番外編

目次
[恐怖の身体測定]

 大江静夜は健康診断が大嫌いだ。
 健康診断と名前がつくものは全て嫌いだが、夏休み明けのソレを特に嫌悪している。
 白鳳学園の健康診断は、出席番号順ではなく、適当に空いている検診を狙って、校内を走り回るシステムになっている。為に大江静夜、雄夜、秦智帆の三名は連れ立って検診を受けて回っていた。
 視聴覚室の中では、身長などの身体測定と、聴力・視力検査が行われている。
 中に入った途端に静夜と智帆はめいめいの方向を睨んでいた。言わずもがな、身長と視力検査の方角だ。
 何も気負ったところのない雄夜が、立ち止まった二人を不思議そうに見やる。
「雄夜、先に行ってていいよ」
「むしろ先に行って欲しいんだろ」
 静夜の言葉に、智帆が冷静に訂正を入れる。少女と呼んでも差し支えなさそうな容姿の静夜は、殺気をこめた眼差しで友人を見やった。
「なんか言った?」
「別に。さ、潔く三人で行くとしよう」
「うーっ」
 普段は聞き分けのよい優等生のくせに、うなり声をあげて静夜はその場にとどまろうとする。雄夜は無言で方割れの腕を取って、ずるずると前に引きずった。
「雄夜くんはまた背が伸びたのね。きっと百九十センチまでいくわよぉ」
 驚いた顔をしたのは、彼らの属する二年A組の担当教諭だった。名前を村上と言って、年齢不詳の女性教諭だ。どれほど年齢不詳かというと、斉藤爽子が学生時代にも村上は新人教諭のような顔をしていたし、本多里奈が学生時代にもそんな様子だったという。
 よりによって担任が測るのかと肩を落とした静夜をおいて、気軽に智帆も計測機に乗る。慣れた手つきで測って「百七十三センチね」と村上は言った。智帆も伸びている。
 にこにこと笑っている村上が、じっと静夜を待っていた。
 夏休み明けの身体測定は、とにかく身長が伸びている人間が多すぎて、本当に静夜は嫌になる。蛇に睨まれた蛙の風情でおそるおそる前に進み、判決を待つ被告人の気分で答えを待った。
「んー、百六十五センチかな」
 暢気な声。
 ――変わっていない。これっぽっちも変わっていない。
 ずん、と暗い気持ちになって、静夜は意識朦朧としながら残りの検診を受けていった。智帆のほうはなんとか、これ以上の視力低下は防げたらしく明るい顔をしている。



