[最終話 閉鎖領域]

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魔、来たりて No.07


『──これは』
 正門に留まっていた舞姫は隈取の施された目を細め、失われていた門が外とつながっていることを確認して扇を一閃し、姿を消した方が得策と存在を溶け込ませる。
 立花姉妹を支えていた漣は目を見張り『空間が戻った』と呟く。それに被さるようにして、無人だった炎鳳館から人の声があがった。その中には菊乃を呼ぶ教師の声もあり、そちらに返事をして菊乃は目を見張った。
 灰色の少年の輪郭がひどくあやふやになっている。
「漣? どうしたの!?」
『……大丈夫。あの人が消えてしまったことで、こっちで形を保ちにくいだけ』
 それだけを言って、漣の姿は空に溶けて消えた。
 慌てて菊乃と幸恵は周囲を探すが、灰色の少年どころか、強烈な存在感をはなっていたモノすらないことに気づく。
「ここは、もしかして……」
 呆然と幸恵が呟くのと、久樹と爽子が高等部風鳳館の渡り廊下にて、突然に沸き上がった歓声に呆然としたのはほぼ同時だった。
 空はどこまでも青く、鳥のさえずりは穏やかだ。
 異常事態をこの上もなく見せ付ける、五つの光の柱のない優しい場所。
「そんな……嘘だろ」
 久樹が声を震わせて、庇いこんだ爽子に視線を落とす。
「ここって。ねえ、そういう事なの? わたしたちだけ……」
 顔をあげた爽子が上げた声も、同じくらいに震えていた。
「戻って来てしまったの?」
 消えてしまった高校生たちの名残を求めて、光の柱があった場所に向かおうとして、二人は校舎から飛び出してきた生徒たちに囲まれた。
「なに?」 
 噂が悪質な呪いに変化して、人々から拒絶された記憶はまだ新しい。条件反射で体をこわばらせた爽子に「ありがとう!」という言葉が向けられた。
「ありが、とう……って?」
 取り巻いてくる生徒たちは誰もが言って来て、嬉しそうに笑っている。
 ──ありがとうとはなんだろうか?
 ──助けたとはなんのことなのか?
 なにも出来ずただ失い続けただけなのに、どうして感謝されてしまうのか。
「なんで? わたしたち、なにも出来なかったのに。失っただけなのに!」
 動揺を隠そうと両手で顔を覆った爽子の背に、久樹は手を置いた。
「……冬の時、幸恵たちは俺たちとは違う空間にいたと言ってた。それと同じで、白鳳学園の大多数は別の空間に閉じ込められた状態で、俺たちを見ていたってことか」
 喜び合っている人々の口から紡がれる言葉を拾い集めると、そんな答えが導かれる。そして共通して、人々は五人の消失を目撃していないようだった。
 久樹と爽子が学園を走り回り、人々を落ち着かせて、そして現実に帰還させた救世主だと思われている。
「こんな感謝がほしかったわけじゃないぞ。俺たちへの排除がこんな形で終わっても、嬉しくなんてないんだ」
「久樹、ねえ、やっぱりあの白鳳学園って」
 光に奪われて、光の柱が生まれて、今も存在しているはずのあの閉鎖領域は。
 ――僕たちを誘っているように見えるんだ。
「私達を誘い込むためにだけ存在して」
 ――罠だってことぐらい最初から考えてくれよ。
「罠にはめて、抵抗も出来ないように仕組まれて」
 ――人質を取られて打つ手なしだ。
「だったら、なんで? どうして私達だけ!」
「無事、なんだ!!」
 打ちのめされすぎて、もうわけがわからない。
 ありがとう、ありがとうと言いながら次から次へと集まってくる、群集を振り払うことも出来なかった。


