[最終話 閉鎖領域]

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魔、来たりて No.08


 改まっての挨拶に、久樹と爽子はようやく落ち着いて高校生を見やった。
 友人たちの消失から立ち直り、動き出している様子が眩しく感じられる。それが自分たちはどうしてという卑屈な気持ちを生み、相応しい言葉を見つけることが出来なかった。
「……その、大丈夫なのか? いや、身体とかが大丈夫なのは分かっているんだ。智帆たちが守ったんだから、だから……」
 絞り出せたのはそれだけで、久樹は力なく首を振る。
 あまりにも萎れた様子なので、桜は心配になってしまった。
「あの、もしかして具合が悪いんですか?」
「いや、そんなんじゃないんだ。悪い」
「それならいいんですけど……。私たち、教えて欲しいことがあるんです。圏外だった携帯電話で、智帆くんと話をしていたのは織田さんたちですか?」
「──智帆が掛けてきてくれたんだ」
「やっぱりそうだった!」
 目を輝かせて、亮は智帆の携帯電話を表に出す。
「それが?」
 寮生に配られる携帯は全て同じなので、差し出された意図が分からずに久樹と爽子は目を丸くする。
「これ、智帆の携帯ですよ」
「智帆の!?」
 折れた気持ちを刺激する名前に心が動いた。
「私たち、智帆君が携帯電話を残してくれたって思っているんです」
 だからと続けかけた言葉を桜は止め「まずは座ったほうが良さそうですね。宇都宮、梓、椅子を集めよう」と声をかける。
 あっという間に高校生たちが散り、椅子だけでなく、ウォーターサーバーから水まで持ってくる。それをありがたく受け取って、久樹は喉がからからになっていたことに初めて気づいた。
 軽い脱水になっていたようで、水が身体に染みるのが分かる。おかげで少し元気を取り戻せて、久樹はあらためて顔を上げた。
「智帆が残したって思うのはなんでだ?」
 当たり前の返しに、桜はなんとなくとは言えずに考え込む。それでずっとぼんやりとしていた疑問が形になった。
「あっちの世界に携帯電話が残らないで、私たちと一緒にこっちに戻ってきたからです」
「おい我が相棒の委員長殿、その疑問は初耳だぞ」
「うんうん、私がそのあたりの会話を忘れちゃったんじゃないよね?」
 黙っていられずに口を挟んできた友人に「今、形になったばかりなの」と桜は素直に白状する。
「宇都宮、梓、私たちが襲われたあの場所は、この世界が変容したものだと思う? それともこことは別の世界だったと思う?」
 集めてきた椅子には座らないまま、窓辺によって桜は外を見た。
 穏やかな風景に、あの世界で起きていた光景を重ねていく。
 風鳳館は黒煙につつまれ、炎鳳館では火災が起き、そして五つの光の柱がそびえ立つ、あの異様な景色をだ。
「私ね、こことあっちは違うって思ったの。世界が変わったんじゃなくて、いわゆる異世界召喚を経験してしまったんじゃないかって思うくらいよ」
「世界が変わったんじゃなくて、俺たちが世界を飛び越えた?」
「なんかファンタジーだね! でも、そうかも」
 同意する友人たちに頷いて、桜は「どう思いますか?」と改めて久樹と爽子に問う。
 自然とすべての視線が二人に集まったので、視線の圧から爽子を庇って久樹は頷いた。
「俺たちがここに駆け付けた時、白鳳学園は普通に存在してたんだよ。校門も閉ざされていなくて、ごく普通の日常にあるように見えたんだ」
「やっぱり……。白鳳学園が消えたなんて誰も思っていなかったから、安否確認とかが入ってなかったんだ」
 大規模な消失が現実で起きていたら、電波を拾ったと同時に携帯電話は連絡でいっぱいになっていたはずだ。
「なあ、その学園の中って、どうなってたんですか?」
 純粋な興味からくる亮の問いに、いやあ、と久樹は頭をかいた。
「突入寸前で静夜に止められたから入ってないんだ。意味がないし、無鉄砲だし、やることが極端すぎるってかなり怒られた」
 ほんの少し記憶の時刻を戻すだけで、静夜の存在は確かになる。なのに、実際には居ないことが辛かった。
「別の世界に行っちゃっていたなら、どうやって雄夜くんたちと一緒に来たんですか?」
 目をキラキラさせた梓が身を乗り出した。
「白梅館の裏門が、現実の世界との繋がりを持ってたんだよ。あ、俺が見つけたんじゃない、全部静夜たちがって……もうばれてるか。とにかくそれを雄夜たちが利用して、行くことが出来たんだ」
