[最終話 閉鎖領域]

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閉鎖領域 No.01


 ──噂が囁いている。
 不可思議な現象のそばには、いつも同じ生徒が居ると。
 ただの噂だった。春から始まって、夏、秋と季節が三つ過ぎ去ったのちに、冬が巡り来て発生した異変に襲われるまでは。
 噂が囁いた生徒たちが、異変の真っ只中にいる。
 傷つき倒れる者、倒れる者を盾に無傷でいる者、傷つける異変を招いてみえる者、それらを多くの人々が視てしまったのだ。
 目撃者たちは思った。
 異変のそばに生徒たちがいるのは事実、だが彼らは同じではなく、加害者と被害者に区分けされていた。織田久樹と斎藤爽子こそが、白鳳学園に異変を招く因子だと認識したのだ。
 だから二人は日常から拒絶され、結果、当たり前のように切除された。
 そうして月日はゆるやかに流れて、春の訪れを迎えようとしている。
 人々は何も不安に思っていなかった。
 平穏を乱す加害者を切除して、取り戻した平穏の日々の中で、異変にまた襲われるなんて思いもしなかったから。

 初等部で。
 中等部で。
 高等部で。
 大学部で。

 湿り気を帯びた風が足元から沸き起こる。それが足にまとわりつき、力を持ち、ついに動くことも出来なくなって、人々は呆然とした。
「なんで?」
 誰かが間の抜けた声を上げた。
「なにがだよ?」
 誰かの問いに、誰かが問いを重ねる。
「だっておかしいだろ! こういうことを招くヤツは白鳳にいないじゃないか!」
 誰かが現実への抗議を叫び、それで異変に襲われていると人々が理解して、悲鳴の色が混じり始めた。
「あいつらは追い出したんだぞ。なのに、なんだよ、これ、なんだよ!!」
 風による拘束は足だけでなく上半身にまで及び、ついに上がる声は悲鳴だけになった。
 そこに、光が落ちてきた。
 生徒たちはぎゅっと瞼を閉じ「なんなんだよ!」と憤りをこめて叫ぶ。
 続く拘束のせいで可動させにくい腕を懸命に持ち上げて、目を守ろうとした一人がハッとした。
 なにかが、後ろに、“居る”──?
 幼い頃、髪を洗う背後が怖くてたまらなかった。あれによく似たなにかだ。
 精神の全て恐怖に染められ、五感がひどく敏感になっていく。
 光の終息を感じ、背後のソレが動いたことも感じた。
 見たいと唐突に思った。
 見てはいけない、見るのは危険だ、理性はちゃんと理解している。なのに見たくて見たくてたまらない!
 衝動は抑えられないものに膨れ上がり、目を覆っていた手をゆっくりと降ろして瞼を開いた。入ってきた色彩は空の青、特に不審のない色をとらえたまま振り向く。
 朱い、どこまでも赤い、緋の肌襦袢の色で視界は染まった。
 空の青すら霞ませた紅い裳裾から覗く素足は、白蛇を連想させる血の気のない色。尋常ではない白い肌から目が離せなくなる。
「……ひ、と……?」
 あえぎながらようよう声を発し、足首、ふくらはぎ、太もも、腰、胸、肩、首筋、そして顔と確認していって。
 ──人間じゃない。
 いきなり理解した。
 乗っているのは人の顔で、朱塗りの隈取が施された瞼と、紅をさした唇が目立つだけの、ただの美しい娘に見えるのだけれども。
「うあああああ!!」
 これは人間ではない。
 精神が飽和して、頭を抱えてついに絶叫する。
 それがパニックの呼び水となり、次々に悲鳴が連鎖していったが、緋色の娘は表情一つ変えなかった。
 ただ裳裾を割って、白すぎる足を前に出した。
 唇を開き、ちろり、と朱い舌をのぞかせて音を紡ぐ形に動いた。
 けれど発せられたのは声という音ではなく、悲鳴を連鎖させる人々の脳に直接に伝えられるもの。

