[第四話 凍土]

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No.05  雪が舞う


 竜巻に吹雪という、異常事態の報告を受けた学校側の対応は早かった。臨時の対策本部がもうけられ、被害状況や今後の対応についてが話し合われていく。
 対策本部の責任者は丹羽教授で、被害状况の取りまとめは、学生課員として唯一出勤していた本多里奈が行っていた。
 寮に往まう生徒には外出禁止の処置が取られ、近くに住む生徒たちは集団での下校を命じられている。
 松永弘毅はぼんやりとした眼差しで、帰っていく生徒たちの姿をガラス越しに眺めていた。
「随分と疲れているみたいだね」
 やんわりとした声と共に、弘毅の目の前に蜂蜜入りのホットミルクがおかれる。
「……俺、そんなに子供に見えますか?」
「んん? いや、小さい子供には見えないよ。ただ心が疲れているように見えたから、元気の出るおまじないをと思ってね」
 微笑みながら、ホットミルクを差し出して来た男がパイプ椅子をおいて腰かける。白衣の裾がふわりと揺れる様子を、弘毅はつられるようにして追いかけていた。
「君、この学園の生徒ではないよね?」
「なんでそう思いました?」
「君から、部外者の気配がしたから」
「はあ?」
 ぱちりと弘毅は目を見開く。目の前の男はマグカップを両手で包み込み、人畜無害そうにただ笑っていた。
「だって君、どこになにがあるか分からないって顔で、白梅館の前できょろきょろしていただろう? 冬にもなってるっていうのに、学園内に精通してない寮生はいないし。私は、寮生のことは全員知っているんだよ」
「なんだ、観察の結果でしたか」
「あれ、部外者の気配なんてものが、本当にあると思ったのかい?」
 首を傾げて、子供のように尋ねてくる。何故だかこの男の前で緊張感を持続させることが出来ずに、弘毅は苦笑した。
「不思議なことが起きてたんで、ココならそういうのもアリなのかなと思ったところです」
「さっき起きた竜巻と吹雪のことだね。私は見てないのだけれど、ひどかったらしいね。怪我人はいないけど、心理的なショックをうけた生徒が多くてね。もう少ししたら、部屋を回ろうと考えているんだよ」
 心配だよねぇと呟いてから、あっ!と男は声をあげる。
「しまった、君は部外者なのだから私のことを知らないんだったよ。私は内藤康太っていって、この学園の統括保健医をやっているんだ」
「内藤先生?」
「あ、でも、ここでは大江で通しているよ。最近結婚して苗字が代わったんだけど、職場は旧姓で通してるんだ」
「結婚したばっかりなんですか。そりゃあおめでとうございます。……ん? 結婚したばっかりの大江さん」
 くしゃりと髪を弘毅はかきまわす。久樹を探して尋ねたカフェ・ミストラルでは結婚式の二次会が行われていた。大江家の双子が、叔父の結婚式だと言っていたのを思いだす。
「大江静夜くんと雄夜くんの知りあいですか?」
「うん、私の大事な甥っ子だよ」
「……ひとつ、聞きたいことがあるんですけれど」
「それは奇遇だね。私も君に聞きたいことがあるんだよ」
 柔らかな仕草で、康太はマグカップを机に戻す。
「白鳳学園で流れている噂の、詳しい内容を調べようとしてるのは何故かな?」
「えっと、それは一体……」
「ああ、悪いけれどはぐらかさないで貰えるかな? 君にね」
「俺は松永弘毅です」
「松永くんに、噂についてしつこく聞かれて怖かったって訴えにきた生徒が何人も居るんだよ」
 それでもはぐらかすかい?と、黙った保健医の濃い茶の瞳が言っているようで、弘毅は言葉につまる。
「噂を知りたかったんですよ」
「知りたいから調べた。うん、普通のことだと思うよ。ただ私が知りたいのは、松永くんが知りたいと考えたのは何故かという点なんだ」
「その噂に、俺の友人が関わっているのかなと」
「関わっていたらどうするんだい?」
「尋問されて、答えなくちゃならない理由がですね、見つからないんですが、先生?」
 追及の手を全く緩めようとしない康太に、弘毅はすねて下唇を突き出す。保健医はこたえた様子もなく、お茶うけだよといってカップケーキを差し出した。
「松永くんは、久樹くんの友達だったよね。友達に関係することだから噂を知りたいってことは、噂の原因に久樹くんが関与してるって考えなんだね」
「――へ?」
 丁度お腹もすいていたので、下唇は突き出したまま弘毅はカップケーキを受け取る。そのまま口に運ぼうとした形で、彼は固まった。
「原因に久樹が関与?」
