[第四話 凍土]

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No.04  雪が舞う


.雪が舞う[04]

「幽霊のせいだって言ったわ……」
 ――怖い。
 また何も対策が取れないような、不可思議なことが起きるのではないかと彼女は震える。大好きな姉の震えるさまに、妹の菊乃は背後から幸恵を抱きしめた。
「お姉ちゃん」
「菊乃」
 ぎゅうっと妹を抱きしめる幸恵を、亮が驚愕に目を見張ったまま見下ろしていた。
 ――噂が、ある。
 季節ごとに起きる、奇妙な出来事。
「夏に起きたことを……知ってるんですか?」
 幸恵の耳に唇を寄せて、すぐ隣の弘毅にも聞こえぬように亮は尋ねる。怯えたような表情を浮かべて、幸恵は相手を伺った。
「貴方は誰なの?」
「宇都宮亮です。――二年A組で、静夜たちの友人です。爽子さんたちとも知りあいです」
「あ、ああ。そうなの。夏に起きたことは、知ってるわ。妹が、菊乃が巻き込まれたから」
 思いだすたびに怖さがまして、ますます幸恵の腕に力がこもる。苦しいよ、と少し菊乃が身をよじって初めて、姉は身体を離した。
 ――不思議な事件に、必ず関わる寮生がいるという。
「夏の時、静夜たちいましたか?」
 尋ねる亮の声には、緊張があった。
 秋に起きたあの事件で、亮は噂になっている寮生が友人である大江兄弟と智帆ではと考えていた。だからこそ、噂が広まらないようにと心を砕いてきたのだ。
「いたわ。だって、えっと久くん……久樹くんに助けてもらったんだもの」 
「久樹、さん?」
 首を傾げる。秋に起きた不思議な事件では、亮は雄夜と共に行動していたが、雄夜が自分達を助けたとは思えなかった。静夜と行動した北条桜に聞いた話でも、静夜がなにかをしたわけではなかったという。ただ何かを知っている様子で、自分達よりは回避方法を知っている、という雰囲気だったのだ。
「久樹さんが助けたって……」
 ぽつりと呟いた声が、少しばかり大きくなる。
「亮、久樹が助けたって何だ? 幸恵さん、幽霊騒ぎってなに?」
 気になる単語を拾って、弘毅が亮の肩を叩く。怪訝な表情を浮かべて、溜息を落とした。
「あんまり、話したいことじゃない。俺には、何があっても大事な友達だって思ってる奴らがいる。そいつらにもしかしたら影響があるかもしれないこと、べらべら口になんてしたくない。俺は、噂なんて大っ嫌いだ」 
 常に陽気な明るさを宿す瞳に、亮は凄みを浮かべる。弘毅は目さそらさずに受け止めて、言葉を探すように目を細めた。
「俺にもいるよ、そういう友達。高校のときに知りあってさ、バカ沢山やって騒いでたよ。そいつの側ではさ、なんか些細だけどもヘンなことが多発しててさ。なんだろうなーあいつヘンだよなーって噂にもなってた。だから俺も、噂ってのは嫌いだ」
「ふうん」
「口先三寸じゃ信じないって顔だよなぁ」
 ぐしゃぐしゃと前髪をかき回す。「でもさ」と言葉を続けようとした所で、彼らの背を声が打った。
「亮っ! なんか凄い音がしたけど、何があった!?」
 振り向かずとも、誰の声であるのかは分かる。亮は軽く手をあげて「竜巻がおきたんだ!」と返した。
 同じクラスの仲間であり、噂にされかかっている当人であり、信じている友人でもある三人だ。
 亮の隣に眼鏡の下の垂れ目を細めた智帆が飛び込んでくる。双子は少し遅れていた。
 離れた場所で雪だるまを作成していた智帆たちには、竜巻が生まれた異常な音だけが聞こえていたのだ。
「亮、今、竜巻って言ったのか?」
「言ったよ。しかもだ、竜巻の進行方向とみられる風鳳館には、織田さんと呼びに行った中島くんがいる。その上、爽子さんが走り出して、川中くんが呼び戻しに行ってしまった」
「巧たちが危ないってことか!? ちっ」
 不機嫌そうに吐き捨てると、智帆はそのまま振りむいた。手を伸ばして雄夜のマフラーをぐいっとつかんで引き寄せる。たたらを踏んでよろけた雄夜の耳元で、智帆はニヤリと笑った。
「雄夜、今すぐ風鳳館に走れっ! ――先行者もよろしくな」
 それだけ言うと、パッと手を離す。雄夜は切れ長の眼差しをすぅっと細めてみせた後、そのまま走り出した。途中、彼の指が財布にしまわれている札を握り、それが空中に放られる。
『お呼びで?』
 ごう、と炎をまとう真紅の鳥が翼を広げる。異能力を持つ者の目にのみ映る炎の朱花は、燃える瞳を主である雄夜に向けた。
「風鳳館に先行しろ。将斗たちを見つけて、守護してくれ」
『御意のままに』
 答えると同時に、朱花は勢い良く上空に舞い上がる。力強い羽ばたきと、滑るように走り出した雄夜を見送った後「さて」と智帆は呟いた。
「亮、怪我してる奴とかいないのか?」
「なんとかな。竜巻の速度が遅かったから、みんな逃げられたよ。可哀想なのは、壊されたかまくらぐらいだなぁ」
 がっくりと肩を落とす亮を慰めて、智帆はふいっと顔をあげた。立花姉妹を守るようにたたずんでいた弘毅に気付いたのだ。
「いたんだ。大丈夫だったか、松永さん?」
「まあ、吃驚しただけだから平気だよ」
 弘毅は両手をひらひらと振る。
「しかし普通なあ、こんなトコで竜巻なんておこらないだろ? 本気でおっどろいて、心臓がとまりそうだったよ」
