[最終話 閉鎖領域]

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閉鎖領域 No.03


 地下鉄の駅から出て道路を進み、白鳳学園の姿が目に入った途端に帰ってきたと思って久樹は足を止めた。
 同時に、ひゅう、と強く風が吹く。
 しばらく家にひきこもりだった久樹の首筋は、三月初めの冷気を刃のように感じてしまって体をぶるりと震わせる。
「寒い」
 ついつい猫背になって、久樹は遠くの白鳳学園を見つめ続ける。
 彼の横顔を爽子が見上げて「帰ってきたって思った?」と尋ねた。
「爽子もか? あんな目にあわされたんだ、足が震えたりしたらどうしようかと思ったんだけどな。逆にほっとした、なんでだろうな」
 不思議そうな声に、爽子もまた目を細めて学園を見やる。
「白鳳学園って包容力がありすぎると思わない? 不思議なくらいに」
「どういう意味だ?」
「だって不可思議な現象があんなに起きているのに、動じなさすぎでしょう? まるでこういう出来事に慣れているみたいで、冬の事だってどうやって処理したのかな」
「そういやそうだな。秋までと違って、破壊された建物の体裁を静夜が整えたりも出来なかったわけだし。警察に消防、それに近隣の人たちに説明だってしてるわけか」
「局地的な異常気象に襲われましたとか、手抜き工事がありましたとか、いろいろと言ってごまかすのは、学園を守るためだから分かるの。でもどうして私たちになにも言ってこないのかなって」
「退学要請とかもないしな。むしろ講義が受けられない間の補てんをどうするかって話が来ているくらいだ」
「私たちみたいな異能力者がいるのが当たり前で、受け入れるのも当たり前だと思ってるみたい……」
 爽子は首をかしげる。整った横顔を久樹は見やり、頭脳派の二人ならどう推理をするかと思ってしまって眉を寄せた。
「久樹、変な顔をしてどうしたの?」
「いやさ、智帆と静夜ならどう考えるかなって思ってしまった」
「ダメだよ久樹、私たちにも出来ることがあるって来たんだから。──て言いたいんだけど、ごめん、わたしも思っちゃった」
「年下に当たり前に頼るってどうよ。なしなし、やり直し、自分たちで考える! よし!」
 ふるふるっと首を振り、久樹は背筋をぴんと伸ばした。
「爽子、行くぞ」
「うん。学園についての謎、ここで考えても答えはでないものね」
 頷き合って、二人は慣れた道を歩き出した。
 白鳳学園が近づいてきて、ぐるりと囲む塀もはっきりと見えてくる。けれど何かにひっかかりを覚えて爽子は足を止めた。
「爽子?」
 呼んでくる久樹を手で制して、爽子は何にひっかったのか考えた。
 初等部から大学部までずっと見てきた風景だ、だからこそ何かがいつもと違うとわかる。息を整えながら冷静に、記憶の風景と現実の風景を比較してハッとした。
「あ!! 違う、そうだ!」
 爽子は駈け出した。
 久樹も慌てて追って、爽子が見ている付近を確認してみる。
 ごく普通の道、学園とそれ以外を区分する塀の内側からは木々が枝を覗かせている。のどかともいえる光景の、どこに爽子が注視したのかが分からない。
 爽子は塀にたどり着くと足を止め、手を当てて顔をあげた。追いついた久樹が尋ねるよりも「高すぎる」と彼女が呟くのが早かった。
「──え?」
 久樹はぽかんとして、理解した。
 白鳳学園の塀はそれほど高さはなく、それなりの背があれば中を見ることが出来るものだったはず。
