[最終話 閉鎖領域]

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魔、来たりて No.01


 ぱちぱちと何度もまばたきをする。
 本当に視線の元である誰かの目を見たわけではない、ただとんでもない重圧を感じてしまったのだ。
 このまま硬直していてもなにも解決しない。財布を握りしめたまま、錆び付いた筋肉を動かして顔を上げた。
 拝殿の最奥に、光を放つ鏡を見つけた。
 光は拝殿の内部を照らし出し、くっきりとした輪郭を久樹に見せてくる。
 重圧はその鏡から感じられて、久樹の中で怖いという感情が濃度を増す。逃げ出したい気持ちも沸き上がるが、なんとか抑え込んで鏡を観察した。
 鏡に映っている何かが原因かもしれないのだ、まばたきすら惜しんで凝視し、乾燥が灼熱の痛みを発する頃に、また目が合った。
 心配そうな表情の爽子や、他の仲間たちの姿が映し出されている。
「はあ? 爽子?」
 久樹はあまりのことにぽかんとする。
「なんなんだよ、驚かすなよな。うっかり怖かっただろ」
 久樹は肺の中の空気を出しきるほどに息をついた。
 身体と気持ちが軽くなり、警戒心までも知らず知らず吐き出して、そのまま鏡に映る爽子に惹かれて拝殿に土足のまま侵入する。
 鏡の前に辿りついて久樹は手を伸ばした。鏡に指が触れるその寸前で、唐突にためらいが沸き上がってくる。
 なにかがおかしいのではないか?
 薄れてしまった警戒心が懸命に訴えている。
 それに従うべきなのだが、鏡に映る爽子に惹かれる気持ちをねじ伏せられずに久樹は鏡を左手で取った。
「──!!」
 突風。
 同時に閃光。
 鏡から共に放たれたソレが、猛烈な勢いで久樹に襲いかかる。
 吹き飛ばされるのは両足を踏ん張ることで留まったが、閉じた瞼の抵抗をあざ笑う閃光が内部に侵入してくるのを防ぐことが出来ない。
 ソレは脳を犯し、身体の自由を阻害し、宿す炎と操る異能力を奪い取っていった。強制的に、無理矢理に、炎を発動させられて凄まじい痛みが走って悲鳴を上げる。
 同じことをされて、苦痛に悶えていた冬の日の少年たちを思い出した。否、あれはもっと辛かったはずだろう。──違う。そんなことを考えている場合ではない。とにかく光から離れたい、鏡を放したい。
 考えがどうにもまとまらないまま鏡を放そうとするが、手が硬直してうごかない。かろうじて首は動いたので、親指に喰らいついた。痛いが歯で親指を引きはがし、鏡を畳に落下させる。
 光から離れて身体が動くようになった。だが発動させられた炎の支配権が取り戻せない。
「……まずい、俺の炎は邪気を活性化させる」
 発動させられた炎が閉鎖領域に向かえば、小康状態が崩れ、白鳳学園は非常事態に陥るだろう。
 急いで爽子の元に戻り、状況を伝えて対処に動かなければ。
「結局は静夜たちの懸念が正しかったってことか!」
 正直に悔しかった。それを抱えたまま、久樹は鏡からの再度の光を警戒し、目を閉じたまま両手で周囲をさぐり進む。
 途中からは四つん這いで外を目指したが、拝殿の段差から転がり落ちてしまった。
 鳥居までの道のりのなんと長く、時間のかかることか。これでは戻るまでに──いや、戻れるかどうかすら怪しいと弱気が持ち上がるが、諦めるわけにはいかない。
「爽子っ……」
 久樹はよすがを求めて、深い絆を結ぶ存在の名を呼んだ。
 兄妹か姉弟のように思っていた相手だ。けれど高校で経験した別離によって感情は別の形を持ち、一生を共にしたい相手となった。
「爽子ー!」
 もう一度久樹が叫ぶと、世界が震えた。その震えは鳥居によって繋げられている世界にも伝播する。
 ただ爽子たちが先に驚いたのは、世界の震えが起きる前の、爆発的に膨れ上がった久樹の炎の気配だった。
 鳥居があるという場所から炎が噴き出してくる。
