[第四話 凍土]

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No.04  異邦人


「何か手伝うことはない?」
「大丈夫、菊乃が沢山手伝ってくれたから、あとはもう食ベるだけ」
 ね、と姉は妹を優しく見やる。誇らしそうに菊乃は肯いて、姉と将斗の間の席に座った。
「食後にはね、菊乃が作ったプリンがあるの。あのね、綺麗に出来たのよ!」
「へえ、菊乃は淒いなー。俺なんて、いまだに卵焼きも作れないや」
「将斗は出来なさすぎなんだよっ! 家庭科実習も女子にやらせるだけでさ」
「それをここでばらすなよー。巧、性格悪ぃぞ」
 ぷうっと頬を将斗は含らませる。菊乃がおかしそうに笑い出し、巧は「お前が悪い」とはねのけた。
 料理が大好きな大学部の二人は、顔を見合わせて軽く笑う。
「家庭科実習ってなつかしいな。今の時代、男の人も料理出来ないとね。そういえば、久くんは全然ダメだったよね」
「うん。人参もジャガイモも、これって剥いてるの!?って驚かされちゃうわ」
「爽子にいっつも美味しいもの食べさせて貰ってるから、安心してるんだよね。そうだ、久くんで思い出した! 今日どうするんだろう。爽子、久くんに電話してみたら?」
 久樹をただ待っていて、焼きたてのパンが冷え切ってしまうのは惜しい。
「そうね。電話して……あっ!」
 図ったようなタイミングで、取り出した携帯電話が鳴り出した。着信音は久樹のもので、慌てて電話に出る。
『爽子?』
「久樹、今どこ? 約束あるの忘れてるわけじゃないよね」 
『悪いっ。忘れてないよ。今、サチの家の前にいるんだ』
「だったらなんで電話してるの?」
『……それがさ』 
 久樹の歯切れが悪い。爽子は嫌な予感がして、携帯電話を持ったまま眉をしかめた。聞き耳を立てていた幸恵が「どうしたの?」と心配そうにする。
『あのさ、さっき俺を待ってた奴いたろ。そいつも一諸なんだ』
「――え!? なんで……?」
『金なくって、一週間だけ泊めてくれって来たんだよ。学生課で話してて、遅れちまった。家に置いとこうと思ったんだけどさ、腹減ったって言うし、家に買い置きの食べモンもないしな』
 心底困っている声に、爽子は文句が言えなくなる。久樹が友人を見捨てられない性格であることを、彼女は痛いほど知っていた。
 電話の向こうで「すみませんっ」と言う男の声も聞こえる。爽子は大きく息を吐き出して、幸恵を見やった。
「久樹の高校時代の友達がね、一文無しで泊めてくれって軽がり込んで来たんだって。……今、玄関の前に一諸にいてお腹すかせてるって」
「玄関の前にもういるの!? どうしよう、入れてあげないと可哀想だよね。ちょっと代わって」
 手を述ばして、携帯電話を受け取る。
「久くん、その人どんな人? 悪い人じゃないって言い切れる?」
『悪い奴じゃない。ちょっと強引だけどさ』
「困ってるんだよね?」
『すごく。あと、お腹と背中がくっつく!って叫んでる』
「……菊乃は、久くんの友達がここに来るのは嫌? 将斗くんと巧くんはどう思う?」
 尋ねられて将斗と巧が顔を見合わせ、菊乃は迷うように視線を彼等に向けた。 
「巧ー。来たのってさー、爽子姉ちゃんが一人で置いてかれる原因になったにーちゃんか?」
「多分な。それにしても常識ねぇよな。寮暮らしの友達の家に連絡なしで転がり込んできたってのも凄いけどさ、普通ここにまで来るか?」
「だよなー、俺もソレがいっちばん常識ないと思う」
 将斗が大きく肯いたのを見て、菊乃はポンッと手を打った。
「お姉ちゃん、非常識みたいだから止めておこう!」
 拒絶の高い声は、久樹と耳をくっつけるように聞いていた押し掛け人にも届いた。悲鳴を飲みこんでから、相手は久樹の携帯電話を奪い取る。
「はじめましてっ! 俺は松永弘毅っていいます。いや、突然に押し掛けることになったことには、電話だけでは語りつくせないくらいに深い、ふかーーい理由がありまして。ここに来ることになったのは、俺の胃袋がどうしてもと自己主張したからだったりするんです。いや、俺自身、いくらなんでも非常識ではとは思ったんですが」
 立石に水のごとき怒涛の説明に、電話口の幸恵が目を丸くする。そのままたっぷり一分は聞いていて、たまらなさそうに彼女は笑い出した。
「なんだか面白い人みたいよ、菊乃。私は入れてあげてもいいなかって思い始めたんだけど、やっぱり嫌?」
「うーん、どうしよう」
 将斗の意見に同意しただけの菊乃は、困ったように将斗と巧を見やる。視線にさらされた二人は、気まずそうな表情で頷いた。
