番外編

目次
[雨降り曜日]

 臨海都市伏巳区の海沿いの道には、多くの施設が立ち並ぶ。
 近未来を思わせる造形の科学博物館、歴史博物館、美術館などがそうで、近くにはレジャー施設もあるために休みには多くの人出がみられる。海の一部を埋め立てたことで、一時にかなりの面積に開発の手が入り、施設が密集したのだ。
 この科学博物館へと行ってくるようにと、白鳳学園初等部の生徒達に宿題が出たのは、五月の連休前のことだった。


「あ、雨だ」
 外に飛び出した川中将斗が、目を丸くして声を上げる。
 すぐ背後いた大江雄夜は、ぐるりと空を見上げて眉をしかめた。科学博物館に入る前は、雲ひとつない青空であったのに、目の前は確かに雨だ。
「晴れだと言ってなかったか?」
 やけに不機嫌そうな声を搾り出す。双子の片割れは雄夜の声に、空を見上げた。
 雨は、重い音を従えて打ち付けてきている。
 頭上の雨雲は厚く、一時的な雨ではなく、これから激しさを増していくことを、否応なく想像させていた。
「最近、天気予報当たらないね」
「当たらない天気予報に存在意味はあるのか」
 仏頂面で首を振る。「大げさじゃないー?」と将斗に問われて、「予報は当たってこそ意味がある」と雄夜は口を真一文字に結んだ。
 少しばかり遅れていた智帆が、エントランスで足を止めた。ゆっくりと振り向いて、静夜は首を傾いでみせる。
「傘、智帆持ってる?」
「折りたたみを一本な。静夜は」
「入れっぱなしだったのが一本だけ。幸運だったかな」
「二本確保か。久樹さん、傘持ってるか?」
 博物館にひょいと戻り、よく通る声で智帆は尋ねた。
 入り口に並べられた販売物の中で、メインの展示物であった恐竜についての本を手にしていた織田久樹は、ぎょっと顔を上げる。
「なに? 雨、降ってるのかよ」
「傘なしじゃ辛いくらいの雨が」
 智帆はわざと小さな折り畳み傘を振りながら、自分は持っていることを強調する。がっくりと肩を落とすと、久樹は傍らの幼馴染みに視線をやった。
「ごめん、私も持ってない」
「だよなぁ。雨降るなんて、天気予報は言ってなかったし」
「智帆君と静夜君が、傘持ってることの方が不思議よ」
「不思議ちゃんだな、あいつら」
 傘を持っているほうが奇妙だと談じられて、智帆は横目で友人を見やる。
「俺らは不思議ちゃんだとさ。せめて不思議君にしてほしい所だよな、男だから」
「変だよ、それ」
「なら不思議さんか。不思議氏でもいいかな」
「いや、どっちも変。第一、不思議ちゃんそのものが変」
「なるほど。根本から否定ときたか。ところでさ、さっきから雄夜はなにやってんだ?」
 雄夜は先程からしゃがみ込んで、鞄の中から何かを一生懸命に取り出していた。そのままごそごそと続けていたかと思うと、突然に立ち上がって、手にした物をパンッと勢いよく広げる。
 あまりの光景に目を見張り、智帆と静夜は互いを見やった。
「……。いやあ、俺は雄夜を理解しきれていなかったみたいだよ」
「双子だけど、理解そのものを放棄しようかな……」
 真っ黒いレインコートだった。
 雄夜が広げて、着込み始めたのは。
「それさ、散歩中に雨が降ってきても、シベリアンハスキーと全力疾走するための秘密道具なわけ?」
 呆れ気味の静夜の問いに、雄夜はなぜか嬉しそうに頷く。
 将斗が目を輝かせて「雄夜兄ちゃんかっこいいよっ!」と拳を握り締めた。今度一緒にレインコートで散歩に行くか?と雄夜が誘う声が聞こえてきて、静夜は紅茶色の髪をかきまわした。
「なんか怖い光景を想像した。黒ずくめのレインコートの大小の影に、疾走するシベリアンハスキー。夜だったら、それだけで凶器みたいな光景だよ」
「驚いた相手が転んだ場合、傷害罪に問われんのかな。……今度調べてみるか。さてと、これで雄夜は傘いらないだろ。今のところは二本だけで、必要な人数は六人か」
 三人ずつは無理だなと考えたところで、最後の一人である中島巧が博物館から出てくる。宿題には感想文を書くことも含まれていたので、資料にとパンフレットを集めて遅れたのだ。
「あれ、本当に雨降り出したんだ!」
