[最終話 閉鎖領域]

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魔、来たりて No.06



 轟音が響いて、突然に発生した光に巧は囚われたのだ。それなのに幸恵の無事を確認して、ひどくほっとした顔で笑ってくれた。
「目も開けていられない光になって、次の時にはもう巧くんはいなかった」
 ごめんなさいと繰り返す幸恵に、親友を責めた形になったと気づいた爽子が慌てて違うといいかけて、目を見開いた。
「いや……」
 巧を、将斗を、次々と爽子たちから奪っていった光の気配が再び大気に満ちていく。
「嘘よっ!!」
 爽子の拒絶の叫びに重なって、視線を向けた先で容赦ない現実が展開された。
 ──中等部地鳳館のある場所に光の柱が出現した。
「ちょっと待て、待てよ。それはないだろ、それだけはっ」
 とにかく彼らと合流しようと思ったばかりの、久樹も現実を認めたくなくて声を荒げた。
 ここに久樹と爽子は揃っている。
 光の柱は巧と将斗を奪い去ることで出現した。
 導かれる答えは一つしかない。なにがあっても大丈夫だと思ってしまう高校生たちの誰か一人が、奪い去られてしまったということだ。
「どうしてなの、だって、雄夜くんが負けるはずがないのに!? どうして!!」
 地鳳館に出現した金色を宿す柱を呆然自失して見やる久樹と爽子を前に、こんなところで立ち止まらせてはいけないと幸恵は思った。
「久くん、さっちゃん、行って」
 突然に言葉に久樹と爽子はぎょっとする。
 幸恵は二人の視線を高等部に行く道に誘導するべく、身体をそちらに向けた。
「ごめんね、わたしに出来ることがなくって。菊乃と二人で祈るしか出来なくて」
「お姉ちゃん?」
「将斗くんも、巧くんも、高校生たちのこと大好きって言っていたよね。二人がいたら、きっと助けにいっていたと思うの」
「うん、絶対そうだよ。久兄ちゃん、爽子姉ちゃん、静夜お兄ちゃんたちのところにいって。あのね、菊乃たちのことは大丈夫だよ。だって漣がいてくれるから」
 信頼の眼差しを向けられて、姉妹を守る位置に佇む灰色の少年が頷く。
 久樹は唇を噛み、深呼吸をして爽子に向き直り、彼女の頬をぬらす涙を手で拭ってやる。
「もう一つだけ。ねえ、久くん、さっちゃん。わがままを聞いてくれる?」
「サチ?」
 珍しいなと答えて、久樹はようやく友人に笑みを返すことが出来た。
 幸恵はおっとりとした優しい笑顔を浮かべたまま、腕に抱いた妹の髪を撫でる。
「その不思議な力を、出来れば使わないで欲しいの」
 幸恵が特異な能力に嫌悪や怯えを抱いている様子はない。どうして使わないでというのかが分からず、きょとんとする二人に幸恵は言葉を重ねた。
「巧くんが妙な光に捕らわれたのは、私を助けようとして力を使ってくれた直後だったの。なんだか見つけた!と、飛びついてきたように見えたわ」
 二人が力を使ったら、それを目印にして光が襲ってくるかもしれないと必死に訴えてくる。
 抱きしめられたままの妹が「大丈夫だよ」と強く言った。
「菊乃?」
「だって取り返すんだもん。将斗くん連れて行かれちゃったけど、菊乃、あきらめないよ。だから大丈夫なの」
 守られるばかりだった妹からの必死の慰めに、姉は目を細める。
 二人に背を押されて、それでも踏ん切りをつけられずにいると漣が前に出てきた。
『早く行った方がいい。二人の事は僕が存在にかけて守り抜くから。……僕もあの人に消えてほしくない。僕に水をくれた人、優しい眠りをくれた人だから』
「……本当に舞姫と一緒なんだな、漣は」
 炎によって浄化された舞姫は、久樹をただ慕うといった。
 水に抱かれて眠った漣も、静夜の事を慕っている。
 ――自分たちがやってきたことは、本当に事件を解決していたのかと、悩んでいた智帆と静夜をふと思い出した。
 答えは出ないけれど、それでも邪気という当事者だった舞姫と漣は救われたと言ってくれている。
「俺たちは少なくとも、幸恵たちだけじゃなくて。舞姫と漣のことも救うことは出来ていたんだな」