「家主の幸恵姉ちゃんが良いっていうんだし。とりあえず爽子姉ちゃんもいいみたいだからー」
「いいよ」
 少々ぶすっとしているが、初等部コンビが了解をくれたことに、幸恵は「無理いってゴメンね、ありがとう」と笑う。それから爽子を促して、二人は玄関に向かった。
「ねえ、松永くんって人のこと、さっちゃんはどれくらい知ってるの?」
 長くもない廊下を歩きながら、幸恵は思い立ったように爽子に尋ねる。
「それがね、顔を一回見たってだけなの」
「……え? じゃあ、二次会の帰りに出くわした時に、松永くんって人を見ただけなの?」
「うん」
「た、確かにそれだと、将斗くんたちが非常識だ!って言うわけだよね。ごめんね、ちゃんと聞かないで勝手に決めちゃって」
「幸恵が悪いんじゃないわ。それに、私が知らなくっても、久樹が知ってるから」
「そうなんだけど。本当にごめんね」
 しゅんとしながら幸恵はミュールに足を入れて、扉を開けた。
 ひゅう、と音を立てて風が入り込んでくる。
 雪を降らせている冷たい外気と共に、白いものも中に入ってきて、幸恵の白い肌に触れて溶けていった。
「久くん、爽子と顔見知りの人じゃなかったのね。そちらの松永くんって方」
 幸恵には珍しいことだが、口調が少し責めるものになっている。久樹は小さくなって「本当にごめん」と頭をさげ、弘毅にも謝るように言おうとして目を丸くした。
 松永弘毅は、ぽかんと口を開けていた。
 他人に自分がどう見えるのかを、弘毅は非常に気にする性質だ。その彼が、こんな無防備な表情をさらすのはとても珍しい。
「弘毅?」
 久樹が尋ねる。弘毅は問いかけを無視して、一歩前に出た。
「あの……先ほど電話に出てくださった方ですか?」
 弘毅の視線は幸恵をまっすぐに捕らえている。
「え? あ、そうですけれど。なにか?」
「つかぬことをお伺いするんですが、今、付き合っている人か、好きな人っていますか!?」
「え?」
「重要なことなんです。是非、教えて下さいっ」
 弘毅は久樹を押し退けて、ずずいと身体を寄せてくる。幸恵はのけぞりながら、視線をそっと床に落とした。
「……あのぉ」
「ええ、なんでしょうか!」
 顔は更に近付いてくる。
「靴、脱いで欲しいんですけれど」
「……うわあ! すいませんっ!」
 悲鳴と共に弘毅は大慌てで靴を脱いだ。
 突然の友人の態度にあっけに取られた久樹は、驚いて目を丸くしている爽子に向き直る。
「爽子、この展開ついて行けるか?」
「ちょっと……無理かも」
 玄関での騒ぎに、菊乃と将斗が心配して出てくる。姉が大好きな妹は背に飛びついて、弘毅は可愛い登場人物に目を細めた。
「こんばんは、菊乃ちゃん。俺は松永弘毅っていいます」
 いきなり名前を呼ばれて、びっくりしたように菊乃は固まった。一緒に出てきていた将斗が、うさんくさいものを見る眼差しで弘毅を睨む。
「なあ、兄ちゃんずーずーしいよ。菊乃、怖がってるじゃんか」
「悪い。仲良くなりたくって、つい力んだよ」
「……兄ちゃんってさ、ロリコンなワケ?」
「な、なんでそんな恐ろしげな発想をするんだよ!」
「普通すると思うけどなぁ」
 やれやれと将斗は首を振る。妹に大丈夫よと話しかけていた姉は、はっとした顔をしてから、眉を寄せた。
「恋愛に年齢差は関係ないっていいますけど、さすがに菊乃はまだ困ります」
「違います! 俺は、幸恵さんに一目惚れしたんです。一目ぼれした幸恵さんの妹さんだから、仲良くして欲しいなあって思ったワケで」
「……え?」
 突然の告白に幸恵は言葉を詰まらせる。
 久樹は目を見張って、まじまじと高校からの友人を見やった。
 松永弘毅は、学校では目立つ存在だった。恋人候補は山ほどいるのだが、なぜか付き合うことはしないまま今も変わらないと聞いている。
「弘毅!」
 慌てて声をあげた。
「な、何だよ久樹くん!」
「なんでサチなんだ? サチをからかってるだけだったら……」
「からかってなんているかよ。久樹から見た俺って、ホントにいいかげんな奴なんだなぁ。あのな、オーラだよ」
「……は?」
 尋ねた目が点になる。
 久樹は炎の異能力を持っていた。
 それはひどく異質な力であり、普通の人々なら「バカなことを言っている」と一蹴するような現実だ。そんな嘘のような力を持つのだが、弘毅の突然の言葉には反応出来なかった。
「オーラって?」
「バカにしてるだろ。そういう態度は失礼だぞ」
 馬鹿にしているわけではない。
 久樹と、彼の肩に手を置いた爽子は、ある可能性に震えていた。
 ――弘毅は異能力を持つのだろうか?
