[第四話 凍土]

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No.01  迷宮への誘い


「ここ、は?」
 爽子を追おうとしたところに、あの恐ろしげな光が落ちて来たはずだと困惑する。
 今、久樹の上に降り注ぐ光は、赤い色を空に刷く太陽だった。
 いつ隣に来たのか、巧が薄い肩を震わせている。
「ここって白鳳館前の広場? 移動、した?」
 眉をひそめ、巧は唇を噛む。
 近くを見渡すが、他の人間は側にいなかった。高くそびえる青い柱にとり囲まれているのが分かる。
「氷なのか、これ?」
 久樹が触れた壁は、ひやりと冷たい。
「檻に閉じ込められたワケじゃないか。迷宮ってとこだな」
 携帯電話を取り出してみるが、圏外になっている。そんなもんだろうと呟いて、久樹は巧を見やった。
「ここにいても仕方ないと思うか?」
「思うよ。早く爽子さんを探さないといけないし。あのままはまずいから」
「そうだよな、良くないよな」
「良くないって、思ってたわけ?」
 突然、巧の瞳が怒りに輝やいた。
「だったらなんで、もっとちゃんと話を聞いておかなかったんだよ! 爽子さん、ここのところずっと不安定だったんだぞ。なのになんで、放っといたんだよっ!!」
「巧?」
「勝手に余裕なんて持つなよ、勝手に爽子さんは大丈夫だなんて決めるなよ! 平気なわけないだろ、久樹さんだって思ったことあるんだろ!? 高校時代の友人が現れて、自分がないがしろにされたら、悲しむんじゃないのか!?」
「ちょっと待てよ、巧! 俺は爽子をないがしろになんてっ」
 反論しかけた久樹の足を、巧は全体重で踏みつける。
「てぇ!!」
「ないがしろにしていたか、していないかなんて、関係ないんだっ」
 うつむく巧の瞳を、悲しみが満たしていた。
 気持ちがどうであれ、相手の認識次第で人の関係が変わることを、巧は知っている。
 家族を愛していたし、傷つけるつもりもなかった。けれども現実に家族の絆は壊れている。
「今の爽子さんは不安定すぎて、このままだと邪気に全てを奪われることだってありえるんだ」
 久樹に背を向け、巧は別の場所へと繋がる迷宮の道を走り出した。
「爽子が、不安?」
 取り残されたまま、久樹は記憶をさぐった。
 秋の騒ぎの時に、高等部風鳳館に入ったことがある。そこは、久樹の知らない爽子の時間の眠る場所だった。懐かしそうな幼馴染を前に、ひどく寂しい気持ちになったことがある。
『ないがしろにしていたか、いないかなんて、関係ないんだ』
「正しいよ、お前の言うことは」
 風鳳館を歩いていた爽子に、久樹を拒絶する意志があったわけではない。
 それでも久樹は寂しいと感じたのだ。――それが答えだ。
「爽子、待ってろよ!」
 ぱんっと埃を払い、久樹は駆け去っていった子供の後ろ姿をとらえ、走り出した。足元が氷に覆われていないことに、感謝する。
「ちょっと待て!!」
 どんどん小さくなっていく子供の後ろ姿が、ぴくりと制止した。
「俺らまではぐれたら、話にならないだろ。頼むよ、俺も一緒にいかせてくれ。爽子を助けたい。俺は爽子を一人ぼっちになんてしたくないんだ」
 巧からの返事はないが、足は止めたままだった。駆け寄って肩に軽く手をおくと、細い子供の背が震える。
「俺、本気で爽子さんのことが好きなんだぞ」
「――そう、だったみたいだな」
「みんなして、単なる憧れだってすませてさ。俺がどんな気持ちで、爽子さんを一人にするなって久樹にぃに言うのか、分かるのかよ」
「ごめんな」
 手を置く肩はさらに細かく震えていて、まるで泣き出してしまいそうだった。好きになった相手を、自分では支えられないと思い知るのは、どんなに辛いことなのだろうか。