「雄夜くんがやったんですね!? うわあ、かっこいいなあ、雄夜くん!」
 どんな時でも恋するモードに突入が可能な梓に気圧されながら「えーと、巧と将斗も凄かったんだぞー」とついツッコミをいれる。
 桜と亮は顔を見合わせて苦笑した。
「大丈夫です、ちゃんとわかっていますから。でも中島くんと川中くんも来てたんですね、だったら消えてしまったのは……」
「巧、将斗、雄夜、静夜、智帆の順番だったんだ」
「雄夜くんたちより、二人が先……」
 高校生たちは表情を曇らせる。
 しばし重くなった空気を払うように、再び桜が口を開いた。
「他の世界に連れていかれて、その世界に静夜くんたちは奪われました。囮の私たちの役目は終わったから、こっちに戻されたんです。ぽいって。だからこそ、変じゃないですか? 智帆君の携帯電話をこっちにわざわざ戻すなんて思えないんです」
 智帆が携帯を落としたのは偶然だろと口をはさんだ久樹を制し、桜は梓を見る。
「梓が見てるんです、智帆くんは織田さんたちと話をしている最中に、携帯を落としたんじゃなくって、わざわざ床に置いたのを」
「見間違いなんかじゃないですよ!」
 信じてくださいと梓が力強く訴える。
「置いた場所だって特別でした。だって、静夜くんが消えた場所だったから」
 必死に訴える二人の少女の言葉が重みを増す。
「……智帆と電話でなにを話してたんですか」
 ずっと知りたかったことを、ようやく亮が形にした。
 痛いほどの期待を感じとって、久樹はいたたまれずに「悪い」と小さくなる。
「特別なことは話せてないんだ。俺らはとにかく智帆と合流したくて焦っていて、居場所を教えてくれと訴えるばかりだった。それと力を使うな、とかな」
 かかってきた電話を改めて思い出しても、智帆に変わった様子はなかった。
 けれどそう思ってから違和感を覚えた。 
 決して揺るがないように見せていただけで、智帆も静夜も普通に弱い部分をもつ少年だった。秋と冬にそれぞれが不在になったとき、彼らが精神的に不安定になったのが証明だ。
 弟のように大切にしてきた巧と将斗を、友人である雄夜を、最後に責任を分け合ってきた静夜を無策のままに失って、それでも智帆が絶望に沈まないと言い切れるのか。
 心拍がひどく上がって、嫌な汗がにじんできた。
「……智帆は電話で、居場所を絶対に教えてくれなかったんだ。逆に俺らの居場所を気にしていたよ。智帆は言ったんだ、俺らが校舎に入っているかどうかが重要だって。そうだよな、爽子」
「そうなの。だから智帆くんの風がごうごうと音を立てた時に、校舎の中にいるって思ってしまって。私たちを巻き込まないですむかの確認だと思ったから、そこにいるはずって。……でもあれは智帆くんの誘導だった」
 引っかかって情けないと爽子は目を伏せる。
「なあ」と、久樹は低い声を絞りだした。
「こんなことを考えるのは、ひどいことかもしれない。でも、思ったんだよ。智帆の電話の目的は、俺たちに邪魔されずに五番目に消失することだったんじゃないかって」
 とんでもない久樹の予想に爽子が「そんな……」と否定しようとして、けれど納得できてしまう部分があって口を閉ざす。
 大学生たちが作る重い空気に、憤りを見せたのは亮だった。
「それって、智帆が絶望に負けて、静夜たちの後を追ったとでもいいたいのかよ!」
「……あり得ないことか? 智帆にとって静夜の消失は特に辛かったはずだ。あいつらは親友というより命運を共にする相棒だったよ。……それを失って冷静でいられるか? 俺だったら無理だ、爽子を失ったとしたら冷静なんかじゃいられない」
「それは織田さんの基準だろ! 静夜と智帆は、俺たちを助けて目の前で消えていったんだ。冷静でいられないのがなんなんだよ、そんなの当たり前だ! 俺だって、北条だって、秋山だってそうなんだ! それでもあり得ないって言わせてもらう、だって俺たちがこっちに戻って来れたのは結果論なんだ。智帆が俺らを見捨て、自分だけ一抜けた!なんてするわけないんだ!」
「──智帆が理解していたとしたらどうだ?」
「は──?」
「消失は五人目で終わり、人質は解放されるって」
「なにを根拠に!!」
 必死に否定を重ねる少年をじっと見据えてから、久樹は立ち上がってホワイトボードの前に移動した。
 白いボードの中央の一番下に正門と書き、そこから真っ直ぐに伸びる正面道路、学び舎に続く左右に伸びる四つの道を描き、丸で初等部から大学部、共同施設を黒いペンで描いていく。