 本能が覚えた恐怖のせいで多くが後ずさる中「雄夜、式神をすべて展開!」と静夜が声を響かせた。
 久樹の異能力である炎が四方八方に散れば、邪気が活性化して異変を呼ぶ。一斉にパニックを起こさせて被害を拡大させない為だが、無茶ぶりもいいところだった。
 式神は邪気だったもので、今でもかなりの破壊衝動を内包している。
 それらの展開は、破壊衝動を雄夜が肩代わりすることで成り立っている。過去には抑え込めずに暴走したこともあるのだ。
 けれど雄夜はためらわなかった。
 空に放った札から式神たちが散開するのと、碧くゆらぐ穏やかな水の結界が雄夜に降り注ぐのは全くの同時だ。静夜の異能力である水が片割れの精神を喰らう破壊衝動を鎮める。
「さっきの現象、どうみる静夜」
 ふわりと舞う風が紅茶色の柔らかな髪を揺らすのは、智帆が風を静夜のフォローのために発動させたからだった。
「都合の良い展開にはなってくれなかった──ということだよね。久樹さんを誘ったのは、炎の異能力を利用する為か」
「あり得る想定の中で、最も嫌なところを引き当てられたな」
 ごちる智帆に、爽子がハッとする。
「異能力を利用するって……あ、二人とも聞いて!」
 ひどく慌てだした爽子の様子に、静夜と智帆は相談を中断させる。
「みんなの力を無理矢理に奪って使った冬の時、みんな苦しかったよね?」
「まあそうだけど。その確認の真意はどこにあるんだ爽子さん?」
 自虐で言っているわけではないと判断して、冷静に智帆が問う。
「苦しいのは命を勝手に使われるからよ。鳥居の先にある神社が久樹にそれをしてるなら、苦しくて戻る場所が分からなくなったのかも。迎えにいかないと!!」
 蒼褪めていく爽子に、将斗が悲しげに首を振った。
「でもさー、場所が分かんないんだよ。久樹兄ちゃんがあそこを通って姿が消えてから、全然見えないんだ」
 肩を落とした将斗に大丈夫と告げ、方法を考える。
 水晶のような美しいものを校門に置いていた静夜を思い出した。それから幸恵からの電話がつながった時のことも。
「絆、は? 私と久樹なら、強く繋がっているよね?」震える声で言った。
「きっと届く。ううん、届かせて見せる!」
 爽子は意識をひたすらに久樹へと集中させた。
「久樹!! 道はこっちにある、ちゃんと続いているの。だからお願い私の声に気づいて、戻ってきて!!」
 爽子が声をはったのと、拝殿から転がり落ちた久樹が叫んだのは同時だった。
 別々に存在しながら、同時に互いを求めたことで世界は震え、爆発的な力を生んでいたのだ。隔てる何かが一時的に突破され、久樹が転がりでてくる。
「久樹っ!!」
「その声、爽子か!?」
 呆然としている久樹を覗き込み、彼がぎゅっと瞼は閉じていることに爽子が気づく。
「久樹? もしかして目が痛いの!?」
「閃光が起きて、あと突風も襲ってきたんだ。そうだ、爽子こっちに来るな! またあれが襲ってくるかもしれないだろ! 俺の炎は……どうなって……!?」
 起きたことを語ることで現実を認識し、遅れて冷静を失っていく久樹の肩を巧が強く掴んだ。
「落ち着けって久樹にぃ!」
「たく、み?」
「久樹にぃの炎はこっちに溢れてきて、学園全部に広がっていった。すぐに雄夜にぃが式神を飛ばしたよ。だから誰もまだ傷ついてないよ。久樹にぃの炎は、ええっと、ねえ爽子さん。久樹にぃの中に炎がどうなっているか見えたりするの?」
 的確に状況の伝達と確認を促してくる巧の声に、大学生二人は目をぱちぱちとさせて我に返った。
「えっと、そうね。久樹の炎はちゃんとある。奪われたのは一部なんだけど、残っている力を久樹が使えないように邪魔されてる」
「それって?」
「どう説明したらいいのかな……その、私が久樹が異能力を使えないようにしていたのと、似た感じなの」