 漣は答えず、静夜が織りなす”結界”に良く似たなにかを立花姉妹の周囲に重ねていく。
 共有施設の白鳳館に出現した茜の柱。
 ここ初等部炎鳳館に出現した橙の柱。
 そして中等部地鳳館に出現してしまった金の柱。
 立て続けの喪失を知らしめる光景に胸を締め付けられながら、二人は炎鳳館を飛び出す。
 風鳳館まで走る、今はもうそれしかない。
 高等部風鳳館に行くための道に戻った時、正門が視界に入って爽子はそちらを確認した。
 赤黒い不吉な空の色は消え、今は炎の力を示す紅が広がっている。
「正門、舞姫が約束通り守っていてくれているわ」
 集まっている人々も落ち着いているようだ。
「約束したからな」
 舞姫に託した決断を信じて、久樹は足は止めずに爽子の手を引いてひたすらに風鳳館に急ぐ。
 風鳳館に近づくにつれて、紅葉や楓の木が増えていく。
 秋になると一番に色づいて季節のうつろいを告げる木々たちが、ざわざわと枝を震わせて久樹たちに急げと伝えているように思った。
 光の柱が三つも出現していて、すでに三人を失っている。四人目が出ることへの恐れが、もっともっとと心を焦らせてそんなことを思うのかもしれない。
 ようやく風鳳館の正門にたどり着いたところで「嫌ッ!」と爽子が悲鳴を上げた。繋いだ手がぴんと伸びて振り返り、爽子が指さす一点を睨む。
「どうして、止められないの!!」
 大気が震えていた。
 清らかな光をすべて奪い取って渦となる。おかげで暗い影が周囲に落ちていった。
 今度ばかりは久樹も誰が奪われていくのかを感じてしまった。
「静夜っ!!」
 叫んでも意味はないが、叫ばずにいられない。あざ笑って轟音と共に光の柱が出現する。
「あ、ああ」
 膝がわらって、座り込みそうになる。それを互いに支え合って足を一歩前に出した。
「まだだ、まだ」
 どうすればこの伝染病のような喪失を食い止められるのか?
 発狂しそうな心をなんとかとどめる中、場違いな音が響いた。
「──は?」
 携帯電話の着信音だ。
 驚くことではない。ここが閉鎖領域でなく、すべての通信機器が圏外になっていなければ。幸恵からの着信があった時を思い出し、久樹は震える手で携帯電話を取り出した。
 爽子も同じことを思ったようだ。ディスプレイの表示を共に覗き込む。
 くっきりと表示されている圏外のマークと、智帆の名前。
「智帆!!」
 久樹は年下の友人の名をすがるような思いで叫んだ。
『……うわっ、電話口で叫ぶとか。久樹さんは常識を持ち合わせてないのか?』
 聞こえてくるのはいつもと変わらない皮肉な声。それすらも愛おしくて、感情があふれてどうも制御が出来なかった。
「そんなのどうでもいいだろ、とにかく、えっと、そうだ何処にいる!? すぐに行くから、教えてくれ!!」
『だから大声はやめてくれって。それになんか焦りまくってるみたいだな、焦りの限界に挑戦をしてるとかか? 好きにすればいいけど、俺を巻き込むのはやめて欲しいところだ』
「そんな挑戦してるわけないだろ!! とにかく場所を教えてくれって!」
『俺に聞くより、そっちがどこに居るのか先に言うのが礼儀じゃないか?』
「──へ? そんなもんか?」
『そんなものだろ』
 他意などない、ごくごく当たり前だと告げられて久樹は混乱する。
「そっか。ええっと、俺らは風鳳館の正門のところだよ」
 智帆のペースに巻き込まれてトーンを落とした久樹に代わって、爽子が「すぐに合流出来る場所にいるんでしょう、だから教えて早く!」と叫んだ。
『うわ、きーんと来た。超音波か、なんで俺は爽子さんから攻撃を受けているんだ?』
「え? ええ、そんな攻撃なんてするわけないじゃない!」
『無自覚か。まあいいや、とにかくそっちは正門なんだな』
 いつもの智帆の皮肉っぽさが、声音から滑り落ちた。
 些細な変化だ、いつもだったら気づけなかったはず。けれど消失の連続に過敏になっている久樹には警戒すべきことだと感じられて、すこし収まった感情が再び膨れ上がる。
「智帆、先に聞いて欲しいことがあるんだ」
『へえ?』
「なんだよ、そのやる気のなさは!!」
『いや、この異常状況下で、俺と長話しようって言い出す気持ちが分からなかっただけだよ』