 ──逃げて。

 緋色の娘はそう言った。
 異常そのものである存在が、どんな皮肉か逃げろと警告してくる。あまりのことに我に返り、人々は四肢を縛る風の拘束が解けていることに気づいた。
 緋色の娘は人々に視線の一つもくれぬまま、ある一点を睨む。手がゆるりと持ち上がり、袂から舞扇を引き抜いた。
 ぱちり。
 緋色の娘は舞扇を一つ開く。
 はらり。
 ひとひらの白い花びらが舞扇から零れた。
 ぱちり。はらり。
 ──ぱちり。はらり。
 緋色の娘が舞扇を開くたびに花びらが舞い、重なりあい、やがて白い花びらが薄紅色を主張していく。
「さ、くら?」
「──桜って……」
 桜は春だけに咲くわけではなく、早咲きのものもあるし、冬に咲くものもある。ただそれらは白鳳学園にはなく、今は春の訪れが感じられるようになったばかりで、はらはらと花びらを散らせる桜の存在はありえないのだ。
 けれど現実に花びらは舞う。
 緋色の娘の舞扇にあわせて、桜の花びらが舞いあふれる。
「最初の、事件って……」
 咲くはずのない桜が、まるで吹雪くように舞ったという。
 ──今、目の前で、起きているように。

『切り離せるのは一部だけ。対象はあなた方ではない』
 歌うように緋色の娘は思念を重ねて。
『逃げて』

 再びの警告が人々の脳に向けて放たれた。
 一度目と同じ言葉、けれど強さを増したソレに、ようやく危険から逃げようとする意志が働いて人々は緋色の娘から一気に後ずさった。
 緋色の娘がその距離に満足したかは分からぬが、舞扇を一点に向けたまま、裳裾を割って勢いよく歩きだす。
 遠巻きにする人々の視線も、緋色の娘が示す方向へと動いた。
 なにもない空間に、丸い何かが浮かんでいる。
「──え?」
 何かを持つ手があるわけでもない。
 何かをつるす紐があるわけでもない。
 けれど空中でぴたりと静止して、丸いものは浮いている。
「なに、あれ……?」
 異様な光景にあがった怯える声に、まるで応えてソレが膨らんだ。
「ひっ!」
 丸いものが加速度的に大きくなっていく。
 緋色の娘は舞扇を放った。
 舞扇が矢のように空中を疾く翔け、直後、緋色の娘の姿が消失する。
 同時に丸く光を放っていたものが弾け、強烈な光が拡散した。
 目撃者たちがあっと声をあげ、あわてて目を閉じようとして、やめる。
 放たれた舞扇からこぼれていた花弁が爆発的に増え、吹雪となって光に襲い掛かり、放たれる光を喰らいだしたのだ。
 さらなる光でもって花びらを圧倒しようとするが、それを上回る勢いで花は広がり押し返していく。
 膠着したのはわずかな間、先に光が力を失った。
 残滓はキラキラとした光の粒となって地へと落ち、相討ちとなったのか花びらも輪郭を失い大気に溶けていく。
 取り残された人々は、わけがわからず立ち尽くした。
 目の前で起きた現象がなにを意味するのか、何が起きようとしているのかが分からなくて、今更ながらに膨れ上がる恐怖を持て余す。
「な、に、がおきてるんだよ……」
 誰かがあげた声は、涙にぬれていた。
「なんなんだよ、なんだよ!」
 別で上がった声は、憤りに染まっていた。
 異端であり異質である加害者を排除した、だからもうおかしな目にはあわないと思って安心していたのに。
 加害者のいない場所で、異変の傍にある当事者となってしまった。
 異変を起こしているのは、人々が異端であり異質であるとして排除した対象が、”邪気”と呼ぶ存在であることは誰も知らない。
 特別なものでもなく、人の心に巣食った昏い感情が溢れだして、集合し、力を持ったものであり。
 普通の人々には見えぬはずのモノだと。


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