 閃光のせいで白くなった視界に別の色が戻った時、宇都宮亮がこぼしたのは「畜生」という言葉だった。
 やめろとか、そんなことするなとか、訴えを叫ぶためだけに喉を使っていたので、妙な新鮮さがあって首を傾げる。
 激震のせいで這いつくばっていた身体を起き上がらせた。
 体育館にいるのは、宇都宮亮を含んだ三人の高校生たちだった。
 がらんとしすぎているのが、現実を思い知らしめてくるので嫌になる。
「なに勝手に消えてるんだよ、迷惑すぎだろ。ただでさえ休学されて宿題とかで困ってたんだからな。居なくなるとかほんっとーに迷惑だっ!」
「すごい八つ当たりの仕方だね、宇都宮」
 北条桜も遅れて立ち上がった。
 凛としているが彼女の目は赤く、亮は痛々しさについ目をそらす。
「したくもなるだろ、なんなんだよ。雄夜が秋山を助けたのは分かる。静夜が北条を助けるのも分かりやすいよな。でもなんで智帆が、雄夜と静夜の分も肩代わりするだけじゃなくて、俺を助けるんだよ」
「知ってるくせに、宇都宮は。智帆くんが皮肉屋を演じているだけで、すっごく優しいって」
「そんなの、知ってるに決まってるだろ。A組の奴らにはばれてるっての。あー、くそ、なんで助けに来てくれとか言ったのかな俺は」
「言ってなくったって、状況が伝わった時点で来てくれたよ。だって静夜くんたちだよ、私たちのことを見捨てるはずがないじゃない。……梓、大丈夫? もしかして怪我とかしてる?」
 二人が会話を始めても、まだ黙ったままの最後の一人に優しく話しかける。
 項のところでぶっつりと切りそろえた髪が印象的な少女は首を振り、ようやく立ち上がった。
「雄夜くんの式神が来てくれたから、怪我とかは全然ない。桜は?」
「私もない。……あるわけないよね、まとめて助けてくれたんだから」
 三人、ようやく揃って体育館の入口へと視線を向けた。
 全員で立ち上がっても、がらんとしたそこは、やっぱりがらんとしたままだ。
 ただ視界が広がったことで、中央の床の上に携帯電話を見つけた。
「携帯電話?」
「あれって……もしかして、智帆のか!?」
 消えてしまった少年の証のように思えて、すぐに駆け寄って拾い上げる。
「別になにも起きない、か」
 圏外になって使い物にならない携帯電話を利用して、智帆が誰かと喋っていたのを覚えている。不思議だったので、同じ不思議が起きないか期待したが、そう都合よくはいかなかった。
「でも……ねえ、どうして智帆くんは、わざわざそこに携帯を置いたのかな」
 梓が首を傾げ、桜が「この場所にわざと?」と尋ねる。
「私の位置からはそう見えた。だって誰かと喋っている最中だったのに、携帯をそこに置いたでしょ?」
「そういやそうだ。それで智帆が声を大きくしたから、見捨てる、とか言ったとこだけ俺にも聞こえたよ。でもなあ、ここに意味とかあるか?」
 ただの床だぞと宇都宮が嘆いたところで「あっ!」と桜が声を上げた。
「北条……?」
「ここ、静夜くんが光に捕まった時に、立っていた場所よ」
「──え? ここ、ってよく分かるな北条」
「だってそのテープが目に焼き付いてたから。あの時、静夜くんの目がすごく綺麗な青になって、それから……そうよ、光にのまれる直前になにかを智帆くんに言ってた」
 三人、顔を見合わせる。
「きっと意味がある。静夜くんたちがただ消えるなんて、絶対にあっていいわけないよ」
 ただの希望でしかないけれど、言葉にしてみればいかにもと思えて、高校生たちは強くうなずき合った。
「智帆くんが誰かと喋っていたってことは、まだ無事な人がいるのかもしれない。声は聞こえなかったけど、あの喋ってる時の表情とか考えると、初等部の子たちじゃないと思う。だから」
「もしかして、織田さんと爽子さんか?」
「冬の時はいろいろあったけど、助けに動いてくれる人だとは思うの。探してみよう、静夜くんや智帆くん、雄夜くんの手掛かりだって見つけられるかもよ!」
「さすが委員長、こんな時でも頼もしいな」
「副委員長にだって頼もしくなってもらわないと困るけどね」
「桜、私にも期待してよー。雄夜くんを助けるためなんだから、頼もしくなってみせる!」
 凹むだけは似合わない三人は、智帆が残した携帯電話に意味があると信じてまずは体育館の外を目指す。
「……嘘でしょ?」
 体育館から一歩出ると、聞こえていなかった喧噪を拾って三人は目を丸くした。
「おーい、委員長!」
 クラスメイトの声が上から降ってきて顔を上げる。
 異変がおきた直後に姿が見えなくなっていた面々が、二年A組の教室の窓にすずなりになって手を振ってきていた。
「今までどこに居たの?」