「ああ、そこまでは考えていなかったかい? でもそういうことになるよ。噂になっている事件の被害者が久樹くんだったら、そりゃあ調べて当然だけど。別に被害者ではないのに、関わっているといったら?」
「先生は、知ってるんですか。噂になった事件を」
「知っているといえば知っている。知らないといえば知らないよ」
「……タヌキですねぇ、先生は」
 大きく息をついてあいた口で、カップケーキにかじりつく。ほろりと舌に甘さが乗ることを想像していたのだが、何故かソレが苦く感じてしまって眉をよせる。
「松永くんは知ってどうしたいんだい?」
「――ヘンなことに久樹が関係しているんじゃ?って、俺は確かに考えてますよ。だからこそ、本当を知りたいんです。なにがおきてるのか、何故なのか。その答えを」
「答えを知って、どうする?」
「そりゃあ友達ですから、相談とか」
 弘毅の答えに、この保健医が常にまとう穏やかな雰囲気が崩れた。訪れた重苦しさを、弘毅はいぶかしむ。
「知りさえすれば、相談に乗ることも手助けも出来ると考えているのだろうけれど。本当にそうだと思うかい? 本当に出来ると思うかい? ――何も出来ない可能性もあるんだよ。ただ、相手を追い詰めるだけで終わる可能性もね」
 康太は低く言葉を落とすと、悲しげに首を振った。キィと椅子をきしませて立ち上がり、弘毅が飲み干したマグカップを手にとる。
「尋問みたいになって悪かったね。そろそろ久樹くんが心配するだろうから、帰ったほうがいいよ」 
 浮かべていたはずの苦悩を不意に消し去ると、康太は顔に笑みを戻す。弘毅は呆気に取られてしまって、「今の言葉の意味は!?」と聞き返せないまま、保健室を追い出されていた。
 康太は弘毅が立ち去っていく靴音を確認して、溜息を落とすかわりにくしゃくしゃと短い髪をかき回した。きびすを返し、人気のないがらんとした保健室を見渡す。
 部屋の奥に一つだけカーテンと衝立で仕切られたベッドがある。こつこつとわずかな音を立てて、康太はそこへと足を向けた。
 シャッ、と小気味の良い音と共に、康太はカーテンを引く。
 白によって遮断された小さな世界がそこにあった。
 枕に散る紅茶色の大江静夜の髪と、パイプ椅子に座って見守る秦智帆のココアブラウンの髪だけが、唯一の色彩であるかのように鮮やかだ。
 邪気が現れた。
 吹雪に巻き込まれる寸前に静夜は倒れて、まだ苦しげに眠り続けている。竜巻に襲われかけた面々を助けにいった雄夜は無事に戻ってきたが、静夜の付き添いはしていなかった。
 だから今、保健室にいるのは静夜と智帆と康太のみだ。
「智帆くん、あれで知りたいことは分かったのかな?」
「色々と」
 あいまいに答えて、目を細める。
 松永弘毅が寮生を捕まえて、噂を調べようとしていると伝えてきたのは、クラスメイトの宇都宮亮だった。白鳳学園の生徒ならともかく、部外者が何故?と智帆は怪訝に思い、康太にそれとなく聞いてくれないかと頼んでいたのだ。
「康太先生が松永さんに語った言葉って、先生が自分自身に繰り返してきた問いですか?」
「答えを知ってどうする?っていうアレかい? うん、まあ、そうだね」
 苦笑いを浮かべて、康太は自然な仕草で丸椅子を引っ張り出す。それに座り込み、ひどく優しげな眼差しで甥を見やった。
「先生は、何を”知って”何を”知らない”んですか」
 たれ目を細めて、智帆は康太の瞳を捕らえるように見つめる。保健医は少しだけ居心地が悪そうに身じろぎをして「そうだね」と言葉を捜すようにした。
「しーちゃんと、ユウくんが、なにか不思議なことが出来るみたいだってことは知っているよ」
「――静夜も?」 
「兄さんたちは、不思議なことは全部ユウ君によって引き起こされていると考えていたけれどね。私はしーちゃんにも関係してると気付いていたよ」
「そう考えたのは何故です」
「変な現象が起きたときの半分くらいは、しーちゃんの表情が凍っていたからね。あれはしーちゃんが引き起こしたんだと分かったさ。兄さん達はユウ君を守って、不思議な出来事を受け入れるだけで手一杯だったから、分からなかったんだろうな」
 康太は少し悲しそうに唇を噛む。
「不思議なことが起きていて、要因が双子にあるってことを知ることは出来たよ。でもそれだけなんだよ。知っているだけ。二人が持ってる力を理解することも、力を支えることも出来ないんだ。だからね、知らないけれど無条件で受け入れる場所になりたいなぁって思ったんだ」
「無条件で受け入れる場所?」
「そう。何があったんだとか、どうしたんだとか、あまり聞かないで。怪我をしていれば手当てをする。疲れがたまっていれば、それなりの手を打つ。そうやってね、休む場所でありたいって思ったんだよ。――智帆くんも」