 ──まるでこれでは牢獄だ。
 高い高い塀がそびえ立つ。
 恐怖が襲ってきて、二人は震えそうになる心を励ますために、手を握りあった。
「幸恵は入口がないって言ってたよね」
「夏に起きた事件の時、炎鳳館の入口もなくなっていただろ。今回はこの高すぎる塀が、学園を封鎖しているってことか」
「だったら正門も、塀で潰されているかもしれないよね」
 二人は見つめ合い「走るか」と久樹が言った。
「うん、急ごう!」
 答えた爽子と共に駈け出す。
 息が切れる前に正門が見えて、急停止して二人は呆然とした。
 ごく当たり前の日常の中に正門はあった。
 開け放たれている正門を見守る監視カメラも、普段通りに稼動している。並木道は真っ直ぐに続き、休憩中の生徒や職員の姿があり、非日常の気配はなかった。
「なんだこれ?」
 電話をかけてきたのが立花幸恵でなかったら。学園をぐるりと囲む塀が高く高く牢獄のようにそびえるのを目撃していなかったら。からかわれたと思うほどに、穏やかな光景だった。
「久樹!」
 緊張を宿した爽子の声に名前を呼ばれ、ぐいと腕を引かれる。
 ぽかんと開きっぱなしの口を結んで傍らを見やり、爽子が来た道をじっと見ているのでそちらを中止する。
「──はあ!?」
「塀が戻っている、よね?」
 社会から学園を隔絶して、高くそびえた塀がない。
 自然に木々のざわめきを見せ、中で営まれる学園の日常を見せる、いつもと変わらない高さに戻っている。
「爽子、高い塀を俺たちは見たよな?」
 尋ねる自分の声が戦慄くのが久樹にも分かる。
 学園は異変に襲われているはずなのに、その証拠が次々と消失していく現実に恐怖がせり上がるのだ。
「絶対に見た。中も覗けなかった。なのに……今は」
 握り合っていた手を放し、爽子は正門から少し離れた塀の前に戻る。
「本当に、いつもとなんにも変わらない」
 見えたのはサッカーをしているごくありふれた光景。けれど爽子は胸が痛くなった。
「大丈夫か?」
「巧くんと将斗くんって、いつもサッカーをしてたね。菊乃ちゃんが喜んで見に来てた」
 冬に壊してなくしてしまった、炎鳳館の日常がありありと浮かんでくる。
 思いつめていく幼なじみの横顔に、久樹は「行こう」と促した。
「久樹、乗り込むつもりなの?」
「俺らに分かるのは、こんな平穏は偽りで、絶対になにかが起きてるってことだけだろ? あいつらだったらいきなり突入はしないだろうけど、俺じゃあ直接調べるしか浮かばないんだよな」
「そうね、私にも分からない」
「行くか?」
「うん、勿論」
 爽子が当たり前に同意してくるのに、勇気と呼ばれる類の感情が久樹の中から湧き上がってくる。
 正門に戻って二人は仁王立ちをした。
 ごく当たり前の日常を前にして。緊張に息を飲み、一緒に足を踏み出す。
 ──緋色。
 唐突に広がった、視界いっぱいの緋色の残像。
「は──!?」
 久樹がぽかんとした。
 なにが起きたのか分からない。
 理解できたのは隣の爽子だったらしく「久樹!!」と切羽詰まった声で呼んでくる。守らねばと思って、久樹は手を掴んで引き寄せた。
 視界に白いものが入り込んでくる。
 輪郭をとらえられない至近距離、焦点が合わずに目が混乱する。
 白いなにかに、赤い隈取。ざざざ、ざざ、ざざ、とざわめく音。
 叫びたいのに、なにを叫べばいいのか分からない。とにかく引き寄せた爽子を抱き込んだ直後、襟首のあたりに衝撃が走った。
 息が止まる、というよりも気道が潰されて空気が入ってこない!
