番外編

目次
[待ち合わせ法則]

 期末試験の最終日。
 気力が尽きた様子の生徒たちをなんとなく見渡してから、秦智帆は立ち上がった。
「じゃ、またな」
 ニヤリと笑って手を振ると、他の生徒たちがいっせいに彼をみやる。
 なにやら不満げな声が上がるのは、テスト終了が理系の生徒たちだけだからだった。文系の生徒たちは、あと二つばかりテストが残っている。人の悪そうな笑みをひらめかせ、鞄を持ち上げて歩き出す。
「智帆」
 ひょい、と。友人の机の横を通り過ぎたところで、声がかかった。
「なんだ?」
 首だけ振り向くと、椅子を後ろに倒しながらシャープペンシルを指で回していた大江静夜が、にまりと笑った。
「遊園地か動物園。どっちがいい」
「はあ?」
 突然の言葉に、驚いて智帆は一歩下がる。次に控えたテストのために、ほとんどの生徒がノートと教科書とにらめっこをしている。一人ゆうゆうと足を組んで、指でシャープぺンシルをまわして遊んでいるのは静夜くらいのものだった。
「だから、どっちかなって?」
 詳しい説明をするつもりはないらしい。
 秋頃から、なぜか二人は毎日喧嘩を繰り返していた。仲直りしたと思った三秒後には、別のネタで喧嘩を始めている。それはまるで、小さな兄弟が起こす喧嘩のようで、イヤでも巻き込まれる立場にある雄夜は首をかしげていたものだった。最近になってようやく、それが収まってきている。
「意味不明。なんだよ、静夜」
「んー、智帆的にどっちかなって思っただけなんだけどね。質問を変えようかな。小さい頃、なんとなく行ってみたかったのってどっち?」
 単純そうな質問に、なぜか智帆は考え込むような顔になる。間をおいてから、智帆はメガネのずれを軽く直した。
「――遊園地、かな」
「そ。じゃあさ、シーサイドの遊園地で待っててよ、今日。ついたら電話するからさ」
「はあ?」
「テストが終わったら、一緒に行こう」
 少女のように整った顔立ちの少年は、無邪気ににこっと笑ってみせる。悪巧みなど出来ないように見える子供のような表情だったが、智帆はぴくりと眉を寄せる。
「静夜、お前なにか企んでるだろ」
「企んでるかもね。まあ、僕の企みくらい看破してみせてよ」
「無理」
「そうかなぁ?」
 にこにこと静夜は笑顔を崩さない。
 静夜がこういった態度を取る相手は、彼が自分のテリトリー内にいれた人間に対してのみだ。誰のことも受け入れているように見せているくせに、踏み込ませている相手の数は片手の指だけできっと足りてしまう。
「……まあ、いいか。じゃあ後で」
 ひらりと手を振る。静夜は目を細め見送ってから、智帆と同じように鞄を持って立ち上がった、クラスメイトの北条桜に声をかけていた。


 だから今、智帆はシーサイドの遊園地内にあるカフェの一角を陣取っていた。
 入場料は設定されていない。中にはショッピングモールとアトラクションが並立し、中ほどには大きな川が流れていた。夏になると、水を利用したパレードなどが行われている。
 智帆は自宅に戻って鞄を放り投げてから、モバイルパソコン片手にまっすぐシーサイドに来ていた。
 平日の昼間のためか、人の数は少ない。カモミールティーと抹茶のシフォンケーキで頼んだだけの智帆が時間をつぶしていても、特に邪険にはされないですむ。
 かちかちと一定のリズムをたもったまま、智帆はキーボードを打っていた。彼はウェブ上にサイトを持っている。不思議な体験談を集めて、記事として掲載しているもので、なかなかの人気を誇っていた。
 秦智帆が持つ”風”の異能力。これと同じものを持つ者はいないだろうかと、情報を求めるために作り上げたものだ。
「なんてまとめるかな」
 寄せられた体験談のメールの横に開いたテキストエディタをにらんで、ふっと智帆は頬杖をつく。実は智帆がまとめると、なんでもかんでも新聞記事のようになってしまう。ソレが受けているらしいのだが、文才豊かな静夜なら、どうまとめるだろう?とふと思った。
「といっても、サイトのことは静夜には言ってないしな」
 情報を集めるためだけが目的の物を、別に友人たちに見せる必要はないと智帆は思っている。