「気が見えんだろ。それよりさ、あんた約束破ったろ」
「……うっ! まさかこの声はっ!」
 久樹を無視し、幸恵と菊乃にオーラがどれ程美しかったかを語っていた弘毅が固まる。おそるおそるといった様子で顔をあげた弘毅は、廊下で冷たい目をしている巧を認めてひきつった。
 弘毅が白梅館の久樹の家の前で途方にくれていた時、何やってんのと話し掛けたのが巧だったのだ。
「あんたさぁ、俺に約束したよね? どこに行って、何時くらいに帰って来るのかだけ教えてもらえれば安心するって。どっか店で待ってるってさ」
 巧の目が、初等部の生徒のものとは思えぬほどに冷たく凍る。
 外に降る雪よりも冷たいソレに、弘毅はうなだれた。結ばれた長い髪がかたまりとなってゆれて、しおれる犬の尻尾にも見える。
「心細くってな、つい。出来心だったんだよ、許してくれ〜」
 な!と、弘毅は巧の肩を揺さぶる。それからそっと顔を寄せて、一番最初に親切にしてくれた少年の耳元で囁いた。
「でさ、幸恵さんに彼氏がいるのかどうかを」
「そんなの、俺に聞くなよ」
「お! なかなか義理固いんだな、お前良い奴だな。是非友達になってくれ」
「俺とぉ? あのさ、俺っていわゆる小学生だよ」
「いいじゃないか、久樹と友達なんだろ? 久樹がいいなら、俺はダメってことはないだろ」
 弘毅は心底嬉しそうにニカッと笑う。最初に声を掛けたときも、こうやって相手のペースに乗せられたことを思い出して、巧は仕方なさそうに笑った。
「なんか憎めない兄ちゃんだなぁ。俺は中島巧だよ。兄ちゃんの好きな幸恵さんたちと一緒にいるのが、従兄弟の川中将斗」
「従兄弟なのか。あ、じゃあ他にも一緒に住んでいる奴いるのか? 子供二人ってワケじゃ」
「二人だけだよっ。許可は降りてるんだから、いいんだ」
 どこか硬質な眼差しで、巧は弘毅を拒絶する。
 やり取りを見守っていた久樹は、緊張の面持ちで爽子の手を引き、小さく声を低めて囁いた。
「爽子、あの目ってさ……拒絶、してんだよな。他人を」
「久樹?」
「あの目でさ、夏ぐらいまでは俺のことも見てたよ。――智帆は言ったよな、あいつらには家族からも拒絶されかけた過去があったんだって。――もっぱらさ、異能力に関するときにああいう目をしてたよ。あとは」
 いったん言葉を切る。爽子は眉をよせた。
「なにか、触れられたくない話題になった時、よね」
「そうだよ。”なぜ同時期に、あいつらは白鳳学園に来たのか”って話題になると、ああいう目をしてなかったか? 帰省しないのは、距離を取ったことで修復した関係を、維持したいんだろうと思うよ。でもなぁ」
「仲間を探していたとはいえ、全員が同じ時期に集ったのは変だってことね?」
「そう思う」
 季節がめぐるたびに起きた事件の連続と、炎の能力が封印されている理由と、爽子の能力の謎とに頭を悩ませていたことで、忘れてしまっていた疑問。
「俺達……何も知らないんだな」
 何かを知っているだろう、高等部の二人は口を閉ざしたままだ。
「話すに足る相手じゃないって、思われてるのかな……」
 ぽつりと声を落とす。
 二人を残してリビングに去っていた幸恵が「どうしたの?」と声を掛けてくる。それにすぐに行くと答えてから、久樹は幼馴染みの両肩をつかんだ。
「俺達だって、知らなくちゃいけないんだよ」
 自分達の能力のことも、と続く言葉を久樹は飲みこむ。
 爽子は目を見張り、久樹が突然に見せた覚悟に体を震わせる。
 ――変わっていくのだ。
 こうやって、何もかもが。
 

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竹原湊 湖底廃園
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