[最終話 閉鎖領域]

前頁 | 目次 | 次頁
閉鎖領域 No.07


「全員で悩んでたら決めれなくて、間に合わなくなったこともあると思うんだ。だから俺たちは間違ってなかった。でも、静夜にぃに相談しなかったのをなんでって責めるのはちょっと違う」
 大好きな雄夜を責めたくないのに、責めているようで巧はどんどん苦しくなる。それでも大切な人たちの仲が壊れぬように調整に挑むのは、彼が強くなっている証明だ。
 年下の友人の奮闘に静夜は淡く笑った。
 智帆の肩をぽんと叩き前に出て、雄夜の腕をつかんでいる巧と将斗に「ありがとう」と伝える。
「静夜にぃ?」
「大丈夫、僕と雄夜の喧嘩にはならないよ。雄夜、心配させて悪かった。ただどうしても、あの神社の事を話すことは出来なかったんだ。──誰にもだよ」
「誰にも──?」
 雄夜の漆黒の瞳が怪訝に揺れる。
 静夜は智帆に、智帆は静夜に、相談をしたと思ったのだ。
「誰にも、だよ。だってあの神社で起きたことを、僕は夢だと思いたかったんだ。なかったことにしたかった。話して肯定されたくなかった。……でも、気づいちゃったんだ」
 眉を寄せて苦しげに、静夜は智帆を見やった。
 視線を受け取る智帆も同じくらいに苦しそうで「智帆兄ちゃん?」と将斗が心配する。
「だって裏門を使わないって不自然だろ。なのに智帆まで僕とほぼ同じ頃に使わなくなったから」
「白梅館の住人だってのに、裏門を使ってないがばれないようにするのは大変だったな」
 心配でいっぱいの様子の将斗に智帆は「大丈夫だって」と伝えて腕を組む。
「そういえば」と爽子が思い出してみた。
「──裏門を使っている時に、二人がいることってなかったね。どうして不思議に思わなかったんだろう」
「小細工が有効だったってことが、証明されたってわけだ」
 智帆がさらりと流す。巧は今までの情報を必死にまとめた。
「ええっと、裏門を使わなくなったってことは、裏門を使いたくない理由がないとおかしいって思ったから。だから、静夜にぃは智帆にぃが、智帆にぃは静夜にぃが、朱色の鳥居を持つ神社を見たと思ったってこと?」
「そんなもんだな。まあ、本当の問題はあれを見たことではないと気づいたのは、迂闊すぎだがもっと後の事だったけどな」
「待って、違う問題ってなに?」
 困惑しきりの声を爽子が上げて、場の空気はさらに重くなった。
 静夜が視線を久樹と爽子に向ける。
「ねえ、久樹さんと爽子さんは今日、ちょっと思ってたよね?」
「──は? ええっと、なにをだ?」
「冬の事件を経験して、どうして?って聞くだけじゃなくって、ちゃんと考えて行動しようとしてるのはすぐに伝わってきたから。なのに、僕らに意見は出来なかったんだよね」
「それなあ。いやそうなんだよ、どうしても何も分からなくて。爽子と二人、どうして静夜と智帆は、俺らの能力とか邪気のことを理解して作戦が立てられるんだろうなとか話して……あれ?」
「そう、そういうこと。僕と智帆だけが情報を持っていた、その答えはあの神社だよ」
 静夜は手を持ち上げて、こめかみにそっと中指を添えた。
「神社の領域に入ったことで、僕の頭の中に、異能力やら邪気についての情報が一気になだれ込んできたんだ」
「──え? 頭の中に入ってきたって、それって大丈夫だったの? 痛かったりしなかった?」
 過去のことだが心配をしてくる爽子に「大丈夫」と答える。
「衝撃はすごかったけど。気づいた時にはもう鳥居も白鳳神社もなくなって、でも情報は頭の中に残ってた。だから夢にしたいのに、夢じゃないって理解しちゃったんだよね」
 こめかみに添えた指を降ろす。
「僕らは互いに確認をしてこなかったけど、いろんなことが起きる度に、智帆はどうして僕と同じ選択をするんだろうって思ってた。……智帆とじゃ性格は全然違うし、今と違って僕らの間には距離もあったんだよ。なのに最善と思う行動はほぼ同じになる。……だったらもう認めるしかない、智帆もあの神社を見ていて、同じ情報を得たんだって」
