分かってる部分もあるのかな」
 机の上においていた手を引いて、静夜は考え込むように細い手を顎に当てた。
「子供を助けて、親御さんが来て、お礼だって言われてひっぱりまわされて。ようやく解放されたとき、智帆は寮に帰ろうって思わなかったわけだよね」
「帰ろうと思ったさ」
「その割には、黄昏ながら人待ち顔で立ち止まってたけど」
 大きな目を細めて、静夜は智帆を見つめる。それから心底楽しそうに、笑い出した。
「上等。無意識に、待ってるかもなぁって思ったってわけだよね」
「嬉しそうだな」
「そりゃあもう。なかなか慣れてくれない動物を手なずけた気分?」
「普通、野良猫を例えに持ってこないか?」
「残念ながら、猫に懐かれなかったことはないんだよね」
 くすくすと笑い続ける静夜が、唐突に笑いを収めた。
「――僕は絶対に見捨てたりしない」
 低い声。
 店の外を押し包む、冷たい冬の気温よりも遥かに低い。祈りの言葉のようであるのに、呪いを紡ぐ様な様子に、智帆は眉根をきつく寄せた。
「静夜?」
 たずねた智帆の声はからからに乾いていた。
 打たれたようにあげた顔に浮かんだ、どこか痛々しい幼い表情に智帆は眉をさらによせる。目の前で紅茶色の髪をふわりと振ると、静夜は普段と同じ表情を取り戻して笑って見せた。
「夜、あんま余裕ないし、家でやっぱ食べようか」
 何が食べたい?と聞いてくる静夜を、智帆はただ睨む。
 ――なにがあったんだ?
 今の智帆には、まだ口に出来ない言葉だった。
[終]


コンビor恋人人気投票で一位だった、智帆と静夜な話です。
前半はもろに智帆話で。後半は第四話で完全に明らかになる、静夜の過去がらみでちょろっと。時間的には、第三話終了後、第四話開始前のあたりです。(第四話は、正月明けです。時間軸的には)
時間がゆっくりと経過していくタイプの話なので、キャラ同士の距離の変化にはすごく気を使っていたりします。難しいんですが、同時に楽しかったり。私の書く話って、すでに成立している二人っていうのが多いものですから。(恋人しかり、親友しかり)
スランプ気味で、治しやらで書くのにかなり時間がかかってしまいました。
投票、ありがとうございました!!
竹原湊 湖底廃園
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