 最後に、青いペンに持ち替えた。
「光の柱がそびえた場所を繋げていくぞ。左下の炎鳳館、中央の一番上に白鳳館、右下の地鳳館、左上の風鳳館、そして右上の水鳳館だ。これで分かるだろ、光が五芒星を描いているって」
「五芒星って……久樹、その、漫画とかで覚えたの?」
 味方である爽子が照れたような指摘してくるのに、久樹は夏の事件の終局を見届けていないことを思い出した。
「いや、俺が思春期真っただ中ってわけじゃなくて。これは夏の事件の時、静夜がやった方法なんだ。菊乃ちゃんに執着する邪気を眠らせるための力が足りてなくて、全員の力を等分に配置して中央に集めるのに効率が良いって言ってたよ。──今だから分かる、静夜と智帆が言っていた白鳳神社から与えられた知識を利用したから出来たことだったんだ」
 恋人に引かれたくなくて説明に熱が入る久樹を前に、白鳳神社のことや与えられた知識のことは知らない高校生たちは鼻白み「そのやりとり、後にして下さい。とにかく根拠の続きを」と冷静に指摘する。
「わ、悪かった。とにかく智帆は、巧から始まった消失が、光の柱を出現させている意味を考えたはずだ。そして静夜を失って、五つで終わるって確信したはずだ」
「それは違うと思うわ、久樹」
 爽子が首を強くふる。
「智帆くんだけが気づいたっていうのは、違う……」
「爽子……?」
「思い出して久樹、智帆くんが電話で言っていたことを。起きることと、結果が分かるのに覆せない。俺と静夜もその程度だった、でも見捨てられないんだから仕方がないって言ったのよ。これって、静夜くんも結果を理解してたって意味でしょう?」
 爽子もホワイトボードの前に立つ。
 あの異様な光の広がる世界があるわけではない、けれどあの世界で行動していた二人がどうしたかを想像して目を細めた。
「智帆くんも静夜くんも、絶望のあまり諦めたわけじゃないって思うの」
 それでも智帆が自分たちに妨害されないようにしたのは事実だった。だから必死に他の理由を探して、思い当たったことに息をのんだ。
「………ねえ、久樹。打つ手がないって思い知らされて、人質がどんどん危険になっていく中で、あと二つの犠牲で終わるって分かったらどうする?」
 震えながらの爽子の言葉に「それは……」と言ったものの、続けられずに眉を寄せる。
「勝利条件を間違えるなって言っていたわ。二人だったらどこに勝利条件を持っていくんだろう」
「……人質の無事が一番で、次に巧と将斗、それから雄夜の無事だろ。悔しいけど、俺と爽子の無事もだな。なあ、そういうことになるのか? それって絶望したっていうより悲しすぎるだろ、自己犠牲を選んだってことになる!」
 言葉が悲鳴になるのは、納得できる部分がありすぎたからだった。久樹はホワイトボードマーカーを持ったまま項垂れる。
「だから勝手に結論付けないでくれって!」
 抗い続けるのは亮で、大学生二人に割って入ってホワイトボードをバンッと叩いた。
「確かに智帆も静夜も、ギリギリまで追い詰められたら、最小限の犠牲で最大限の成果を選ぶ奴らだよ。でもな、中島君と川中君、それに雄夜が消えたままなのを、払っていい最小限の犠牲だって思うような奴じゃない!!」
 冷静でいるために、友人を失ってからずっと、蓋をしてきた亮の激情が決壊する。
「宇都宮!」
「亮くん!」
 そんな彼を支える為、相棒である桜と、雄夜が案外に強いと認めた梓の声が響いた。
「北条、秋山……?」
「大丈夫だよ、絶対にそうだから! 智帆くんも静夜くんも簡単に諦めたりしない。今は知っているの、雄夜くんと静夜くんがちゃんと絆で結ばれた双子だって。それから智帆君と三人でとっても仲良しだって。ねえ、そうだよね桜!」
「うん。私たちは宇都宮と同じ意見です。正解のない予想で悲嘆にくれてても意味なんてありません。とにかく今は、私たちに残された智帆くんの携帯に触れてください! きっと何かが起きます、だって貴方たちは私たちとは違うんだから!」
「北条さん……?」
「誤解しないでください。差別じゃないんです、否定もしていません。でも、純然たる違いがあるんです。ある人と、ない人とじゃ、見えるものも得られる答えも違ってくるから」
 桜は相棒の背に手を置き、反対で梓と手を握り合った。
「私たちに不思議な力はないんです。あの状況に陥って、私は初めて静夜くんたちの力を視ました。あんなに綺麗な青い目になるなんて知らなかった」