 同じだと静夜が口にすると、智帆が忌々しげに眉を寄せた。
 あまりに重い空気が沈黙と共に横たわって、久樹は首を振ってなんとか言葉を紡いだ。
「……同じ情報ってことを問題視してるのはなんでだ?」
「似るだろ、答えが」
「──似る?」
「答えを導くための基本情報が同じなんだ。導かれるものは似てくる。思考のスタートを間違えていたらと思いもするさ」
「僕らが取る行動を誘導するために、故意に曲げられた情報だったかもしれない。そう考えたら怖くもなって」
 事件が終わるたびに、本当にこれは解決だろうかと、心の中で繰り返し自問してきたのだ。
 対処は出来ている。けれど季節ごとに事件が起き、異変の規模も大きくなる繰り返しは、懸念と不安を膨らませていくばかりだった。
 ──もしかしたら。
「事件は解決してないかもなんて言えないよ。それでも目を逸らせなくなって、自問してるだけじゃ抱えられなくなって、智帆とちゃんと神社について話したのは秋に変なことが起き出したときだったな」
 吐息と共に静夜が落とした肩を、智帆が支えるように手を置く。
 雄夜の腕をぎゅっとしていた将斗は眉を八の字にした。
「そんなに最近まで、智帆兄ちゃんと静夜兄ちゃんは一人で苦しかったのかー?」
「将斗?」
「俺ー、なんにも知らなかった。ずっと能天気だったよー、ごめんなさい」
 将斗は智帆と静夜に駈け寄った。
「謝ることないだろ?」
「だって、ずっと頼ってばっかりだったし。でもさー、解決はしてたんだって! だってー、智帆兄ちゃんと静夜兄ちゃんがいなかったら、菊乃は連れて行かれちゃってたんだぞ」
「そうか。ありがとな、将斗」
「うん」
 唇を真一文字に引き結ぶ将斗の頭を、珍しくストレートに優しさを示して智帆が撫でる。
 二人の素直な光景に背を押されて、静夜は雄夜と目を合わせた。
「長々と言い訳をしたけど、僕が隠し事をしてきたことに変わりはないよ。だからごめん」
 懊悩の色に瞳を染めた静夜からの謝罪に、雄夜は目を見開いた。
「俺は謝って欲しいわけじゃない」
「だったらどうして欲しいんだよ雄夜」
 智帆が横から入ってくる。
「俺はもともと静夜に怒ってない、なにかして欲しいんじゃない。……俺が悪かっただけだ」
「──え?」
 静夜を責めてるんじゃない?という共通の疑問が場を支配する。
「あまりうまく言えない……。とにかく謝るな、悩むな、苦しむな」
「滅茶苦茶を言うなよ雄夜。それに怒ってないなら、なんでそんな態度なわけ」
 想定外の返答に、静夜はつい気が抜けた声がでた。
「責任まで押し付けたと思わせた俺が悪い。伝わっていると勝手に思っていて、伝え切れてないと分かってなかった自分の悪いさに腹がたった」
 いつも言葉少ない雄夜が、精いっぱいに言葉を探す。
「静夜と智帆の決断は俺の決断だ。選択の先に問題が起きても、そんなものは乗り越えてやる。──悩む無駄なんてさせる必要がなかった」
 悩みを無駄と切って捨てられて、頭脳派の二人はぽかんとした。
「与えられた知識を使ってなにが悪い。利用しなかったら、静夜と智帆がためらっていたら、すでに生きていなかったヤツもいた。だからお前らは胸を張れ、俺はずっとそうしてる」
 普段から凛々しい佇まいの胸をさらに張る。
「……ええっと、雄夜の意見をまとめると、結果良ければすべてよしってことか? 異変の規模が大きくなろうが、最後に俺らが抑えこめれば勝ちだと」
「当然だ。そこになんの問題がある、智帆」
「あるだろ……いや、ない……のか? どうにも雄夜は大胆だな」
「そんなことない。智帆と静夜が繊細すぎるだけだ」
「繊細!? 静夜の見かけのことならともかく、俺も含めて繊細ってどこから出てきたその感想!」