「ずっと知ってたさ。爽子さんは、久樹にぃがいて初めて笑うんだってことぐらい。俺は知ってるのに、久樹にぃは知らないで。今のままで、今のままでってずるずるしてるから、不安になっちゃったんだよ」
 爽子さんが可哀想だ、と子供は呟く。
 久樹は眉を寄せ、一瞬ためらってから、巧を背中から抱きしめた。
「ちゃんと決着をつけるよ。今が心地よいからって、そのままにしたりしない。俺は巧に約束するから」
「……俺、証人になんて、なんないからな」
 ふてくされた声に、久樹は少し笑う。
「そこまでひどいこと、させないよ」
「爽子さんにちゃんと告白しても、悲惨な結果になるとは一つも思ってないんだな。だから”ひどいこと”っていうんだろ」
「まあなあ。なんというか、俺は今、爽子にとって俺が特別なんだって、教えて貰ったようなもんだし?」
 教えたのはお前だろ?とニヤリと笑われて、巧は唇を噛む。腹立たしげにガンッと頭突きをくらわせて、再び走り出した。
「とにかく爽子さんを探すんだっ。きっと、あの邪気の干渉が強い方向にいるはず。だから」
 走り続ける先に、三叉路があった。
 一見どれも同じように見えるのだが、正面の道から迫ってくる冷気が尋常ではない。
「久樹にぃはどうしたい?」
「出来るなら左に、とか言いたいところだけどなぁ。邪気がいるのは、正面の方だよな。うう、寒そうだ」
「冷凍庫の気温を、疑似体験ってとこかなあ」
「仕方ない。覚悟したから行こう」
 大げさに溜息をついて、走り出す。
 三叉路の一番右。二人が進む検討すらしなかった道の先に、実は大江雄夜と川中将斗がいることに、気づけるはずもなかった。
 雄夜と将斗は、全速力で氷の迷宮を走り抜けている。
 ドドドドッという激しい音が背後にあった。二人は意図して振り向かぬようにしながら、大声を張り上げる。
「なあ、雄夜兄ちゃん」
「なんだ」
「なんで俺達、巨大雪だるまに追いかけられてるのかなぁ!!」
「さあ」
 走りながら器用に首を傾げ、雄夜は前を走る橙花に「分かるか?」と尋ねてみる。橙花は『邪気の仕業でしょう』とごくごく真っ当な返事をしてみせた。
 将斗はぷうと頬を膨らませる。
「そんなことは分かってるんだよー。白梅館から、いきなり俺らが移動させられたのも邪気のせいだろ? 智帆兄ちゃんは、異変は水の力を源に起きているって言ってたけどさ。空間移動なんて、水じゃ出来ないんじゃないのかなー」
「知らないうちに、水に流されてきたとか」
「雄夜兄ちゃん、本気で言ってる? 今それやったら、寒中水泳だよー。俺は絶対に風邪引くぞっ!」
「そうか、絶対か。……よくないな、寒中水泳」
 ぼそりと呟きつつ、雄夜はすっと切れ上がった眼差しを背後に投げる。派手な音とともに追ってきている、緊張感に欠けた雪だるまとの距離があまりにも狭まっているのを見て取って、雄夜は一声吠えた。
「橙花、後ろの奴を粉砕っ」
 かしこまりましたと橙花は答えて、強靱なバネをいかして二人を飛び越え雪だるまの前に躍り出る。吠えると同時に、大地にかかる重力が変化し、迫りつつあった雪だるまを破砕した。
 雪の欠片が雄夜と将斗の首筋に張り付く。
「つめてーーっ! ああ、菊乃は大丈夫なんかな。白梅館にそのまま残ってるんならいいんだけどさー」
「側に居る気がするのか?」
「うん。なんかな、今の俺をみて心配してるような気がするんだよー。菊乃だけじゃなくって、他の人たちもみんなさ」
「秋山達もか……」
 確かに心配しているだろうなと呟くと同時に、雄夜は将斗を小脇に抱えてジャンプした。足下が割れ、奈落へと落ちる崖を突然に作り出していたのだ。
「げえぇ!! なんか洒落になってないよーっ」
「抱えたままで行くか?」
「いいよっ! 自分でちゃんとやるって。……いや、ちょっと抱えてくれてた方がいいかも」
 ポンッと走りながら手を打つ。雄夜が「なにかあるのか?」と尋ねると、将斗はねだるように両手を伸ばした。
