[第四話 凍土]

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No.01  雪が舞う


「おはよう、智帆。ところで、なぜ久樹さんがいる?」
「爽子さんにふられたらしいよ」
「巧が喜ぶ」
「そういう”ふられた”じゃなくってさ。雄夜、久樹さんの友達の松永さんだよ」
「雄夜です。――で、智帆」
 えへ、と照れ笑いをしながら頭を下げた弘毅を一瞥し、雄夜は智帆の前で首を傾げる。
「久樹さんの友達が、なんでこの時間にうちにいるんだ?」
「ご飯食べさせて欲しいって、雄夜が起きる前に電話があったんだよ」
 キッチンからひょいっと静夜が顔を覗かせる。手に大きなステンレスの鍋を持っていたので、智帆が近づいて受け取った。
「今日なに?」
「えっとね、中国粥。桜が教えてくれたんだ」
「へえ、学園祭から始まった北条との料理交友が続いてるな。――あ、旨そう」
 台の上に置いて、パカッと智帆は蓋を開ける。雄夜も覗きこんで嬉しそうに笑い、弘毅までも覗きこんだ。
「すっごい、朝から豪華だ」
 感動している弘毅を横に、久樹はしみじみと思い出していた。
 彼が白鳳学園に戻ってきたばかりの頃は、静夜は料理は出来ても時間がかかりすぎて、日常にこなすには難があった。けれど今では、かなりの腕前になっている。
「うーん、人は上達するもんなんだな」
 久樹の言葉に、静夜は笑った。
「教え手が増えましたので。教え手が上手か上手じゃないかって、重要なんだなって思ったよ。ね、雄夜」
「――ああ」
 素直にこくんと雄夜が肯く。
 学校の授業を受けていても、智帆と静夜が個別に教えても、なかなか勉強が進まなかった雄夜が、久樹という教え手を得て最近では結構良い成績を収めるようになってきているのだ。
「みんな仲いいんだなぁ。あ! いかん、はじめまして。久樹の高校のときの友達で、松永弘毅っていいます。今日はありがとうございます」
 意外と礼儀正しい弘毅の挨拶に、高校生達は顔を見合わせた。
「名前は巧から聞いてます。康太兄さんの結婚式の二次会の会場の前まで来てたらしいですね。あ、僕は静夜です」
「……あれ、あそこでの主役の弟さん?」
「甥です。ちなみにここの統括保健医ですよ」
「へえ! そうだったんだ。めでたいね」
 屈託なく笑ったと同時に、髪がまるで尻尾のように揺れる。それがまるで子犬のようだった。雄夜はじっと弘毅を見つめ、おもむろに自分の隣の席をすすめる。
 突然好意的になった雄夜が分からない弘毅をよそに、久樹は「犬に似てるもんな」と笑いだす。
「そうだ、さっき緊急連絡が回ってきた」
 箸を弘毅に渡していた雄夜が顔をあげる。
「なんだって?」
「学園、休みだそうだ。ただ寮生と、徒歩で来れそうな生徒に収集がかかってる。雪かき要員だ」
「やっぱりそうなったんだ。じゃあ、久樹さんも雪かきだね。松永さんも手伝う?」
「幸恵さんが来るなら喜んで」
 ニカッと弘毅が笑う。高校生達は不思議そうにし、久樹はやれやれと首をふった。
 中国粥と野菜の煮物を、各自好きなように取り分ける。
 弘毅が大げさに感動して食べるのを見ながら、いつもとは違う朝に久樹はふっと爽子のことを思っていた。
 
 
 
