[第四話 凍土]

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No.03  雪が舞う
「色々あったよ、悲しいこと、悔しいこと、憤ったこと。異能力が表に出ていたら、必ず起きてしまうだろう出来事だった。……だから、察するんだ」
 例えば、感情豊かな静夜の瞳から、すっとソレが抜け落ちた時。
 例えば、他人をからかうような能度を取る智帆が、余裕をなくしている時。
 例えば、いつも顔を上げている雄夜が、うつむいて唇を噛みしめている時。
「痛みをふっと思い出している時ってあるんだ。そういう時はこう思うよ。――辛いことがあったんだなって。で、自分のことを思い出す」
 勝手に想像しているだけなんだ、と。巧は恐怖を持て余しながら、爽子が抱いていた孤独と疎外感から救いたい一心で言葉を紡いでいた。
「話せないでごめん。俺ね、爽子さんを傷付けたくないよ。俺が経験して来た全てを話して、爽子さんが笑えるならそうしたい。でも……」
 無理なんだと言い募って、巧は懸命に笑顔を作って見せる。その泣き笑いに、爽子は胸を痛めた。
「私って本当に傲慢だったのね」
 胸の前で、きゅっと両手を組む。
「巧くんたちは私達をさけて疎外してたんじゃなくて、守ってくれていたのに。それに気付きもしなくて、巧くんたちの心を察そうともしなかった」
 彼等はいつも爽子達を助けていたのだ。目立つこと、噂になることの恐怖を抱えながら、それでも二人を見捨てることなく庇ってきたのだ。
「”炎”が邪気を活性化させてしまって、事件は起きたよね。目立ちたくなかったはずなのに、助けてくれたのはどうして?」
「……自分たちが、辛かったからかなぁ。こんな思い、しなくてすむならしないほうがいいから」
 ぽつんと。返された答えに爽子は泣き出した。
 正直、重かった。
 初めて思い知らされた彼等の優しさと、彼等が抱えこんだ悲しみの深さが、何も知らずにすねていた爽子の心をえぐる。
「ごめんね。ずっとずっと心配してくれていたのに、疎外されてるって思い込んで。巧くんたちがどう思うのかじゃなくて、私がどう思うのかが大切だったのに」
 泣いてこぼれた涙をぬぐい、すっと顔を上げて爽子は笑った。
「私ね、巧くんたちが大好きだわ」
「うん、知ってる」
 家族に向けるに似た好意の形は、恋をしている巧の胸に容赦なくささりこむ。それでも爽子が疎外感に苦しめられているよりはマシだったので、彼は安堵の息を付いた。
「さ、行こう。――て、あれ?」
 巧は目を細める。
 スコップで雪をかきながら、他愛ない会話を続けている丹羽と里奈の背後に、不思議な雪の流れを見付けたのだ。
 小型の竜巻が、くるくると雪をかき回して大気中を舞っている。
「巧くん。どうかしたの?」
「なんか、不思議だなあと思って」 
 指差された方向を見て、爽子もびっくりした顔になる。
「小さな竜巻? 綺麗ね」
「綺麗なんだけど」
 巧の神経に、なにかが触る。いやな予感とまではいわないが、不思議な違和感があった。首をひねって考え込むも答えはでず、巧は爽子の促す声に従って歩き出す。
 背を打つのは、遠くで笑っているのが微かに分かる丹羽と里奈の声だけ。
 ひゅう、と。風が鳴いた。


 松永弘毅は腕を組み、真剣な顔をしていた。傍らには二年A組の副委員長、宇都宮亮が居て、弘毅と同じように真剣な顔をしている。
「むーん。火鉢がないのはヤだよなぁ」
 弘毅がこぼす声に、亮はうんうんとうなずいた。
「かまくらと言えば火鉢! で、モチに甘酒だよ。これがないなんで、カツの入ってないカツ丼と同じだよ。なあ、智帆!」
 同意を求めて友人の名前を呼ぶが、返事はない。きょとんと振り返って初めて、亮は周囲にクラスメイトの姿がないことに気づいた。
「あれ、あれれ?」
 首を傾げると、近くで雪を集めていた将斗が顔を上げた。
「智帆兄ちゃんたちだったら、随分前にむこうにいっちゃったよ。すごい勢いで雪だるま作ってたなー」
「A組の奴ら全員、俺を見捨てて行ったのか!?」
 ガーンと口で効果音を発しつつ、大げさに頭を抱える。冷たい眼差しになった将斗とは異なり、弘毅が亮に駆け寄りながら演技がかった仕草で両手を広げた。
「亮! 俺がいるぞ!」
「嗚呼ッ、兄上!」