 素で驚く智帆に「えー、でも智帆兄ちゃんも静夜兄ちゃんも繊細さんだと思うなー。よく悩んでるし」と将斗が追撃した。
「あのなあ」ため息と共にうつむいたが、すぐに智帆は顔を上げた。
 巧も心底ほっとして、雄夜の腕を離して、周囲をきょろきょろとする。
「久樹にぃが見ている鳥居ってどこにあるんだ? このあたり?」 
「違う、もっと先だ」
「……ねえ、久樹さん」
 雄夜の言葉で何かを吹っ切った静夜が、強さを取り戻して年上の友人を呼んだ。
「なんだ静夜?」
「これは僕と智帆が考えたことだけど、白鳳神社は来訪者を選んで招いていると思うんだ」
「神社が来訪者を選ぶ?」
「確証はなにもないんだけれど、そもそも白鳳学園と白鳳神社には関係がある気がするんだよ。同じ名前って単純な理由もあるけど、白鳳学園は異能力者を当たり前に受け入れ過ぎてる」
 静夜の言葉は、久しぶりに白鳳学園へと戻ってきた時に久樹と爽子が抱いた疑問と同じだった。続きが気になって「それで?」と促す。
「極論を言えば、白鳳学園は異能力者を集めるために作られた場所じゃないかってこと」
「──静夜、俺たちは強要されてここに来たわけじゃないぞ」
 珍しく口を挟んだ双子の片割れに「うん」と静夜はあっさり頷く。役割分担なのか智帆がひらりと手を振った。
「動機は同じだったけどな。俺たちは家族と距離を取る必要があって、同じような奴はいないかと探していた。ようするに白鳳学園の不可思議な事件という餌に、おびき寄せられたことになる」
「餌ー! なんか自分がカブト虫になった気分になるー」
「なんだ将斗はカブト虫派か」
「え、智帆兄ちゃんはクワガタ虫派なの!?」
「正確に言えば、どっち派でもない。生態だとか捕まえる方法とか調べたことはあるけどな」
「調査済み!? よし智帆兄ちゃん、夏に虫取りに行こうよ虫!!……あれ? なんかみんなの視線が痛いかもー? えっと、知ってる、時と場合だってことくらい。だからー、巧、助けて!」
 従兄弟からの無茶ぶりに「なんだよ〜」と唸り、巧は智帆を真似て腕を組んだ。
「ええっと、神社を見せる相手を選べるような何かが俺らを集めた。うーん、俺ら集めて特することってなんだろ?」
「……巧くん、すごい……」
「え、爽子さんどうしたの?」
「気にしないで、定期的に年上なのに情けないと凹む周期が巡ってくるの。ね、久樹」
「だなあ、爽子。知識を得たのは智帆と静夜だけだろ、俺たちと巧の置かれた条件はほぼ同じ、なのにこの理解力と想像力の差はなんだ。もう凹むしか……」
 がっくりと肩を落とす大学生二人に、雄夜が無言のままおろおろとした。
「ほっとけよ雄夜。凹むのが久樹さんと爽子さんの趣味になったみたいだから、思う存分やらせてやれって」
 身も蓋もない智帆の追撃に、二人の頭上に漬物石が乗った幻覚が雄夜には見える。
「明確に分かっていることは、俺と静夜にだけ朱色の鳥居がかつて見えて、知識を与えられたってこと」
 智帆が言葉を切り、静夜が頷く。 
「そして今は、久樹さんにだけ朱色の鳥居が見えている、ここまでが確定事実だ。あとは鳥居が人を選んで招いているんじゃないかって推測があるだけだ」
「──あ」
 凹むことに全力だった久樹が我に返る。
「俺が招かれている?」
「だってさー、俺たち鳥居が見えてないよー。爽子さんも見えてないんでしょ?」
「うん、私にも見えないよ将斗くん。さっき巧くんが聞いてたけど、どこにあるの久樹?」
「えっとな、て、俺が鳥居の前に立てばいいんだんだよな。ここなんだけど、智帆や静夜が見た時と位置は同じか?」
 智帆が目をすがめる。
「まあ同じだな。鳥居はいつも存在はしていて、見えるのは特定の人間だって可能性が高くなるのか」
 久樹は鳥居の真ん中で仁王立ちをして、目を凝らしてみた。