 さめてしまったカモミールティーを口に運び、思いついた切り口で文章をまとめていく。これでいけるなと手ごたえを感じたところで、キーボードを打つ智帆の指先は狂ったような速度を乗せ始めた。
 かちかち、かちかち、と。数少ない客が、驚いた顔で智帆を見やるほど、タッチが早い。
「ん?」
 ふっと、顔を上げる。
 何か視界に、ひどくひっかかるものを捕らえた気がしたのだ。
 ひょいっと立ち上がって、伸び上がる。智帆がいたのは、カフェの二階の窓側の席だった。見下ろせば、遊園地とショッピングモールの中央を分担して流れる川が見える。
「へ?」
 智帆は嫌そうに眉をしかめた。
 ありえない。あまりありえない光景がたしかにある。
「流されてる?」
 幼稚園児と思われる子供が、川にぷかーと浮いていたのだ。
「泳いでるんじゃないよな。ん? あ、沈んだ。浮かんだ。……あれは一応、おぼれてるのか?」
 おぼれている子供というのは、もう少しばかり必死になっているのではないだろうか。悲鳴もあげず、水音もさせず、浮いては沈むのを繰り返している小さな姿に、智帆は思わずのんびりしてしまう。
 パタン、とノートパソコンを閉じた。
 次に川面を見やると、先ほどまで浮き沈みを繰り返していたはずの子供の姿がない。
「……。……おぼれてるのか!」
 先ほど認知したばかりのことを、今更のように実感として捕らえて、智帆は慌てて窓枠に足をかけた。周囲の客に「ちょっと、この荷物見ててくれ!」と声をかける。立派な樹が見事な枝振りを見せていて、その一つに彼はふわりと飛び移った。
 智帆は実は高いところが得意だ。
 風を操るからというわけでもないだろうが、かれは目がくらむということがない。体重のない者のようにふわりと飛び移り、そのまま器用に飛び降りると、店員が「きゃあ!」と声を上げた。
「あ、悪いけど財布預かってくれ」
 ぽんっとズボンから財布を抜いて放り投げる。お客様!?と背に届いた声に「ちょっと人助け」と答えてみた。
 静かにおぼれている子供に、気づいている者は他に居ないらしい。川辺には、水難事故がおきないようにと、強化ガラスの壁がある。智帆の肩の高さ程度のそれに手をかけて、腕の力だけで一気に身体を持ち上げた。
「き、君!?」
 遊園地側のスタッフがあげた、頓狂な声が耳を打つ。
 雄夜がいればやらせたのにな、と思いながら、智帆はそのまま川に飛び込んだ。


 水は、冷たい。
 冬なのだから当たり前だ、と智帆は思って、子供を捜した。
 雨が多かったせいなのか、流れはともかく水かさが多かった。水には濁りがあって視野は狭かったが、計算にしてだした流された地点に自信があったので、子供が見つからない心配はしていなかった。
 ただ、身体がひどく冷たい。
 黄色い色彩を見つけて、智帆は手を伸ばす。ぐい、とひどく重い感触と共に持ち上げた。そのまま力いっぱい持ち上げて、水面を目指す。
 突然に飛び込んだ高校生に、川の上では騒ぎが起こっていた。
「君、何やってるんだっ! あれ、子供!?」
 心底怒っている様子の声を、耳が捉える。
 それを雑音と判断し、智帆はすばやく見定めていた方向をにらんだ。浮上するだろうとにらんだ場所からほとんど離れていない。夏にパレードを盛り上げるためにかけられた橋の側で、鉄製の梯子がかかっていた。
 手を伸ばし、ソレを掴む。がくんという自分自身の骨が鳴ったような感触とともに、負荷がかかってきた。歯を食いしばって、身体にかかってくる重みと、圧力をなんとか耐えようとする。冷たさに抜けそうになる手の力と、水を吸って重い子供の身体を支えようと、力を振り絞る。
 ――重い。
 なかなか水面から上がることが出来ない。川の上にいる人々が、悲鳴じみた叫びをあげているのが、今の智帆にはうるさかった。
「なんの対策も取れないで、勝手に頑張れとか言うな」
 奥歯をかみ締めた状態では、文句を口に出すことも出来ない。手がしびれて、胸まで水につかった状態から抜け出せず、少々あせっていた。
「これで失敗したら、俺の計算ミスってことになるのか」