 声音を真剣なものに変えて、康太はじっと智帆のココアブラウンの瞳を見つめ返す。大きな手を伸ばして、癖のある少年の頭をさらりと撫でた。
「しーちゃんたちと同じ”不思議”を抱えているよね。たっ君や、まー君もだ。私はそれを知っている。けれど知っているだけで、それ以上は何も問わないよ。知らないままに受け止める。それがね、私の覚悟だよ」
「静夜は康太先生の覚悟を、知っているんですか?」
「はっきり言ったことはないけど。そうだね、具合が悪くなると逃げ出してきたから、分かっていてくれているとは思うよ」
「具合が悪くなる?」
 風邪一つ引いたことがないんだ、と言った静夜の声が思いだされて、智帆は首をかしげる。彼が怪訝そうにする理由に思い当たって、「ああ」と康太は相槌をうった。
「しーちゃん、風邪ひとつ引いたことないって智帆くんに言ってるんだろう?」
「あれ、嘘だったってことですか?」
「嘘じゃないよ。少なくとも、しーちゃんはそう思ってるからね」
「――は?」
「自分は何があっても大丈夫じゃなくちゃいけないって考えている節があるんだよ」
 結婚式の二次会の最中に、静夜が語っていた言葉を思い出しながら、智帆は康太の続きを待つ。
「しーちゃんは具合の悪さを自覚しない。看病されたくないから、心配されたくないから。ユウ君で手一杯の、実の親に負担をかけない為にね」
「かわりに、眠いって言うわけですか」
 苦い気分で手を握り込む。
 辛い時、苦しい時、助けを求める手を伸ばせないことが、どんなに苦しいかを智帆は知っている。だからこそ、我がことのように痛かった。
「こうやってしーちゃんが倒れてしまうと。ユウ君は耐えられなくなってしまうだろう? だから今でも、しーちゃんは自分は平気だと思い込み続けているよ」
「雄夜が耐えられない……?」
「しーちゃんが死にかけた事件があってね、もしかしたらあれも、二人の不思議な力が関係してるんじゃって思ったんだ」
 ――静夜が死にかけた事件。
 雄夜が初めて式神を己のものだと、認識した日に起きたことだ。破壊衝動を受け入れたものの耐えきれず、暴走した式神は静夜に重傷をおわせた。
 夕焼けの赤は綺麗だったのに、身体からこぼれる血の赤は汚れていた。春にそう言った静夜の顔を、智帆は昨日のことのように思い出すことが出来る。
 事件が起きたことを、雄夜が覚えていないということもだ。
「あの事件以来ね、しーちゃんが傷つくことにユウ君は弱くなったよ。しーちゃんの負う傷は全て自分の責任だと、無意識に感じてしまうみたいでね」
「――自分の責任?」
「しーちゃんはますます平気でなくちゃと思い込み、ユウ君は失うのが怖くてますますしーちゃんを守ろうとする。悪循環がずっと続いている」
「だから二人は、双子らしくなれない」
 独り言のように呟くと、智帆はココアブラウンの癖毛をかきまわした。椅子から伸びる自らの太股に肘を付いて、頭を抱えてしまう。
「全員が勘違いをして、すれ違っていくのを目の当たりにしてもなお。解決する術もなしに、真実を付きつけて均衡を崩すのは暴力と同じだから。康太先生はずっと沈黙して」
 一度、言葉を切る。
 普段はひどく大人びて、斜に構えている智帆が、まるで小さな子供のようだった。
「ただひたすらに見守り、避難所で在り続けたのだと?」
「そうだよ」
 康太の声に、気負いは全く感じられなかった。長く続けられて来た事実の静かな重みだけが、そこにある。
 黙りこんだ智帆の肩を、康太はぽんぽんと叩く。まるであやすようなソレに、少年は苦笑した。
「さて、何か作ろうか。朝から何も食べてないんだろうし、しーちゃんが目覚めるにはまだ時間がありそうだよ」
「康太先生」
「なんだい、智帆くん?」
「俺は少々先生を尊敬しました」
「うわぁ。すごいことを言われたよ。嬉しいついでに、もう一つ言っちゃおうかな。ここはねえ、智帆くんの避難所でもあるんだよ」 
「――へ?」
 思いがけない言葉に凍った智帆に、康太は背を向ける。キッチンスペースまで進む姿を眺めて、一つ息を落とした。
「静夜、大江家ってすごい奴ぞろいなのかもな」
 普段の調子を取り戻せないままに、智帆は眠る友人に語りかける。もちろん返事は期待していない。
「大江康太は全てを受け入れ、松永弘毅は真相を探る、か」
 ごちるように呟いていた。
 

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竹原湊 湖底廃園
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