 橙花が時間を稼ぐために、周囲に大地の壁を作り出す。
 粉砕させたはずの雪だるまは、散った雪片を可能な限り集め、一回りは小さくなったが再び追いかけてきている。
「状況は深刻なんだが、妙に緊張感を持続させにくいな」
「そんなこと言ってる場合じゃないって! 何が起きてるのか良く分かんないしー。とにかく、合流が先決! うわぁ、雄夜兄ちゃん、上からつらら降ってきてる!!」
「分かっている」
 将斗の身体を背負い、橙花に声を掛け、素早く走り出す。身体能力がずば抜けて高い雄夜は、将斗と共に走るよりも、背負って走る方がどうやら素早く行動できるようだった。
「流石は雄夜兄ちゃん。智帆兄ちゃんに、体力専門って言われるわけだよね」
「お前も言われていたぞ」
「げー。智帆兄ちゃんにとって、考えない奴はみんな体力専門!?」
 眉を寄せながら、将斗はそっと意識を光へと集中させた。
 雷を操るようになったが、将斗は元々の性格が攻撃を専門にするには抜けたところがある。光射す場所を見る能力を利用し、情報を集めるほうが向いていた。
 雄夜と将斗以外に、光と感じられるものが幾つかある。その全てが迷路の中にあり、その上進んでいるので、捕まえられそうな地点を探るのは至難の業だった。
「えっと、あ、巧だっ。雄夜兄ちゃん、まずは巧と合流するからー」
「静夜はいないのか?」
「んー、智帆にぃなら、あれかなってのは見えるんだけど。どうにも見える映像がぼけてて、進む道が見えないんだ。多分、光の少ないエリアに入ろうとしているんだと思う。だから最初は、確実を狙った方がいいかなーって」 
「分かった。道を俺に示せ。巧たちにもだ」
「ええ!? 無理だよ雄夜兄ちゃん。あれはさ、時々しかできないんだ。俺以外の人にも、俺の見てるものを映すなんてさ。理由は良く分かんないんだけどさー」
「勿体ぶった力だな」
「俺もそう思うよ、うん」 
 背負う雄夜と、背負われる将斗が同時に笑いだす。頭上からはつららが、足下には突然に出来る断崖が、背後からは数を増やした雪だるまが迫りくる状況とは思えぬ程に、二人はのんびりと構えていた。
「とりあえず、合流すればなんとかなるだろう」
「そうだよなー。あ、雄夜兄ちゃん、そこ右だった」
「……先に言え」
 不機嫌そうに呟くと、雄夜は軽く床を蹴って高く飛んだ。背後に迫る雪だるまの背を踏み台にし、軽々と越える。着地点めがけて落ちるつららは、橙花が破壊した。
 久樹と巧が進むであろう先にある、ドーム型の広場まではあとわずかだ。
  

 光の少ない場所に移動しつつあると、将斗が秦智帆の居場所を述べる少し前。
 智帆は腕の中に少年を抱えて、混乱しているところだった。 
「俺、静夜を抱えていたか?」
「……抱えてなかったと思うよ」
 あり得るはずのない返事を得て、普段は冷静な智帆がぎょっと目を見張る。腕の中の人物を両手で起こし、智帆はまじまじと見つめた。
「静夜?」
「おはよ」
「こんにちはだな。もう少しでこんばんはになる時間だし」
「あ、そう」
 興味なさそうに首をふるりと振り、頭痛をおさえるような仕草をする。
「ああ、なんかこう、すごく嫌な感じだ」
「奪われて、利用されていたんだろ?」
「正直、死んだほうが楽なんじゃって思うくらい、苦しかったよ」
 静夜は智帆の手を借りて、ひょいと立ち上がる。
「なんかお腹すいてる気がするなぁ」
「昨日からなんにも食ってないんだ、当然だろ。点滴で栄養はなんとかなってるんだろうけど」
「ねぇ、智帆。食事の話はおいて、とりあえず進まない?」
 足をふらつかせながら、静夜はそう言って歩き出す。
「合流しないとな」
「出来るだけ早くね。なにせ時間がたてばたつほど、僕らは不利になる」
「静夜、お前が倒れたのは、邪気に力を奪われまいと抵抗したからなんだろう?」