 ここで二人は何故か、ガシッと手を握り合った。
「バカだ。絶対にー」
 がっくりと肩を落とした将斗の肩を、慰めるように傍らにいた立花菊乃がぽんぽんと叩く。なにやら夫婦のような仕草に、姉の幸恵はくすくすと笑った。
「松永くんって、冗談ばっかりで面白い人だよね」
「俺、告白した相手に”面白い人ね”って微笑まれたら、おしまいだと思うなー」
「なあに、それ?」
「幸恵姉ちゃん、昨日の松永さんの言葉、冗談だって思ってるでしょー?」
「うん」
 ためらいもなく頷く幸恵を見て、将斗は腕を組む。幸恵を好きだといった弘毅の言葉は本当だったような気がしていたのだ。
「でも、冗談って思うのも仕方ないかなー。菊乃はどう思う?」
「菊乃も、冗談だったのかな?って思ってる」
「だよなぁ。俺もちょっと自信がなくなってきた」
 二人、同時に視線を語り合うコンビに向ける。
 弘毅と亮は更なる盛り上がりを見せて、「火鉢の代わりを、探しにいざいざ行かん!」などと言って、拳を天に突き上げていた。
「うーーん」
 唸った将斗の背に、爽子の手をひいて走ってきた従兄弟の巧の声が届く。
「あ、巧。そっち居たんだー」
「丹羽教授に手伝えって言われてたんだ。ところでさ、将斗、あのヘンな盛り上がりはなんだ? あと久樹さんは?」
「松永さんと、宇都宮さんがさぁ、意気投合したみたいなんだよなー。二人そろって、かまくらで打ち上げパーティーをやろう計画で無駄に燃え上がってんの。久樹兄ちゃんは俺、見てないよ。でもさ、なんで気になんのー?」
 将斗は巧が爽子に片思いしていることを知っている。同時に、爽子と久樹がいつも一緒であることを面白くないと感じていることも知っているのだ。
「せっかく爽子姉ちゃんと一緒なのに、久樹兄ちゃんの居場所気にすんの変じゃないー?」
「色々あんだよっ。……今の爽子さんにはさ、久樹にぃが側にいるってことが大事なんだ」
 爽子が友人の立花姉妹と話し出したことを確認してから、将斗の耳に口を寄せた。細められた声には、会話を他には聞かせたくないという意図が含まれている。将斗は素直に耳をすませた。
「だから、なんで?」
「爽子さんが不安定なんだよ。なんかさ、迷子の子供みたいな感じ。普段は気にならないことでも、揺れるっていうか。とにかく、久樹さんが側に居ないと今の爽子さんは笑えないんだよ」
 ぐっと巧は悔しげに拳を握る。
「だから、久樹兄ちゃんのとこに連れて行こうって思ったのかー?」
「そうだよっ。悪いのか?」
「悪くない。……なんか、尊敬した。久樹兄ちゃんだったら、たしかさっき幸恵姉ちゃんが見たって言ってたよ」
 将斗はくるりと振り向いて「幸恵姉ちゃん!」と声を上げる。
「なあに、将斗くん?」
「さっきさ、久樹兄ちゃんを見かけたって言ってたよねー?」
「ええ。高等部の校庭で子供たちと一緒に、雪合戦して遊んでたわ」
「雪合戦!?」
 思いがけない言葉に、爽子がぎょっとする。幸恵は「なんか、本気出してやってたみたいよ」と笑った。
「大人気ないんだから。なんか、時々久樹が分からないわ」
「あれで負けず嫌いだものね、久くん」
「でもね、本気出すことないって思うのよ。……え? 巧くん!?」
 呆れた溜息を付いた爽子の前で、巧がスコップを将斗に押し付けて走り出したのだ。
「久樹にぃを呼んで来るよ!」
「え!? ちょっと待って、だったら私もっ」
「いいよ、爽子さんは待ってて。俺は雪道を走るの得意だからさっ。久樹にぃに何をやらせるか、考えといてよ」
 振り返らずにひらひらと手を振って、立ち止まらずに駆けていく。
「巧くんったら、振り返ってもくれなかった……」
 少しさびしげな爽子の声を聞きながら、将斗は目を細める。爽子を安心させるには久樹が必要な現実が悔しくて、振り向けなかった巧の気持ちが分かる気がした。
「巧って、本気で爽子姉ちゃんのことが好きだったんだ……」
 小学生が大学生に抱いた恋が、おままごとのような擬似恋愛だと将斗は勝手に決め付けていた。それが彼をひどく冒涜していたと思えて苦しい。
 将斗の表情に気付いて、菊乃はぎゅっと手を握りこんだ。
「菊乃はね、将斗くんの側にずっといるからね。本当に、本当だからね」
「……菊乃?」
「菊乃の気持ちだって、本物なんだから!」