「静夜がさっき話してくれた、参道も竹林も見えないな」
「鳥居は門なんだと思う。くぐることで、白鳳神社が存在する世界に入るんじゃないかって」
「門、か」
 鳥居をくぐるか、くぐるまいかを久樹は悩む。
「自分で決めるべきだってのは分かってる。でも相談させてくれ、鳥居に招かれてる身として、行くべきだって思うか?」
「久樹さんをどうして招いているのかがキーになるけど、分からないしね。難しいな」
「俺を招く理由なぁ。ここにいる面々で、俺にだけあるちょい特殊な価値っていったら、炎だけだよな」
「……久樹兄ちゃん、そんな炎にしか価値がないみたいなこと言わなくてもー」
 悲しみを将斗に向けられて「そこまで卑屈じゃないぞ俺は」久樹は返す。
「智帆たちは、白鳳神社が異能力者を集めているって考えたんだよな」
「そうだよ」
「白鳳学園に邪気が集まりやすいからって考えはどう思う?」
 久樹の思い付きに雄夜が反応したが、特に意見はないようなので智帆が問いを引きとった。
「白鳳学園に邪気が集まりやすいのは事実だな。俺たちが調べて分かるくらいに、小さいとはいえ奇妙なことが以前から起きていたわけだし」
 不可思議な事件をまとめた情報サイトを持つ智帆らしい発言に、爽子が目を丸くする。
「ねえねえ、巧くん。そこまで不思議なことって白鳳で頻発していたかな?」
「してた、と思ってるけど。春の事件だって、変なことが起きすぎて学園祭の舞台が中止になったの原因だったし。あれって俺たちが来る前だよ」
 爽子の否定はしたくないが、白々しい嘘もつけない巧がおろおろとする。
「そう……だよね。わたしだけがずっと白鳳に居たのに、気づいてなかった」
 将斗や雄夜がこのタイミングで強く頷いたので、爽子はしょんぼりした。久樹は恋人の肩に手を置いて「なあ」と話題を引き戻す。
「邪気が多いなら、異能力者に集まって欲しいだろ。天敵がいなけりゃ野放しになる。ネズミには猫な発想だけどな」
「えー!? さっきエサにおびき寄せられるカブト虫気分だったのに、次は猫ー? んーでも猫って悪くないかもー」
「将斗、時と場合を知ってるってさっき言わなかった?」
「そうだったー、だまる」
 脱線が初等部組の間で収まったので、静夜は笑いをこらえて久樹を見やった。
「ネズミに猫、邪気に異能力者っていうのなら、僕と智帆に情報をよこした理由はどう考えるの?」
「そりゃあアレだよ、武器だな。あつめた異能力者があっさり邪気に負けたら意味がない。なるほど俺の前に鳥居が見えるのは、今回の異変に炎が必要だってことになるな!」
 目を輝かせた久樹の断言に、場の空気が浮上する。
 そのまま全員の統一見解となりそうだったが、慎重派の静夜が「待って」と口を挟んだ。
「久樹さんの考えって、そうであって欲しいと願う希望的観測によって導かれた結論に思えるよ」
「俺も同意見だな」
 取るべき行動を、悩みながら選択してきた二人の言葉はどこか重い。
「とはいえ、別の意見を出さないとただのヤジだな」
「邪気に異能力者をぶつける為っていうのは素直に同意するんだけど、それじゃあ対処療法で根治はしないんだよ。それがすごくひっかかるんだ、でも……もどかしいな、なにを狙っているのかが分からない」
 結論を導けない二人は苦しそうで、それが久樹の胸を苦しくさせた。
 雄夜に結果よければすべて良しと言って貰えたが、正解の分からない決断を委ねるのはひどいことだと思う。「よし」と言って拳を握った。
「鳥居が俺を招いているのは事実だからな、ちょっと行ってくる!」
「ええ!?」
 静夜と智帆だけでなく、その場の全員が驚く。
 慌てて口を挟もうとした静夜を手で制し「分かってる」と久樹は答える。
「確かに俺は極端すぎるんだ。無謀だし、考えなしでもある。それを分かった上で、神社が俺を呼ぶのは、邪気に対応するために必要なことがあるって信じることに決めたんだ」
