[最終話 閉鎖領域]

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魔、来たりて No.02


 先行した少年たちの足は早かった。
 裏門から寮生達の自宅である白梅館の前を抜け、大学部水鳳館との分かれ道の通り過ぎても彼らの背も見えず、代わりにかなりの喧騒の音を拾う。
 人と人の声が折り重なって、怒号にも聞こえた。
「なに、これ!?」
 爽子が繋いでいないほうの手で耳を押さえる。まだ距離があるが久樹は目を凝らし「生徒達が集まってもめてるのか? 違う、なにか取り囲んでる?」と状況を確認する。
 共同施設である白鳳館へと続く道が、かなりの数の人々が集まって輪というより塊となって道を塞いでいるのだ。
 異変のせいなら少年たちも見えるはずだが、姿が確認できない。どこに?と思ったところで、久樹はハッと息を呑んだ。
 ――取り囲まれているのは、彼らなのか?
 脳の隅、耳の奥から蘇って響いてくるものがあった
 それは毎日繰り返されてきた、呪いに似た弾圧の声だ。
「ま、さか」
 声が震えた。
 進みながらだったので、久樹の声が届いたのだろう。塊の一人が振り向いて「あ」と言って目を丸くした。
 噂があった。
 学園には異端があり、異端を呼ぶ存在がおり、それが織田久樹と斎藤爽子だから排除するべきだという呪いだ。
「あ、んたたち、はっ……」
 一人があげたぽかんとした声は、そう大きいものではなかった。
 けれど、その声はやけに大きく塊に響いたのだ。
 え?と、誰かが言った。
 なんだ?と、他の誰かが反応する。
 学園の人々によって被害者だと認定さた秦智帆たちに群がって、一つの巨大な塊とかしていた人間たちの反応が、ざわざわと潮騒のようになっていく。
 くるり。
 くるり。
 くるり。
 塊を構成する一つ一つが、久樹たちに向き直っては口を開いて雑音を放つ。
 ――こんなのは人間じゃない。
 久樹は思ってしまった。
 それらは確かに人間で、一つ一つ違うはずなのに、ただの群体としか認識できない。
 違いがわからない。久樹にはすべてが同じで、空っぽで、一つずつ違う失ってはいけない個に見えない!
 塊はまた、とっくに聞き飽きた呪いを紡いでくるのだろうか?
 それとも哀れなフリをして、助けてくれと叫ぶのだろうか?
「なんなんだよ」
 腹の奥底で、ドロリとしたなにかがふつふつと沸きたっている。
 智帆たちを傷つけてきたという自責のあまり発露されないできた、自分たちを排除する加害者に抱いていた感情だった。
 ――なぜ、自分たちがこんな目にあうのか?
 ――なぜ、助けてやってきたというのに、何も知らないやつらに排除されなければいけなかったのか?
 久樹は昔から争いごとは好まない性格だった。破壊をもたらす暴君の側面を持つ炎を宿しながら、無事できたのはその為だ。
 それでも怒りはあり、憎しみもあり、それらが膨れ上がれば炎の異能力の影響を受けて攻撃的にもなるのだ。
 炎の対極にあるのは水、白鳳館が見えてくると同時に足止めをされた静夜が戦慄に顔を上げ、その表情に智帆が眉を寄せた。
「智帆、いざとなったら炎を抑え込まないと。その時はこの周辺の守り、任せるから」
 静夜は友人に囁いた──その時だった。
 サイレンの音と共に、学生課員と思われる女性の声が響く。
『全学園生徒に通達をします! 炎鳳館にて火災が発生し、風鳳館でも煙があがっています。パニックは起こさないでください! この放送を聞いた教職員たちは、生徒たちを誘導し、火災が発生した校舎に近寄らせないようにしてください!! 繰り返します、教職員たちは生徒たちの誘導を!』
 パニックを起こすなと訴える女性自身が、おそらく一番パニックに陥っている。
 声に落ち着きがない。震えて、掠れて、ひどい状態だ。
 織田久樹の”炎”をトリガーに、邪気が活性化したのだから当然の反応ではあるけれど。
 不安は伝染する。
 生徒たちが無意識に抱いている、学園が守ってくれるから大丈夫だという、根拠のない安心感を打ち砕いてしまう。
「この放送は逆効果だ」
 乱暴に近い手段で囲みを突破した雄夜がこぼした言葉に、久樹は慣れない激情をいなされたばかりでうまく反応できなかった。
 心配そうな爽子を見やり、浅く早い呼吸を繰り返し、なんとか冷静を手繰り寄せる。
「逆、効果?」
 雄夜の言葉をただ復唱する。
 たしかにパニックは連鎖するものだ。パニックを起こした人の数が多いほど、生み出される反応は大きくなり、惨劇を引き起こすことにもなる。