 天気予報が当たったことに驚いている巧の声に、驚いて目を見張る。
「降るって言ってたのか、天気予報」
「うん、でも一部って言ってたしさ。一応持ってきたけど、役立つとは思わなかったな」
「巧も、俺達と同じ不思議ちゃんだな」
「なにそれ、智帆にぃ?」
 傘を持ってきた人物を不思議ちゃん扱いした久樹が、巧から死角になる位置から、必死に智帆に謝っている。誰からも説明を与えられずに首を傾げていた巧は、諦めて一同を見渡した。
 傘を持っている面子と、持っていない面々を確認する。そして最後に、自分の折りたたみの傘に視線を落とした。
「……。爽子さん、使っていいよ」
 はい、と傘を差し出す。
「え? 使っていいって、私が使っちゃったら巧君濡れちゃうでしょ?」
「いいよ、爽子さんが濡れるよりは」
「でも……」
 ぐいぐいと傘を押し付けてくる勢いに、爽子はつい傘を受け取ってしまう。慌てて「待ってっ!」と声を上げるのと、走り出した子供のを肩を久樹が掴んだのは同時だった。
「お前が濡れたるのは変だろっ。ここは譲るから、二人で一緒に傘に入れよ。智帆か静夜が傘貸してくれるだろ、将斗と帰るからさ」
「ちょ、ちょっと待てよ! 爽子さんは別に、久樹にぃから譲って貰う人じゃないぞ!」
「どうどうどう」
「俺は馬かーっ!」
 適当にいなされて、巧は身体を震わせて声を上げる。さらに走り出そうとした彼の頭に、すっと青い色の傘が差しかけられた。
「帰ろう?」
 にこりと笑みかけられて、途端に巧は声を飲み込んでしまう。
 巧は爽子が好きだが、爽子はそれを巧の本気だとは受け取っていない。年上に憧れる年頃なのだろうと考えるのは仕方ないことだが、本気で彼女に恋する巧にはそれが寂しい。
 もし、年の差がなければ。
 こんな風に、傘を差しかけてきたりはしなかっただろうから。
「……うん」
 それでも拒絶することも出来ずに、顔を赤くしながら、巧は爽子の隣で歩き出す。二人の様子を確認してから、久樹は智帆と静夜の前で手を差し出した。
「というわけで、貸してくれ」
「久樹さんの行動って、こういう時に思うんだけど、無駄に爽やかだよね」
「無駄ってなんだよ」
「ある意味残酷でもある。久樹さん、巧がライバルになり得ないって確信してるだろ」
「なんの話だよ?」
 口々に言われて、久樹は不思議そうに首を傾げた。
 良い人ってのは鈍感なのかなと智帆は呟いて、ちらりと目線を友人に向ける。静夜は軽く溜息をついた。
「こういう時は、傘をささない方が貸すもんだよね」
 大人しく傘を久樹の手に渡す。
 智帆と静夜の身長は五センチ以上の差がある。
 途中でぶつかるからと智帆に傘を奪われるよりは、最初から任せたほうがマシだった。諦めの心ももっていたほうが、傷口を広げずに済むというわけだ。


 ざあざあと雨が降る。 
「全員相合傘だねー」
 将斗が久樹にくっつきながら、振り向いて明るい声を飛ばす。
 爽子は楽しそうに笑い出し、巧は口数を減らしたまま、ただ隣を歩いていた。智帆と静夜はあいまいな表情を浮かべ、雄夜は手持ち無沙汰な表情で自分の右側を見つめる。
「……後で散歩に連れて行こう」
 ぽつりと呟いた声は、雨の音と笑い声に溶け込んでいった。

[完]



実はちょっとスランプ中です。私の場合、スランプになってもかけるんですが、やたらと時間がかかるようになってしまいます。
友人と話をしながら、お互いの話しの登場人物たちが、相合傘になったらどうなるだろうという話をしていて生まれたネタです。
最初は久樹と爽子でと思ったんですが、この二人だと当たり前すぎるので、こんな感じで。なんかちょっと、巧が不憫になってきました。
傘って、背が高いほうが持つことが多い気がしています。
なんとなく相合傘絵を描いて見たい気がしているんですが、どのコンビがいいかなーと考えています。巧と爽子を描いてみようかしら。リクがもしあったら、掲示板にどうぞ〜。
竹原湊 湖底廃園
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