番外編

目次
[菊乃の一日]

 立花菊乃の朝は、姉の幸恵に起こされるところから始まる。
 起こされても、以前はぐずって中々起き出さなかったが、最近の彼女は一味違っていた。
 優しくゆすられて目をあけると、えいっ!とふんぎりをつけるように布団をはいで起き上がる。すぐに顔を洗って、昨晩のうちに姉が用意しておいてくれた服に着替え、食卓についた。
「お姉ちゃん、髪へんに飛びはねてない?」
 トーストを食べながらも、盛んに菊乃は姉に尋ねる。おっとりと幸恵は妹を見つめた。
 癖毛のふわふわとした栗色の髪が、砂糖菓子のような菊乃にぴったりとはまっていて、幸恵はなんだか嬉しくなる。我が妹ながらとても可愛い思ってしまうのだ。
「大丈夫、とっても可愛いから」
「本当? お姉ちゃん」
「うん。本当。菊乃に嘘なんてつかないわ」
「菊乃ね、本当はお姉ちゃんみたいに真っ黒で真っ直ぐの髪になりたかったな」
「私は菊乃みたいにふわふわの髪になりたかったわ。だからおあいこよ」
 にっこりと微笑むと、幸恵は丁寧にいれたハーブティーを硝子のカップにいれてやる。菊乃は両手でカップを包み込み、ゆっくりと飲んでから立ち上がった。
 歯を磨いて、最後のチェックとばかりに鏡を覗き込み、「いってらっしゃい」と送り出す姉の声をききながらエレベーターに向かう。
 菊乃が住まうのは、白鳳学園の生徒たちのために作られた寮である白梅館の一階だ。学校にいくにはそのまま外に出ればいいのだが、夏休みが終ってから出来たあらたな日課のために、彼女はこうしてエレベーターに向かう。
 指が十階を押した。そうしてワクワクしながらエレベーターをおり、目的の家の前でチャイムを押す。
 

 ピンポン。


 チャイムを押したあとの、僅かな間が菊乃は大好きだった。
 きまって押してから三秒たった後、扉は開かれる。最初に出てくるのは、決まって赤茶の髪を持つ釣り目の少年、中島巧だった。
「おはよう、菊乃ちゃん」
「おはようございます!」
 元気良く答えれば、出迎えの巧は目を細めて笑う。それから体を少しずらして、中に入っててと促すのだ。
「将斗くんは準備終ってないの?」
「毎度のことだけどまだ終ってない。将斗、菊乃ちゃんもうきたぞっ」
 すでに準備を終えていた巧の声に、部屋の置くから「ちょっと待ってー」と声が上がる。
「いっつも待たせるんだもんな。菊乃ちゃんもちょっと遅く来たほうが良くないかなあ?」
 巧が首を傾げて言う。菊乃はくすぐったそうに笑った。なにせ彼女は、この待っている時間が大好きなのだ。――将斗がくらす家の中に、堂々と入ることが出来るから。
「終ったっ! おはよう、菊乃」
「おはよう、将斗君!」
 ぜーぜーと肩で息をしながら将斗が出てくる。よくよくみれば将斗のシャツは第一ボタンと第二ボタンをかけちがえていて、菊乃はませた口をきいた。
「将斗君、ボタンちがってるよ。動かないで」
「えー?」
 まずいと自分で治そうとする将斗に、菊乃はすばやく駆け寄って手を伸ばす。まるで新婚さんみたいだと菊乃はホクホクだが、いきなり女の子に手をのばされて、将斗は困った顔をしていた。
 助けをもとめて視線がさまよう。巧は大声で笑い出した。
「じゃあ、俺先に行ってる。二人でゆっくりなっ!」
「巧ー!?」
「じゃーなー」
 ひらひらと手を振って、巧は外に飛び出してしまう。
 他人のボタンをかけなおすことに菊乃が慣れているわけがなく、結局時間が過ぎてしまった。
「うわあ! また遅刻寸前になる!」
 充分、時間の余裕はとっているはずなのに、二人だけ遅くなるのは毎日のこと。
 けれど、こうやって走るのが菊乃は好きだった。
 なぜといえば、こういう時だけは、当たり前のように将斗が菊乃の手を握って走るから。