 改めて周囲に意識をやると、漂ってくる空気は既に不穏になっていた。
 一つの塊にしか見えなかった人々が、いまはバラバラになっている。そこから放たれる空気は重く、毛を逆立て粟立たせる異様な空気は、邪気がのそりとうごめくソレに似ていた。
「パニックに惹かれて、邪気が集まってきているとか?」
 掠れた声で尋ねると、漆黒の少年ではなく爽子が首を振る。
「大丈夫よ、活性化した邪気はまだいないから」
 距離の問題はあるが、爽子は形を持った邪気であれば支配できる。ある程度の範囲なら、支配対象がいるかどうか分かるのだ。
「だったら、この異様な空気ってみんなの不安が生み出しているのか? これを糧に今から新しい邪気が生まれることも?」
 呆然とする久樹の声に、返ってきたのは澄んだ声。
「久樹さんの懸念が当たりだと思う。──でも炎の爆発を未遂にしてくれて助かった、まだ僕らで抑えられるから」
 人々の合間をぬってやってきた静夜と智帆が、互いの異能力に集中した。
「すごい綺麗……。二人の力が織物のようにあわさっていくわ」
 爽子がうっとりした声を上げる。
 大江静夜は同調能力が高く、他者の異能力に合わせてきたことは過去にもある。けれどいま行われているのは、水が風に合わせたのではなく、水と風が完全に溶け合う光景だった。
 特徴的なココアブラウンの髪を風に揺らし、智帆は瞼を押し上げた。瞳が翠に変じていないことに爽子は驚く。
「あれだけの力を集中しただけで使えるの? 智帆くんの異能力がさらにあがったの? それって異能力を本当の意味で受け入れたから?」
 静夜が続けて露わにした瞳も、紅茶色のままだった。
「邪気を作り出すのは、人から滑り落ちた負の感情。そこに違いはない」
 二人は頷き合い、織り重ねた力を解放した。
 パニックの連鎖によって、恐ろしいものを生み出しかけた群衆の目に冷静が戻るのを確認し、二人は久樹に視線を移した。
 周囲を確認するように促がされていると感じて、久樹は改めて人々を見渡す。
 視線は形を持っていない。
 けれど意思は宿し、熱を伝えてはくる。
 ――久樹が人々の視線から感じたのは、ひたすらの不安と怯えだった。
 彼らによって不当に排除されてきたから、憤りと怒りと憎悪を抱いてしまったけれど。
 白鳳学園に戻ってきて、邪気の事件に巻き込まれた──というよりも自覚もなしに事件を引き起こしてきた自分を思い出した。
 自身も持つ異能力を知らなかったから、最初は少年たちを薄気味悪いと思っていた。異能力を自覚してからも八つ当たりをし、迷惑をかけ、けれど庇われ守られて来たのだ。
 ここにいる普通の人々は、異常現象が起きても説明が与えられることはなく、抵抗する術もなく、ただ怯えるだけだったのに。
「俺は……」
 自身に問うてみる。排除されたから、仕返しがしたくてここに来たのかと。
「守りたいだけ」
 久樹が口に出した言葉に、少年たちが優しく笑った。
 左手がやわらかい子供の手の感触に包まれて、傍に来てくれた中島巧と川中将斗が一緒に左手を握ってくれたことに気づく。
「久樹」
 右手には繋いだままの爽子の温もりがある。
 どん、と強く背を押してきたのは、いつも言葉少ない大江雄夜だった。
「大丈夫だ、助けてみせる!」
 腹の底から大声を出して呼びかけた。人々に驚きが広がる。
 閉鎖領域では一般人も邪気や異能力が見えてしまうので、目撃者の数は冬の事件の比ではない。だったらもう目立ちに目立って、いっそ救世主だとでも思えばいいと久樹は腹をくくったのだ。
 久樹は炎を呼び寄せて、周囲を照らし邪気避けにもなるかがり火を作り出した。
「この炎があれば、変なのは近寄って来れない、ここはもう安全だ。だから俺たちを行かせてくれ!」
 久樹の訴えに、人々がざわめきと共に左右に割れた。「ありがとう」とか「気を付けて」という声まで方々から上がってきて、久樹は目頭が熱くなってくる。
 自分たちはたしかに異端だけれど、守ることは出来るし、共存だって可能だと心から思えたのだ。
「爽子、行こう。サチが待ってる」
 ただ助けたいと願っていた自分の気持ちが理解できたのだ。
 噂を恐れ、排除されることを何よりも怖れていた少年たちが、自分達を見捨てないでくれた理由も同じだったことをやっと心から悟る。
 助けたいという少年たちの優しい理由を理解するまでに、こんなにも時間がかかってしまったことが少し悔しかった。


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