[第四話 凍土]

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No.02  迷宮への誘い


「ゆるやかな坂道を登ってきて、このドームに入る前には階段があった。でもさ、白鳳館へと続く道に坂なんてあったっけ?」
「ないな。ようするに、そういう事か」
「そういう事。智帆、床の一部を切って。多分ここだ」
 先程から何度も足で蹴っていた場所を示す。智帆は静かに片手を上げ、風に意識を集中させて静夜が指し示した箇所を切り裂いた。
 ドウッと音が響くと同時に、氷の床下に広がる空洞があきらかになる。ほの暗く、ひどく狭い、陰気な雰囲気だけを抱いた通路。
「ど、どうしようか」
 突然に静夜の声が震えた。怪訝に智帆が顔をみやると、乾いた笑いを浮かべたまま、ぶんぶんと激しく首を振る。
「静夜?」
「なんでもない。……行こう」
 振り切るように強く言って、静夜はするりと空いた穴に身体を沈ませる。手を伸ばして壁に触れ、ぐるりと周囲を見渡した。
「天井がかなり低いよ。智帆はぎりぎり大丈夫かな。僕らが横に並べるほどの幅もないね」
「静夜、ちょっと身体をずらしてくれ。俺も入る」
「ん。う、後ろでもいいかな、僕が」
「どっちでもいいよ」
 軽く答えながら、智帆も地下道を連想させる道に身体を沈ませる。氷で四方を囲まれた道は当然ながら気温が低く、身を切るほどの冷たさは肌に痛いほどだった。
 頭上を仰いでも、氷が気泡を含むために透明度は低く、ドーム型の部屋は見えなかった。僅かに太陽光を透過し、地下道内部を淡く照らしだして、なんとか状況を確認できる。
「そういえば、靴だけじゃないんだな。用意が良かったのは」
 氷に手を這わせた手を止めて、智帆が振り向く。ぎこちない表情をしていた静夜は、「え?」と弾かれたように顔を上げた。
「な、なに?」
「静夜がコートまで着てるからさ。その下はパジャマか?」
「いや、普通の服だよ。これは元々、目が覚めたらすぐに動けるようにって、康太兄さんが普通の服を着せてくれていたんだと思うけど。コートは違うよね。ああ、なんかやっぱり嫌な感じだ」
「理由も答えも分かる気がするけど、ここでは口にしたくないな。とりあえず、違うと信じ込みたい気持ちはあるしな」
「そうだね。さて、と。進もうか智帆」
 ごく自然に手を伸ばし、静夜は前に立つ背を押す。その手が僅かに震えているような気がして、智帆は目を細めた。
「静夜、なにかあったら言えよ。聞くから」
「え?」
「言っていいからな、俺には」
 二度、同じ言葉を重ねて智帆は歩き出す。何気なく歩いているようだが、耳を澄ませて、後ろからついてくる足音を確認していた。
 静夜の様子はおかしい。ごく普通だと見る者のほうが多いだろうが、少しずつ異変を知らせているサインを智帆は察知していた。
 暗く狭い通路に、かつかつと足音だけが木霊する。
 まっすぐに歩いたと感じていたが、実はゆるく湾曲していたらしい。背後に見えていた出口は振り向いても見えず、前の道も分からない。
 時間を追うごとに太陽は傾き、光はどんどん失われていく。一メートル範囲を見渡すのが、精一杯の状態になっていた。
 かつん、と。
 智帆の聞き落とさぬようにと耳をすませていた、静夜の足音が止まる。
「あのさ」
 背から届いた静夜の声は、智帆が聞いたことのない類の声だった。
 ――恐怖と、不安と、混乱をいっぱいに含んだ、細い声。
「この道、ちゃんと出口に繋がってるのかな」
 邪気を前にしても、能力を奪われようとも、動じることのなかった静夜が、小さな子供のように怯えて震えている。
「……かくれんぼ嫌いって言ったことがあるよね」
「ああ」
「見つけて貰えないのってさ、結構恐いことなんだ。……前にさ、ずっと前に」
 おそるおそる、静夜が手が伸ばそうとしている気配がある。
「静夜」
 声をかけると、ぴたりと止まった。
「俺は絶対に見付ける。――静夜が見付けるように、俺も見付ける」
 静夜が抱えているものと、智帆が抱えているものと。互いにどこまで踏みこみ、踏みこませて良いのか、それが今までは分かっていなかった。