 結局静夜は放課後になっても、全く元気を取り戻さなかった。
 流石に心配になった雄夜と智帆が、めいめい元気を取り戻させようと声をかける。二年A組のクラスメイトも、慰めの言葉をかけていた。とはいえ、秋山梓という名の少女の一言は、慰めというよりも止めだったが。
「静夜くんは今のままのほうがいいよ。だって、可愛いもん!」
 などと笑顔で言うので、慌てたクラス委員長の北条桜に口をふさがれている。ウェーブのはいった長い三つ編に眼鏡の委員長は、静夜とは逆の意味で身長の悩みを持っていたので、彼に同情的なのだ。
「ろうして〜くち、〜〜おさえふのよぉふ〜」
 抗議する梓を掴んだまま、桜は教室の外へと引きずっていく。
 静夜たちと仲の良い男子生徒である副委員長でバスケットボール部所属の宇都宮亮が、ぽん、と静夜の肩を叩いて能天気に笑った。
「ま、気にするなって。それにお前の背が伸びたら、遠くからみつめてうっとりしてる奴らが泣いてしまっ! げふっ!」
 雄夜の問答無用の一撃が顔に入った。意味不明のうめき声を上げてうずくまったクラスメイトを捨て置いて、方割れを引きずって歩き出す。智帆は雄夜の眼差しを受けて、すばやく静夜の荷物を手にした。
 とりあえずこのまま白梅館に戻っても静夜の気分が戻ることもなさそうなので、二人は半分ゾンビ化したような静夜を引きずって駅の方角に向かった。
 帰宅する生徒達の声を聞きながら、お気に入りの店を目指す。
「静夜、なあ元気出せって。なんか奢ってやるから、な?」
 珍しく優しい声で智帆が慰める。静夜は条件反射的にうんと答えていたが、心は未だにここにあらずだった。雄夜が店の扉を開け、椅子に静夜を座らせる。そのまま三人分の注文を勝手に済ませ、二人で必死に慰めた。
 高校生の男子生徒にとっては、身長というのはかなり大きな意味を持つ。
 背が大きくなりたいと切実に望むのは当たり前のことだろう。その上双子がいて、その方割れの背がぐんぐん伸びていたら尚更だ。
「ゆーやに、きっと、ぼくのぶん、とられたんだ……」
 平仮名で表したくなるような、夢でも見てるような声を静夜が上げる。
 たしかに百八十五センチにまでなった雄夜を見ていると、そう思いたくなるのも仕方あるまい。二人で足して二で割れば、かなり理想的な身長だ。
「静夜、まだきっとこれからだって。あんま気にするな。気にしてたら、本当に伸びなくなるぞ」
「うん」
 こっくりと頷く。まるで子供を相手にしているようだと思ったところで、顔なじみになってしまった店主が笑いながら飲み物を持ってくる。
 雄夜にはコーヒー、智帆には紅茶、静夜にはホットミルクだ。
 店主はにこにこと人懐こい笑みを浮かべながら、消沈している静夜を見やった。
「なにかあったの?」
「ええ。静夜の身長が一ミリたりとも伸びてなかったんです」
 笑顔で智帆が答える。なだめすかしても反応しなかった静夜が、ぴくりと瞳を奮わせた。
「そうか。確かにね、気になる年頃なのかもしれない。でも気休めかもしれないけど、身長でその人の価値が変わるわけじゃないよ?」
「……そうなんでしょうけど……」
 出されたカップを静夜は口元に持って行きながら、熱さを確かめるように歯を添える。どうも飲める温度ではないと察したらしく、おとなしく静夜は息を吹きかけた。
「確かに簡単に割り切れるものじゃないのかもなぁ。俺の奥さんもね、身長が気になって仕方がないって言うんだ。そんなの、どうだっていいだろう?って言ってるのに。まだ気にしてる」
「奥さんの背って……?」
「うん、俺より高いんだよ。だから絶対にヒールの入った靴をはかない。足が綺麗に見えるから、はきたそうにしてるのにね。気にするなといっても、こればっかりは無理なんだよね」
 困った困ったと笑いながら、店主はカウンターに戻っていく。その背に追加注文を依頼しつつ、智帆は軽く静夜の額を小突いた。
「だから気にすんなって」
「分かってるよ。――牛乳飲む量増やそうかなぁ」
「前から思ってたんだけどな、それって本当に効果あるのか?」
 調子を戻してきた静夜に安心しながら、智帆が尋ねる。雄夜も興味津々の態で頷いたので、静夜は勿論と強く頷いた。
「だって、ほらっ! ここに実体験の報告があるんだから!
「はあ?」
 いきなり綺麗に印刷された紙の束を差し出した静夜を、智帆と雄夜は怪訝そうに見やる。少しばかり、こいつ頭大丈夫か?という色がよぎったのも、まあ致し方あるまい。
 なにせ静夜が手にしていたのは、どうやら珍しくWEB上で見つけてきた小説をプリントアウトしたものらしいからだ。
「なになに?」
「なんの話だ?」
「んー、これだけだと良く分からないな。他に本編がありそうだし。まあ、なんらかの目的で集まった仲間同士が話してる内容って感じだな。――ああ、なるほど」
「……?」
 雄夜が首を傾げる。智帆は息を一つ落とした。
「静夜、確かに気持ちは分かる。でもなぁ、これはフィクションだぞ?」
「作者の側に、そういう人がいたんだよ、きっと。でもやっぱり牛乳一リットル一気飲みはあぶなかったんだなぁ」
「危なかったんだなぁって……当たり前だろ! ってお前、試そうとしたのか!?」
「んー、ちょっとだけ」
「静夜、馬鹿なことはやめとけ。牛乳のみすぎで腹いっぱいになって食事が腹に入らなくなった挙句、腹をこわす羽目になったほうが、よほどか背が伸びるためのカルシウムの摂取を阻害するぞ」
「だから、やめたんだよ。ほら、役に立ったじゃないか」
 拗ねたような顔をして、静夜がそっぽを向く。
 こんな子供のような態度など、静夜は殆ど他人には見せない。雄夜が時折静夜は我侭だと言っていたのが理解できて、智帆はなんだか可笑しくなった。
「なに?」
「いや、信用されたなぁと思って。雄夜の気持ちが分かったよ」
「だろう?」
「ああ。静夜は結構我侭なんだな」
 二人、にやりと笑って頷きあう。
「なに勝手に納得しあってるのさ」
 つまらなさそうに静夜が抗議の声を上げた。



 結局、意気消沈している上に機嫌を害してしまった静夜のために、雄夜と智帆は一カ月分の牛乳をおごってやる羽目になってしまっていた。
  
 月光楽園の月亮嬢に捧げます。
というわけで、お話しているときに出来たネタでございます。牛乳飲んで背を伸ばそう!がテーマです。
仕掛けをして双方リンクしたら楽しいね〜と盛り上がりまして。ちなみに私は俊というキャラのファンです。ええ、牛乳飲んでる彼です。
本編が気になったかた、上のリンクから読みに行ってくださいね。
ちなみに今回登場している、桜、梓、亮の三人は、第三話紅葉舞うのメインキャラたちです。

竹原湊 湖底廃園
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