 びっくりして問いかける。
「どこって、ずっとここに閉じ込められてたんだよ! なあ、大丈夫なのか? 委員長たち追いかけられてただろ? それに智帆たちどこだ、いきなり見えなくなったんだけど!」
「行方がわからなくなっちゃったから、探しはじめるところっ」
「なんだってー!? あいつら行方不明なのか!? じゃあ俺たちも探すから、そっち行くなー!」
 わあわあと塊になって騒ぎながら、クラスメイト達が窓から離れてこちらに向かいだす。
「……ねえ、桜。全員で行動するのって、うちのクラスらしいけど今は大変じゃない? 先に織田さんたちと合流したほうが」
 ようするに逃げようと伝えてくる梓に、桜と亮が顔を見合わせて頷く。一歩下がり、二歩下がり、いざ走り出す!となったところで、別のクラスの生徒に「救世主な織田さんたちなら向こうにいるよ、私、握手してもらったの!」と声をかけられた。
「──救世主?」
「なあに、それ?」
 ぽかんとする二人に、握手をしてもらったと言う生徒は胸を張る。
「知らなかったの? あのね、噂はまるっきり逆だったんだよ。かっこいいよね、むしろ黙って助けてくれてたの! ほら、握手して貰ってきなよ。あんなに沢山来たら、チャンスがなくなっちゃうよ」
 背を押され、正確な場所も丁寧に聞かされて、状況がつかめないまま三人は走り出す。
 救世主うんぬんはともかく、二人がここにいるというのは朗報だった。
 すぐに向かうと、確かに二人を見つける事が出来た。ただどうも精彩に欠けており、沢山の生徒に囲まれてこちらに気づく様子もない。
「参ったな、どうやって連れ出す?」
『ご助力致しましょうか?』
 脳の中に声が響いてきて「うぎゃあ!」と亮が妙な悲鳴をあげた。
「な、ななな、なに?」
『あの方はわたくしを舞姫と呼んでくださいます』
 空間がたわみ、艶やかな緋色の娘が現れた。
「ま、舞姫さん? え、えっと、北条桜です」
 自己紹介をされてしまったので、常識人である桜は答えてしまう。
 舞姫は扇をすっと持ち上げた。
『あれを崩すくらい、わけもありません』
 再び響く声ではない意志に、舞姫が人間ではないと遅れて理解する。
 不思議と怖くはなかった。
 むしろ静夜たちと同じ不可思議を内包する存在が、まだ“こちら”に存在することに希望を見いだしてしまう。
 それが伝わるのか、血を含むような唇を吊り上げて舞姫はにぃと笑んで、扇をぱちりと開いた。
 桜の花びらがこぼれて、柔らかな風に舞う。
 まだ桜の開花時期がきていないことを忘れれば、艶やかな春の光景だが。
「うひゃあ!!」
「ぎゃあ!」
 桜の花びらにトラウマを指摘されて、蜘蛛の子を散らすように生徒たちは散開した。
「……すごーい! 全員。陸上部で活躍できるんじゃない!?」
 梓が声を上げる中『……不覚、力がたりません』と呟き、緋色の娘は姿を消した。
 それを目の前で見た亮が仰天する。
「うわ!? 舞姫さん、大丈夫なんか? と、とにかくこれはチャンスだな! 北条、爽子さんを頼んだ。俺は織田さんを連行する!」
「任せて、行こう梓」
 群衆が割れてぽかんとしている大学生の二人に駆け寄って、分担通りの腕をそれぞれが掴んで引っ張った。
「は!?」
「え?」
「いいから走る!」と驚く年上に命令をして、亮が先頭で駈け出す。
「ねえ、どこに向かったらいいと思う!?」
 梓からの問いかけに、桜が眉を寄せた。
「邪魔が入らないところがいいんだけど、どこがあるかな。……白梅館の共有スペースはどう?」
「それだ!」
 風鳳館の正門を出て、すぐに進路を白梅館にとる。
 高校生たちに引っ張られるままだった久樹と爽子が、遅ればせながら我に返り「ちょっと待ってくれ!」と声をはった。
「待てない!」
「待ちません」
「今は逃げるのが大事です!」
 強引なところのある智帆たちと対等な友人である三人らしく、簡単に否定して久樹たちを白梅館へと引っ張って走り続ける。
 昼日中の生徒たちの大多数は校舎の方に居るので、寮に向かう人影はない。おかげで誰何されずに白梅館に飛び込むことが出来た。
「誰かいるか?」
 呼びかけてみたが返事はなかった。
 ほっとして息を付き、連行してきた大学生に向き直る。
「引っ張って来てごめんなさい。それからお久しぶりです、織田さん、斎藤さん」


 
 
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竹原湊 湖底廃園
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