「──!?」
 襟首に掛けられた力は後方に久樹の体を引っ張るので、たたらを踏んだが留まれずに後ろにひっくり返った。抱き込まれていた爽子も一蓮托生で、音を立てて二人は道路に転がる。
 焦点のあわなかった緋色の何かに代わり、視界いっぱいに広がった空の青。
「――!!」
 声にならなかった。
 青空を背景にして、紅茶色の髪が風にあおられて揺れている。
 少女のような顔立ちの少年は、いつもしていたように目を細めて苦笑していた。
 久樹も爽子も何度も瞬きをする。
 夢か、それとも幻か。けれど幾度も瞬きを繰り返しても、佇む少年が消えることはなかった。
「しず、や?」
「うん」
「静夜くん!?」
「うん」
 めいめいに呼ぶ名前に返る声に、二人は大慌てで上体を起こし少年を見上げた。
 記憶の中の静夜より、確実に痩せてやつれている。彼が大怪我をしたのは二ヶ月前のこと、当然なので二人は暗い表情になった。
「なんでそんな顔をするわけ。うーん、まだ会うのって早かった?」
「まだってなんだよ」
 返しずらい静夜のもの言いに、久樹は困惑した声を上げる。
「だって入院真っ最中の姿なんて見せたら、病室で謝罪大会を起こすつもりだったんでしょ? そんなことをされたら町子さんたちに怒られるし、部屋で涙の洪水が起きたら湿気で大変なことになるよ」
 連絡をしなかった理由はわかった?と少年は悪戯っぽく続けて、二人に両手を差し伸べてくる。
 白く細い手を取る資格があるのかどうか。悩んでしまって爽子は唇を噛んだ。それがきっかけで、目の前の輪郭が急激にぼやけて首を振る。
 泣かないでと静夜は言ったのだから、泣くわけにはいかないのに。
「ほら、やっぱり泣いちゃうんだ」
「だ、だって。だって、わたし……わたしが……」
 べそをかく寸前の子供に戻った爽子に静夜は苦笑して手を引き、かわりに体を傾けて久樹の耳に唇を寄せた。
「ねえ、どうにかしてよ。久樹さん」
「いや、そりゃ無理だろ」
「無理でもやるのが恋人ってものじゃないの?」
「恋人だからこそ無理っていうか。いや、誰にだって普通無理だろ。こんなの、爽子じゃなくっても泣く」
 俺まで泣けてきたと鼻をすするので、静夜はため息をついた。
「はいはい、二人ともそこで終了してよ。あのね、僕らはみんな力をコントロールできずに人を傷つけてしまった過去を持ってる。だから、爽子さんたちに含むところなんて持ってないんだ」
「でも! でも、あれは、コントロールがどうのって問題じゃなかったでしょ。わたしが勝手に不安になって、勝手にみんなを留めておければと願った傲慢から起きた事件だったの。わたしがちゃんと現実に向き合えていたら、あんなひどい目にあわせることはなかった!」
「爽子さんに原因があるのは事実だから否定はしない。でもこれから現実から逃げないって決めたんでしょ?」
「逃げない。約束する。わたしのことだから、迷ったりはすると思う。でも、絶対に逃げないわ」
「だったらそれでいいよ。僕らは二人に謝罪されたくなかった。この二ヶ月に爽子さんたちが感じた胸の痛みは、きっと僕らが今まで感じてきたものと良く似ているんじゃないかな」
「よく似ている?」
「だからね、僕らの間で謝ったりするのは、傷の舐めあいにしかならないよ。それって気持ち悪いでしょ」
 軽やかに言って笑い、静夜は改めて二人に立ってと言う。
 与えられた言葉をかみしめて、爽子はハンカチを出して涙の痕跡を消した。それからパンパンッと音をたててスカートについた埃を払って立ち上がる。
「だったらこれだけは言わせて、静夜くん」
「なに?」
「ありがとう。わたしたちを助けてくれて。それから、これからまた一緒にお願いします」
 ぺこりと爽子は頭を下げる。
 示し合わせたように久樹も頭を下げたので、静夜は一瞬だけ面食らった顔をしたが、すぐに不思議そうに首を傾げた。