「まあ、全員同じ気持ちだろうな。唖然としてしかるべきってところだ」
「”また”って感じてる奴が結構いるみたいだよ」
 弘毅の言葉が、直接肌に氷を押し付けられたようにひやりとさせ、智帆は弘毅を睨む。「何が言いたい」と言いかけたが、庇うように亮が前に出てきたので、口をつぐんだ。
「亮?」
「智帆はさ、どれくらい知りあいなんだ? この人とさ」
「久樹さんの友達ってだけだけど、静夜ん家に飯食べにきたからな。ただの知りあい以上、友人以下ってところかな」
「なるほど」
 亮は真面目な表情で弘毅を睨み続ける。
 かまくらを作っている時には、仲良さげに見えた二人が作る緊迫した雰囲気に智帆は首を傾げる。相談しようと静夜を見やって、友人が何かを警戒する様子であることに気付いた。
「静夜、どうした?」
「さっきから嫌な予感がして、なんでだろう……震えがとまらないんだ……」
「震えに、嫌な予感?」
「これは……まるで……そんな……」
 言葉を繋ぎながらも、静夜の紅茶色の瞳が恐怖に侵食されていく。「静夜っ!?」と智帆が両肩をつかむと、それがスイッチだったかのように震えが激しさを増した。
「なにが感じられるんだっ! しっかりしろ!」
「い、やだっ!」
 細く悲鳴をあげると同時に、両手で静夜は頭を抱えてしまう。体の震えは止まっておらず、あらがうように時折首を振った。
「こんな、なん、でっ! ……あう、痛っ!」
 はっきりとした苦痛を訴える声。
 何があるのか、何がおきるのか、智帆は分からないままに周囲を警戒する。
 弘毅と対峙していた亮が。妹の菊乃を抱きしめていた幸恵が。静夜の両肩を押さえていた智帆が。
「え?」
 全員等しく、同じ音を聞いた。
 錫杖をうち振ったかのような音色。
 しゃらん、しゃらんと、それは次第に狂ったような速度でかき鳴らされて行く。
「なんだ、これ?」
 智帆は怪訝な顔をする。
 頭をかかえていた手を離し、静夜はぎっと智帆の腕をつかんだ。
「――来るよ」
「来る?」
「雪が……動く……。吹雪がっ、来るっ!」
 静夜の叫びと同時に、一瞬で視界は白に飲まれた。
 轟と音を立てた突然の吹雪が、全員に牙をむいて襲いかかってくる。方々からあがる悲鳴がかすかに聞こえるものの、姿を捕えることは出来なかった。腹の底から亮の名を叫んで初めて「こっちに弘毅さんたちは居るっ!」と真白い世界の果てからの返事を得る。
 通常では考えられない異常事態が、邪気の仕業であることに間違いはなさそうだった。――だが。
「邪気の気配がまったく感じられない……」
 秋の事件の時のように、邪気になりきれないマイナスの感情が引き起こしているとは考えられない。突然に起きた竜巻といい、吹雪といい、かなりの力を持つ邪気が現れたとしか考えられないのにだ。
「静夜、なんで分かった!」
 もどかしさに、智帆はつかんでいた友人の両肩を激しく振った。静夜の紅茶の色の髪が横殴りで吹きつけてくる吹雪に翻弄されながら、彼は伏せ続けていた顔をきっとあげる。
 静夜が秘める異能力は水だ。澄んだ水の色である青が、その象徴でもある。
「し、ずや?」
「……僕の、力が……」
 全ての色を失ってしまったかのようだった。唇も肌も紙のように白く、吹雪と同化してしまっている。
 ただ一つの色が青だった。
 紅茶を薄くいれた優しい瞳の色が、暗夜に光る猫の眼差しのように青く輝いている。
「……その、色は……」
 智帆の声を聞きとめたのか。一瞬、じっと彼の顔を見付めたのち、静夜は苦しげに息を付いた。
「わからないよ……こんな、のって……なんで……」
 すうっと瞳が細められ、限界を迎えたように静夜の身体が崩れる。慌てて抱きとめた智帆の視界に、突然、影がよぎった。
 まるで小さな子供が、走り去っていったかのような気配。ひどく冷たく、異質さを伴うこの気配には心当たりがあって、智帆はニヤリと笑う。
 ――邪気だ。
 邪気を見つけて安堵したのは、初めてのことだった。
 静夜を支えたまま、智帆は左手を空中に差し伸べる。邪気によって生み出された雪をふぶかせる風の支配を狙って、意識を集中させた。
 ココアブラウンの癖毛が持ちあがる。抱きとめた静夜の紅茶色の髪も持ちあがり、一瞬、二人の足元から風が天へとかけ上った。
 吹雪が切れる。差し込んできた太陽の光がキラキラと舞いこんで、白い雪を照らしだした。
「――あれは、なに?」
 誰かがもらした、怯えた声。
 
 光をうけてきらめく純白の雪の上に。
 真白い着物をきた小さな子供が。 
 素足に草履をはき、漆黒の髪をゆらして。
 ――空中に、浮かんでいた。

「きゃああ!!!!」
 弾かれたように、幸恵が悲鳴をあげる。菊乃は息を飲み、ただただ目を見開いて白い着物の子供を見つめていた。
 弘毅と亮は牽制しあっていた視線をぎこちなく動かして、ソレを見やる。
 完全に気を失ってしまった静夜を片手で支えた智帆は、眉をひそめて、現れた子供の姿をした邪気を見つめていた。
 空中に浮かんだ子供は、紅い唇をにぃと横に引いた後、ふっと姿をかき消した。
  
  

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