 分かりやすいがやけくそ気味の説明に、返事が出来ず巧は困った顔をした。
 周囲を固まらせたことに気づかず、爽子は久樹が閉ざした瞼に掌を重ねる。
「爽子──?」
「邪魔しているものを外してみる。お願い久樹、私と息をあわせて」
「分かった」
 二人の意識が重なるほどに、久樹の能力が自分の物のように爽子には感じられた。その感じ方こそが、他者の能力を自分のモノとして支配下におく彼女の異能力なのだ。
 爽子の瞳が紅く焔の色を宿した。
「──へえ」
 他者の能力を支配していく様子を観察して、智帆が小さな声を漏らす。
 爽子は日常にある物や色として異能力や邪気を認識している。久樹が異能力を使わせないように干渉しているモノは鉄パイプだったので、強引に引っ張って取り除いた。
「久樹、もう大丈夫。瞼を開いて」
 久樹を助けられることが爽子は嬉しい。
 幼馴染の柔らかな声と、炎の感覚が戻ったことに勇気を得て、久樹は目を開けて笑っている恋人の顔を見た。
「おかえり、久樹」
「えっと……ただいま爽子」
 万感の思いを込めた言葉を交わして見つめあう。
「どこでも新婚お花畑状態になれる能力は、今は封印して貰っていいか」
 見せつけられる巧の頭をぽんぽんとしながらの智帆の指摘に、久樹は飛び上がる。
「わ、悪いっ! あとかっこつけた結果がこれで申し訳ない。改めて、智帆、静夜、状況は?」
 問われたどちらかが答えるより先に、巧が目を見開いてしゃがんだ。
「巧?」
 驚く将斗に「地震がくる!」と返した巧の声と、地鳴りが重なった。
 とてつもない音を伴って襲ってきた地震に、爽子と久樹は身体を支えあう。
 少年たちの対応は早かった。
 雄夜の周囲だけだった水の結界を静夜は広げ、智帆は大気を幾層も折り重ねて壁を生み出す。地震を感知して注意を促した巧本人は、周囲の大地を固定させるべく異能力を発動させていた。
「──最も激しく揺れたのはここだ、他に地震の被害は出てない。だが──」
 結界の範囲を広げた静夜の負担を軽減するために、蒼花と白花を札に戻し、残した朱花と燈花からの情報を口にしながら雄夜は将斗を見た。
「うん」
 炎が生まれ、風が牙を剥き、水が凍る。
 久樹から奪った炎によって活性化した邪気が、次々と形をもってのそりと動き出したのだ。
「駄目だよ、このままだと被害が大きくなる!」
 炎の朱花と大地の燈花は生徒たちが固まっている場所へ向かっている。結界を保たせたままの静夜は、凛と顔を上げた。
「──こうなった以上、一つずつ対処していくしかない。将斗、もっとも危険な場所があったらすぐに雄夜に。僕たちよりも式神のほうが早いから」
 頷いた一同に、智帆が「まだ続きがある」と声を重ねた。
「俺たちが打てる手に限りがあることは忘れるなよ。俺たちは亮たちと立花姉妹を確保する。優先順位を見失って、全てを見捨てる結果だけは招くな。次の手を考えるのはそれからだ」
 二人の指示に雄夜は駆けだすことで答える。それに巧と将斗が続いたのを見送り、静夜は智帆とまだ立ち止まっている大学生二人を見やった。
「行ける? 最低限の勝利条件を抑えるために」
 助けたい人間を救うために、ほかを切り捨てなければいけないかもしれない。覚悟を問うていると分かるので「もちろんだ」と即答した。
 久樹と爽子の肯定を受けて、少年たちは水と風の気配と共に走り出した。
 青と翆が動き、激震から爽子たちを守った巧の橙色が溶けるのを爽子は見た。
「巧くんが地震を軽減させた橙色も溶けだしているの」
「溶ける? 力の流れが見えるっていうのは不思議だな」
「わたしには当たり前だから、不思議って言われるのが不思議かも」
 この先ではぐれたくないから、二人は手を握り合って駆けだした。
 

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