「……私もね、雄夜くんの式神なんだから、すっごくかっこいいだろなって思ってただけで。想像は沢山してたけど、全然違ってた。朱花と蒼花だけじゃなくて、白花と燈花も見たかったな。……そういえば、蒼花は光の柱がそびえる直前に消えちゃったような?」
「とにかく! これは、俺たちが持ってても反応しないんだ」
 悔しそうに眉を寄せて、泣き笑いの表情を亮が浮かべる。
「──俺たちが見れない世界を、あいつらと同じように見てきたんだろ。風が従うってことも、智帆の目に燃える翠も当たり前に見てきたんだろ。俺たちは智帆にコレを託されたって思ってる、だからちゃんと届けさせてくれよ!」
 魂があげている叫びを聞きながら、久樹はじっと携帯電話を見つめた。
 すぐに手を伸ばせなかったのは、怖くなったからかもしれない。
 期待をして、何もなかったら辛すぎるから。
 期待をしている、彼らを裏切ることになるから。
 ──携帯電話に触れたら答えが出てしまうのだ。
 震えだした手に、爽子の温かい手が重なった。
「久樹、私も宇都宮くんの言葉にのりたい。一時的に負けてやる変わりに、望むすべてを取り戻す手を打つ。説明なんて全然ないのは、それを口にするわけにはいかなかったけど、それでも私たちは動くと計算したって信じたい。そのほうが智帆くんと静夜くんらしいよ」
「そう、だな……」
「大丈夫、どんな結果も一緒に受け止めさせて! ……ああ、まただね。経験して、やっとわかるの繰り返し。智帆くんと静夜くんも一緒だったから、あんなに沢山の選択をして来れたんだね」
 強い爽子の瞳に、久樹は「情けないな俺は」と返して、首を振った。
「さっきのは撤回させてくれ。それと、決断の重さにへこたれてばかりで悪い。あいつらみたいに叱咤してくれてありがとな。まったく、年上なのに情けないよ」
「わたしもごめんなさい。智帆くんと静夜くんにも言われてたの、感情で納得できないことや葛藤は、二人だけでどうにかしろって。なのに、まったく出来てなかった」 
 きちんとした謝罪のあと、情けないと強く嘆く久樹と爽子に、梓が「いいんですよ」と朗らかに答えた。
「だって雄夜くんが言ってました。織田さんたちは年下と同じだって。勉強に関しては年上として頼ってるけど、それ以外は違うって」
「──え?」
 頭脳派の二人にならともかく、雄夜に年上扱いされていなかった衝撃の現実に、大学生たちは固まった。
 ため息を落としたのは桜と亮だ。
「ここに来て出ちゃうなんて、梓の一言多いが……どうしよう」
「しかも普段以上の破壊力を見せたな。よし確認はしておこう、秋山、それって本当に雄夜の意見なのか?」
「うん、雄夜くんの言葉だよ! ちょっとしょうがないなあって表情をしていて、それがもうすっごく優しい横顔でかっこよくてお気に入りになったから間違いないの!」 
 私の特別な記憶コレクションだよと空気を読まずにはしゃぐので「そっかー」と流し、亮は久樹と爽子の視界から梓を隠すことにした。
「まあ、俺はちゃんと年上だと思ってます。というわけで、あらためて、はい」
「あ、ああ。分かった、ありがとう」
 表情はこわばっているが、久樹はなんとか息を整え、差し出された携帯電話を受け取った。
 ──いきなり。
 頭の中で何かがはじけた。
 バチンッ!という音もして、現実と二重写しになった映像が写り込んでくる。
「久樹?!」心配そうに呼んでくる爽子に重なるのは、炎鳳館を横手に佇んでいる幸恵と菊乃の姿だった。
 過去の光景ではないと思ったのは、光の柱が存在していないからだ。
 幸恵が菊乃になにかを言い、それから思いつめた顔で腰を落とし、地面に手を添える。
 ハッとした顔を幸恵がした。
 なにを見た?と問いかけた、映像の中の幸恵と目が合う。
 それがトリガーとなったのか、幸恵が見ているものが久樹の中に飛び込んできた。
 少し前、別の空間にある炎鳳館での出来事だ。
「久樹兄ちゃんたちは正門に急げ、学生課の人とか教授とかいるんじゃないかなー! 幸恵姉ちゃんは菊乃のお姉ちゃんでもあるから、俺たちに任せてー!」
 確かに自分の耳で聞いた声が響いてきて、久樹は目を見張った。
 これは失われた彼らの記録、消失した場所に絆として残された記憶の再現だ。


 
 
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