「ただの世間話じゃないって! とにかく聞いてくれ、智帆、絶対に風の能力は使うなよ」
 ――巧くんが妙な光に捕らわれたのは、私を助けようとして力を使ってくれた直後だったの。なんだか見つけた!と、飛びついてきたように見えたわ。
 だから不思議な力を使わないで欲しいと、幸恵は言ってくれたのだ。
『上出来だな』
「……智帆?」
 どこまでも冷静な智帆の言葉に、背が凍る。
『なんだ?』
「気づいてた、のか? 能力を使うことで、ターゲットにされるって」
『まあ、状況を判断したら当然に。とにかく、そっちは使わないようにな。もう足りるはずだ』
「ちょっと待て、なんの話しをしている!? 智帆!!」
『だから大声を出すなって。俺が電話をした理由が知れたら満足できるか? 静夜がいったよ、久樹さんたちの行動パターンから言ってこっちに向かってきてるってな。だから俺は知りたかった、校舎に入っているのか、まだ入っていないのかを』
「俺らが校舎に入っているかどうか?」
『ああ、重要だったから。で、思いついた。少なくとも俺らには絆がつながっていて、携帯電話という概念はそのまま存在している。電波の代わりに力を利用したってわけだ。こっちの白鳳からの連絡を受け取った時点で、この方法に気づいておけばよかったよ。──そしたら、他のやり様もあったかもな』
 智帆が突然に、語る言葉を過去形にした。
 違和感と不安に襲われて言葉に詰まる久樹の隣で、爽子が「智帆くんが自分を責める必要なんてないんだから!」と訴えている。
「智帆、頼むから待っててくれ。そこに行くから、場所を教えてくれ!」
『さて、何処だろうな?』
 人を食った返事をして、少年の靴音を携帯電話が拾った。
 立ち止まっていた智帆が、どこかに向かって歩き出したのだ。
「待って、どこに行くつもりなの!? お願い、動かないで。私たちがいくのを待っていて!! 智帆くん、たまには私たちの言葉を聞いてよ!」
 爽子の訴えに重なって、携帯電話から絶望を伝えてくる複数の絶叫が聞こえてきた。
「え?」
 二人、呆然として耳を澄ます。
 どうして今まで聞こえなかったのだろうか?
 智帆が居ると思われる場所で、複数の人間が悲痛な訴えを繰り返している!!
 やめろ、やめて、私たちの為にそんなことをしないで。
 それは願いであり、必死の訴えであり、抗議でもあった。
「これって、北条さんたちの声、じゃない……?」
「爽子、急ぐぞっ!」
 繰り返し味わった喪失感を胸に、久樹は智帆の返事を諦めて走り出した。
「急ぐって、だってどこに!?」
「智帆は俺たちが校舎に入っているかどうかを確認してきただろ!? 俺らが中にいたら、なにかに巻き込む可能性があるとかそういう感じだろ。だったら!!」
「そうか、智帆くんは二年A組にいるはず!!」
『これはようするに……というわけだよ。静夜と理解したけど、もう遅かったな』
 ばたばたと動き出した久樹と爽子になんの言葉もかけず、智帆が達観した言葉を落とす。
「智帆、いまなんて言ったんだ!? 聞こえなかった、なにが遅いって!?」
 携帯電話を落とさないように握りしめて走りながら、声を張り上げて問いかける。
 誰もが極限状態に置かれているのに、すべての中心にある智帆だけは一人静かだ。
『起きていることと、もたらされる結果ってとこだな。分かっていても覆せない、人質を取られるとどうもな。俺も静夜もその程度だった――まあ、見捨てたくないんだからそれでいい』
 どうしてか、今まで聞いたことのない、晴れ晴れとした声で智帆が告げる。
 鈍い音が耳を打ってきた。智帆が携帯電話を落としたようだ。
 ごうごうと渦巻きはじめた風の音を、携帯電話が拾って伝えてくる。
 秦智帆が宿す、おおいなる風の異能力が発動された証拠だ。
「使うなって!! ダメだって、頼むから使わないでくれ智帆!!」
 もう少しで二年A組にたどり着く、手を伸ばせは届くはず、そう思った久樹を爽子が引き留めた。
「久樹、待って! 体育館に翠が見える!!」
「しまった、やられた!?」