「うん。ずっと抵抗してたんだけどね、止められなかったよ。そうしている間に、相手は効率よく奪う方法を編み出しちゃうしさ……」
 忌々しそうに吐き捨て、静夜は足を止めると智帆を見すえる。
「今の僕はさ、水を感じ、操ることが出来なくなっているんだよ」
 予測を越えていたのか、智帆が驚いて息を呑む。それから眉を寄せ「まさか」と首をふった。
「静夜、お前が目を覚ました理由って」
「そうだよ」
 美麗な顔に浮かぶのは、はっきりとした怒り。
「僕の意識があろうがなかろうが、自在に奪えるようになったんだ」
「自在に、な。相手の思うままってことか。俺らにも影響は出て来ているようだし、時間なさすぎだな」
「出て来ているというより、完全に奪われるのも時間の問題だよ。……僕だけの力で、ここまでのことをし続けたと思う?」
「思わないな。していたら死んでるよ。……そうか、俺達の力もすでにかなり奪われていたのか」
 冷静に肯く智帆を前に、静夜はついに叫んだ。
「力を奪い取って、それを使って僕らを傷つけようとしている。滑稽だよ、自分の力に自分が殺されようとするなんてっ。ふざけてる、絶対にこんなのはふざけてる!」
 怒りに震える静夜の目は暗かった。
 その姿が、智帆には泣き叫ぶ子供のように見えていてしまう。
 幼い頃から”なにがあっても大丈夫”という自己暗示をかけて、いつも平気な顔で微笑んでいるスタイルを通していた静夜が隠していた感情が、泣き叫んでいるようだと。
 手を伸ばし、智帆は静夜の肩を揺さぶった。
「取り返すぞ」
「智帆?」
「静夜の能力も、俺らの力も、全部だ。その上で、あの邪気は消滅させる。封印するんじゃない、消す」
「名案」
 まるで睨みあいのように眼光を鋭くし、二人は頷くと同時に走り出す。
「とにかく時間との勝負だよ。智帆たちがいつ、邪気に能力を引き出されすぎて限界を迎えるか分からない」
「分かってる。とにかく早いところ合流しないとだな。一つ大声で呼んでみるか?」
「それもいいかもね。でも僕は叫ばないから、智帆どうぞ」
「静夜が叫べよ。双子の片割れをさ」
「大丈夫、それは心で呼んでおくから」
 器用に走りながら肩をすくめる。二人はそのまま先に進み、目の前に広がった円形のドームに目を見張った。
「なにこれ、行き止まり?」
「ここ以外に、進める場所はなかったからな。あの童女の姿をした邪気、あれは俺らと遊んでいるつもりなわけだろう? 最終地点にご案内せずに終わる道なんて、作らないと思うけどな」
 氷の壁に智帆は手を伸ばし、滑らせて歩き出す。軽く首だけ振り向かせた静夜が、考え込むように腕を組んだ。
「壁に仕掛けがないとしたら。上か、下か」
 コンッと足下を蹴ってみる。そうやって初めて、静夜はいつの間にか靴をはいていたことに気付いて、目を見張った。
「随分と親切なことだね。――あれ、これって」
「どうした?」
「智帆、ずばり聞くけどさ、今回の邪気って、僕らの異能力を利用することが出来る邪気だよね」
「だろうな」
「他人の異能力を半ば操ることが出来る能力そのものも、誰かの借り物だって考えてる?」
「考えてる」
「だよね。じゃないと、この靴は説明できないものなあ。僕の靴がどれだか知っている、か。……なんだか、合流後の邪気との対決。結構大変なことになる気がする」
 溜息を落とす静夜の前で、智帆は肩をすくめる。
「大変な目ぐらい、責任取って貰いたいところだな」
「だね。で、智帆。ここから進む道、見つけた気がするよ」
 カツンッと、ことさらに強く静夜は氷の床を蹴った。
 先程までは白鳳館前の道路だったはずの床が、いつの間にか氷の床にすり替わっている。


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