 寮生は強制的に全員雪かき参加のこと、との緊急連絡網を爽子が受け取ったとき、初等部六年生の中島巧は彼女の前に座っていた。
 幸恵の家で朝食を取ることになった従兄弟の川中将斗を送り出した後、爽子から電話がかかってきたのだ。二人分作ったのだが、久樹が突然に来なくなったので、朝を食べに来ないかと誘われたのだ。
 爽子は久樹といつも一緒で、巧は爽子と二人でゆっくり話す機会などほとんど得たことがなかった。おかげで少々緊張している。
「爽子さん、どうかした?」
 電話を切ってもなお、まだ受話器を睨んでいる爽子の前で巧は首を傾げた。ん?と返事をして、彼女は少し唇を尖らせる。
「寮生は雪かきをしろって連絡。こういう時は寮生は辛いなって思って」
「学園内に住んでるんだもん、頭数に入れられるよなあ。きっと俺らも雪かきだ。そうだ、折角ならさ昨日言ってたように雪だるま作ろうよ」
「――え? あ、そうか。雪だるま作るのだって、立派な雪かきだものね」
「そうそう。前の学校の時はさ、学年対抗雪だるま大会!とかあってさ、みんなのせられてグラウンド中の雪がなくなるまで作ったりしたんだよな」
 少し、巧は懐かしそうに目を細める。
 白鳳学園に来る前のことを、巧が語るのは珍しい。爽子はまじまじと見つめてから、ふと昨日の夜に幼馴染みの久樹が口にしたことを思い出していた。
 ――「俺達だって、知らなくちゃいけないんだよ」
 真剣な眼差しで、彼は呟いたのだ。
 思えば爽子は、巧たちのことを”良く知っている”とは言えない。今、仲が良いので、漠然と知ったつもりになっているだけだった。
 第一爽子は、自分自身の”異能力”のことさえ知らないでいる。
 いつもなら。こういった気持ちになったとき、隣の久樹になんでも話して来たのだ。当たり前だと思っていたのに、今それが出来ない。
「なんか調子でないなあ。……変な感じ」
「焦んないほうがいいよ、爽子さん」
「――え?」
 突然の言葉に、爽子は目を丸くする。巧はやんちゃな印象を与える赤茶のつり目を細めた。
「変だなあって思うときって、自分でも知らない間にさ、気持ちがへっこんでんだと思うよ。だから色々焦って、イライラして、また変になるからさ。あんま気にしないほうがいいよ」
 うん、と肯いて巧はマグカップを両手で持って紅茶を飲む。その妙に悟っているような口調と、眼差しに、爽子は軽く目を見張った。
「……巧くんたちって、大人よね」
「え? なに、それ」
「年齢って意味じゃないの。なんていうのかな、精神的なもの。私って巧くんよりずっと年上で、ずっとお姉さんなはずなのにね。なんだか……私のほうが子供のような気がね、今したのよ」
「俺は子供だよ。だってさ」
 言いよどんで、巧はきゅっと唇を噛む。
 爽子がどういう心境で”自分の方が子供”だと口にしたのかは巧には分からない。けれど爽子に巧が恋焦がれている現実さえ、認識してもらえない状態では、子供扱いされているとしか思えなかった。
 巧の辛そうな表情が、今の爽子にはまるで苦悩を重ねてきた大人のもののように見える。溜息を付き、彼女もそっとマグカップを包み込んだ。
「巧くんたち、沢山辛い目にあって来たんだってね」
「――え?」
「異能力のせいで」
 ぽつんと悲しそうな声を落とす。
 そうされて初めて、爽子の言っている”大人”の意味が、異能力を持つがゆえに辛い目にあってきた過去を持つ者の心構えをさしているのだと巧は気付いた。
 そうでもないよと、爽子に片思いする巧は言ってやりたい。けれど異能力を持つがゆえに経験してきた過去を偽ることは、自分のせいで辛い目に合わせた”家族”をおとしめるような気がした。
 巧の妹は五つ年下で、名前は諏訪という。兄妹仲はとても良く、両親は微笑ましそうに二人を見つめていたものだった。
 自宅の周囲の土が隆起と亀裂を走らせて、諏訪が何度も転んで怪我をするようになる前、巧の足元から亀裂が走り出すことがなく、従兄弟の将斗が遠くの身内の危機を訴え出す前の頃のことだ。
 平穏が崩れ、妹が怪我をし、巧の側で亀裂が生まれていると両親が理解した後、巧は見たのだ。
 ――お兄ちゃんに近づいては駄目よ。
 娘の肩に両手を置いて、母親は妹に言い聞かせていた。