「それで、二人してなにをしようとしてたの?」
「へ?」
 感動的なシーンの余韻に浸るなど、大江静夜とその友人である秦智帆に求めても無駄とは知っていたが、それでも想定外の返答に久樹と爽子は顔を上げてぽかんとする。
「だから、こんなところに現れてなにをって聞いているんだけど?」
 重ねての冷静な問いに、自分たちが学園に入ろうとしたのはまずい事だったらしいと悟り「それは……その、ようするに……」と久樹は言葉を濁した。
「桜からの情報だと、噂が悪質な変化をもたらしたことで、久樹さんと爽子さんは白鳳学園に通えなくなったはずだけど」
 さらりと述べられた現状を把握した言葉に、久樹はがっくりと肩を落とした。
「なあ静夜」
「なに?」
「いやさ、あんまり認めたくなかったんだけどな。お前らってやっぱり、俺ら以外とは連絡とってたってこと?」
「うん」
 そんじょそこらの少女では太刀打ちできぬ可憐さで静夜はうなずく。
 久樹の隣で爽子も「そうかな、とは思っていたんだけど」と答えて、渇いた笑みを浮かべた。
「だって、行っていない間の情報は欲しいし。手続きとかも色々あるし。それに僕と智帆はともかくとして、雄夜とか、巧や将斗は授業の進行具合も気になるところだよ? ──それに、桜たちは僕らに謝ったりしないから」
 どこか透明な表情で言って、静夜は棒立ちの二人の間をすり抜けて校門の前に立った。
 春を含み始めた日差しの元、校門の先に日常がある。
 つい何ヶ月か前まで、彼らも当たり前に存在していた場所だ。
 静夜のまとう空気が緊張していくのを感じて、久樹と爽子は息をひそめる。視線を集める少年は紅茶色の目を伏せて、舞うような仕草で軽く右手を前に出し、そうして掌を天へと広げた。
 淡く、揺れる、青がそこを始点に広がっていく。
 傷つくものをゆるやかに癒す静夜の水の波動が、胸に緊張を宿し続けた久樹と爽子の心をほどいていく。だから静夜が何をしているのかも分からないまま、安らいだ瞳でただそれを見守った。
 静寂と平穏をやぶって、いきなり静夜が空中の一点を掴むまで。
「え?」
 眠りを叩き起こされた衝撃に似たものを抱きながら、二人は目を見張る。
 静夜が閉ざした指の隙間から、青い光が零れ、そして緩やかに消えていった。
「静夜、いま、なにをしたんだ?」
 久樹の問いに、静夜は細い首を横に傾げた。
「なにって?」
 気にすることでもしたっけ?と言わんばかりの態度だが「ああ、これ?」と呟き、握った手のひらを開いて見せる。
 少年にしては骨ばっていない細い指が印象的な手の上で、ソレが太陽の光をうけて輝いた。
 まるで宝石のように美しく、爽子がうっとりと吐息を落とす。
「すごく綺麗。でもこれ宝石……じゃないんだよね?」
「鉱石に似てるかもね。これはこの”場所”との繋がりを”絆”として圧縮させたものだよ」
「バショでキズナでアッシュク?」
「──あれ、爽子さん、なんか変なイントネーションになってなかった? カタカナっぽいっていうか」
「うん、ちょっと、いやいっぱい分からなかったから」
「簡単に言い換えるなら栞かな。ここに戻れるようにって目印にするもの」
 本気で分からぬ様子の爽子に笑みかけて、静夜は無造作に道路の真ん中に置いた。
「そんなところに置いていくの? 取られちゃうよ、あんなに綺麗なんだもの」
「異能力者でもない限り見えないから大丈夫だよ、それに」
「それに?」
「そこに置いておかないと、栞にならない」
 本じゃなく場所に栞ってどういう意味なの?と口に出してみる。
 ただ静夜はこれ以上のコメントをする気はないらしく、校門に背を向けた。


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