 ――踏みこみたいと感じるなら、踏みこめば良いのだ。
 そんな事を思えたのは、異端な力を持つ者たちを、こともなげに受け取めてみせた友人たちの影響があったのかもしれなかった。
 以前なら決してしなかった。けれど今の智帆は、静夜の動きを待たずして、自分からゆっくりと振り向く。
 少女のように可憐な顔を涙で濡らして、静夜は唇を噛みしめて、立っていた。
「なにがあった?」
 同い年の友人にすることでもないのだろうが、智帆は手を伸ばして紅茶色の髪をかきまわして撫でる。
 静夜は少し眉を上げたが、智帆の手を払うことなく、ただ手の甲で涙を乱暴に拭った。
「子供の頃だよ。その頃はまだ噂がそんなにひどくなくて、遊んでくれる子たちもいてね。みんなで、かくれんぼをしてたんだ」
 溢れてとまらぬ涙をこらえようと、静夜は目を閉じる。言葉にすることで記憶がはっきりとするのか、薄い肩も床を踏み締める足も激しく震え出していた。
 智帆は静夜の頭に乗せていた手を外し、軽く肩を押してその場に座らせる。それで初めて、床が氷ではなく普通の道に戻っていることに気付いた。
 出囗が近いのだと智帆は確信する。
 けれど感情を持て余している静夜は、それに気付いていない。説明をして先を急ぐべきなのだが、智帆はそれが出来なかった。
 座った静夜が膝を抱えて、まるで外界を拒絶しているように見える。智帆は友人の背に手を回し、ぽんぽんとあやすように軽く叩いた。
「僕はかくれんぼが得意じゃなくて、いつもすぐ見付かってさ。まぁいいかって思ってたんだけど、雄夜は嫌がって」
 ここに隠れれば見付からないと雄夜は目を輝かせて、廃墟の倉庫に静夜を押し込めた。
「慌てたけど遅くって。雄夜は開きっぱなしだった鉄の扉を閉めて行っちゃったんだ。大人顔負けの力を持ってたんだよね、雄夜はさ。普通の子供だったら、あんな重い扉は動かせないのが普通だったと思う。僕も、やっぱり開けれなくって」
 ぎゅっと、右の拳を左手で抱きしめる。
「扉を叩いたり、大声で叫んでみたり、色々した。でも反応は全然なくってね。……途中で、無理に騒いで体力がなくなるよりも、大人しく待ってた方がいいかって思ったんだ」
 天井近くに通風口があるだけで、光は全く入ってこない、小さな倉庫だった。時折なにか虫らしきものの羽音や、小さな生き物が走る音が聞こえてくる。ソレがじっと闇の中からこちらを見ているのではと思えて、体中の震えが止まらなかった。
「僕がそこにいることは、雄夜が知ってる。だから、鬼がみつけてくれなくっても、大丈夫だって思っていたんだけど」
 膝小僧につけた額を放して、静夜は真っ赤にはれた目を智帆に向ける。――幼い頃と今とでは状況が違うのだと、確認しなければ先が続けられないかのように。
 智帆は衝動的に、静夜を引き寄せていた。ぎゅっと抱きしめて、ふと思い出す。まだ異能力になど目覚めていなかった遠い幼い頃に、悪夢に怯えて飛び起きると、両親が抱きしめてくれたことを。
「その頃さ、雄夜はかくれんぼの途中で間違って川に落ちていたんだって。近くに通りかかった人が助けてくれたんだけど、最初は息をしていなくって。救急車で運ばれて、両親も呼び出されて病院に行って」
「……静夜は?」
「雄夜が溺れて騒ぎになったから、忘れられちゃったんだよ」
 何時間、あの暗く狭い場所に居たのか。
 すがるものがなくて、ただただ自分自身の身体を抱きしめて、震えていたのはどれほどの時間の出来事だったのか。
「雄夜が入院したって連絡を受けた康太兄さんが、僕を迎えに家に駆けつけたのは夕方の六時くらいだったって。一人で家に帰って、戸締まりをして、おにぎりぐらいは自分で作って食べられる子供だったから、親は心配してなかったんだけど。康太兄さんはいつも心配してさ。雄夜が入院したってきくと、何があっても飛んでくるんだ。静夜は大丈夫だよって父さんたちが言ったら、小さな子供を一人にさせるなんて、みんなが耐えられても私が耐えられない!って嘆いてた」
 僅かに、静夜は笑う。