 にこっと笑うと、菊乃はつないだ手を強く引く。
「ね、早く雪を集めよう! あのお兄ちゃんたちに任せていたら、ぜんぜん話が進まないんだからっ。……あれ? 爽子姉ちゃんどうしたの?」
 巧が走り去っていった方向に身体を向けていた爽子の瞳が、どこか呆然としている。
 菊乃の声に、幸恵は爽子の前に回りこんだ。悲しげな目をしていることに気づいて、手を伸ばすと友人の頭をそっとなでる。
「さっちゃん、そんなに悲しそうな顔をして。どうしたの?」
「……さっき、ね。相手が私をどう思うかよりも、私が相手をどう思うかを大事にしようって考えたの」
「うん」
「勝手に一人ぼっちだって考えたりとか、勝手に寂しいって思ったりとか、勝手に私だけ取り残されてるって考えたりとか、そういうのやめようって」
 相槌だけを打ちながら、幸恵はただ優しく爽子の頭をなでている。温もりに引かれるように爽子が幸恵に擦り寄った。
「なのに、どうしても怖くなるの。私、どうしたらいいんだろう。どうしてこういう風に考えちゃうんだろう」
「さっちゃん」
 髪をなでていた手を下ろして、幸恵は爽子の背に手を回す。そっと抱きしめて、あやすように軽く叩いた。
「人って、寂しがりな生き物だもの。ちゃんと言葉にしてくれなくちゃ、分からなくって寂しくなることもあるの。ねえ、さっちゃん。そういう風に考えるのって、別に悪いことじゃないよ。でも、一人でぐるぐる考えるのはダメ。寂しいよって、伝えていいんだから」
「でも……ね……」
「怖いの?」
「怖い。――形に、なることは」
 ぽつりと言葉をこぼした爽子の唇は、血の気を失って真っ青だった。暖めるように爽子を抱きしめる手に力を込めて、幸恵は言葉を選ぶ。
「なにが?」と尋ねかけた唇がぽかんと開いた。代わって急激に目を見開かせ、喉を震わせる。
「幸恵?」
「……さ、さっちゃん、後ろっ!」
 背に回していた手を素早く解き、幸恵は爽子の手を取って走り出す。
「菊乃、将斗くん、走って!」
「――え?」
 どうしたの?と、答えようとした菊乃の瞳が凍りついた。
「竜巻!?」
 ごう、と唸る奔流があった。
 風を従えて雪を巻き込むソレが、凶暴な勢いをつけてこちらに向かってきている。
「な……なんだよ、これっ!」
 固まった菊乃を抱き寄せて、将斗は突如として現れた竜巻を前に叫んだ。ふりつもる雪を、途中まで作られたかまくらを、雪だるまを巻き込み破壊し、逃げ出す生徒の悲鳴を飲み込んで、ソレは順調に将斗たちの方向に進んでくる。
「幸恵さん、こっちだっ!」 
 馬鹿をやっていた時には見せなかった鋭い眼差しで、弘毅は長い髪を揺らせて幸恵の名を叫ぶ。息をピタリとあわせた亮が、竜巻を睨んで立ち止まった将斗を呼んだ。
「亮、竜巻どっちに向かってるんだ!?」
 白鳳学園内には詳しくない弘毅が、竜巻を睨んだまま焦った声をあげる。亮は竜巻の進路の先で立ち尽くしていた生徒たちを呼び集めながら、キッと唇を噛んだ。
「あの進路なら、風鳳館だっ。高等部っ!」 
「嫌っ!! そこには久樹が居るわっ」
 爽子が悲鳴をあげて、幸恵の手を振りはらう。友人を止めようと伸ばした手が僅かに届かず、爽子は竜巻を追うように走り出した。将斗が気付いて、菊乃をおいて走りだす。
「俺がとめてくるからっ。だから菊乃たちは動くなよーっ」
 凛と叫んだ少年の声が、不気味な音を立てて進む竜巻を圧するように響く。続こうとしていた亮が、打たれたようにとまった。
「なんで、なんでこんな変なことがまた起きるのっ!」
 悲鳴をあげた幸恵の手を、弘毅は慌ててつかむ。触れた手首から伝わってくる彼女の震えに、彼は戦慄を覚えた。
「幸恵さん”また”ってなに?」
 尋ねる声が緊張にこわばる。幸恵はのろのろと顔をあげた。
「色々あったの、不思議なことが」
 思いだすだけで、ぞくりと肌が粟立つようだった。
 瞳がただのガラス玉のように成り果てて、人形じみていた妹の姿を幸恵は良く覚えている。闇の中に消えていった姿も、忘れられるものではない。


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竹原湊 湖底廃園
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