『……久樹さんたちの単純さは嫌いじゃなかったよ。ああ、それから、爽子さんがいかに支配を試みても無駄だから。俺たちが許可しない干渉なんて、もう排除して見せる』
 こんな時でも眼鏡の少年は行動を先回りする冷静さを崩さない。
 智帆は分かっている、彼が今なそうとしていることが、どんな結果を招くのかを。
 ──分かって、それでも。
「智帆、やめろ! やめてくれ、お前まであの光にさらわれてしまう!」
『悪い』
「イヤよ、やめて、貴方まで消えてしまわないで!!」
 言葉が届かない。
 伸ばした手も、空をただ掴むだけ。
『俺はあいつらを選んで、久樹さんたちを見捨てる』
 智帆の声が遠くなっていく。
 見えていない光景が、どうしてかリアルに脳で再現された。
 ココアブラウンの髪を風に揺らせて、まとう衣服もあおらせながら、智帆は気楽な様子でポケットに両手を入れてただ目を細めるのだ。
 彼のために泣き叫ぶ友人たちに優しい笑みを向けて。
 雄夜と、静夜と、消えていった友人たちと同じ行為を、まったくの迷いも見せずに行う。
 どこまでも冷静で、どこまでも強さをたたえたまま。
 
 光が走る。
 もう五度目の光だ。
 同じ数だけ響いた轟音も──。

 久樹が白鳳学園に戻ってくると決めたのは、なにもかもを助けるためだった。
 なにか出来ることがあるはずだと信じたから、本当は怖いのに乗り込んできたのだ。
 ──心が折れる音がした。
 その程度の覚悟しか持ち合わせがなかったんだなと、久樹は自嘲気味に思う。
 座り込んで、もう二度と動きたくない。そんなことも思うのだが、握ったままで伝わってくる温もりが少しの強さをくれて、それを支えに足を前にだした。
 体育館に行って、高校生たちが守り抜いた三人の無事をせめて確保する必要がある。正門には舞姫がいて、炎鳳館では漣がいたが、ここにそういう存在は感じられないから。
 のろのろと階段を降り、昇降口から体育館に続く渡り廊下に出た。
「ねえ、久樹」
 憔悴しきった顔をして、爽子は静夜と智帆を立て続けに奪って出現した光の柱を見やった。
 光の柱をじっと見つめる爽子の横顔は怒りを宿しながら、けれど同じくらい怪訝そうな色を湛えていた。
「どうした?」
「さっきまでと、違っている気がするの」
「違っている……?」
 光の柱に変化が生じるとしたら、嫌なことが起きるとしか思えず、久樹もあらためて出現した光の柱を一つずつ見ていく。
「ちょっと待て、光が強くなってない、か?」
 二人が注目する先で、大きく光が点滅をした。
「──!?」
 なにが起きるのかが分からず、咄嗟に久樹は爽子を引き寄せて庇いこむ。
 点滅はどんどん早くなり、それにあわせて光が膨張していく。
 いい加減にしてくれという思いが捨てられない。
 大事な仲間たちを奪っていったくせに、まだなにを求めるというのか。
 五つの柱はまとう光を極限まで肥大化させて、いきなり矢のような閃光を近くの柱へと向けてはなった。それが柱と柱を繋いでいき、星を描く要領で繋がっていく。
「な、んだ? 今度はなにが起きるっていうんだよ!?」
 戸惑って震える声に合わせて、閉鎖領域となった白鳳学園を震わせてきたものが、最大級の規模で襲い掛かってくる。
 ドンッ!と足元からきた直下の揺れの激しさに、立っていられなくなる。取り残された人々が悲鳴を上げる中、星の形に繋がった光が結ぶ中心の空に太陽としか思えない光が出現した。
 炎鳳館で漣に守られた立花姉妹が、正門前では舞姫の保護下にある本田里奈と丹羽教授が、風鳳館では消失した三人が残した力の庇護下にある北条桜、秋山梓、宇都宮亮が、なにかを覚悟して拳を握りしめる。
 もう一度、閃光と激震。
 倒れこんだ地面の上でなんとか身体を支えながら、光のせいで一時的に失った視力の回復を待つ。
 そうして取り戻した視界に広がったのは、とても穏やかな学園の現実だった。


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竹原湊 湖底廃園
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