「本当は嬉しかったよ。康太兄さんは、いつも手放しで僕を甘やかせてくれたから。それで、いつものように家に来て、康太兄さんが気付いたんだ。僕がいないって」
 気付けば近所の人と仲良くなってしまう康太は、尋ねて回ったらしい。すぐに双子と一緒に遊んでいた子供たちの名前を知って、かくれんぼをしていた場所を知って、しらみ潰しに二時間以上も探し歩いて。
「廃墟の倉庫は危ないって近所でも有名だったから。扉がいつもは開いてることも知ってたんだって。月の明かりがまっすぐに落ちた先を見つめていて、倉庫の扉が閉まっていることに気付いてくれて」
 自分の身体を支えている智帆の手を、ぎゅっと握りしめる。
「康太兄さんの声を聞いた時にね。今まで抱えていた恐怖が爆発して、泣き出したんだ。痛いくらいに抱きしめてくれるのが嬉しかったけど、やっぱり父さんたちじゃないんだなぁって、こっそり思った」
 あの時から、と静夜は声を震わせる。
「こういう感じの、静まり返った狭い空間が苦手なんだ。あの頃に感じた恐怖が、今の僕を食い尽くす勢いで甦ってきて」
「――静夜、行こう」
 ぎゅっと握りしめた手を、強引に引き寄せて智帆が立つ。
「出口はきっともうすぐだ。静夜の心を恐怖で食い尽くすような場所に、長居は無用だろ。今は大丈夫だって繰り返したって、昔の恐怖が甦るのを防ぐ事なんて出来やしない。でもな、静夜」
 振り向いて、智帆はまっすぐに静夜を見つめる。
「大丈夫だよ」
「智帆?」
「見つけられないなんて事はない。誰が見つけなくても、俺が見つけるよ。風はどこにでもある。そこに空気があるなら、見つけられる」
 皮肉っぽい表情ばかりをする智帆が、まるで幼い子供のように明るく笑ってみせる。引かれるままに歩き出し、静夜も同じように感情を隠さずに泣き笑いになった。
「しかしな、静夜が大変な目にあうのを毛嫌いしているくせに、自分があわせてどうするんだろうな、雄夜は。平謝りされたろ?」
「いや、謝られたことはないよ。だって雄夜は知らないから」
「知らない? また、なんでだよ。式神が暴走した時みたいに、覚えてないのか?」
「そうじゃなくって。雄夜が僕を倉庫に隠して、僕が出られずに何時間も閉じこめられていたって、康太兄さんが父さんに連絡したんだよ。そしたら父さんが、雄夜は今は大変な状態だし、そんなことを聞いたらショックで倒れるかもしれないから、内緒にしておけって言ったんだ」
「――は?」
 ぴたりと足を止めて、智帆はぐるりと振り向く。
「智帆の気持ちは分からないでもないけど、今になって言っても仕方ないし。折角さ、僕は守るべき相手じゃないって思うようにもなったんだから、やっぱり黙っておいた方がいいかなと」
「そういう問題なのか?」
「僕の中では、あれをされたことに対する怒りは消化されてるからさ。今の智帆みたいに、康太兄さんも激怒してくれたんだよ。後にも先にも、怒った康太兄さんを見たのはあの時だけだったな。しーちゃんをなんだと思ってるんだ!って、本気で怒鳴って、殴り合いの喧嘩にまでなって。僕のためにこんなに怒ってくれるんだって思ったら、なんかもういいかって」
「……康太先生がいて、良かったな」
「うん。そう思ってるよ」
 声に震えはあるものの、恐怖の元となった出来事を話したことで、少し静夜に落ち着きが戻りつつあるらしい。このまま一気に外に出ようと智帆が思ったところで、静夜が突然に立ち止まった。
「智帆、上!」
 何かまた、恐怖を呼ぶものがあったのかと懸念した智帆の耳を打ったのは、凛とした響きを持つ静夜のいつもの声。頭上を仰げば、天井の氷の層がひどく薄くなっているのが分かる。その上、なにか足音が伝わってくるのだ。
「これが出口ってことか?」
「多分ね。流石に殴ったくらいじゃ、壊せなさそうだよ」
「分かってる」
「……風は、まだ智帆の元に?」
「まだな。ただ、嫌な感じに疲労はたまってきている。ここまで温存してきたからいいけどな、他の奴らは派手に使って消耗しきっている可能性もあるな」


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