 学校にいってしまえば、流石の菊乃もおとなしくなる。休憩時間に押しかけようかとも考えるが、友達とおしゃべりをするのは楽しいので、結局それは実現していない。お昼休みも外で遊んだり、図書室にいったりとかしてしまっていた。
 菊乃のクラスメイトは、彼女が六年生の川中将斗が大好きだということを知っている。友人一同は「趣味悪い」と菊乃の事を酷評していた。
「なんでっ! 将斗君は優しいもん!」
「あんまりぱっとしないよー」
「もう一人の方がいいな。サッカーやってるところかっこいいもん」
「中島先輩でしょっ。サッカーでシュートいれてるところ、いいよね」
 初等部三年女子はすでにかしましい。
 上級生と下級生の関係を強めている分、上級生の少年達に、おままごとのような憧れをいだく女子児童は結構多いのだ。
「将斗くんだってサッカーやってるときかっこいいもん! 昼休みはあんまりやってないから、みられないけど、クラブでは素敵なんだよっ」
「そうかなぁ〜」
 不審そうな眼差しを向けられる。
 サッカークラブでは、巧はFWで将斗はDFだ。小学生には、どうしても一見派手なFWの方が目に付いてかっこよく映るらしい。
 ぷうと菊乃は頬を膨らませながら、内心「将斗くんのよさは菊乃だけが知ってるの!」などと思っていたりした。


 放課後。


 初等部三年生の菊乃と、初等部六年生の将斗では、終る時間が異なるのは当たり前のこと。なので毎日放課後にいけるわけでもないが、時々少し待てばかち合うこともある。そういう時は決まって、菊乃は将斗の教室に向かっていた。
 時間があえば必ず菊乃が姿を現すようになったのは、夏の事件が終ってからのことだ。一人で帰るのがきっと怖いのだろうと、将斗は断れなかった。そうしているうちにずるずる時間がたって、季節はもう秋を巡り、それが日常になってしまっている。
「将斗、今日はそろそろじゃねぇ?」
 後ろの席のクラスメイトが将斗の背をつつく。
 まだ終ってないぞと担任の高橋の叱責がとぶが、その声もどこかからかっている響きがあるのは、将斗の気のせいでは多分なかった。
「あーうー」
 時間がかちあうのは、きまって火曜日のこと。だから全員にばれていて、将斗は恥ずかしくて仕方がない。
 担任の高橋が笑顔をみせて「これでは終り」と声を上げた。同時にわっと声があがると、廊下よりの女子生徒が教室のドアを開ける。
「菊乃ちゃん、いいよ」
「本当?」
 差し出された手を取って、菊乃は嬉しそうに笑う。菊乃ちゃんならいつでもいいよと女子生徒はいって、さっさと将斗の隣りにつれてきてしまった。
「なっかじま君♪ 彼女がお迎えー」
「あうー」
「毎日なんだからもうなれたらいいのに」
 にこにこと笑って、じゃあまた明日ね!とクラスメイトは教室を出て行ってしまう。従兄弟の中島巧は側によってくると、将斗の肩を叩いた。
「菊乃ちゃんに飽きられないようになっ。じゃ、俺はサッカーしてくから」
「俺もしたいんだけどー」
「菊乃ちゃんの許可を貰えば?」
「いい?」
 本当に許可を取ってるよと巧は笑いながら、この二人のように幼い頃からの知り合いである久樹と爽子も、小さい頃は似たようなことをしていたのだろうかと考えてしまって、巧はいきなり落ち込んだ。
「うわー、ヤな想像したっ。腹立つっ!」
 心底悔しそうな顔をして、巧が先に校庭に飛び出していく。
「ねえ、将斗くん。菊乃、見ててもいい?」
「いいけど、暇じゃないかー?」
「そんなことないよ。菊乃、将斗君見てるから」
「……そ、そっか」
「うん!」
 幸せそうに、菊乃が笑う。
 正直にいえば、将斗は菊乃が笑っているところが好きだった。
 だから、笑っていて欲しいなと思うので、菊乃の頼みを断れない。ふわふわとした綿菓子みたいな女の子が、悲しい顔をするのはイヤだと本気で思ってしまう。
 なんだかんだでお似合いな二人であることに、当人だけが気づいていなかった。
[完]

灰さんのリクで、菊乃と将斗の学校でのやりとり。
二人のやり取りというよりは、菊乃の一日を追ったものになってしまいました。
書いていて、もしや現段階では、閉鎖領域一のラブラブだったのか!?と驚いてしまいました。
将斗と菊乃って、このまま上手くずっといけば、幼馴染カップルになるのではと思ってしまった私です。
竹原湊 湖底廃園
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