 諏訪は眉を寄せて、小さな肩を震わせて怒り、母は何度も言い聞かせるように「近づいてはいけないの」と繰り返す。
 リビングに入ろうとして、巧はこの言葉を聞いてしまった。
 まっさきに諏訪がそれに気付き「お兄ちゃん!」と母の手を振りほどいて走り出す。
 ゆっくりと振り向いた母の瞳は、絶望に震えていた。
 息子を恐れてはいけない、否定してはいけない、けれど正常である娘の諏訪は守らなければならない。それらの現実にぼろぼろになり、限界を迎えつつある人間の目だった。
 将斗の両親は、自分の息子が他人の不幸を言い当てているようだと、我が子を不気味がる気持ちを押さえられなくなっていっていた。
 ――だから、巧と将斗は家を離れたかったのだ。
 距離を取らなければ、なにもかもが壊れてしまう。
 それを理解していたからこそ、逃げるように海外移住を親たちが決めたとき、巧と将斗は残ることを決めたのだ。
 海外移住が嫌だという理由を大義名聞にして、二人はやっとの思いで白鳳学園を見つけた。
 ――なにもなかった、たいしたことはないと、嘘が言えない。
「俺は……」
 言いよどんだ巧を前に、ますます爽子は顔を曇らせる。
「巧くんは……私の力ってなんだって思ってる?」
「え?」
「智帆くんと静夜くんは何も言ってくれないの。話してくれるのを待とうって思ってきたけど、それってちょっと変だよね。――よく考えれば私のことで、智帆くんたちの問題じゃない」
 ぎゅっと手を合わせる。その深刻そうな表情に、巧は今まで見たことがなかった爽子の一面を見た気がした。
「智帆にぃと静夜にぃはさ、異能力が起こす現象は全て把握しておかなくちゃって考えてる。情報がないとさ、いざって時の判断が下せないだろって言ってた。だから一番知ってるし、知ってる同士で相談してるよ。だからつい、二人が解決すんのを待つことになる」
 ――二人の問題ではなく、問題を抱える者の問題であるというのに。
 目を細め、巧は大人びた視線で爽子を見つめる。
 智帆と静夜が黙しているのに、自分が推測を口にして良いものかと探るように。
「爽子さんの”異能力”は、すでに発揮されてるんじゃないかな……」
「私の異能力が!? ――でも、それはどんな」
「詳しくはわかんねぇよ。ただね、爽子さんが居ると、異能力の使える具合が違うときがあるんだ」
 春の頃と比べれば、巧の力は随分と安定し、コントロールも可能な状態になってきている。それ自体は不思議はないのだが、異常と考えられるほど力の行使が容易な時があるのだ。
 目の色が変じる現象が起きだしたのも、爽子に出会ってからのこと。
「俺の力ってさ、将斗もそうだけどまだまだなんだ。――なのにさ、当たり前のように凄い力が使えることがあるよ。そういう瞬間って、爽子さんに出会う前にはなかったことだから」
「能力の制御に関わる”何か”があると?」
「あるかもしれないって思う。俺にも良く分かんないけど」
 苦笑を浮かべたところで、巧の携帯電話が鳴った。
「将斗だ。あ、そろそろ雪かき要員集合の時間だ」
「え? やだ、もうこんな時間だった! ええっと、長靴じゃないとダメよね。あとコートと、手袋と、マフラーとっ」
「ゴムをつま先にしとくと、転びにくくなるよ」
 電話に出て、すぐに行くと答えながら巧は声を投げる。
「そうする。巧くん、どうかした?」
 大慌てで外出用の装備を整えた爽子が首を傾げる。携帯電話を睨んで、巧が額を押さえていたのだ。
「いやさ、将斗がいうには、昨日の松永さんも来てるんだってさ。幸恵姉ちゃんにぴったり貼りついてるって」
「え?」
 驚きの声をあげた爽子の瞳が、すぅっと細まる。
 どこか冷たいような、嘆いているような、そんな変化だ。
 ――今の爽子が、揺らいでいるのが分かる。
 巧は拳をぎゅっと握りしめた。
 こうまで爽子を不安がらせている理由が、巧にはなんとなく分かる。分かるけれども口にしたくないし、慰め役には回りたくない。ただ唇を噛んでから、爽子に「行こう」と笑うことしか出来なかった。
 

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