 手がしびれてきた。
 子供は気を失っていて、先にあげることも出来ない。
 限界を手が感じ始めた瞬間、ふわり、と水の力が突然に変わった。
 どうどうと流れていたはずのものがピタリと静止し、逆に足元から押し上げてくるような力強さを見せてくる。
 にやりと笑んで、智帆は勢いよく子供を抱えたまま梯子を上った。
「お客様、大丈夫ですか?!」
 バスタオルをもって飛び掛ってきたのは、先ほど財布を預けた店員だった。店内においてきた荷物も持ってきている。結構いい店だったんだと智帆が思ったところで、盛大に子供泣き声がした。
 気を失っていた子供が目を覚ましたのだ。
「大丈夫か?」
 渡されたバスタオルで、わしゃわしゃと頭を拭きながら智帆が訪ねる。ぷくっとした頬が柔らかそうな子供は、んー?と振り向いて、へにゃと笑った。
「普通笑うか、そこで。助け甲斐のない」
 はあ、と智帆はため息をつく。周りを囲んでいたスタッフが、どっと笑い出した。子供はきょとんとした顔で、忙しそうに大人たちを忙しく見回している。
「とりあえず、救護室の方へ。医者もいますから」
「いや、俺は別にいい。怪我してないし」
 ひらりと手を振ったとたんに、ひゅうと風が吹いて、智帆は身体を奮わせた。
 寒い冬に、寒中水泳をしてしまったのだから、当たり前のこと。
「濡れたままだなんてダメですよ、風邪ひきますって。スタッフの制服ぐらいしかないですけれど、それが乾くまで着ていて下さい。さぁ!」
 ぐいと肩を持たれる。
「いや、待ち合わせしてるんだよ。……あ」
 ポケットに入れっぱなしにした携帯電話を思い出す。慌てて智帆はソレを持ち上げて、ため息をついた。
「壊れた」
 遊園地についたら電話すると静夜は言っていた。これでは連絡の取り用がない。
「電話なら、事務所にありますから」
「俺、電話番号暗記してないから」
 首を振る。どうするかと悩んだところで、子供がぎゅむっと智帆の手を掴んだ。
 ん、と首を傾げる。子供は嬉しそうに智帆ににじり寄って、座り込んでいた智帆の腹の上に乗ってしまった。
「は?」
「おとうさんと、いっしょー。めがねー」
 小さな手を懸命に伸ばして、びっくりして固まった智帆の眼鏡に手を伸ばす。そのままそっと奪われて、智帆は「わっ」と声を上げた。
「こら、返せっ」
「めがね。ふわぁぁあ」
 奪い取った眼鏡をそのままかけると、途端に子供はふらっと後ろに倒れそうになった。床についていた手をあげて、慌てて身体を支えてやる。
「こんな度のキツイ眼鏡、かけるヤツあるか!」
 すぐに奪い取って、眼鏡を戻す。ふらふらら〜と口走りながらも、眼鏡を取られたことが悔しかったのか、すこし唇を尖らせた。
「いじわる」
「あのなぁ」
 頭を抱える智帆を、ほほえましそうに係員が笑って見下ろしている。遊園地側のスタッフの一人が膝を落とし、救護室のほうに子供を連れていこうと抱き上げようとした。
「やー」
 敏感に離されそうになったことに気づいて、子供はぎゅむっと智帆の腰に抱きつく。必死な表情の子供の顔と、困惑気味のスタッフの顔を前に、智帆は溜息をついた。
「俺も行けば解決するってわけか」
 子供の脇の下にするりと手を入れて、抱き上げながら立ち上がる。すみませんとスタッフが下げた頭にぞんざいに手をふると、子供はさらにきらきらと目を輝かせた。
「わぁい、いっしょ」
「お前、名前は?」
「しゅん!」
「どこに住んでるんだ」
「あっちー」
 小さな指が、空を示す。智帆はやれやれと息をついた。
「誰かと一緒に来たんじゃないのか?」
「おとうさんと、いっしょ。ひさしぶり」
 智帆の頬を触って遊んでいた手を離して、口元を小さな手で押さえる。嬉しくてしょうがないという表情に、智帆は目を細める。
 ――父親と、一緒。
 抱きかかえた子供と同じくらいの頃は、智帆とて両親に手を伸ばして笑っていたことがあったのだ。迷子になっても、独りぼっちになったとしても、必ず両親が探し出してくれて笑っていた。
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