 自信に溢れている風を装うが、決断を言葉にしている間に、緊張と恐怖が這い上ってきて、久樹の心拍数が上昇する。
 ──これが決断の重みなのだ。
 自分の命でだけではあがなえない、他人の命まで背負うということ。
「待って、久樹」
 久樹の強がりが伝わっている爽子を制し、気合を入れて踏み出した一歩を地面につける手前で制止させ、振り向いた。
「ちょっといいか、雄夜」
「ああ」
「さっき格好良かっただろ、責任を背負わせたつもりはないって。それって俺に対しても有効か? 裏目に出たら一緒に解決してくれたりするか?」
 自信あふれる演技をあっさりと手放して、最高の戦闘能力を持つ少年に尋ねる。
 雄夜は切れ長の眼差しを和ませて「当然だ」と言い切った。
 ほっと息をつくと、気負ったものと共に肩の力が抜けた。
「これで本当に大丈夫だ。今度こそ俺は行ってくる!」
「久樹!」
 一度は黙った爽子が、改めて声をあげる。
「な、なんだよ爽子?」
「雄夜くんにだけ聞いていくつもりなの? 久樹が決断をしたと同時に、私も決断したことになった分かってくれてると思うけど、言ってくれないと不安になるんだから」
 勝手に不安を膨らませるのが得意だって知ってるでしょ?と自虐を口にして、爽子はぎゅっと久樹の手を握り締めた。
「神社でよくない事が起きたら、私のところに戻ってくることを目標に切り替えて。失敗は一緒に取り返そう、だから帰ってきて。待ってるから」
「爽子。ありがとな、だから、待っててくれ」
 共に危険に立ちむかう決意を言葉として贈られて、久樹はたのもしさに笑った。
「今度こそ、行ってくる!」
 久樹はついに鳥居をくぐり、視界がすぐにぐらりと揺れた。
 静夜が言っていたのと同じ現象だと認識するより早く、鼓膜を激しく打つざわめきが押し迫ってくる。
 揺れすぎる視界と、激しいざわめきの音。それらが重なり合い、久樹という存在を押し潰して、裏門の時と同じく空間が認識できなくなった。
 どこが上で。
 どこが下で。 
 自分はどこに居て、どこに進もうとしているのかが分からない。
 道しるべを求めて振り向いたが、振り向いた瞬間から、そこが後ろであったのかが分からなくなる。
 足がある場所が下だと決めたとき、久樹はなにかの声を聞いた。
 微かで、弱い、けれど確かに自分を呼んでいると理解する。その認識があやふやな空間で得た強い認識となり、久樹を現実へと引き戻した。
 静夜が見たと言ったものが広がった。
 天を貫く竹林と、真っすぐに伸びる白い砂利が敷き詰められた参道。
 久樹は自分を励まして、そこを進み始めた。
 砂利を踏む響く音だけを聞く中、神社によくある手水鉢を見つける。誘われて近寄ると、傍らに苔むした大岩があり白鳳神社と刻まれていた。
 町中に或る神社となんらかわりがなく、奥には古い造りの拝殿も見える。
「あれだよな、静夜たちが見たっていう神社って」
 一人で来たことを忘れて振り返り、視界に入る朱色の鳥居に圧倒された。
「自己主張の激しい鳥居だなあ」
 世界がどんなにあやふやになったとしても、あれは当たり前に存在して、様々な世界からここへと至る支点として在り続ける気がする。
「さて、と。ここからどうするかな俺。神社で何をしたのか聞いてなかったな、いきなり本殿に押しいった……はないか。智帆ならするか? でも静夜はしないよなあ」
 次の行動を決めあぐねる間にたどり着いて、鎮座する賽銭箱に気づいた。それで神社でやることといえばお参りだと思い付く。
 ズボンの後ろポケットから財布を出し、小銭を出そうとうつむいて。
 ──視線を感じた。
 

 前頁 | 目次 | 次頁
竹原湊 湖底廃園
Copyright Minato Takehara All Rights Reserved.